005.02

     *     *     *


 午後七時過ぎ、インターフォンが来客を知らせた。テーブルを拭いていたリツヤは顔を上げ、丁度インターフォン近くに立っているラスに言う。

「悪い、出てくれるか? 多分アーサーさんだから」

「はい」

 ラスは頷き、インターフォンの応答ボタンを押して返事をした。戸惑ったようなアーサーの声が返ってくる。

『……あれ、おれは部屋を間違ったかな? リツヤん家って隣だっけ』

「いいえ。ここです」

 答えてから振り返るラスに頷いてリツヤは玄関へ向かった。ロックを外して扉を開ける。

「お待ちしてました。どうぞ」

「お邪魔するよ。―――うん、リツヤの部屋だよね、ここ」

 確認するように部屋を見回し、アーサーは一人で納得したようだった。しかし、エプロン姿でおたまを片手に立っているラスに目を留め、首をかしげる。

「今日の主役が料理を?」

「俺が作ろうと思ったんですけど、練習したいって言うので、任せました。ラス、ここにくるまで家事をしたことがないそうで」

「なるほど、修行中ってわけか。はい、おみやげ」

「ありがとうございます。すみません、気を遣っていただ……ほぼ酒じゃないですか」

 アーサーが差し出した紙袋を受け取り、中を覗き込んでリツヤは眉を寄せる。裏腹にアーサーは微笑んだ。

「明日は休みだし、朝まで飲もうと思って」

「なんて不健康な。しかも人ん家で」

「ラスもいるし、いいじゃないか」

「ラスはまだ酒飲めませんよ」

「うん、だから、潰してもラスに介抱してもらえるなって」

「二重の意味で鬼ですね」

「あの」

 リビングの入口で言い合っていると、遠慮がちに声がかかった。リツヤとアーサーは同時に振り返る。いつの間にかエプロンを外したラスが食卓を示した。

「お話中にすみません。食事ができましたので、どうぞ」

「ああ、ありがと。ごめんな、一人でやらせちゃって」

「いいえ」

 リツヤの言葉に首を左右に振り、ラスはキッチンへ戻っていく。それについていき、アーサーが棒立ちのままなのに気付いてリツヤは肩越しに彼を見た。

「アーサーさん、どうしました?」

「……え? あ、うん、ちょっと」

 なんでもないとかぶりを振るアーサーを促して食卓へ向かえば、三人分の食事が用意されていた。一応飲み物も用意していたのだが、折角アーサーが持ってきてくれたのだからとリツヤは紙袋から白ワインのボトルを取り出した。ついさっきまで冷やしてあったのだろう、瓶はうっすらと曇って冷たい。アーサーもまた同じ建物に住んでおり、部屋は五階にある。

 リツヤはボトルを片手に席に着いた。まだキッチンにいるラスを呼ぶ。

「ラス、後片付けは後でいいよ」

「はい」

 ラスがエプロンを外して食卓につき、リツヤはアーサーに尋ねる。

「何飲みます?」

「なんでもいいよ。アルコールなら」

「わー。そういえばザルでしたっけね」

 工業用エタノールを飲んでも平気なのではないかというくらい、リツヤはアーサーの酔ったところを見たことがない。さほど酒に強くはないリツヤにしてみれば、羨ましい話だ。

「ラスは?」

「水を」

 三人分の飲み物を用意し、リツヤは軽くグラスを掲げた。

「それじゃ、お疲れ様でーす」

「お疲れ様でーす」

 ラスは不思議そうな顔で、しかし二人を真似てグラスを掲げた。

「どうぞ、アーサーさん。ラスも。冷めないうちに」

「いただきます」

 言って料理を口に運び、アーサーはこくこくと頷いた。

「うん、美味しい。ラスは料理上手だね」

「いいえ、まだまだです」

 ゆるゆるとかぶりを振りながらラスは目を伏せる。あまり表情に変化はないが心なしか嬉しそうで、いいことだとリツヤはこっそり笑んだ。ラスは感情の表現の方法を知らないだけなのだ。

 食卓にはポテトサラダ、キュウリとトマトの和え物、エビのアヒージョ、チーズやソーセージなどといった酒の肴と、チキンソテーやミートボールなど食事にもなるものが並んでいる。リツヤが手を貸したのは下ごしらえくらいだ。ラスが料理をするようになってまだ日が浅いが、すでに自分よりも上手いとリツヤは思う。

 トマトを食べていたアーサーは、口の中のものを飲み込むと、ふと顔を上げてワインのボトルを手にした。

「まあ飲みなよ」

 唐突に酒を勧められ、嫌な予感がしてリツヤはかぶりを振る。

「待ってください。今酔うわけにはいきません」

「おれの酒が飲めないのかい?」

「なんですかそのパワハラの見本のような発言」

「パワハラにはならないでしょ、おれよりリツヤの方が立場が上なんだから」

「じゃあただの嫌がらせですか」

「店で潰されるよりましだろう?」

「ましですけど。いや、俺のこと潰す前提で話を進め……ちょっ、後で! 後で飲みますから!」

 アーサーが傾けているボトルから、リツヤは慌ててグラスを離す。すると彼は不満気にボトルの口をラスへ向けた。

「君が飲まないならラスに飲ませるぞ」

「犯罪ですよ。捕まるのはアーサーさんですからね」

「いいよ、ありとあらゆる手を使ってリツヤに罪を着せるから」

「わー。爽やかな笑顔でなんてことを。録音しておこう」


     *     *     *


 食事は和やかに終わった。立ち上がり、片付けにかかろうとするラスをリツヤが止める。

「待って、ラス。片付けは後でいいよ。そんとき俺もやる」

「必要ありません」

 真正面から言われて、リツヤは鼻白んだようだった。アーサーは苦笑しながら言う。

「ラス。こういうときはね、『一人で大丈夫』って言うんだよ」

 ラスの言葉に悪気はなく、リツヤへの気遣いからの言葉であることはわかっているので、アーサーはやんわりと訂正した。ほとんど表情を変えず、けれど不思議そうにアーサーを見るラスにある種の懐かしさを覚える。

(おれもこんな感じだったのかなあ。……いや、こんなに素直で可愛くはなかったな)

 ラスとは違い、アーサーには仲間がいたので、随分違っただろう。おかしな知恵がある分、何倍も扱いづらかったに違いない。

「三人で話がしたいんだ。いいかい?」

 ラスは琥珀をはめ込んだような瞳でアーサーとリツヤを交互に見た。

「私と話をしても益はないと思います」

 反駁され、アーサーは少々驚いた。この部屋にきた時も、話に割り込むことができるのかと驚かされた。一班へ配属されて―――リツヤのもとにきて二週間足らずだというのに、反論もできるようになっているとは、目覚しい進歩であると言える。ラスの場合、自己を主張するという考えが最初からないので、言われたことをそのまま吸収しているのだろうとアーサーは分析する。

「有益とか無益とか、そういうことじゃない。ただ話がしたいだけだ」

「わかりました」

 リツヤに言われると、ラスは素直に椅子に座りなおした。やはり、彼の中で最優先されるのはリツヤの言葉なのだろう。

「おれが話していいのかな」

 問えば、リツヤは少しだけ安堵したような顔をした。どう切り出せばいいのか、ずっと考えていたのだろう。

「ええ、お任せします」

 頷いてアーサーは、ラスに向き直る。

「単刀直入に言うけれど、ラス。君は、対ディザスターを目的に創られた[DCP]第二世代のデザイナー・チャイルドだね」

「私の経歴に関することにはお答えできません」

 生真面目に言うラスへ、リツヤが告げる。

「前に喋るなって言ったけど、今だけ取り消す。アーサーさんなら大丈夫だ。俺もラスの口からラスのことを聞きたい」

「はい」

 頷くと、ラスは迷いも躊躇いもない口調で告げた。

「副主任の言うとおり、私は[DCP]第二世代のデザイナー・チャイルドです」

「やっぱりそうか。あと、勤務中じゃないときは、おれのことはアーサーでいいよ」

「わかりました。アーサー」

 生真面目に言うラスに、アーサーは頷き返す。

 リツヤが許可したならば、アーサーの素性を明かさなくてもラスは話してくれるだろうが、それはフェアではない気がして、アーサーは軍で支給されるような、大きく幅の広い腕時計を外した。左手首の外側をラスに見せる。

「……!」

 すると、アーサーが知る限り初めて、ラスの表情が大きく動いた。目を見張ったまま食い入るようにアーサーの左手首を、そこに刻印された文字列を見つめる。

「リツヤもウォン局長も、おれの素性は話さなかっただろう?」

「はい。アーサーのことは聞いていません」

「二人とも優しいからね、おれのことを普通の人間みたいに扱ってくれるんだよ」

「アーサーさんは普通の人間ですよ」

 間髪入れずに言うリツヤに苦笑を返し、すぐにそれを消してアーサーは続ける。

「おれが生まれた時に与えられた個体コードはA-TH0071エーティーエイチダブルオーセブンワン。略さないとAgent-Theoretical Holdover0071で、リツヤに貰った名前が、アーサー・ワトソン」

「では……、あなたも」

「うん、おれは[DCP]第一世代のデザイナー・チャイルドだよ。三年くらい前かな、局長に拾われて、リツヤに引き合わされたのは」

 リツヤは首を傾げる。

「そんなになりますっけ。逆に、三年だけかとも思いますけど」

「おれもそんな感じ。ずっと前からここにいたようで、つい最近みたいな気がする」

 その時既にリツヤは一班にいたが、技術主任ではなく一整備士としてだった。主任になったのは、一年半前、当時の主任が退職することになったためで、その後を継ぐかたちで辞令を受け取ったリツヤは、何故自分がと困惑していた。けれど、一班のメンバーは言葉にしないまでも、リツヤが後任になるのは妥当だろうと皆思っていた。彼の持つ技術は勿論のこと、その人望をかんがみても。

「今は整備士だけど、おれも軍でPDの生体部品だったんだよ」

「パイロット」

 低い声で訂正してくるリツヤに、アーサーは小さく笑う。

「生体部品と呼ばれる、PDパイロットだった。その頃月にいたのは第一師団だったかな? でも、戦闘で中破してね。幸い廃棄されずに直してもらったけど、潰れた両目の視力だけは、なんでか一定以上に戻らなかった。検査結果はどこも異常はないんだけどね。原因がわかんなくて、結局お払い箱。これはその名残」

 言いながらアーサーは眼鏡を押し上げた。日常生活に支障はないが、PDパイロットにはもうなれない。

 ラスは何も言わずにアーサーを見ていたが、そっと左袖を捲って見せた。手首に、アーサーと同じようにコードが刻まれている。

「RA-SS02、か。たしか、RAID Agent-Second Seriese……だよね」

「はい。02の私が唯一の成功事例です」

「他は、誰も?」

「私の他に個体まで育ったものはありません」

「そうか……やっぱり、君が最後なんだね」

 言いながらアーサーは腕時計をはめ、袖を元に戻した。ラスもそれにならうように袖を下ろして口開く。

「私は連合軍に廃棄されたのです。備品―――PDの生体部品として」

「ラースー」

 半ばうんざりしたように、リツヤがラスを呼ぶ。

「何度でも言うぞ。おまえは人間で、備品でも部品でもない」

「はい」

 返事をしたラスは、表情を変えないまでも僅かに視線を落とした。それが気落ちしているように見えて、アーサーはリツヤに頼んだ。

「リツヤ、ちょっとだけ二人にしてもらってもいいかな。五分くらいでいいから」

 驚いた顔をしたが、リツヤはすぐに頷いて立ち上がった。

「……わかりました、そっちにいますね。終わったら呼んでください」

「ありがとう」

 寝室の扉が閉まるのを待ち、アーサーはラスの様子を伺った。

「さっきのは気にしなくていいよ。リツヤはラスに怒ってるわけじゃない。怒ってるとしたら、軍とか、おれたちを創り出した人間に対してだ」

「ですが、リツヤは失望しているでしょう。私は今まで人として扱われたことがありませんので、人としての振舞い方がわかりません」

 淡々としたラスの言葉を聞いて、アーサーは首を左右に振った。

 ラスは、おそらく彼自身に自覚はないだろうが、既に多少なりともリツヤに心を寄せているのだろう。失望されるのを恐れるというのはそういうことだ。

「そんなことないよ。リツヤは全部受け入れてくれるし、絶対に見捨てない。相手がなんであれね」

「しかし」

「おれもリツヤに人にしてもらったんだ。だから大丈夫だよ」

 告げれば、ラスはほんの僅か目を見開いた。

「おれには君と違って、全部中途半端だった。人間の振りはできる。けど、根っこの部分では自分が人間であるなんて思っちゃいなかった。人間も信じられなかったしね。……多分、それは今も変わらない」

 ラスは押さえつけられていただけで、基本となる考えがない分、素直に受け入れる。一方アーサーは、同じ境遇の子供たちと話すことができたから、相当に捻くれていた。リツヤは、自分よりも年上の、けれど中身は人間未満を押し付けられて途方に暮れたのではないかと、今更ながらにアーサーは考えた。

 ラスは自らの手に視線を落とした。その手を胸に当てる。

「私は、人になれるでしょうか」

「大丈夫だよ。リツヤが手伝ってくれるから」

 言えば、ラスはこくりと頷いた。幼子のような仕草が微笑ましくて、アーサーは笑いながら頷き返す。

「もうね、暗示でもかけてるのかってくらい言うよ、あの人。おまえは備品じゃない、おまえは人間だって。カウントしとくと面白いかも」

 冗談のつもりだったのだが、ラスは真面目な顔で頷いた。この分だと本当にカウントしそうだ。

「悪かったね、変な話を長々と。あ、今二人で話したことはリツヤには内緒にしてくれるかな? これは『命令』じゃなく、『お願い』ね」

 冗談めかして付け加えれば、ラスは重ねて頷く。

「わかりました」

「ありがとう。―――リツヤー、終わったよー」

 声を投げると、人の動く気配がしてリツヤが寝室から戻ってきた。

「早かったですね。五分もかかってなくないですか」

「長いよりいいじゃないか。さて、飲み直そうか」

「え」

 目を見開いたリツヤは、アーサーとラスを順に見た。

「話は終わりですか? 全部?」

「終わったよ。もう大丈夫」

「だったら……」

「酔っ払っても」

「そっちの大丈夫? いや、終わったなら解散でよくないですか? もう遅いですし」

 リツヤは時計を示すが、まだ日付が変わってすらいない。アーサーにとっては宵の口だ。

 リツヤを一人にしてしまったのはほんの数分だが、真面目で責任感の強い彼のことだ、余計なことを考えていたに違いない。たとえば、ラスに言い過ぎたとか、自分の配慮が足りなかったかとか。気にしなくていいことまで、リツヤは彼自身の中に原因を追究したがる。

 だから、この際だから飲ませてしまえと思った。根が真面目な主任には、羽目を外す時間が必要だ。

「夜はこれからじゃないか。お酒もたくさん残ってるし、リツヤはほとんど飲んでないだろ?」

「お構いなく。ほんとに。フリとかでなく」

「君が飲まないならラスに飲ませるぞ」

「犯罪ですよ。ってこれさっきも同じやり取りしたじゃないですか」

「おれの酒が飲めないのかー」

「ラス、レコーダーとって」

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