001.02

 ドアの脇にあるリーダーに触れるとロックが外れ、リツヤはラスを部屋に招き入れた。手前には主に打ち合わせに使われる小さなテーブルセット、中央にデスクと専用端末、あとは資料棚とささやかな給湯設備があるだけだ。廊下の反対側にある扉は運用課のオフィスに繋がっている。

 リツヤは奥に進みながらラスにテーブルセットを示した。

「コーヒーと紅茶どっちがいい?」

「わかりません」

「遠慮しなくていいよ。好きなほう」

「わかりません」

 ほとんど抑揚なく、まったく同じ調子で繰り返された言葉に、嫌な予感を覚えながらリツヤは問う。

「もしかして、飲んだことがないのか?」

「はい」

「……そうか」

 もしや嗜好品のほとんどを知らないのではあるまいなと、リツヤはカップを二人分用意した。今までの言動を鑑みると、とてもありえそうなことに思える。

「まあいいや、今はコーヒーで。紅茶は今度な。―――そっち座って」

「はい」

 素直に頷き、ラスは椅子の一つにすとんと腰を下ろした。リツヤはコーヒー・メーカーのスイッチを入れながら尋ねる。

「なあ、ラス」

「はい」

 呼べば、真っ直ぐに壁を向いていた顔がリツヤを向いた。リツヤは興味本意で尋ねる。

「おまえさん、年いくつ?」

「十八年です」

「……そこは『十八歳』って答えるところだ」

 再び襲ってきた頭を抱えたくなる衝動を堪え、気を取り直してリツヤは続ける。

「俺の五つ下か。一班では下から二番目だな」

 独白のつもりではなかったのだが、ラスから言葉は返らなかった。会話をしようにも話題が見つからず、質問ばかりを繰り返すのも気が引けてリツヤが口を噤むと、部屋にはコーヒー・メーカーの音しか残らない。

(男か女か聞いたら怒るかね)

 端末を起ち上げながら待つことしばし、コーヒーができあがる。それをカップに移し、リツヤはラスを横目で見た。

 引き合わされてから今まで見ていても、ラスの性別がリツヤにはさっぱり解らない。ラスは、女性にしては硬い、けれど男性にしては線が細すぎる印象がある。

 自分の分はデスクに置き、リツヤはラスの前にもう片方のカップを置いた。

「どうぞ」

 しかしラスはカップに視線を落としただけで、手を出そうとはしない。とりあえず頭の中で十を数える間様子を見るが、まったく動こうとしないのでリツヤはラスを促した。

「……よかったら飲んで」

「はい」

 リツヤが勧めてようやくラスはカップに手を伸ばした。コーヒーを口にしたラスは、しぱしぱとせわしなく目を瞬き、カップをテーブルに戻す。口に合わなかっただろうかと、リツヤはテーブルのシュガー・ポットを指差した。

「こっちが砂糖、こっちはミルク。甘いのが好きなら使って」

 言い置いてデスクに向かい、リツヤは社内ネットワークのメーラーを開いた。

(……あれ?)

 まだウォンから何も届いておらず、データがないことにはIDの申請もできない。ウォンに催促のメールを送り、リツヤは頬杖をついた。さて何から話そうかと考え、最初に思い付いた疑問を口にする。

「ラス」

「はい」

「失礼なことを聞くけど、おまえさん、男? 女? それともその他?」

「私は性別を備えません」

「……何?」

 問いには至極あっさりと、しかし予想だにしなかった答えが返ってきた。リツヤは眉を寄せるが、ラスは唇を結んだまま無表情にリツヤを見ている。

「性別が、ない?」

「はい。無性セクサレスです」

「無性って、どうして」

「意図せぬ結果ですので原因は不明ですが、私が作られる過程でなんらかの予期せぬ事象、おそらくは発生段階における外部からの過干渉、あるいは異物への拒絶反応によりDNA異常が起きたと考えられるとのことです」

「…………。ちょっと何を言っているかわかりません」

 リツヤのわかる範疇で無理やり理解しようとすれば、ラスがまだ胎内にいる頃に何らかの遺伝的疾患が見つかり、DNA治療を受けた結果、ということになるだろうか。だが、リツヤはそんな事例を聞いたことがない。

「ええと……親とか、家族は?」

 ラスは唇を開きかけたが、そこから言葉が出る前に扉越しに声が聞こえてきた。

「駄目だってば、フェルン。さっき局長から話があっただろう?」

「そんなの知らないわ。あたしはリツヤから何も聞いてないもの」

「もしかして君、局長より主任のほうが上だと思ってないかい? ―――だから、駄目だって。主任は今、新人さんと」

「知らないって言ってるでしょう!」

 独立した部屋だが、壁は薄いし特別に防音がされているわけでもないので、近くで騒がれれば声は通る。同僚二人の声に、リツヤは天井を仰いだ。

 様子を見た方がいいだろうかと立ち上がりかけた瞬間、ノックもなく運用課に繋がる扉が開いた。扉を破る勢いで入ってきたのは、栗色の髪を後頭部で括った少女である。オレンジ色を基調にしたパイロットスーツに身を包み、ヘルメットを小脇に抱えた彼女は、一班所属のパイロットだ。

「フェルン。どうした?」

 扉を閉めてロックしたい衝動を堪え、リツヤが尋ねると、フェルンは片手を腰にあててリツヤを睨みつける。

「聞いてないわよ」

「何を?」

 本当にわからなかったので問い返せば、フェルンはますます目を吊り上げた。

「新しいパイロットのことよ! その人なの? 一班にはあたしがいるのに。パイロット増やすなら複座の三班にでも引き取ってもらえばいいんだわ。あたしの何が足りないって言うのよ」

 どうやらパイロットが増えるというのが気に入らないらしい。リツヤは応える。

「フェルンがどうこうって話じゃない。一班にパイロットはフェルンしかいないから、増やして欲しいとは前から言ってたんだ。それに、俺も聞いたのは今朝で、ラスに会ったのもそのときが初めてだし……、局長から聞かなかったか?」

「リツヤからは聞いてないわ」

 同じことを繰り返したフェルンは、品定めをするようにラスを上から下まで眺めた。

「フン。連合軍にいたらしいけど、もっと前に話があってしかるべきじゃないの? 事前連絡もなくいきなり今朝きて着任なんておかしいわ。それとも、軍にいられなくなったから無理矢理捻じ込まれたのかしら」

「フェルン」

 咎める声音で呼べば、フェルンはきっとリツヤを振り返った。

「何よ! リツヤもリツヤよ、なんで局長なんかの言うこと聞くのよ」

「局長の言うことを聞かなくて誰の言うことを聞くんだよ。ラスの説明は後でするから、先に始めててくれ。―――アーサーさん、お願いします」

 開いたままの扉の前に所在無げに立っていた眼鏡の青年に言うと、彼は心得たように頷いた。

「了解。ほら、フェルン。行くよ」

「いやよ! テスト中に何かあったらどうするの、リツヤは責任者でしょう!」

 ほとんど難癖のようなことを言うフェルンへ、リツヤは苦笑を向ける。

「主任がいないときの副主任だろ。アーサーさんがいれば大丈夫だ」

「あたしの機体はリツヤ以外に触ってほしくないの」

 開発中の機体は別にフェルン専用機ではないのだが、それを指摘すると火に油を注ぎそうなので胸にしまうことにして、リツヤは辛抱強く続けた。

「整備ってのは一人でするもんじゃない。整備士がたくさんいるのに俺だけがってのはおかしいし、非現実的だろ」

「でも、不可能じゃないでしょ」

「可不可じゃなく、効率の問題だ。我侭もほどほどにな」

「わ……!」

 フェルンは一瞬絶句すると何故かリツヤではなくラスを睨んだ。そして、くるりと踵を返す。

「帰る。どいて」

 押しのけられたアーサーが目を丸くした。

「え、ちょっと、フェルン」

「頭が痛くなってきたから帰る!」

 頭痛とは思えない大声で言い捨てて、フェルンは部屋を出て行った。リツヤはため息をつき、アーサーを拝む。

「毎度すみません、アーサーさん」

「気にしないで。そちらが新人さん? 美人だね」

「え? ああ、はい」

 首をかしげるアーサーに頷き、リツヤは思わずラスを顧みるが、ラスは変わらず無表情で座っている。

「ラス、おいで」

「はい」

 立ち上がり、近付いてきたラスへ、アーサーはにこりと人懐っこい笑みを浮かべた。

「おれはアーサー・ワトソン。一班の副主任だ。よろしくね。あと、さっきの子はフェルン・アソル・ゼファー。君と同じくパイロットだよ」

 リツヤはラスが何か口走る前にと強引に会話を引き取る。

「ラス、です。あとで一緒に格納庫ハンガーへ行きますから」

 割って入ったリツヤにアーサーは不思議そうに目を瞬いたが、片手を閃かせて踵を返す。

「わかった。待ってるよ」

「そうだ、アーサーさん」

「なんだい?」

「局長からはどんな話が?」

「パイロットが一人増えるからよろしく頼む、元軍人さんだからって。詳しいことは主任から聞いてくれってさ」

「わー。それだけですか」

「良くも悪くも忙しい人だからね。それじゃあ、またあとで」

 肩越しに言い置いてアーサーが離れていくと扉が閉まった。やれやれとリツヤは椅子に座りなおす。

「ごめんな、なんか……ばたばたして。疲れたか?」

「いいえ。マスター」

「マっ?」

 飛び出した言葉に驚いてリツヤは目を見開く。

「マスターって何、俺のこと?」

「はい」

「な、なんでまたマスター?」

「私の所属は本日付でアインホルン社に移行しました。そして、あなたに従うようにということでしたので、マスターとお呼びするのが相応しいかと」

 ラスは立ったままで、眉一つ動かさず淡々と述べた。その様子から、この考え方がラスの常なのだということが知れて、リツヤは目を伏せる。

「……俺はおまえさんの主人でも、ましてや持ち主でもないんだから、マスターってのはおかしいな。リツヤって呼んでくれ」

「わかりました。リツヤ」

 反論もなく名前で呼んでくれたことに安堵しながら、リツヤは椅子の背凭せもたれに寄りかかった。

「ええと、なんの話してたんだっけ?」

 フェルンの来襲で全て吹っ飛んでしまった。苦笑しつつ問うと、ラスはやはり抑揚のない口調で答える。

「私の家族についてです。私は家族を持ちません」

「……そうだった。変なこと訊いて悪かったな。ほんとに何も聞かされてなくてさ……お?」

 たった今メールが届いたようで、アイコンが点滅する。開いてみると、ウォンからだった。

《RAのプロフィール・データを送る。申請を頼む》

「簡素」

 呟いてリツヤは添付ファイルを開く。内容はたしかにラスのプロフィールだった。

(RA-SS02、170㎝、57㎏、male……なんだ、男じゃん。それとも、男ってことにしてあるのか?)

 名前がRA-SS02のままでは不審がられるだろう。しかし、ウォンはRA-SS02Dだとリツヤに紹介した。ラスが名乗ったのを鵜呑みにしただけかもしれないが、一応確認した方がいいだろうとウォンに音声通信を送る。

(……出ない)

 何度か繰り返し、応答がないのでリツヤは諦めた。リツヤにメールを送ってすぐ、どこかへ行ってしまったのかもしれない。

 勝手を咎められたら、そのときはそのときだと開き直り、名前の欄だけをラス・シュルツと書き換えて総務部へ送る。ラスト・ネームは、ふと浮かんだ、子供のころに好きだった絵本の作者から拝借した。

「よし。今ID申請したから、できるのは今日の午後か、下手すると明日になるかも。できたら最終認証しにこいって総務部から呼ばれるから、そしたら行こう」

「はい」

 とはいえ、IDができないことには端末も使えない。今日は本当に案内だけになりそうだと思いながらリツヤは立ち上がった。

「プロフィールは男性になってたから、訊かれたらそう答えな。無性とかなんとか言うと、面倒くさいことになりそうだ」

「わかりました」

「うん」

 ラスが素直に言うことを聞いてくれるのが、リツヤとしてはとても助かる。普段フェルンを相手にしていると猶更なおさらそう感じる。

「ラスは、アインホルン社についてどれくらい聞いてる?」

「世界有数の大企業だと。本社はベルリンに。一局から三局に分かれ、三局は主にPDとその装備の開発を行っています。L1には自社コロニー《フォルモーント》を持ち、開発環境の都合から三局はそこに位置します」

 すらすらと並べ立てるラスに、リツヤは半ば感心した。同じことを質問されたとしても、咄嗟にここまで淀みなく答える自信はない。

「会社案内暗記してきたのか?」

「いいえ」

「じゃあ聞いただけで覚えたのか、大したもんだ。そこまで知ってれば十分だよ。―――で、三局のPD開発部開発課一班がうちで、主に単座の戦闘用PDを開発してる。ちなみに、二班は汎用はんようPD、三班は複座、四班と五班は、PDの装備と周辺機器の開発だ。一班の技術主任が俺、副主任はさっきのアーサーさん。他のメンバーは格納庫に行ったとき紹介する。今日はみんないるから」

「はい」

「とりあえず、以上。何か質問は?」

「わかりません」

「……ん?」

 微妙にずれた言葉が返ってきて、リツヤは目を瞬いた。訊きかたが悪かっただろうかと、表現を変えてみる。

「ええと……、疑問に思ったことはないか?」

「ありません」

 今度は迷いのない返答があった。ラスは無表情で直立している。その姿勢は先ほどから変わらない。何故突っ立ったままなのだろう、座ればいいのにと考えて、ラスは最初から、リツヤの問いに答えるか、許可あるいは指示されたことしかしていないことに思い当たる。ラスから自発的に動くことはない。

(まさか、自分から質問したことないなんて言わないよな?)

 もしかすると、許可されなかったのかもしれないと、リツヤはラスを見る。自らを備品だと言い切った、そう考えざるを得なくなった環境に置かれていたのなら、ないとは言い切れない。

(……少しずつ、だな)

 気を取り直し、リツヤは努めて笑みを浮かべる。

「どんな些細なことでも、疑問に感じたり、不思議に思ったりしたことがあったら俺に訊け。俺じゃなくてもいい、近くの誰かを掴まえて訊け。わからないままにしておかないで」

「はい」

「よし。それじゃ格納庫に行くか」

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