007.01

 007


 その日、《フォルモーント》管制室は騒然となっていた。

「新たな敵影八、四時の方向! 敵影十一、二時の方向!」

「また増えた……そんな馬鹿な」

「警備隊、第二防衛ラインで交戦中!」

「ウォン局長から返信は?」

「まだです!」

「敵、最終ライン突破!」

「なんだと!?」

「数四……五! 速度上がっています! 重力ブロック到達まで距離五〇〇、予想到達時間15:09―――四十二分後です!」

 一人の管制官の悲鳴のような声に、全員が青褪める。束の間、管制室が静まり返った。

 一番早く我に返った管制官が振り返って問う。

「月の連合軍はどうなってる?」

「こちらに向かっているそうです。でも、間に合うかどうか……」

「敵影、七に増加!」

「センサー域に入ったんだろう!? デブリ・ブレイカーは!」

「あれは生体には反応しません」

「シールドは?」

「同じくです!」

「くそっ、役に立たない!」

「手動で動かせただろう?」

「はい、現在サラターン班が制御室に向かっています!」

 《フォルモーント》自体には兵器は搭載されていない。ゆえに、警備隊を突破されればなす術がなかった。

 各ラグランジュ・ポイントのコロニー群ごとに、警備のための地球連合軍基地コロニーが存在する。とはいえ、連合軍が月基地を奪還してからは、月-L2間以外で大規模な戦闘が行われたことはないので、少しずつ縮小傾向になった。

 しかし、今日の昼過ぎ、突如としてL1付近にディザスターの群れが現れた。月とはまったく違う方向から、レーダー領域を縫うように接近してきたらしい彼らは、《フォルモーント》からは何もない場所から突然出現したように見えた。

 そして、不可解なことに、レーダーを見る限りディザスターの群れは、他のコロニーには見向きもせずに《フォルモーント》を目指してきている。

「どうしてうちなんだ……他にもコロニーはたくさんあるのに!」

 悲痛な叫びに応えられる者はいない。



 一方、《フォルモーント》全住民には避難命令が出されていた。コロニーは寄る辺なき宇宙に浮いているがゆえに、ほんの僅かな瑕疵かしが命に関わる。幾重にも対策は成されているが、人が作ったものである限り、絶対はない。

 町の全てが機能を停止し、人々は各所に作られたシェルターに避難している。万が一の時にはシェルターそのものが救命艇として《フォルモーント》を離れる仕組みになっている。

 リツヤは五番ブロック格納庫でその報せを受けた。PDは起動していたが、幸い宇宙そとには出ていなかったので、直ちに現在の作業を中断して避難するよう指示を飛ばす。

「片付けは帰ってきてからでいいから急げー。でも脱出ポッドはちゃんと全員分あるから焦るなー。焦らず急げー」

 微重力の工業ブロックに装備されているのはシェルターではなく定員五名の脱出ポッドだ。これもシェルターと同じく、エマージェンシー・レベルが最大になった時に射出される。

 コントロール・ルームから降りてきたノエルが心配そうに言う。

「主任も急いでくださいよ」

「はいはい。みんな出たら俺も行くから、俺を避難させたかったら早く出ろー」

 リツヤは入口近くに立ち、次々に格納庫を出て行く同僚を送り出した。その時、再びアナウンスが入ってリツヤは天井を仰ぐ。非常事態を知らせる赤いランプがそこここで点滅している。

《エマージェンシー・レベルCに移行します。皆さん速やかに避難してください。エマージェンシー・レベルCに移行します。皆さん速やかに避難してください》

(C? なんだ突然)

 エマージェンシー・コールのレベルはA~Jの十段階に分かれている。先ほどまでは避難命令が出されるレベルEだったのだが、一つ飛ばしてCに跳ね上がった。リツヤは、レベルE以上のエマージェンシー・コールを、避難訓練以外では初めて聞く。

 おそらく最後であろう、フェルンとラスが固定されたPDの方から漂ってくる。リツヤの目の前に着地し、フェルンはヘルメットを外して眉を顰めた。

「どうなってるの? 原因は何?」

「わからない。そういえば、さっきからエマージェンシー・コールしか流れないな。状況説明がない」

「しかも今、突然レベルCにならなかった? 原因を言っちゃうとパニックになるからってことかしら。パニックになるようなことが起きてるってわけ?」

「事態が収拾されれば発表されるだろう。ほら、二人も脱出ポッドに急げ」

「リツヤは?」

「全員避難したのを確認したら、俺もすぐ行くから」

《エマージェンシー・レベルBに移行します。定員に達したシェルター及びポッドは閉鎖されます。皆さん速やかに避難してください》

 リツヤの声に被さるように再び放送が入り、三人は顔を見合わせた。フェルンは不安げに周囲を見回す。

「レベルBなんて……Aになったら脱出させられちゃうじゃないの! こんなの初めてだわ、一体何が起きてるっていうの?」

「いいから、避難が先だ。早く」

 二人を廊下へ追い立て、残ったリツヤは庫内を見て回った。無人であることを確認して、己も避難しようと格納庫を出る。非常用モニタでポッドの空きを確認し、まだ定員に達していないポッドへ向かった。

(磁気嵐くらいじゃエマージェンシーは出ないだろうし……まさか、敵襲か?)

 考えながら、それはないだろうとリツヤは一人で首を左右に振った。ディザスターはL2を拠点にしているのだから、月を飛ばしてL1を急襲するのは考え難い。それでたとえL1を占拠できたとしても、月と地球に挟撃されるのは目に見えている。

 空きがあったポッドに辿り着き、フェルンが一人でいるのを見てリツヤは首を捻った。

「あれ、一人か? ラスは?」

 小さな窓から外を見ていたフェルンは、肩越しに振り返って言う。

「別のポッドに乗るって、途中で別れたわ」

「別って……ん?」

 扉が閉まる瞬間、視界の端に人影が見えた気がしてリツヤは目を瞬いた。扉を開けて確認してみるが、外に人気はない。

「どうしたの?」

「今、人が通ってった気がしたんだけど」

「見間違いじゃないの、みんな避難したんでしょ? 外からは入ってこられないはずよ」

「そうだな……そうだよな」

 避難訓練以外でポッドに乗り込むことはないので、見慣れない何かを間違えたのだろうと結論付け、リツヤはシートに腰掛けた。ふと壁のモニタに目を遣り、引っかかりを覚えて首を捻る。

(なんだ……?)

 現在、モニタには第五ブロックのマップが表示されている。ブロックの出入り口には閉鎖を示す赤が点り、脱出ポッドが忙しなく点滅してその場所を示していた。現時点で空きがあるポッドはここも含めて十九、内十七は無人の表示が出ている。

 レベルBの現在は、定員を収容したポッドはロックされ、エマージェンシーが解除されるまで外からも内からも開けなくなる。ロックされているポッドを確認してリツヤは目を見開いた。

「……足りない」

 やはり外を眺めながら、フェルンが気のない声を寄越す。

「何が?」

「十二人いるはずなのに、一人足りない」

 第五ブロック内にいたのは十二人だった。人の出入りは例外なくチェックされるので、この数字は間違いない。そして、エマージェンシーが出た時点で、レベルにかかわらず解除されるまでブロック間の移動はできなくなる。

 現在定員に達しているポッドは一つのみで、人がいるポッドが二つ。ここにいるのはリツヤとフェルンの二人だけということは、もう一つも定員に達しているか、他のポッドに人がいないとおかしい。

 これにはフェルンも驚いたように振り返った。

「もう一人はどこに行ったのよ」

「知らな……っと!」

 言葉の途中で表情を変えたフェルンに押しのけられ、リツヤは仰け反った。リツヤの膝に乗るようにして食い入るように窓の外を見つめるフェルンを、リツヤは体勢を立て直しながら軽く睨む。

「なんだよいきなり」

「PDだわ!」

「え?」

「《レーヴェ》よ! 今出てった!」

「《レーヴェ》?」

 フェルンが邪魔で見えないので、リツヤは別の窓に移動して外を見た。彼女が示す方向には、急速に遠ざかっていく光点が見える。

 あの光がPDだとして、警備隊の増援だろうと笑い飛ばそうとした瞬間、高速の何かが視界を過ぎる。

「パイロットの視力嘗めんじゃないわよ。ほら、《ルフト》も!」

 ほんの一瞬だったが、PDだったのはリツヤにもわかった。しかし、フェルンほど視力の良くないリツヤには《ルフト》だと確信することはできない。―――認めたくないのかも知れない。

(嘘だろ、おい……)

 フェルンの言うように《レーヴェ》と《ルフト》なのだとしたら、パイロットはどこからきたのだと考えて、リツヤは息を呑んだ。

「まさか……ラス?」

 ただの勘だったが、口にすると可能性はそれしかないように思えた。歯を食いしばり、リツヤは思い切り足下を蹴った。ポッドの出入り口に移動するのをフェルンが追いかけてくる。

「待って、《レーヴェ》はラスかもしれないけど、《ルフト》には誰が乗ってるの?」

 フェルンには応えず、扉を開けるのももどかしくリツヤはポッドを飛び出す。耳をろうするような警報が鳴る中格納庫へ戻ると、あるはずのPDは二機とも姿を消していた。

「くそっ!」

 悪態をつき、コントロール・ルームへ上がる。途中でフェルンがついてきていることに気付き、リツヤは振り返った。

「なんできたんだ、ポッドに戻れ」

「いやよ。あたしの《ルフト》を勝手に乗っていったのは誰か、突き止めなきゃ」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」

「怒鳴っても駄目! リツヤが戻らないならあたしも戻らない!」

「……勝手にしろ」

 言い合いをしている時間も惜しく、吐き捨ててリツヤはコントロール・ルームへ飛び込んだ。乱暴にコンソール・パネルを叩き、マイクへ向かって声を荒げる。

「《ルフト》! 《レーヴェ》! パイロット応答しろ!」

『こちら《レーヴェ》』

『《ルフト》よりコントロール。主任、何やってんの。早く避難して』

 《レーヴェ》から返ってきたのは予想通りラスの声だったが、《ルフト》のパイロットはアーサーだった。リツヤは愕然と外の状況を知らせるモニタを見上げる。

「何やってんのはこっちの台詞だ! なんでアーサーが! ラスも!」

 非常時でも淡々としたラスの声が応える。

『一人より二人の方が生還率が上がります』

「そういうことを言ってんじゃない、なんで出撃なんか!」

『ディザスターが出現しました。現在フォルモーント警備隊が交戦中です』

「な……」

 まさか本当に敵襲だったとは思わず、リツヤは絶句した。ラスは静かな声で続ける。

『既に防衛ラインを突破されています。連合軍が到着するのと、ディザスターが重力ブロックに到達するのでは、後者の方が早いと予想されます』

「そんなのが理由になるか! どうせシェルターは射出されるんだ」

『人的被害は抑えられるでしょう。しかし、一部のブロックは破壊されて使用できなくなる恐れがあります』

「被害の話じゃない、非戦闘員が出るのがおかしいっつってんだ! 軍がきてるんだろ? 倒されるのを待てばいい。それが連合軍の仕事なんだから」

『軍は仕事ですが、私たちは存在意義です』

 なんの迷いもなく言い切られて、リツヤは言葉を失った。ラスの言うことを上手く処理できないうちに、《ルフト》から通信が入る。

『主任、早く避難して。後ろには絶対に通さないけど、万が一ってこともある』

「そんなのどうでもいい、戻れ! 二人とも、今すぐ!」

『それはできない。主任は避難して。通信終了』

「待っ……アーサー!!」

 《ルフト》と同じくラスの《レーヴェ》にも通信を切られ、リツヤは手にしたヘッド・セットをパネルに叩き付けた。苛立ち、無力感、切なさ、やりきれなさ、悲しみ、怒り―――様々な感情が綯い交ぜになって、自分が何をどう感じているのかわからない。

 隣に並んだフェルンが非難めいた口調で言う。

「喧嘩してどうするのよ。もう二人は出撃しちゃったのよ」

「……黙れ」

 低く返せば、フェルンは呆れたようにため息をついた。

「パイロットを戦場に送り出すってことを全然わかってないのね。ま、初めてでしょうから仕方ないけど」

「黙れ!」

「怒鳴っても駄目って言ったでしょ。冷静じゃないリツヤなんか全然怖くない」

 鼻で笑い、フェルンは更に言葉を重ねる。

「いい? たとえ直前に絶交するほどの喧嘩をしたとしても、パイロットは笑顔で送り出さなきゃいけないの、絶対に。あたしの言ってる意味、わかる?」

 問うておきながら答えを待たず、フェルンは放り出されたヘッド・セットに手を伸ばした。彼女が拾い上げるよりも先に、リツヤはそれをもう一度手に取る。

「……フェルンは避難しろ」

「いやだってば」

「聞き分けのないことを言うな。引き摺っていってポッドに放り込むぞ」

「あら、そんなことしたら言いふらすわよ、アーサーとラスがディザスターの迎撃に出たって。みんな扉こじ開けてサポートに戻ってくるでしょうね」

 その様子がありありと想像できて、リツヤは歯噛みする。エレベータへフェルンを蹴り出してロックしてやろうかとちらと考えるが、そんなことをしたら彼女は間違いなく言いふらしに行くだろう。

 フェルンの存在は一旦頭から閉め出し、リツヤはオペレータ・シートに着いた。何種類もの情報を流すモニタに視線を走らせる。

 コロニー《フォルモーント》を中心に、デブリ・センサーとレーダーが二重の同心円を描いている。デブリ・センサーの方が範囲は狭く、直径はレーダーのおよそ半分。レーダー域にはフォルモーン常駐の警備隊とディザスターの群れが固まっている。

 そこから外れて敵を表す赤い光点が八つ、ばらばらながらも真っ直ぐに《フォルモーント》へ向かっていた。既にデブリ・センサーを越え、彼我の距離は二六〇強。接近速度を割り出し、ざっと計算して、《フォルモーント》到達までおよそ二十二分。ラス、アーサー両機と接触するまで十分という数字に、リツヤはますます眉間に力を入れた。

 軍に属したことも、戦闘の経験もないリツヤは見守ることしかできない。口出ししようにも、戦闘に関しては完全な素人であるリツヤよりも、ラスとアーサーの方が状況はよく見えているだろう。

 二つの青い光点に赤い光点が迫る。

 祈るような気持ちでモニタを見つめながら、握り締めた自分の拳が小さく震えているのに、リツヤは今更ながらに気づいた。

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