009.01
009
「発端は、三十年ほど前に遡ります」
ラスは静かに語り始めた。
「正確には三十一年前、太陽系外探査に出ていた某国の有人宇宙探査艇が四十二年ぶりに地球へ帰還しました。その成果として乗組員が持ち帰ったものの中に、地球外生命体があったのです」
それは地球外生命体の存在が確認された初めての例であった。しかし、その存在は一部の人間の手により隠蔽される。公表してしまえば世界中が大騒ぎになるという懸念よりも、その個体が生きていたために、生きたまま研究するということが外部に漏れれば、大きな反発が予想されたからだという。
研究者たちは、その個体を仮に「
「マザー」が持ち帰られて二年後、突如として謎の地球外生命体の集団が地球付近に出現した。後に人間によって「
「『マザー』の存在は、ウェルシュ博士をはじめとした極少数の人間しか知りません。その後間もなく結成されることになる連合軍にすら隠されています。おそらく、今も」
「ディザスターって、地球を侵略しにきたエイリアンだってのが通説だったのに……侵略じゃなかったのか」
リツヤは呆然と呟いた。ラスは淡々と続ける。
「彼らは、長い間眠っていました。地球の生き物とは違い、一にして全、全にして一の存在なのです。けれど、ヒトが『マザー』を連れ去ってしまったせいで目を覚ましました。そして怒り狂い、母を取り戻しに地球を目指します。彼らにとってヒトは、突然やってきて母を連れ去った絶対悪です。話し合いの余地はありません」
ラスの話を頭の中で必死に咀嚼しながら、リツヤは問う。
「変なこと聞くけどさ、どうしてそんなに敵方に詳しいんだ?」
「それは……、私が……」
そこで初めて、ラスは躊躇う様子を見せた。しかし促すまでもなく続ける。
「私が、『マザー』の遺伝子を持っているからです」
「……は?」
今度こそわけがわからなくなり、リツヤは間の抜けた声を上げた。重ねて尋ねる。
「遺伝子? ……ラスが?」
「はい。彼らへの対抗手段を標榜し、遺伝子工学の権威であるヘンリー・ウェルシュ博士を中心にした研究チームが発足します。ご存知かと思いますが、それは[DCP]と名付けられました」
しかし、強化人間を生み出してディザスターに対抗しようというのは表向きの話で、これには裏があった。
「ウェルシュ博士は『マザー』の遺伝子を解析し、ヒトのそれが一番近いと結論付けました。そして、デザイナー・チャイルドを大量に作り出すことのできる場所を欲しました。人為的に『マザー』を作ろうとしたのです」
「人為的にって……どうやって」
「遺伝子操作です。計画の初期に作られたデザイナー・チャイルドは、素地を作るための実験でした。そして、第二世代の子どもに『マザー』の遺伝子を組み込んだのです」
「そんな……」
地球を守るという大義名分の許に生み出された子供たちは、実際は一握りの科学者の私利私欲のためだった。彼らが「マザー」の存在を公表するか、あるいはディザスターに返していたら、戦いは起こらなかったかも知れない。
「……すみません」
何故か頭を下げるラスへ、リツヤはかぶりを振った。ラスが責められるようなことは何一つない。むしろ、ラスは一番の被害者だろう。
「そうか……なんでアーサーさんが第一世代でラスが第二世代って言われるのか、疑問だったんだ。第一世代は単に遺伝子を弄られた子どもで、第二世代は『マザー』の遺伝子を組み込まれた子ども……」
呟くリツヤにラスは頷く。
「そんなこと、可能なのか?」
「いいえ、ヒトと『マザー』は種として違いすぎます。その証拠に、第二世代は尽く死亡しました。唯一の例外を除いて」
「それが……ラス」
「はい。ですから、DNAの観点から言えば、私はもう……『ヒト』ではありません」
言いながら俯くラスに、リツヤはかける言葉を持たない。否定するのは簡単だが、根拠となるものを持たない以上、ラスには気休めにもならないだろう。
ラスは顔を伏せたまま言葉を紡ぐ。
「彼らの目的は『マザー』の奪還ですから、『マザー』を目指してやってきます。私の存在は『マザー』に比べてとても微弱なようですが、彼らは私を無視できない……。彼らは今、月の向こう側のL2にいます。地球よりもL1の方が……《フォルモーント》にいる私の方が近いので、先にこちらにくることにしたのだと思います」
カタリナが言った、コロニーが落ちるというのは誇張でもなんでもなかったのだと、リツヤは寒気を覚えた。L1にあるコロニーは《フォルモーント》だけではないのに、ディザスターは正確にラスを―――『マザー』を目指してきた。
「廃棄しろって言ったのはそのせいか? ディザスターがラスを捜しにくるから?」
「はい。私が消えれば、本物の『マザー』だけになります。もう《フォルモーント》では今回のような襲撃は起こりません」
「だからって……」
リツヤが返す前に、声がかかった。
「なるほどね。やっとわかったわ」
「あーあ。せっかく誤魔化そうとしたのに」
フェルンとアーサーの声に驚き、リツヤは振り返る。扉を細く開けて様子を伺っていたらしい彼らは、堂々と部屋に入ってきた。それを見ながらリツヤは半ば呆然と呟く。
「フェルン……アーサーさん……一体どこから……」
「乗組員が持ち帰ったものの中に地球外生命体が、あたりから」
「殆ど最初じゃないか」
「ふふん、あたしだけを仲間はずれにしようなんて甘いのよ」
勝ち誇ったように言うフェルンに、リツヤは頭を抱えた。これはおいそれと外に出していい話ではない。
リツヤの傍らに立ったアーサーが、ラスを見下ろして言う。
「ディザスターが近付いてきてるのがわかったから、迎撃しようとしたの?」
「はい。彼らに私の存在がわかるように、私にも彼らがわかります」
その答えを聞いてリツヤは、ラスが何故出撃したのかようやく腑に落ちた。しかし、だからといって納得はできない。
アーサーは重ねて問う。
「もしかしてラス、ディザスターの言葉がわかるのかい?」
唐突な問いに、リツヤは驚いてアーサーを見上げる。しかし、ラスは事も無げに首肯した。
「はい。私の言葉が通じるかは不明ですが」
「ディザスターは知能を持っている?」
「はい。彼らの知能はヒトと同等か、それ以上。ヒトとコミュニケーションをとろうとしないのは、ヒトが彼らにとって滅ぼすべき悪だからです」
平坦な口調で紡がれる答えを聞いて、リツヤは愕然とラスを見た。
リツヤは今まで、ディザスターが言葉を発している可能性すら考えなかった。けれど、人間の耳には聞こえない方法で彼らが会話を交わしていたなら。そして、それをラスが理解していたなら。
アーサーは重ねて問うた。
「彼らは、なんて?」
「私に向けられる言葉で多いのは、『母』、『見つけた』、『一緒に帰る』……それと」
ゆっくりと、一言ずつ区切って発音したラスの瞳から涙が零れた。透明な雫は表情のない白い頬を伝い、微かな音を立てて上掛けに落ちる。
「『殺さないで』」
最後の言葉を聞き、リツヤはたまらずラスを抱き寄せた。突然のことに驚いたか、ラスは身体を強張らせるが、構わずリツヤは抱き締める腕に力を篭める。
「ごめんな。俺たちはずっと、おまえに……仲間を殺させていたんだな」
緊張を解いたラスは、小さくかぶりを振った。
「いいえ。私は偽者ですから彼らとは関係がありません。彼らを排除するのが私の役目です」
「じゃあ、なんで泣くんだよ」
「これはおそらく、私の中に残っている『マザー』によるものです」
「でも、泣いてるのはラスじゃないか」
「……よく、わかりません」
リツヤはラスの頭をそっと撫でて腕を解く。身体を離したラスは不思議そうな顔をしていたが、双眸はもう濡れてはいなかった。
ベッドの端に腰を下ろしたフェルンは、ため息混じりに言う。
「謎の発熱は、強度の精神的ストレスのせいだったわけね。無理もないわ。酷い話」
ラスは俯き、上掛けの端を握り締める。
「私の存在は彼らを呼びます。またいつ襲撃があるかわかりません。焼却処分にするのが最善だと考えます」
まだ言うかと、リツヤは首を左右に振った。
「それは最善じゃなく最悪だ。まさか、連合軍はそれを理由におまえを放り出したんじゃないだろうな」
「襲撃の原因が私だと特定はできなかったようですが、私は出撃の度に体調を崩していましたから、手間ばかりかかって役に立たないと」
「また身勝手な……」
呟いてリツヤは舌打ちを堪える。今話を聞いただけでも、ラスの苦痛は想像を絶する。熱を出すのも無理はない。心が壊れてしまわなかったのが奇跡的に思える。
フェルンの隣に座ったアーサーがどこか諦めの混ざった声で言う。
「軍なんてそんなもんだよ。そもそもおれたちは人員じゃなく物品だからね。経費も消耗品で計上されるし。壊れたり不具合を起こしたりしたら新しいのと交換ってこと」
「そん……ああもう、誰だ最初にそんなこと考えたの! 頭おかしいんじゃないのか? ―――とにかく、うちじゃあそんなの理由にならない。廃棄は却下だ。って言うか、廃棄って表現が駄目だ」
ラスは再び俯き、独白のように言う。
「私はそもそも生まれるはずがなかったのです。それだけではなく、私が生まれてしまったことで、失敗に次ぐ失敗により消えかけていた計画が息を吹き返してしまいました。私が生まれなければ、計画はもっと早くに中止になっていたはずです」
「だからなんだ。生まれたのはラスのせいか? 計画が延長されたのはラスの責任か。違うだろう」
ややきつい語調になってしまい、リツヤは内心で後悔する。ラスは目を瞬いて小さく頭を下げた。
「申し訳ありません」
違う、とリツヤは打ち消す。
「謝るな、ラスは悪くない。それと、簡単に廃棄だの殺せだの言うな。おまえが死んだら、俺は悲しい。出撃から無事に帰ってきてくれて、凄くほっとした。おまえがここにいてくれることが嬉しいんだ、ラス」
ラスはしばらく無言でいたが、やがてぽつりと呟いた。
「……私は、ここにいてもいいのでしょうか」
「当たり前だろ」
強く言えば、ラスは俯いたままだが微かに笑んだ。その頭をリツヤはくしゃくしゃと撫でる。その傍らで、フェルンとアーサーが何やら顔を見合わせ、頷き合っている。
「懐くわよねえ」
「まったくだね」
「なんだ、二人して」
わかり合っている様子の二人は置いておくことにして、リツヤは重ねてラスに問う。
「カタリナ・ウェルシュは、最初から知っていたのか? ディザスターがラスを目指してくることを」
カタリナの名が出てラスは微かに肩を強張らせたが、すぐに首肯した。
「はい。私がディザスターを引き寄せていると、マスターは早くから仮説を立てていました。私が月基地に配備された後、ディザスターが地球ではなく月に集中するようになって確信したそうです」
「くっそあの女、知ってたならもうちょい具体的な警告してけってんだ」
カタリナが襲撃のことを見越していたのなら、異様に自信ありげだったのも頷ける。加えて、コロニーの一つや二つ落ちても、特に気にしないのだろう。
フェルンが首をかしげた。
「カタリナ・ウェルシュってあのカタリナ・ウェルシュ? ヘンリー・ウェルシュ博士の娘の」
「知ってるのか?」
「まあね」
首を竦め、自らも幾つか博士号を持っているフェルンは続けた。
「ヘンリーの方は、遺伝子工学を囓ってるなら誰でも知ってるんじゃない? カタリナは知る人ぞ知るって感じかしら。ヘンリーは[DCP]の中心人物、カタリナも関わってたし、父娘二代でろくでもないのは確かね。―――カタリナは連合軍の軍医やってたんだっけ。今は何やってんのかしら」
カタリナとのやり取りを思い返し、そのときの腹立ちも蘇らせながらリツヤは応える。
「まだ研究は続けてるみたいだったぞ。どっかの研究所にいるのか、自分で研究所持ってるのか知らないけど」
「……ふむ」
顎に手を遣り、フェルンは考え込むような風情を見せる。そして、ぱっと立ち上がった。
「ちょっと思いついたことがあるから帰るわ。あとよろしく」
「え? あ、おい」
リツヤが呼び止める間もなく、フェルンは部屋を出て行く。そのまま足音が遠ざかり、玄関の扉が開けられて閉まる音がした。リツヤはアーサーと顔を見合わせ、首をかしげる。
「思いついたって……何を?」
「さあ……」
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