006.02
* * *
カタリナ・ウェルシュが到着したと知らせを受けたのは、終業間近のPM17:45だった。
リツヤには局長室の扉を開ける権限がないので、内側からウォンに開けてもらう。中へ入ると応接ブースのソファに座っていた、赤毛の女が立ち上がった。視線はリツヤを通り越して、その背後にいるラスへ向けられている。
「RA、無事でよかった」
微笑んではいるが、リツヤは言いようのない嫌悪感を覚える。彼女がラスを見る目は、子どもが失くした
ウォンがリツヤを示して口を開いた。
「先ほどお話しました、弊社の三局PD開発部運用課一班技術主任、リツヤ・マキナです。リツヤ、こちらはカタリナ・ウェルシュ博士だ。博士は、現在は遺伝子工学と生物学を専門に研究なさっているそうだ」
赤毛の女性の方が会釈をする。
「お初にお目にかかります、マキナ主任。カタリナ・ウェルシュと申します」
「リツヤ・マキナです」
「ご存じかもしれませんが、RAは[DCP]により対ディザスターを目的に創られたデザイナー・チャイルドです。元は連合軍の第三師団に配備され、月基地にありました。軍では使い物にならなかったので廃棄処分とされてしまい、探していたのです。廃棄する前にわたくしに一報あってしかるべきだと思うのですが……それはさておき。これの開発には大変な費用と時間がかかっておりますから、ただ廃棄するにはあまりに惜しい……」
「待ってください」
「なんでしょうか」
「この子は人間です。廃棄などという言葉を遣わないでください」
カタリナはきょとんとリツヤを見て、笑みの質を嘲りを含んだものに変えた。
「あら、ご存じありませんでしたか。デザイナー・チャイルド、ジーン・リッチ、デザイナー・ベイビーなど色々な呼び方はありますが、[DCP]にて創られたものに関して申せば、人の姿をした兵器ですのよ。RAは第三師団へ支給された備品でした。生体部品と申し上げた方がより正確かも知れませんわね」
あまりのことにリツヤは絶句する。カタリナに言葉が通じる気がしない。
「そういうわけですので、引き取りに参りました。こちらで預かっていただいていた間の費用はお支払いいたします。請求先は後程……」
「ラスは渡しません」
再び遮れば、カタリナはわずかに目を細める。
「ラスというのは、RAのことですか?」
わざわざ確認し、カタリナは芝居めいた笑い声を立てる。
「ふふ、そうですね、自分の持ち物に名前をつけるかたもいますもの。ペットのように」
「そ……言うに事欠いて……!」
「それでは失礼いたします。RA、きなさい」
リツヤの言葉を皆まで聞かず、カタリナは何の感情も篭らない目でラスを
「―――…」
ラスは今にも倒れそうなほど青褪めて、カタリナとリツヤとを交互に見た。
靴音高く扉の前まで進んだカタリナは、動かない三人を顧みる。立ったまま凍り付いているラスを見て不快げに眉を寄せ、何故ラスがついてこないのか理解できないといった様子で再び呼んだ。
「何をやっているの、RA」
「わ……私は」
「誰が発声を許可した!」
唐突な怒声にラスがびくりと両肩を跳ねさせ、リツヤがぎょっと目を見張ったところで、ウォンが
「困りますね、ウェルシュ博士。彼は既に我が社の一員です。退社するならそれなりの手続きを踏んでいただきませんと」
「彼? ……ああ、男性ということにしてあるのですか。人として、しかも雇用なさっているのでしたね。度し難い」
「人を会社に置くなら、雇用するのが当然でしょう」
肩越しにウォンを睨んでいたカタリナは身体ごと向き直った。明らか嘲笑を浮かべる。
「お言葉を返すようですが、わたくしはRAを人とは思えないものですから。備品のはたらきに対価を払うなど、ばかばかしい。あなたはそこのソファやデスクにも賃金を与えているのですか?」
「おまえ……!」
反射的に口を開きかけたリツヤをウォンは手で制する。
「ラスを生み出したのは博士のお父上でしょうに」
「そうですわ。あの偏執狂は目的のためには手段を選ばなかった。父の執念が創ったのは人ではない、恐ろしい化け物です」
今こそ殴る時だと身を乗り出すリツヤの腕を強く掴んで、ウォンは細く長く息を吐き出した。一呼吸置いて、改めて口を開く。
「失礼ながら、ウェルシュ博士。少々調べさせていただきましたが、あなたはラスについてなんの権限もお持ちではない。そもそも『RA-SS02』という人間は存在しないことになっているのですから、当然ですね」
ウォンの言葉に驚いてリツヤは彼を振り返った。言われるまで、ラスが「存在しない」可能性に考えが至らなかった。
ウォンは続ける。
「赤の他人が身の振り方を決定するのはおかしな話です。無論、所有権を主張するのも」
カタリナはしばらく無言でいたが、やがて眼はまったく笑わないまま赤い唇が弓なりに吊りあがった。その表情があまりに冷たく醜悪で、人間はこんな表情もできるのかとリツヤは肌を粟立てる。
彼女は笑みとも思えぬ表情を浮かべたまま突きつけるように言う。
「思い上がりも甚だしい。わたくし抜きでそれを管理できるとでも? コロニーが落ちますよ」
「随分と大袈裟な言い回しをなさいますね。管理しようなどとは思っておりませんよ。ラスは十分、自分で自分の行動に責任をとれる子です」
「……あくまで人間のように扱うと仰るのですね」
カタリナの低い呟きを無視してウォンは続けた。
「勿論、最初はトラブルがつきものです。ラスも新しい環境に慣れるまでは大変だったでしょう。けれど少なくとも、ここ二月は上手くやれていると思いますがね」
「そうですか。やはり、デザイナー・チャイルドにはデザイナー・チャイルドのことがよくおわかりになるのですね」
リツヤは軽く首を傾けた。彼女はアーサーの件には関わっていないはずだ。その表情を読んだか、カタリナは笑みを深くする。
「マキナ主任はご存じないようですね。ウォン局長はご自身のことを隠していらっしゃる」
「隠してって……何を」
リツヤが再びウォンを振り返ると、当の本人は毛ほどの動揺も感じさせない涼しい顔でいる。
「別に隠しているつもりはありません。上司の生い立ちなどどうでもいいでしょう」
「わたくしはそうは思いませんけれど。どうですか、マキナ主任」
話を振られ、リツヤは顔を顰めた。
「……デザイナー・チャイルドは一〇〇年以上前に国際法で禁止されていますが」
一般的に知られた事実だけを返せば、カタリナは意外そうに眼を見開いた。そして、楽し気に笑う。
「ふふ、マキナ主任は―――そう、純粋でいらっしゃる」
「どういう意味ですか」
「世の中、お金を積めば解決できることが多々あるということですわ。ねえ、ウォン局長」
同意を求められたウォンは、軽く肩を竦めた。
「否定できませんね、肯定もしませんが。それで、ウェルシュ博士。ラスの件の答えをまだ聞いていません」
カタリナは笑みを消し、ウォンには答えずラスへ声を投げた。
「RA、きなさい」
ラスは何かと争っているかのように額に汗を浮かべ、色をなくしながらも、その場から動こうとはしない。
一呼吸ほどの沈黙の後、カタリナは笑い声を上げた。先ほどまでとは違う、どこか狂気を孕んだ響きが室内を満たす。
「いいでしょう。人形をここまで手懐けたことに敬意を表し、わたくしは一旦手を引くことにします。何事も経験です、おやりになるといい。手に負えないと思ったらお知らせください、手遅れになる前に。引き取りに参ります」
言い捨てると踵を返してカタリナは去っていった。扉が閉まる音で、リツヤは我に返る。
(いや、局長から直接聞いたわけじゃない。揺さ振るためのカタリナの嘘だ)
尋ねていいものか逡巡していると、はははとウォンが乾いた笑い声を立てる。
「まいったね、まさか知っているとは。博士は私の熱烈なファンかストーカーかな」
カタリナの言葉を全面的に肯定する言葉に瞠目し、リツヤはウォンを見た。
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