004.02
* * *
微重力下では効率が悪いので、トレーニング・ルームは三局ビルの方にある。最上階から一つ下の十七階である。
身体を作っておくのもパイロットの仕事のうちだが、フェルンは地道なトレーニングというものがあまり好きではない。ぼんやりと二十分走るくらいなら、数式でも解いていたほうがよほど生産的だと思う。
「ねえ、ラス・シュルツ」
「はい」
結局一緒にトレーニング・ルームへくることになり、隣のマシンで走っているラスを呼べば、平坦な声が返った。この動いて喋る人形のような青年の存在も、フェルンの苛立ちに拍車をかけている。
「あんた、月にいたのよね? 連合軍に」
「はい」
「その前は?」
「お答えできません」
迷いなく断られ、フェルンは思わずラスを見た。
「なんでよ! あんたが軍に入る前どこにいたかって訊いてるだけじゃないの」
「私の経歴に関する話は禁じられました」
「誰に?」
「リツヤです」
「なんでリツヤがあんたに口止めなんかするわけ?」
問い返しながらフェルンは、先ほど別れる前にリツヤがラスになにやら耳打ちしていたのを思い出す。きっと自分たちがラスに経歴を問うと見越しての先手だろうと、フェルンは眉を寄せた。
(ということは、別に口止めをされてなければラスは喋るってことよね? 喋られては困るのは、リツヤなのかしら)
そこまで考え、フェルンは再びラスへ視線を向ける。
「リツヤに言われただけでしょ? あんた自身は話してもいいと思ってるんじゃないの」
「リツヤの言葉はすべてに優先します」
なんの気負いも疑問も持たない声で言われて、フェルンは眉を
「……どういうこと?」
「私は、ここではリツヤに従うようにと言われました。ゆえにリツヤの言葉はすべてに優先します」
「何よそれ。じゃあリツヤが死ねって言えば死ぬの?」
「はい」
眉一つ動かさずに即答され、フェルンは束の間ぽかんとラスを見た。どこまで主体性がないのかと、戸惑いが怒りに置き換わる。
「ば、ばかじゃないの!? そんなのまるでロボットじゃない。あんたの意志はないわけ? 今日び、AIでももう少し気の利いたこと言うわよ」
「申し訳ありません」
「……なんでそうするっと謝っちゃうのよ。もうちょっとこう、反論か何かないの? 難癖つけるなとか、ロボット言うなとか」
「ありません」
抑揚に乏しい口調で言い、ラスは正面を向いたまま憎らしいほど良い姿勢で走り続けている。その非の打ち所がないほど整った横顔を睨み、フェルンはぷいと顔を背けた。
(理解できないわ!)
最初に抱いた、人形のようだという印象は間違いない。軍隊に所属したことはないので内部のことは解らないが、フェルンが知っている軍人は特に民間人と変わりはない。おそらくはラスが特異なのだ。
本物の人形ではないかというほどに無口で無表情、自発的に動くことはおろか、口を開くこともほとんどない。先程本人も言っていたとおり、リツヤがこのまま死ぬまで走っていろと言えば、死ぬまで走り続けるのだろうと、フェルンは横目でラスを見た。二十分にセットしたタイマーはそろそろ残り五分を切る。
(一体どう育てられたっていうの? 意見や反論まで封殺される環境にいたってわけ?)
連合軍に入隊が可能な年齢は十八歳以上と条約で定められている。それが守られているのなら、ラスは一年足らずしか軍にいなかったことになる。
それに、一朝一夕でこうはならないだろう。幼少期からそう
(間違いなく何か裏があるんだろうけど……個人の手に負えるようなことかしら)
得体の知れないものに下手に手を出しては、最悪、消されることもありうるとフェルンは知っている。特に、国家と軍隊絡みは慎重にならなくてはならない。アカデミーに在籍中、不審な失踪や病死、事故死をする研究者を何人も見てきた。
(あたしが言えた義理じゃないけど、ほんとにウォン局長は変なの見つけるのが上手いわよね)
程なくしてタイマーが切れ、マシンが止まった。しかし、フェルンが床に下りてもラスはマシンの上で立ち止まったまま動かない。
「ちょっと。終わったら降りなさいよ」
ラスはフェルンの声など耳に入っていないようで、正面に設置されたモニタを食い入るように見つめていた。運動する人間が退屈しないようにとの配慮なのだろう、ジム内にはいたるところにモニタが設置され、ニュースや映画などを流している。
ラスが見ているのは、ニュース放送だった。アイボリー色のスーツ姿の女性キャスターが淡々とニュースを読み上げている。
『……ことから、ディザスターが月基地を迂回してL1を目指してきたことは明らかであり、地球連合軍による今後の対策に……』
どうやら、L1と月の中間付近でディザスターと連合軍が交戦したらしい。L2には未だディザスターが巣食い、L2と月の間では散発的に戦闘が行われている。今回は月を迂回して、L1のコロニー群か、あるいはその向こうにある地球を狙ったのだろうとフェルンは腕を組んだ。
「ふうん? 連中も月に軍がいるってわかってるのね。迂回する知恵はあるんだ」
謎の地球外生命体である「何か」は、今から約三十年前に突然太陽系外から飛来し、説明も宣言もなしに人間を攻撃し始めた。それ故、人間は「何か」に「
おそらく生命体であろう「何か」は、見た目は様々な動物を適当に切り分けて繋げたよう、大きさは乳幼児程度から戦艦級まで、多岐に及ぶ。系統だった動きが見られるので、人間と同等、あるいはそれ以上の知能を持つ可能性があるが、対話は今に至るまで成功していないため、地球へ向かってきた目的は不明。
地球上に存在する数多の生物や物質の中で、人間にのみ敵意、害意を示すのが確認されていることから、現在は、地球を侵略しにきたエイリアンであるというのが通説である。
実際、最初に飛来した際にはL1、月基地、L2までを制圧した。その後、人間は地球連合軍を組織し、L1と月基地を奪還。L2は未だディザスターの支配下にあり、人類はディザスターへの有効な対策を未だ手にしていない。約三十年間ずっと、慢性的な戦争状態にある。
ディザスターの襲撃を伝えるニュースが終わり、画面が切り替わる。凍り付いたようだったラスが不意に動き出し、マシンを降りた。そのまま移動するのについて行きながら、フェルンは問う。
「今のニュースに何か気になることでもあったの?」
「はい」
「どこが気になったのよ」
「お答えできません」
「はあ? どうして?」
「私の経歴に関することは……」
「わかった、もういいわ」
同じ答えが返ってくるだけかと、フェルンはラスを遮った。彼を見上げてもその横顔からはなんの感情も読み取れない。
(ずっと真顔でいて、顔が固まっちゃったりしないのかしら。それとも、もう固まってたりして)
いくら見た目が美しかろうと、これでは友達もいないのではなかろうかとフェルンはこっそり肩を竦めた。
* * *
リツヤのオフィスにこもり、二人はぼそぼそと話をしていた。
「……やっぱり、アーサーさんもそう思います?」
「うん。ラスは[DCP]第二世代のデザイナー・チャイルドだと思う。本人にたしかめてみないことにはなんとも言えないけど」
[DCP]とは、Designer Children Projectの頭文字をとった単純な略語である。
倫理上の観点と技術的な問題から、病気の治療以外の遺伝子の人為的な改変、すなわちデザイナー・チャイルドの研究及び生産は、一〇〇年以上前に国際法で禁じられた。
しかし、ディザスターの侵攻を受け、それに対抗するためとの大義名分を掲げて、とある研究者が中心となり[DCP]が立ち上げられた。成立に関しては世界中で大揉めに揉めたが、結局、非常事態下における特例措置として許可を勝ち取ったのだという。
ところが、多方面からの根強い反発と反対に加え、やはり技術的な問題を解決できず、計画は開始から十二年後、今から十六年前に中止された。
「俺がラスと引き合わされたのは、配属当日の朝に突然だったんです。局長は何も言っていませんでしたし、ID登録の時のプロフィールにも不審な点は……名前くらいでした」
「名前?」
「ラス・シュルツは俺がつけた名前です。もともとは、RA-SS02と。本人は、それが自分の名称だと言い張っていて、識別コードか何かを、そう思い込んでるんだと思ったんですけど……」
「ああ……なるほど」
デザイナー・チャイルドとして生まれて、名前じゃなく識別コードだけを与えられ、ウォンに連れてこられるまでずっとコードで呼ばれていたなら、それが己の名称だと認識するのは無理もない。
「局長は、他には?」
「何も。ただ、月にいた元PDパイロットだと」
「元パイロットっていうのは、間違いではないんだろうが……局長は嘘は言っていないけど、事実を全部教えてくれたわけじゃないってところかな」
「俺たちが気付かないと思ってるんですかね?」
「そのうち気付くと思って、わざと黙ってたんじゃないかい? 気付かないならよし、気付くとしても主任が一番先だろうし」
「無茶苦茶だ……」
だが、十分ありえそうだと、リツヤは片手で目元を覆った。そのまま目頭を揉み解す。
「ラスが[DCP]のデザイナー・チャイルドだとして、他にも同時期に生まれた人間はいないんでしょうか」
「ラスの世代で彼の他にも生き残りがいるのかはわからない。ヘンリー・ウェルシュ博士の死後、計画が中止になってからは、新たなデザイナー・チャイルドは生まれていないけれど」
「ヘンリー・ウェルシュ、博士……」
リツヤも名前だけは知っている。だが、[DCP]の中心人物だというのは今日まで知らなかった。
「そんなに力のある人だったんですか」
「そりゃ、遺伝子工学の権威だしね。他にも山ほど博士号持ってるはずだよ。あの人がいなければ、そもそも[DCP]なんてなかったんじゃないかい?」
「そんなに……」
「でも、あんまり頭のいい人じゃなかったみたいだ。第一世代ですら散々な結果だったのに、第二世代が作られたというから驚きだね」
「酷かったんですか?」
「第一世代の五年生存率は五.六パーセント。十年だと三.二にまで落ちる。数百人作って、今でも生きてるのは両手で足りるくらいじゃないかな。第二世代は更に人数が増やされたっていうから、ラスは千分の一かもしれない」
アーサーが淡々と話すのを、リツヤは暗澹たる思いで聞いた。両手を握り締める。
(なんでそんなに気軽に命を消費できる……)
かつて不治の病と呼ばれていた病気の多くには治療法が見つかり、たとえ肉体の一部を失っても再生治療の技術が確立された現在、それでも絶対に元に戻らないものが命だ。人の手では作り出せず、元に戻せないものであるのに、消耗品のように扱う人間の気が知れない。
「主任、顔が怖いよ」
呼ばれてリツヤはいつの間にか俯いていた顔を上げた。力を入れすぎて強張ってしまっている両手を、苦労して解く。
「ラスは、自分のことをどう言ってた? 月ではどういう扱いを受けてたとか」
「最初は備品だって繰り返してましたね。PDの生体部品だとも。パイロットのことなんでしょうけど」
「……やっぱり」
リツヤの言葉を聞いて、アーサーは深く納得したように頷いた。ラスとアーサーの間だけに通じるもの、分かり合えるものがあるのだろう。おそらくそれは、リツヤの踏み込めない領域だ。
「……アーサーさん」
「なんだい?」
「ラスと話をしてみてもらえませんか」
アーサーは意外そうに目を瞬く。
「おれが?」
「ええ。多分、俺よりも、アーサーさんのほうが……」
上手く言葉にできず、リツヤは語尾を濁した。何を言っても上滑りしてしまう気がする。だが、リツヤよりもアーサーの方がラスを理解できるだろうというのは本心だ。リツヤにはきっと、推測はできても共感はできない。
「主任、今週末の予定は?」
唐突に問われて、リツヤはアーサーを見た。
「ありませんけど……何か?」
「ラスの歓迎会しよう。一班みんなでの歓迎会とはまた別に、三人で小さく」
ラスとアーサーが二人で話すのではなく、リツヤも交えて三人での場を設けてくれようとしてくれていることに、リツヤは胸中で素直に感謝した。おまえは無関係だと言われても仕方のないことなのに。
「それならうちでやりましょう。ラスを呼んで。家が隣なんです」
「え、そうなの? 局長が手をまわしたのかな。そういうところ抜け目ないよね、あの人」
笑いながら言って、アーサーは立ち上がった。
「じゃあ、明後日。楽しみにしてるね」
言い置いてオフィスを出ていくアーサーを見送り、リツヤも立ち上がって大きく伸びをした。
うだうだと考えるのは性に合わない。後はなるようになれと、残りの仕事を片付けるべくオフィスへ戻ることにする。今日こそは残業しないで帰りたい。
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