006.03
「じゃあ……あの女の言ってたことは……」
「本当だよ。戸籍上は普通に生まれたことになっているが、私はデザイナー・チャイルドだ。とはいえ、飛び抜けた能力は持たないけれどね」
自嘲気味の笑みを浮かべるウォンに返す言葉が見つからず、リツヤは黙り込んだ。特に気にしたふうもなくウォンは話を進める。
「ウォン家は、アインホルン社創始者一族の傍流でね。もう半世紀以上も前になるが、お家騒動というか、本筋を乗っ取ろうと画策した人々がいたんだ。私たちは、その計画の一部として生み出された。まあ、計画は失敗して傍流は未だ傍流のままだ。首謀者は死んだと聞いている。幸い私と五人のきょうだいは、廃棄されずに育ててもらって、今でも全員生きている」
「そうだったんですか……」
飲み込むのが精一杯で、やっとそれだけを返したリツヤに、ウォンは悪戯めいた笑みを向けた。
「私の下で働くのがいやになったかな」
「いいえ。生まれがどうであろうと、局長は局長です。何も変わりません」
生まれはその人の人生に大きく影響するが、人格まで決めてしまうものではない。今のウォンがあるのは彼自身の努力や選択によるものだろう。生い立ちや過去がどうあれ、リツヤたち一班のメンバーは、今のウォンに救われた。
「それに、腑に落ちました。局長がなぜ、俺やラスみたいな人間を助けてくれるのか」
「それとは関係ないよ、前にも言ったけど趣味のようなものだ。助けているわけじゃない」
そこは譲らないらしい。リツヤが言い返す前に、ウォンは話を変えてしまう。
「私のことはこれくらいにして。これでウェルシュ博士が諦めてくれればいいんだがね」
もう少しウォンの話を聞きたかったが、これ以上は教えてくれないようなので、リツヤも合わせることにする。
「まったく、いきなりきて何様のつもりですか、あの女」
「元軍医、今はフリーの研究者。しかも、度々行方を
しみじみと言うウォンにリツヤは深く頷いた。そして、さきほど引っかかったことを問う。
「局長、ラスが存在しないことになっているっていうのは……」
皆まで聞かず、ウォンは肩を竦めた。
「ああ。ラスには国籍も戸籍もなかった。それは仕方ないんだ、元は研究対象として作り出されているからね。人間としての出生届は出されなかったんだろう」
「酷い話ですね。じゃあ、どうやって入社させたんですか」
「話せば長くなるんだが……まず北米あたりに孤児院を作って」
「え、それ聞いたら後戻りできないやつですか?」
思わぬ方向に話が転がりそうで、リツヤは遮った。
ID申請がすんなり通ったのでまったく気にしなかったが、出自を考えれば、ラスが国籍を持たないということは想像に難くない。カタリナを始め、ラスの出生に関わった人間が、ラスを普通の子供と同等に扱い、諸々の手続きを済ませているとは思えない。
(……待てよ)
リツヤは考えているうちに思い付いたことを口に出す。
「書類上だけとはいえ孤児院に在籍させたなら、仮の名前がありますよね」
「あるよ。ジョン・スミスだ」
ウォンは至極当然だとでも言うように答えた。なら最初からその名前を教えてくれればいいのにと、リツヤは顔をしかめる。
「なんでラスの個人データの氏名がRA-SS02のままだったんですか」
「ジョン・スミスがいかにも偽名くさいなと思って。偽名だから当然なんだけれども」
「それでも識別コードよりましでしょう」
「すると、ジョンあるいはジェーン・スミスが何人もいることになってしまうな」
「局長の孤児院に入ると全員その名前になるんですか?
「うん」
やはりあっさりと首肯されて、リツヤは目を眇めた。
アーサーの時も、氏名は識別コードだった。ラスと状況は同じだったのだから、ラスもデザイナー・チャイルドであると早くに気付くべきだったのかもしれないが、リツヤはそれを頭から否定した。
(……違うな。アーサーさんみたいな存在が他にもいるなんて、信じたくなかった……)
己の感情を優先して、状況を正しく分析しなかった。自分はまだまだ未熟だと内省しながら、リツヤはぼやく。
「最初から、ちゃんと名前を付けてあげればいいのに」
「いやあ、命名って責任重大じゃないか」
「何言ってるんですか、拾い上げた張本人が」
半ば呆れつつ言えば、ウォンは誤魔化すような笑みを浮かべる。
「まあ、それはともかく。国籍とか戸籍とか、そのあたりは心配しなくていいよ」
一欠片の気負いも感じさせない調子でウォンが言うのは、リツヤが手出しできない領域の話だ。少々悔しいが、存在しないことになっている状態を覆す方法など、リツヤには見当もつかない。
できる人に任せようと割り切ることにして、リツヤはまったく違うことを尋ねる。
「いくつなんですか、あの女」
「確か四十二だったかな? 父上のウェルシュ博士が亡くなったのが十四年くらい前だから、下手をするとラスの親代わりだったりするのかい?」
言いながらラスを振り返ったウォンが怪訝そうな顔になったのを見て、リツヤもラスを振り返る。先程から一言も発しないラスは、蒼白になって床の一点を見つめていた。そのまま動かないので、リツヤはラスの目の前でひらひらと手を振る。
「ラス? どうした?」
「っ……」
ラスは弾かれたよう顔を上げた。そこには怯えを通り越し、恐怖が張り付いている。
目の前にいるのがリツヤだとたった今気付いたかのように、ラスは忙しなく目を瞬いた。そして、頭を下げる。
「申し訳ありません。なんでもありません」
「なんでもないって顔色じゃないだろ。大丈夫か? 具合悪いのか?」
「いいえ。問題ありません」
ラスは生真面目に応えるが、その頬に色は戻らない。問題がないわけがないとリツヤが更に言い募る前に、時計を確認したウォンが割り込んだ。
「おっと、もうこんな時間だ。随分終業時間を過ぎてしまったな、残業にしておくよ。リツヤ、ラスを送っていってあげるといい」
ラスをこのままにしておきたくないが、押し問答をしていても仕方がない、家に帰して休ませるべきだと己を納得させ、リツヤは頷いた。
「……はい。失礼します」
「お疲れ様」
リツヤはラスを促し、局長室を辞した。並んで廊下を歩きながらラスの頭をぽんぽんと撫でる。するとラスは強張った顔のままリツヤを見上げた。もの言いたげに微かに唇が動くが、そこから言葉は出ずに再び俯いてしまう。リツヤはラスの髪を掻き混ぜた。
「あんな奴の言うことなんて気にするな。備品だの研究対象だの、挙句化け物だの、人のことなんだと思ってんだ。あーくそ、やっぱり殴っときゃよかった」
久しぶりに感じた心底からの怒りは、多少カタリナを扱き下ろしたところで落ち着くものではない。しかし、化け物呼ばわりされた本人は、憤りとは程遠い、迷子のような顔で俯いている。
「ですが、私は……私は、本当に……」
「うん?」
独白のように落とされたラスの言葉が聞き取れず、リツヤは首をかたむけた。しかしラスは小さくかぶりを振る。
「いえ。すみません、なんでもありません」
「遠慮しないで言えって。博士の悪口なら俺も乗るぞ」
リツヤは軽口を叩くが、ラスは沈鬱な表情で俯いたまま何も言わない。リツヤはそれ以上言わず、顔を正面に戻した。
ラスという人間が存在しないことになっていたというのが、リツヤの中に深く刺さった棘のようになっている。それは、存在を否定されるのとはまた違う。否定されるということは、それでも、そこに在るというのを前提にしている。最初からないのとは違うのだ。
(……ラスは、ここにいるのに)
ため息が零れそうになって、リツヤは意識して笑顔を作る。
「今日、うちに夕飯食べにこいよ。何が食べたい?」
ラスは一度目を瞬くと、躊躇いがちに口を開いた。
「それなら、私が作ります」
「前もラスに作ってもらっただろ。たまには俺が作るよ」
「練習になりますから」
「そうか? じゃあお言葉に甘えて。メニューはラスの好きなのでいいぞ」
「はい」
ようやくラスの表情が和らいで、リツヤは内心安堵しながら笑みを浮かべた。そして、フェルンの耳には入らないようにせねばならないと固く決意する。少し前、ラスとアーサーを招いて三人で夕食を食べたとき、それをどこかで耳にしたらしく、何故自分も呼ばなかったのかとしつこいほど言われた。
(フェルンが関わると一気にややこしくなるからな……しかし、なんであいつは必要以上に首を突っ込んでこようとするんだ)
触らぬフェルンに祟りなしだと、リツヤは回数表示を見上げた。もうすぐ地階だ。
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