006.01

「ウェルシュ博士?」

 昼休みが終わってすぐ、自らのオフィスでウォンからの通信を受け取ってリツヤは眉を寄せた。モニタ上のウォンはなんとも言えない表情で頷く。

『今日の夕方にきて今日のうちに帰るということだ』

「ちょっと待ってください、ヘンリー・ウェルシュ博士って死んだんじゃなかったんですか?」

『ああ、今日くるのは娘の方だ。カタリナ・ウェルシュ。知っているかね?』

「知りませんよ」

 ヘンリー・ウェルシュの方すら名前を知っている程度なのに、その娘のことなどまったく知らないどころか、娘がいることすら聞いたことがなかった。

「そのウェルシュ博士の娘が何しにくるんですか」

『ラスの所有権を主張している』

「……は?」

 言葉の意味がうまく呑み込めず、リツヤは眉を寄せた。ウォンは難しい顔で続ける。

『リツヤには言っていなかったが、ラスは[DCP]で創り出された……』

「あ、知ってます。本人から聞きました」

『本人から?』

 ウォンは瞠目したが、どこか嬉し気に頷いた。 

『だったら話は早い。実は、一週間くらいに連絡がきたんだ。RA-SS02をアインホルン社が保管していないかとね』

「保管……」

『カタリナ・ウェルシュも父のヘンリー・ウェルシュと遺伝子工学の研究をしていてね。昔は連合軍の軍医だったらしいが、今はフリーの研究者だ。RA-SS02は父親が創ったものなのだから、所有権は自分にあると言い張るんだよ。勝手に廃棄されて困っていた、ずっと探していたとね。今日しか時間が取れないから、今日くるとさ。さっき』

「とりあえず、今の話でカタリナ・ウェルシュがろくでもない女だってことはわかりました。ラスは渡しませんよ」

『それは勿論だ。十七時ごろに着くそうだから、一応ラスにも教えておいてくれ。着いたら知らせるよ』

「え? 俺も会うんですか?」

『そりゃ、ラスの直属の上司は君だしね。近況を説明してあげて欲しい。―――おっと時間だ。それじゃ』

「あっ、ちょっ……」

 通信は一方的に切れた。顔を顰め、リツヤはウインドウを閉じる。

(まったく面倒な)

 配属されて二月、ようやくラスも一班に馴染んで、少しずつながら自己主張を始めたというのに、ここでまた所有権だのなんだのと言われたら、元に戻ってしまうかもしれない。それはなんとしても避けねばならない。

 ラスにはカタリナの来訪を早めに知らせた方がいいだろう。切りのいいところまで仕事を進めて立ち上がろうとしたとき、扉が叩かれた。返事をすると、アーサーが入ってくる。

「主任、今大丈夫?」

「ええ。なんですか?」

 リツヤが頷くと、アーサーはメモリを差し出した。

「これ、今週分のレーダーのログ」

「ありがとうございます。すみません、わざわざ」

「オフィスに戻るついでがあったから。それじゃ」

 本当にメモリを置きにきただけらしく、アーサーは片手を振って出て行った。リツヤは渡されたメモリに視線を落とす。

 レーダーに謎の反応が出るようになったのは、もう一月以上も前だ。以来、頻度はまちまちだが三日と開けずに不明物アンノウンが引っかかっている。警備でも問題になり、大々的な調査まで成されたのだが、結局正体はわからずじまいだった。今は軍に調査を頼むかどうかで役員会が紛糾しているらしい。

 一瞬だけレーダーにかかる謎の存在というのに興味を引かれ、リツヤは個人的にログを集めて解析しているのだが、仕事に追われて思うように進まない。

(とりあえず、ラスに会いに行かないと)

 時計を見るともうすぐ三時になる。この時間なら今日はトレーニング・ルームにいるだろうとリツヤはメモリを置いて部屋を出た。

 目的のフロアに到着して廊下を歩いていると、丁度反対側からラスが歩いてきた。リツヤは軽く手を上げて声をかける。

「ああ、ラス。丁度よかった」

「ご用でしょうか」

 エレベータ・ホールへ向かうラスに合わせてリツヤも向きを変えて並んで廊下を歩く。

「今からどっか行くのか?」

「着替えて五番ブロックのマシン・ルームへ向かいます」

「そうか。急ぐ?」

「いいえ」

「それじゃ、ちょっと寄り道して行こう。話があるんだ」

「はい」

 頷くラスに頷き返し、リツヤはエレベータ・ホールを通り過ぎてリフレッシュ・ブースへ向かった。ラスは黙って隣を歩いている。

 リフレッシュ・ブースにはちらほらと人がいた。リツヤは自動販売機で自分にはお茶を、ラスには水を買う。

「はい」

「ありがとうございます。後でお金を払います」

「いいよ、奢る」

「しかし」

「いいって。誘ったのは俺なんだから」

 律儀に言うラスにリツヤは片手を振った。日々必要なものは対価を払って商品を購入し、対価となる金銭を得るには労働が必要なのだと学んだラスは、自分で買い物をするようになった。それは喜ばしいことなのだが、簡単には奢らせてくれなくなったのを嘆くのは、親ばかに類するものだろうかと胸中で苦笑する。

 人のいる場所を避けて隅のベンチに腰を下ろすと、ラスもその隣に座る。お茶を一口飲んでから、リツヤは口を開いた。

「ウェルシュ博士って知ってるか?」

「ウェルシュ、博士……」

 ボトルの蓋を開けようとしていたラスは、複雑そうにリツヤを見た。生き人形のようだったのが、二月の間に随分表情豊かになった。贅沢を言えば、もう少し笑顔が増えるといいのだがと思考が脇道に逸れそうになり、リツヤは意識して頭から追い出す。暢気のんきに喜んでいる場合ではない。

「カタリナ・ウェルシュ。ヘンリー・ウェルシュの娘」

「はい、知っています」

「話したことはある?」

「はい。私の現在の持ち主マスターです。ヘンリー・ウェルシュ博士の死後、所有権が相続されて……」

「待て待て待て」

 やっぱりだ、とリツヤはラスの話を遮った。ラスを備品扱いした原因は間違いなくこの父娘おやこだ。人を人とも思わぬ扱いをして、挙句所有権を主張するなど、どんな神経をしているのかと思う。

「もしかしてラス、カタリナ・ウェルシュのことは主人マスターって呼べって言われてんの?」

「はい」

 リツヤは、当然のように首肯するラスへ顔を向ける。

「あのな。前にも言ったろ、あるじなんて発想がおかしいんだって。百歩譲ってカタリナ・ウェルシュがラスの後見人だとしても、保護する責任はあっても所有する権利なんてない」

 少しだけ迷うような素振りを見せ、ラスは躊躇いがちに口を開いた。

「……マスターは、私を望んで所有しているわけではないと言っていました」

「は? どういうこと?」

「私の製作者はマスターの父上であるウェルシュ博士です。博士亡き後は一人娘であるマスターがすべてを相続しました。遺産は負債も相続されますから、私はそれと同じだということです。マスター自身が望んだことではないと」

「そ……」

 言葉を返せずリツヤは無言でラスを見た。右手のボトルが音を立て、握り潰しそうになっていたのに気付いて力を抜く。

(言うに事欠いて、負債だと……)

 あまりにも身勝手なカタリナの言い分に、リツヤは腹の底が焦げ付くような怒りを覚える。今相手が目の前にいたら、女性といえども殴り倒していたかもしれない。

「いいか、ラスは物じゃない、人間なんだ。ラス以外の誰にも所有されたり、支配されたりしない」

「……はい」

 首肯するラスが心なしか怯えているようで、リツヤは軽くその背を叩いた。努めて明るく聞こえるように声を作って言う。

「大丈夫だ、追い返す。今更ラスを連れて行かせたりしない。それともラスは、自分の身柄が博士預かりのままでもいいと思うのか?」

「権利に関しては、私に選択権はありません」

「そういう話じゃなくて。ウェルシュ博士にはラスを保護する義務はあっても、所有する権利なんてない」

「しかし、私は」

 続く言葉が予想できて、リツヤはラスを遮った。

「ラスがどう思うかは勝手だけど、おまえは人だ。これは確実なことだから、もう諦めろ。どう足掻いたって、どういう生まれだって、人は人だ。他のものにはなれない」

 リツヤの言葉を聞いてラスは目を伏せた。口を開く気配がないので、リツヤは話を進める。

「話がずれたな。―――俺が訊いてるのは、ラスがどう思うかだよ。このままずっと、もしかしたら一生、ウェルシュ博士に付きまとわれ続けてもいいかどうか」

 この訊きかたは少々ずるかっただろうかと、リツヤはラスの様子を窺う。ラスはしばらく床に視線を落としていたが、やがてリツヤを見ると躊躇いがちに唇を動かした。

「それは、あまり……、望ましくありません」

 言葉を選んでいたのだろう、ゆっくりと言うラスの言葉を聞いて、リツヤはぐしゃぐしゃとラスの頭をかき回した。

「よし。わかった」

 リツヤがラスの頭から手を話すと、ラスは俯いたまま呟いた。

「ですが、私は……」

「うん?」

「私は……」

 リツヤは促すことはせずに二の句を待った。しかしラスは続けずに小さくかぶりを振る。

「……すみません」

「なんで謝るんだよ。言いたくないなら言わなくていいんだぞ」

「はい……」

 ラスの愁眉は開かない。リツヤはもう一度ラスの頭を軽く撫で、首をかたむける。

「ウェルシュ博士に会うか? 会いたくないなら言っておくけど」

「……会います」

「そっか。無理はするなよ」

 こくりと頷くラスに笑み、リツヤは中身が三分の二ほどに減ったボトルに口を付けた。

(本人に会ってみないとなんとも言えないけど……殴らないで済むかな)

 穏便に済めばいいと、リツヤは誰にともなく祈った。

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