005.03

     *     *     *


 目を開けたら朝だった。昨夜の記憶は途中ですっぱり途切れている。

(ちゃんとベッドで寝てたってことは、アーサーさんが運んでくれたんだろうけど……)

 にぶく痛む頭を抱えてシャワーに打たれながら、リツヤは重いため息をつく。まんまとアーサーに潰されてしまったらしい。

 シャワーを浴びても頭痛が治まってくれるわけもなく、洗濯機の音にすら頭の中身を揺さ振られる気分でリツヤはバスルームを出る。食器の山を覚悟してキッチンに向かうと、予想に反してシンクはきれいに片付けられていた。水のボトルを片手にリビングへ戻り、食卓も片付いているのを見て目を瞬く。

(片付けてくれたのか……ラスかな。後でお礼言っとこう)

 アーサーは面倒なことには手を出さないだろうとぼんやり考えながら、リツヤは水をあおった。一気にボトルの半分ほどを飲み干して、テーブルの上のメモの存在に気付く。几帳面な筆跡はアーサーのものではない。

《冷蔵庫に栄養ドリンクがあります。アーサーからです》

 署名はなかったが、明らかにラスが残したメモを読み、リツヤはかくりと項垂うなだれた。

(あの野郎……最初から潰すつもりでいやがったな)

 胸中で悪態をつきながらソファに移動してため息をつく。アーサーの考えることは、いまだによくわからない。

 ウォンがアーサーを連れてきたのは、もう三年以上前のことだ。

 名前を問うたところ、リツヤよりも更に頭半分長身である彼は、名などないから好きに呼べと答えた。突き放すような言葉には、そんなこともわからないのかという内なる声が滲んでいた。

 放り捨てるような口調と、投げやりな態度。最初からコミュニケーションをとるつもりがないらしい彼は、ほとんど表情を動かさず、必要最低限しか喋らなかった。

 それでも任された以上は、なんとか打ち解けるきっかけを探さねばと、リツヤは半ば苦し紛れに彼の容姿を褒めたのだ。眼鏡をかけて、いつも何かを睨んでいるかのような目つきだったが、顔の造作と体形はリツヤが知るどんな人間よりも整っていたので。

 しかし、リツヤの言葉を聞いた彼は、侮蔑も露わにリツヤを見下ろし、嘲るようないびつな冷笑を浮かべた。


 ―――当たり前だ。おれは創られたんだから。


 声色まではっきりと蘇り、リツヤはため息を飲み込んだ。

(ああ……思い出しちまった)

 当時のアーサーもラスと同じことを言った。自分は創られたのだと。生まれる前になるように「設定」されたのだから、どんなことも賞賛にはならないと。

 今もその考えは変わらないのかも知れない。だが、それでも現在、同僚に副主任と慕われるアーサーは、彼自身の努力のたまものだ。アーサーは本当に、芯から人間と、己の存在を呪っていた。僅かでも考えを変えるのは、生半なまなかなことではなかっただろう。今でこそいつも穏やかで激昂することなどなさそうなアーサーだが、リツヤが出会った当初は、この世のすべてを疎んでいるようだった。

(変わったよなあ……いててて)

 頭痛で額を押さえ、今日はあまり頭を使わないようにしようと思う。もう一眠りしようか迷いながら水を飲み干したところで、インターフォンが鳴った。休日に誰だろうと首を捻りつつリツヤは重い腰を上げる。

 モニタに移っていたのはラスで、リツヤは首を傾げた。

「どうした、ラス」

『薬をお持ちしました』

「薬? 今開けるからちょっと待って」

 問い返し、リツヤはなるべく頭を揺らさないように歩いて玄関へ向かった。ロックを外して扉を開ける。

「よう」

 軽く片手を挙げると、ラスは小さく頭を下げて手にした袋を差し出した。

「アーサーからです」

「へ?」

 受け取り、中を覗き込むと錠剤からドリンクまで、数種類の二日酔いの薬が入っていた。薬局で買ってきたらしい。

「自分で持ってくればいいのに」

「そのことについて、アーサーから伝言があります」

「なんだって?」

「リツヤに怒られるのが嫌だからラスに頼んだ、週明けに元気で会おう、お大事に、とのこと」

「怒られるのが嫌って、子供の言い分だろうが! ……ててて」

 思わず声を上げ、自分の声が響いてリツヤは頭を抱えた。ラスが平坦ながらもどこか気遣わしげに言う。

「大丈夫ですか」

「あー……、病気じゃないから大丈夫。ったく、気にするんなら飲ませなきゃいいのに」

 ぼやきながらなんとか頭痛を治め、リツヤは顔を上げた。

「アーサーさんには後でお礼言っとくよ。ラスも、ありがと」

「いいえ。では私はこれで失礼します」

 本当に薬を届けにきただけだったらしいラスは、ぺこりと一礼すると隣の自分の部屋へ戻って行った。リツヤも扉を閉め、ついでに昨日から開けていないメールボックスを覗く。

(……あ)

 空だろうと思っていたのだが、カラフルな封筒が目に飛び込んできて、少々驚きながらリツヤはそれを手に取った。羊をデフォルメした可愛らしいキャラクターが描かれた封筒には、見覚えのある字で宛名が書かれていた。手にとって裏側を見ると、差出人は思ったとおり妹になっている。

 ソファに戻って封を切ると、二種類の便箋が入っていた。これはいつものことで、片方は妹、片方は弟からの手紙である。

 リツヤには十五歳の弟と十歳の妹が一人ずついる。リツヤと二人は血の繋がりはないが、弟と妹は実の兄妹きょうだいだ。

 リツヤは孤児で、物心着いたころには孤児院にいた。ゆえに、両親の顔も出身地も、リツヤ自身の本名すら解らない。産みの親は何一つ手がかりを残さなかった。

 淡い水色の便箋は妹の手紙だった。紙面に目を落としてリツヤは微かに笑む。

(お兄ちゃんへ、か……)

 リツヤを引き取り育ててくれた養父母は、五年ほど前、リツヤもそろそろ手を離れるからと兄妹を引き取り、直後に二人とも事故で亡くなった。

 弟と妹は地球で寄宿舎のある学校に通っているのでなかなか会えないが、月に一、二通の頻度で手紙をくれる。これは、リツヤが地球を離れる時に、たまにでいいから肉筆の手紙が欲しいと我侭を言ったせいだ。無論、普段はメールや通信で連絡を取り合っている。

 手紙は最早、前時代の遺物だ。送るのにはそれなりの手間と費用がかかる。なのに、手紙が途切れたことはない。それが保護者としてのリツヤに対する義理からであっても、リツヤは純粋に嬉しかった。

 リツヤは決していい兄ではない。三人一緒に暮らしたのも一年足らずだ。それでも、弟と妹はリツヤを兄と呼んでくれる。

 《フォルモーント》にも学校はあるので、二人を呼び寄せて三人で暮らすこともできる。だが、急に環境が変わるのは大変だろうからと言い訳をして、単身宇宙に上がったのはと考えて、リツヤは急いでそれを頭から追い出した。このことを考えるとどうしても、普段思い出さないようにしていることまで浮かび上がってきてしまう。

 手紙を読んだら薬を飲んで寝ることにして、リツヤはもう一枚の便箋を開いた。

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