008.02

「知らせてくれてありがとうございました」

「お礼なんていいよ。おれも結構動揺してたみたいだ。いきなり倒れたなんて言われたら驚くよね。ごめん」

「謝らないでください。目の前で知り合いに倒れられれば、誰だって動揺しますよ」

 苦笑するアーサーにリツヤは腕の怪我のことを再び尋ねた。

「腕……、もしかして戦闘中に?」

「違う違う。戻ってきてから着替えてるときにロッカーでぶつけちゃって。そんなに酷くぶつけたつもりなかったんだけど」

 アーサーは嘘をついている。ほぼ確信しながらリツヤは彼を見上げた。

「……すみません」

 呟けば、アーサーはその言葉を払うかのように片手を閃かせた。

「なんでリツヤが謝るのさ、おれの不注意だってば。どうも最近注意力散漫で駄目だね。あ、お茶でも淹れよっか。座っててよ……って言っても、ここはラスんなんだけど」

 不自然に明るい声で言いながらアーサーはキッチンへ向かった。突っ立っているのも邪魔になると思い、リツヤはのろのろと移動して食卓の椅子に腰掛け、重いため息をついた。

(どうして俺はこう……)

 アーサーが負傷していることなど、フェルンが指摘しなければ気付かなかっただろう。挙げ句、そのアーサーにも気を遣わせてしまった。自分のことばかりで、他人のことまで気が回らない。

 どうしてウォンが自分を指名したのかわからない。アーサーもラスも、リツヤではなく他の誰かがついた方がよかったに違いない。

(アーサーさんはともかく、ラスは今からでも局長に言ってみようかな)

 鬱々と考え込んでいると、目の前に湯気を上げるカップが差し出された。

「あんまり悩むと禿げるよ」

「失礼ですね。禿げませんよ」

 リツヤがカップを受け取ると、アーサーは笑いながらリツヤの向かいに座った。

「眉間の皺が取れなくなるよ、でもいいよ」

 そんなに皺を寄せていただろうかと、リツヤは無言で眉間を撫でた。アーサーがお茶を啜り、首をかしげる。

「どうも、おれの淹れるお茶は美味しくないんだよね」

「そうですか?」

「そうだよ。リツヤのは美味しいのに」

 リツヤも一口お茶を飲んで、そんなに変わらないではないかと思う。

「……あのさ、リツヤ」

「はい」

 改めて呼ばれて、リツヤは返事をしながら首を傾げた。

「ラスは、無性セクサレスなのかい?」

 唐突に問われて、目を見開く。ラスが性別を備えないという話は、初日に本人から聞いた。見た目では男女の判断がつかず、尋ねたのはリツヤだ。しかし、個人データは男性になっていたので、線の細い男なのだろうと考えた。なので今、アーサーに改めて尋ねられるのを不思議に思う。

「……なぜですか?」

「シャワー使ってるとき、ラスが転んだんだよね。今思えば、転んだんじゃなく、熱のせいでふらついたか躓いたかしたんだろうけど」

 察しがついて、リツヤは持ったままだったカップを下ろした。片手を口元にあてる。

「で、びっくりして助け起こすじゃない? シャワー室だから裸じゃない? 一瞬女の子かと思ったんだけど、そうでもなさそうだから、ラスの出自を考えると無性もありえるのかなって……本人には訊いてないけど。訊く前に大丈夫だからって出て行っちゃったし、訊いていいものかどうなのか」

 確かにその状況では疑問を口にできないだろう。アーサーの戸惑いは察して余りある。

「最初に、本人が言ってました。自分は性別を備えないと……。でも、個人データは男性になってたんです」

「それでリツヤは男だって紹介したんだね。個人データを用意したのは局長だろうから、便宜上の性別をつけたんだろうね」

「おそらく。……本当に、無性だったとは」

 そのとき、インターフォンが鳴った。立ち上がろうとするリツヤを制し、アーサーがモニタを確認してからそのまま玄関へ向かってフェルンを招き入れる。

「ただいま。お腹減っちゃったから食べ物も買ってきたわよ」

 言いながらフェルンは食卓の上にどさりと買い物袋を下ろした。パンやお菓子などが入っている袋をがさがさとかき分けて冷却シートなどを取り出し、リツヤへ差し出す。

「ラスをお願い。アーサーはあたしが診るわ」

「わかった」

 頷き、リツヤは寝室へ向かった。背後から二人の声が聞こえる。

「逃げようったってそうはいかないわよ」

「ええー。いや、ほら、全然痛くないから平気かなー、なーんて」

「いいからそこに座って袖捲んなさい」

 やりとりに苦笑しながら、リツヤは寝室に入った。寝室の明かりはフット・ライトしかついていないので、扉を閉めてしまうと薄暗い。書き物机の椅子をベッドの傍らに移動させ、フェルンから渡された諸々を枕元に置きながらラスを覗き込む。

 ラスは先ほどと変わらず辛そうな表情で眠っているように見えた。しかし、微かに何かを呟いているのに気付き、リツヤはラスの口元に耳を近付ける。

「―――…んなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」

 一瞬耳を疑ったが、ラスはしきりにごめんなさいと繰り返している。悪い夢でも見ているのだろうかと眉を顰め、リツヤはラスを起こそうか迷う。ラスの体調を考えるとこのまま眠っていたほうがいいと思うのだが、魘され続けるようなら起こしてやったほうがいいかもしれない。

 そのうちにラスの目尻から涙が一粒零れた。それはこめかみを伝い、髪を濡らす。涙が後から後から零れるのを見て、リツヤはラスを起こすことに決めた。

「……ラス。ラス、起きろ」

 声をかけながら何度か揺さぶると、ラスはぱちりと目を開けた。浅い呼吸を繰り返しながらいっぱいに目を見開き、リツヤの姿を認めて起き上がろうとするのを慌てて止める。

「そのままで。ごめんな、起こしちゃって」

「いいえ……私は……」

 ぼんやりとした声で応えたラスは小さく息を呑むと、リツヤが止めるのも構わず起き上がってしまった。そして、深々と頭を下げる。

「申し訳ありません」

 いきなり謝られてリツヤは目を瞬いた。

「なんで?」

「申し訳ありません。私が……、私のせいで」

「ちょっと待て。だから、なんでだ? ラスが倒れたのはラスのせいじゃないだろ」

「私のせいです。先に話しておけば……いいえ、私がいなければ、こんなことには……」

 切迫した口調で独白のように呟き、顔を上げるとラスはリツヤに縋り付いた。

「お願いです、私を廃棄してください。今すぐに」

 倒れ込んでくる勢いなのを受け止め、リツヤは目を見張る。これほど取り乱したラスは見たことがない。

「待てったら。何言ってんだ? 廃棄?」

「私をこのまま放置しておけば、また遠からず襲撃があります。お願いです、廃棄を……焼却、して……」

 一気に喋ったせいか息を切らし、ラスは苦しそうに胸元を押さえた。リツヤは戸惑いながらも背中をさすってやる。

「落ち着け、大丈夫だから。もうディザスターはいないんだ。ラスたちが退治してくれたんだぞ。忘れたのか?」

 ラスは今にも泣き出しそうな顔で強くかぶりを振る。

「彼らはまたきます。近いうちに、必ず。そうなる前にどうか、私を廃棄してください」

「だから、なんでだよ。奴らとラスにはなんの関係もないだろ? やっぱり、変な夢見たんだな。もう平気だ、夢は夢だからな」

 なんとか宥めようとしても、ラスは頑なに言い募る。

「違います、夢ではありません。私が地球外にいる限り、彼らは私を目指してくるのです」

「……なんだって?」

 リツヤが眉を寄せると、ラスは再び頭を下げた。

「申し訳ありません……」

「ああ、違う違う。ラスに怒ったとか、そういうんじゃない。……ひとまず落ち着け。な? おまえ、酷い熱なんだぞ。わかってるか?」

 言いながらリツヤはラスの顔を上げさせ、額に冷却シートを貼った。冷たかったのか、ラスが微かに身震いをする。

 どうやっても大人しく寝てくれそうにないので、リツヤはラスの肩に毛布を掛けてやった。イオン飲料のボトルの蓋を開けて差し出す。

「飲め。話はそれからだ」

「ですが……」

「飲まないと聞かない」

 強く言えば、ラスは躊躇いがちにボトルを受け取った。やはり喉が渇いていたようで、一息に殆どを飲み干してしまう。

「あんま一気に飲むなよ。せるぞ」

 ラスから空になったボトルを受け取り、代わりにフェルンが気を利かせて買ってきてくれたゼリータイプの栄養食品を渡す。

「よし、話を聞こう。それ食べながらな」

「はい」

 こくりと頷いたラスは、リツヤが想像もしていなかった話を語り始めた。


     *     *     *


「現役のパイロットでもないのに、どうして出撃したのよ」

 結局根負けし、フェルンに冷湿布を貼られて包帯を巻かれながらアーサーは首をかしげた。

「フェルンは、なんでおれが怪我してるって気付いたの?」

「玄関でリツヤを受け止めた後、あたしたちを中に入れながらさすってたじゃない。痛そうな顔して」

「……え、嘘」

 フェルンの言うことが本当ならば、無意識の行動だ。リツヤは気付いていない様子だったのに、よく見ている。

 包帯を巻きながらフェルンは頬を膨らませた。

「それより、あたしの質問に答えて」

「出撃したのは警備隊もそうじゃないか」

「警備は仕事でしょ。アーサーは、今は民間人で、パイロットは引退してるじゃないの。なのに出るなんて」

「心配してくれてありがとう」

「誰がっ……し、心配なんてしてないわよ! ちゃんと人の話聞いてる?」

 声を上げるフェルンの手に力が籠もり、包帯が引っ張られてアーサーは痛みに顔を顰めた。感謝しているのは本当だが、茶化さない方がよさそうだ。

「聞いてるよ。理由でしょ? ……そう、コロニーのみんなを守りたいと思って」

「妙な間と、『そう』がなければ、まだしも説得力があったかもしれないわね」

「やだなあ、本心だよ」

「寝言は寝てお言い。リツヤとラス以外の他人には、全然興味ないくせに」

 言い切られ、アーサーは誤魔化し笑いを浮かべた。フェルンは、見ていないようで本当によく見ている。

「なんでリツヤなの?」

「……うん?」

「あんたもラスも、なんでリツヤなの?」

 アーサーが瞠目すると、包帯を巻き終えたフェルンは顔を上げる。

「ラスはまあ、わかるわ。リツヤがウォンから頼まれたんでしょうし、あの調子で世話を焼かれたら懐くわよね。でもアーサーはわからない」

 ウォンによってアーサーがリツヤと引き合わされたのは三年前だ。アインホルン社にきてまだ一年のフェルンは、人形だった頃のアーサーを知らない。―――否、人形であるのは今でも変わらない。しかし、当時よりは随分人間に近くなっただろうと自負している。最低限、人間と並べられても人間ではないと疑われることはなくなった。

「手当をありがとう」

「お礼なんかいいわよ、答えて。それとも、アーサーもラスと同類なの?」

 挑むように言われて、アーサーは苦笑した。

「その理論で行くと、フェルンも同類ってことになるね」

「なんでよ。あたしは別にリツヤに懐いてなんかないわ」

 自覚はないらしいと、アーサーは再び笑う。人間は、自分のことには存外、うといのかも知れない。

「フェルンがたった今自分で答えを言ったじゃないか」

「あたしが? なんて?」

「あの調子で世話を焼かれたら懐くわよね」

 口調も真似て返してやれば、フェルンは元から大きな双眸を更に大きく見開いた。

「……アーサーって、リツヤよりも年上じゃなかったっけ」

「上だよ。四つばかりね」

「四つも上の人の世話を焼いてたわけ? リツヤが?」

「人間ができてるかどうかってのは、生きた年月が長いってのと同義じゃないだろ。十年で人生悟っちゃうような人もいれば、ただ大きくなっただけのもいる」

 アーサーは後者だ。中身が器に伴っておらず、合わせようという努力も放棄していた。歪み、荒み、呪い恨むばかりだったのを、根気強く矯正してくれたのはリツヤである。

 眼鏡を押し上げ、アーサーは唇の端を持ち上げた。

「視力が落ちる原因になった怪我をしたとき、廃棄されていればって今でも思うよ」

 自分の存在がリツヤにどれほど迷惑をかけ、煩わせたか、人間に近くなった今だからわかるようになった。アーサーはラスのように素直ではなく、人間という生き物を憎んですらいた。今でも人間は好きではないし、信じられない。だが、自分たちと同じく、人間にも個体差があるのだと学んだ。

 アーサーの言葉に何かを感じ取ったか、フェルンは思慮深げな表情になった。彼女も、なまじ頭がいいだけに色々と見たくもないものを見てきたのだろう。時折、十五という年齢には似合わない顔をする。

「あんた、まさか……」

 アーサーは笑みを浮かべて遮る。

「おれからは具体的なことは話さないよ。これ以上はフェルンの想像にお任せ」

「厄介なことに巻き込みそうだから、なんて、妙な気を遣ってるんじゃないでしょうね」

 じろりと睨まれ、アーサーは首を竦めた。

「どうだかね。フェルンは勘がいいから、今更おれが喋らなかったところで同じようなものかもしれないとは思うけど」

「じゃあ意味ないじゃない。話しなさいよ」

「もう想像はついてるんだろ?」

「ずるいわよ。あたしがどんなに想像したって、答えがわからなければ意味がないわ」

 フェルンが唇を尖らせ、しかしすぐに不可解そうな顔になって言う。

「世話をしてた側なのに、リツヤはアーサーには丁寧に喋るわね」

「ああ……なんか途中で、年齢だの礼儀だの言い出してね。俺は別に普通でいいって言ったのに、それじゃ示しがつかないとかなんとか、ごちゃごちゃと」

「年齢に礼儀ねえ。そういうのを重んじる地域の出身なのかしら」

「さあ? そういえば、リツヤの出身地は聞いたことないな。どこなんだろ」

「そうね、名前の響きからして……って、そんなことはどうでもいいのよ。ちゃんと答えを教えなさい」

「言い出したのはフェルンじゃないか」

「うっさい。大体アーサーはねえ……」

 フェルンの言葉を遮るように、寝室から声が聞こえてきた。壁越しなので内容はわからないが、言い合いをしているようにも聞こえる。

「……なんか、揉めてない?」

「様子見てみようか」

 顔を見合わせ、アーサーとフェルンは立ち上がった。

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