004.01

 マシン・ルームには、リツヤ、アーサー、フェルンの三人が集まって、ラスが着替えてくるのを待っていた。

 ラスが一班に配属されて十日になる。

 いくらラスに軍でのPDパイロットの経験があるとはいえ、開発中のPDにいきなり搭乗させるのは無茶だ。まずはシミュレータで様子を見ることになり、ラスがシミュレータに乗るのを見たいと言っていたアーサーと、それならば自分もとフェルンがくっついてきた。

 PD《ルフト》はフェルンが好き勝手に飛ばしたせいで再調整を余儀なくされ、新装備の換装試験は延期になった。そのことでリツヤを始め全員から叱られながらも、フェルンは反省するでもなくけろりとしている。今はトレーニング・ウェアに身を包み、マシン・ルームをあちこち漂っていた。普段はマシン・ルームにきてもシミュレータに乗るばかりで、部屋を眺める機会がないと言っていたので、物珍しいらしい。

 やがて扉が開き、三人は一斉にそちらを振り返った。

「失礼します」

 ヘルメットを小脇に抱え、ダーク・グリーンのパイロット・スーツ姿のラスが入ってくる。明らかにスーツの腰周りと肩幅とが余っているのを見て、リツヤは顎を撫でた。

 アインホルン社で作っている汎用スーツで、ラスの体形に一番近いものを渡したつもりだったのだが、外から見てわかるくらいサイズが合っていないなら、作った方がいいだろう。

「丈は合ってるみたいだけど……」

「随分時間がかかったわね」

 リツヤを遮るように言いながら、壁を蹴ってフェルンが戻ってくる。何かにつけて突っかかりたいのだなと、リツヤは胸中で嘆息した。

「着慣れないものに着替えるんだから仕方ないだろ、フェルン。軍が採用してるのはうちじゃなくてギエナ社のだ。―――やっぱり作らないと駄目だな。普通のやつは多少融通が利くけど、パイロット・スーツはなあ」

 リツヤが言うのに、アーサーは頷く。

「そうだね。今日のところはシミュレータだから我慢して貰うとして、急いで作って貰えるよう事務かたに連絡しとくよ」

「お願いします。それじゃラス、こっちに」

「はい」

 四人はシミュレータへ移動する。シミュレータはPDのコックピットだけを取り外してきたようなものなので結構な大きさがあり、マシン・ルームの半分を占拠している。

 リツヤはシミュレータのハッチを開けながらラスに説明する。

「これがうちで開発してるPD、ELシリーズのシミュレータ。ELS-R-4002通称『かぼちゃキュルビス』。名前の由来は、見た目がカボチャっぽいからからだそうだ」

「単に外壁の塗装をカボチャ色にしちゃったからだと思うけどね」

 笑いながら言うアーサーに、リツヤは深く頷いた。きっと、発案者は疲れていたか、洒落が好きなのだろう。リツヤは気を取り直してラスに問う。

「月に配備されてるPDってどこの?」

「現在はリアルト社のNy-09《サイズ》とアインホルン社のEL-008《ネーベル》がほぼ半数ずつです」

 リアルト社はアインホルン社に次ぐPD開発の大手企業だ。様々な分野を傘下に収めるアインホルン社とは違ってPDの開発を専門に行っており、Ny-09《サイズ》はEL-008《ネーベル》以前に地球連合軍で採用されていたPDである。交代が進んでいるのだろうと頷きつつ、リツヤは重ねて尋ねる。

「ラスが乗ってたのはどっち?」

「Ny-09《サイズ》です」

「ってことは、ELシリーズに触るのは初めてか」

「いいえ、何度か乗ったことがあります」

「そう? じゃあ大丈夫だな。《キュルビス》のインターフェイスは009仕様になってるけど、そんなにがらっと変わったわけじゃないから」

 リツヤを遮り、フェルンが口を挟む。

「ちょっと待って。《ルフト》にはもうあたしが乗ってるのよ、ラスには《レーヴェ》のシミュレータに乗せた方がいいんじゃないの? EMシリーズの」

 ELシリーズは現在最終動作テスト段階のEL-009《ルフト》で打ち止めの予定である。次世代機としてEM-001《レーヴェ》が開発途上で、間もなくパイロットを乗せての起動試験が始まる予定になっている。

 アーサーはきょとんと首をかしげる。

「《ルフト》にはフェルンとラスとで交互に乗ればいいじゃないか」

「いやよ。あれはあたしのだもん」

「あたしのって、あれはフェルン専用機じゃ……」

「いやったらいやなの! 《ルフト》にはあたしが乗るの!」

 アーサーはなだめようとするが、フェルンは聞かない。やれやれと肩を落とし、リツヤはシミュレータを示した。

「誰が乗るかは後で考えるとして。ラス、シミュレータに乗ってみてくれ」

「はい」

 ラスは頷いてヘルメットを被った。バイザーを下ろし、シミュレータに乗り込んでハッチを閉める。リツヤはオペレータ席に移ってヘッド・セットをつけ、アーサーはリツヤの隣の席に、フェルンはリツヤの背後に立った。

 リツヤはコンソール・パネルに指を走らせながら口元のマイクに話しかける。

「聞こえるか?」

『はい』

「システムを起動してくれ」

『了解。起動します』

 シミュレータが起動すると同時に、連動している幾つかのモニタもリポーズが解除され、上部のモニタは様々な数値を、下部のモニタはログなどを流し始める。

 異常がないのを確認しつつ、リツヤはラスに問うた。

「動かせそうか?」

『問題ありません』

「よし。それでは《キュルビス》をカタパルトへ移動」

 左のモニタにはシミュレータ内に投影されている擬似風景が映し出される。現在は格納庫内に設定されていた。映像の中でゲートが開き、仮想機体が進んでいく。

 リツヤはいくつかあるシミュレート・プランの中からA003を選択した。これには様々な種類があり、宇宙空間、月面、大気圏内空中、地上、水中など多岐に渡る。Aシリーズでは月周辺の宇宙空間が再現される。

「《キュルビス》、発進準備完了。コントロールをパイロットへ」

『了解。―――キュルビス発進します』

 ラスの声と同時に、モニタ内のゲートから機体が宇宙空間へ飛び出していく。眼下には灰白色の月面が映し出されていた。リツヤはコンソール・パネルを叩きながらモニタに目を遣る。

「発進を確認。異常なし。少しの間好きに動かしていいよ」

『……好きに、とは』

「あー……適当に、自由に、思うように。慣れるまで動かしてみな」

『了解』

 短く返し、ラスは機体を月からL2方面へ向けた。シミュレータ内の映像とラスの描く軌道とを見比べながら、アーサーが感心したように呟いた。

「さすがだね。シミュレータとはいえ、何度か乗っただけのをここまで動かすなんて。軍のパイロットをやっていたことはある」

「別に大したことじゃないわ。あたしだってあれくらいできるもの」

 リツヤのシートの背凭せもたれに肘をつき、鼻を鳴らすフェルンにリツヤはアーサーと顔を見合わせて苦笑した。それが気に入らなかったようで、フェルンはますます不機嫌な声を出す。

「あたしだけじゃないわ、普通に操縦するなんてPDライセンス持ってれば誰にでもできることじゃない? 全然凄くなんかないわ」

「まあな」

 言い募るフェルンを適当に流し、リツヤはマイクのスイッチを入れた。軌道を示すモニタには、規則正しく全方向へ旋回しているのを示す軌道が描かれている。ラスは機械的に運動性能を試しているらしい。

「ラス、元の位置まで戻って」

『はい』

 ラスは迷うことなく開始座標まで戻った。それを確認してリツヤはコンソール・パネルを叩く。

「ミッション・コードA-T-08。目標との距離二〇〇を保ちながら指定位置まで追尾せよ」

 モニタ上、《キュルビス》から距離五〇〇の地点に赤い立方体が出現した。すぐさまそれを目標設定し、ラスが応える。

『ミッション了解。開始します』

 声が返るなり機体が動き出す。スロットルを全開にしたのだろう、モニタの数値が見る見る上昇した。それを見たフェルンが驚いて声を上げる。

「ちょっと! 最大加速じゃないの、何考えてるの!? これじゃあ二〇〇なんてあっという間に越しちゃうわ!」

「まあ、お手並み拝見ってとこだね」

 フェルンとは対照的に、アーサーは楽しそうに言う。リツヤはパネルの上に指を置いたままモニタを眺めた。加速し切った機体は目標との距離を一息に詰め、しかし二〇〇を置いてぴたりと止まる。不規則な動きをし始める立方体をそのまま追尾し始めた。

 食い入るようにモニタを見ていたフェルンが半ば呆然と呟く。

「嘘でしょ……? どういう操作したらあんな動きができるのよ。リツヤ、計器が故障してるわ」

「全部正常だよ」

 ふらふらと定まらない動きをする目標を追うラスの機体は、しかし、距離の誤差が一を越えない。並の腕では、たとえ目標の起動がわかっていても、これほど小さな誤差でついて行くのは不可能に近い。

 三人がほとんど無言で見守る中、ラスは追尾を終えた。モニタ上の目標が消失する。

『終了しました』

 知らず見入っていたリツヤは冷静なラスの声で我に返った。慌ててマイクに向かって話す。

「お疲れ。ついでにもう一つ」

 言いながらリツヤはパネルを操作して装備を換装する。

「レール・ライフルを装備させた。動くか?」

 問えば、すぐに銃から弾丸が発射される。五発撃ったところで返事があった。

『問題ありません』

「よし。―――ミッション・コードA-S-02。目標をすべて撃ち落とせ」

『ミッション了解』

「行くぞ」

 リツヤはパネルを叩き、ランダムにターゲット・パターンを選んだ。小細工はせずにモニタを見守る。やはり立方体の形をしたターゲットが次々と破壊されていき、あっという間に一五〇のターゲットを撃ち落としてしまった。

 隣のアーサーが感心したような息をつく。

「命中率九二パーセントか……凄いね、平均は七〇くらいだったと思うけど」

「ええ、ここまでやるとは思いませんでした。初見での最高記録更新ですね」

「何よ、二人して! 単に射撃が得意なだけでしょ! あたしだって初見で八〇は出たわよ!」

 ラスを賞賛する二人の言葉を聞いてフェルンは怒ったような声を上げるが、リツヤは構わず口元に手をやって笑った。

「これならもしかすると幻の一〇〇を叩き出せるかも……フフ」

「主任、不気味」

 アーサーに言われて笑いを引っ込め、リツヤはラスに声を投げる。

「戻ってくれ。誘導する」

『了解。《キュルビス》、帰投します』

 機体は問題なく格納庫に収まった。リツヤはモニタ上でゲートが閉まったのを確認してパネルを叩く。

「ねえリツヤ、システムの故障か誤作動でしょ? そうに決まってるわ」

 言いながらフェルンはリツヤの肩を掴んで揺さ振る。リツヤは片手でコンソール・パネルを操作しながら首を左右に振った。

「エラーは出てないってば。全部正常に動いてる。―――ラス、終了だ。システム落として出ておいで」

『はい』

 短い返事の後、程なくしてシミュレータのハッチが開いた。出てきたラスは床に降りてヘルメットを外す。相変わらずの無表情ながら、前髪が汗で額に張り付いていた。リツヤもヘッド・セットを外し、立ち上がる。

「お疲れ。どうだった?」

「遅いです」

「……うん?」

 あまり聞かない感想を述べられて、リツヤは首をかしげた。ラスは眉一つ動かさず繰り返す。

「反応が遅いです。私が操作してから機体が動くまでにラグがあります」

 人間の神経系と同じく、PDも命令や操作をしてから実働までにほんの僅かだが時間差が生じる。しかし、それは理論上の話で、普通に操縦する分には気にならない、あるいは気がつかないほどの極小さな差だ。それをはっきりと遅いと指摘されたのは初めてで、リツヤは曖昧に頷いた。

「ああ……そう。遅い……」

 アーサーは感心した様子で頷いた。

「もしかすると、そのラグがなくなれば、もっといい数値が出るんじゃない? 凄いね」

「はい」

 平坦な口調で応えるラスに、フェルンは再び目を吊り上げた。

「たった一回のシミュレーションで何言ってんの? まぐれかもしれないじゃない」

「何度やっても同じです」

「なにその自信! なんでそう言い切れるのよ!」

「私は創られました」

 誇るでも鼻にかけるでもなく、淡々と告げられたラスの言葉を聞いて、リツヤは息を呑んだ。思わずアーサーを見れば、彼も瞠目していた。視線に気づいたか、リツヤを見る。おそらく、互いに同じことを考えている。

 フェルンが不審げに眉を顰める。

「なんですって?」

 またフェルンが突っかかる前にと、リツヤは急いでラスを出口に押し遣る。

「ラス、シャワー浴びて着替えておいで。そうだな、トレーニング・ウェアにでも。俺たちはリフレッシュ・ブースにいるから」

「わかりました」

 頷き、ラスはマシン・ルームを出て行く。それを見送り、フェルンが顰め面でリツヤを振り返った。

「ちょっと。まさか、一緒にトレーニングしろって言うんじゃないでしょうね」

「大丈夫だ、他の班のパイロットもいるかもしれない」

 リツヤは作り笑いで言ってやるが、フェルンはますます目を吊り上げた。

「どこに大丈夫な要素があるのよ! 責任持ってリツヤもきなさいよ」

「午後からは機体の様子を見たいんだよ。誰かさんが《ルフト》を好き勝手に動かしてくれたから、様子見ないと」

「それとこれとは関係ないじゃない」

 フェルンの言葉を聞いて、リツヤはさすがに笑みを消した。ため息を堪えて軽く彼女を睨む。

「大有りだっての。予定の修正とか進捗状況の見直しとか報告書の提出とか、誰がやる思ってんだ」

「リツヤに決まってるでしょ? なんのための責任者よ」

 思わず息を吸い込んだリツヤは、頭の中で十を数えて、声に変換することなく吐き出した。ついと視線を逸らして言う。

「まあいいけどな、日中はおまえに付き合って夜に人気のなくなった格納庫でひっそり機体の状態をチェックして残った書類仕事に深夜までかかって家に帰ってみれば明け方で結局眠れずに風呂入って着替えるだけで出勤っていうのを繰り返した挙句に身体を壊してぶっ倒れたって。フェルンにはまったく一つも関係ないないもんな、まったくなあ」

「な……わ、わかったわよ! トレーニングすればいいんでしょ!」

「わかればよろしい」

「何よ、もう……そのくらいの仕事、定時に終わらせなさいよね!」

 言い捨てるようにしてフェルンはマシン・ルームを飛び出して行った。やれやれと息をつくリツヤへ、アーサーが眼鏡を押し上げながら心なしか心配そうに首をかしげる。

「本格的に身体を壊す前に休みなよ?」

「いやいや、大丈夫です。己の限界はわきまえてるつもりです」

「倒れる人ってのは過労の自覚がないことが多いんだ」

「俺はそこまで仕事熱心じゃないですよ。行きましょうか。俺たちも休憩しましょう」

 まだ何か言いたげにしているアーサーを遮ってリツヤはマシン・ルームを出た。彼を待たずに廊下を進む。

(「私は創られた」……か)

 先ほどのラスの言葉を反芻し、リツヤは唇を噛んだ。それが根底にあるのであれば、どんな賞賛もラスには届かない。誰もが見惚れるほどに美しい容姿も、飛び抜けた操縦技能も、ラスの何を褒めようが本人にとっては「創られた」から当然のことなのだ。それがたとえ、自身が努力して身につけたものであっても。

(やっぱり、ラスも……)

 この悲しい言葉を、二度と聞くことはないと思っていた。

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