002.01

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 L1コロニー群の中に浮かぶ、アインホルン社の自社コロニー《フォルモーント》は、トーラス型を採用している。

 しばしばドーナツに例えられる重力区画のリングは、円の中心を通る中央シャフトとスポークで結ばれ、中心近くに作られた低重力区画と繋がっている。

 中央シャフトを二十四個のブロックが囲んでおり、そこには低重力を利用した作業場がある。リツヤはラスを伴って、一班が作業している五番ブロックへ向かった。

「ゲストIDでもエリア・トレインの利用はできる。でも、ブロック間のチェックがちょっと面倒だから、誰かに開けてもらうといい。まあ、遅くとも明日にはIDできると思うけど」

「はい」

 ブロックを隔てる扉の前に着地し、リツヤは生体認証用リーダーに触れた。脇にはゲスト用のリーダーもあるが、旧式であるためにパスワードだなんだと面倒臭い。

「この扉がブリーフィング・ルーム、そっちに曲がるとマシン・ルームがある。向こうの奥は更衣室とシャワー室。で、多分一番通うのはこっちの……」

 慣性に従って流れながら簡単に説明し、リツヤは色違いの扉の前に着地した。

「格納庫。PDは最大で八機置いておける。今いるのは開発中の二機だ」

 言いながらリツヤは先ほどと同じ要領で扉を開けた。そして、二機あるはずのPDが一機しかないのを見て目を瞬く。

「あれ? 《ルフト》は?」

「あ、主任」

 グレーの作業着姿の整備士がタブレットを片手に漂ってきた。リツヤは軽く手を上げる。

「よ。ギルフォード」

「そちらが新人さんで……」

 彼はリツヤから、リツヤの背後に立っているラスに目を向け、瞠目して絶句する。その様子に苦笑しながら、リツヤはそのまま流れて行ってしまいそうなギルフォードの腕を掴んで引き止めた。

「なあギル、《ルフト》は?」

「え? ああ、フェルンが乗ってっちゃいました」

 ギルフォードの答えを聞き、リツヤは頭痛がした気がして額に手をあてた。

「今日の予定は新装備の換装テストだったろ。まだ五班きてないよな?」

「それが、出るって言って聞かなくて。暴れ出しかねない勢いだったので、副主任が仕方なく」

 言いながらギルフォードが示すコントロール・ルームには、アーサーや整備士兼オペレータの姿が見える。ヘッド・セットをつけたアーサーがモニタに向かって何かを喋っていた。

「っとに、フェルンの奴。……いいや、悪いけどコントロール・ルームに全員集まるよう言ってくれるか? ラスを紹介するから」

「了解でっす」

 やたらと元気な返事を残し、ギルフォードは残った一機、《レーヴェ》の方へ床を蹴った。置き去りにされたタブレットは微重力に引かれてゆっくりと床へ落ちていく。それをすくい上げ、リツヤはラスを振り返った。

「上に行こう」

「はい」

 コントロール・ルームは全体を見渡せるように床から十メートルほどの高さにあり、格納庫とは強化ガラスで隔てられている。

 直通のエレベータの前に着地して振り返ると、軌道を逸れたらしいラスと目が合った。

「おっと」

 リツヤは別の方向へ流れて行ってしまうラスの手を捉まえて引き寄せ、隣に立たせる。ラスはエレベータの扉に手をついて姿勢を正してからぺこりと頭を下げた。

「申し訳ありません」

「謝ることじゃない。微重力は初めてか?」

「いいえ」

「ああ、そういや月にいたんだっけ。少し変わると随分違うからな。慣れるまでちょっと大変かもな」

 そう言うリツヤも、ここへきたばかりの頃は移動に苦労した。廊下のような狭い場所ならまだしも、格納庫は広い。目的の場所に辿り着くのに端から端まで漂うことになることも度々あった。

 ぽーんと電子音が鳴って、到着したエレベータに二人は乗り込む。

「あの白いPDはEM-001《レーヴェ》。次の主力シリーズになる予定の一機目だ」

「はい」

「本当はもう一機、青いEL-009《ルフト》があるんだが、さっき聞いたとおり今はフェルンが乗り回してるらしい」

 リツヤがため息混じりに言ったところで、エレベータがコントロール・ルームに着いた。扉が開くと、アーサーの声が聞こえてくる。

「もういいだろう? そもそも今日の予定は」

『いやだって言ってるでしょ。どうせ今日は新人の世話で終わるんでしょうし、あたしがいなくてもいいじゃない』

「そうもいかないよ、予定が狂うと大変なんだから」

「副主任、主任が」

「え?」

 女性オペレータに言われ、アーサーがヘッド・セットを外しつつ振り返る。

「ごめん主任、おれが発進を許したりしたから。一周だけって約束したのに、全然帰ってこなくて」

 かぶりを振りながらリツヤはアーサーの傍らに着地した。

「いいえ、フェルンを引き止めてくれただけでもありがたいです」

「代わってもらってもいいかい? おれが言うより主任が言ったほうがよさそうだ」

 言いながらヘッド・セットを差し出してくるアーサーに頷き、それを受け取ってリツヤはマイクのスイッチを入れた。視界の端でオペレータたちが、直立不動でいるラスをちらちら見ながら囁き合っている。

「コントロールより《ルフト》。―――フェルン、聞こえるか」

『え? リツヤ?』

 驚いたような声がスピーカーから聞こえる。リツヤは近くのモニタに目を落として眉を寄せた。フェルンが乗る機体の軌道が映し出されているのだが、法則性もなくめちゃめちゃである。本当に好き勝手に飛び回っているらしい。この分では、《ルフト》が帰ってきたら調整し直さなければならないだろう。

「戻ってこい。運動性能テストは今日の予定に入っていない」

『イ、ヤ』

 一音ずつ区切り、力を込めて言うフェルンへ、リツヤは頼み込むように言う。下手に出た方がフェルンは聞き入れてくれやすい。

「フェルン」

『この後はリツヤがちゃんとついてくれるなら戻ってもいいわ』

「それは無理だ。今日は」

『じゃあ戻らない』

 皆まで聞かずに返すフェルンに、リツヤは辛抱強く語りかける。

「無茶を言うな。聞き分けてくれ」

『何よ、新人の案内なんて誰でもできるでしょう!? なんで主任のリツヤが!』

「主任だからだよ。《ルフト》はパーツを交換したばかりだ。不具合が起きる前に戻ってくれ」

 リツヤは慎重に言葉を選ぶ。これ以上皆に迷惑をかけるなとか、我侭を言うななどというのは彼女には逆効果だ。それで先ほど失敗している。

 しかし、スピーカーから返る声は刺々しい。

『イ、ヤ、よ! 不具合なんて起きないわ。もう実戦に投入できるくらいだって、リツヤが一番よくわかってるでしょう? 気が向いたらそのうち戻るから放っといて』

「今までが大丈夫だからって、これからも大丈夫だって保障はないだろ。致命的な事故が起きる前に戻ってこいって。機体はどうにでもなるが、フェルンに何かあったら取り返しがつかない」

『あたしに何かあっても、もう一人パイロットがいるんだからいいじゃない』

「いいわけないだろう。――――戻っておいで、待ってるから」

 返事はなかなか聞こえなかった。無言で待っていると、吐息のような音が聞こえる。

『……わかったわ』

 不本意そうだが了承する答えが返ってきて、リツヤはほっと息をついた。モニタ上で《ルフト》を現す三角形のアイコンが方向転換し、コロニーへ向かってくるのを確認してから通信を切る。

「いつもながら見事だね」

 感心したように言うアーサーに、リツヤは苦笑しながらヘッド・セットを返した。

「そんなことはありませんよ」

「主任を見習わないと。おれはどうにもあの子を怒らせてばかりでいけない」

「フェルンを上手くあしらえるのは主任だけですよ、副主任」

 女性オペレータが口を挟み、にこにことリツヤを見上げた。

「そんなことより主任、早く新人さんを紹介してください」

「そんなことよりって。紹介はみんな揃ってからだ。―――メリッサ、ノエル。フェルンが帰ってくるのを誘導してやってくれ」

 メリッサは大袈裟に肩を竦める。

「あら、勝手に出て行ったんですもの、勝手に帰ってきますよ」

「そうもいかないだろ。壁面にでも衝突されたら紹介どころじゃなくなるぞ」

「はぁい」

 メリッサは不満気に口を尖らせながらも、もう一人のオペレータであるノエルを引っ張って席に着いた。リツヤはやれやれと胸中で首を竦める。フェルンは、傍若無人な振る舞いが原因で一班では完全に孤立している。

(こればっかりは、本人が態度を改めてくれるのを祈るしかないからな)

 フェルンは所謂「天才」である。世界でも五指に入るアカデミーの、マスタークラスまでをスキップに次ぐスキップにより十四で卒業しており、宇宙工学や機械工学の博士号を持っている。現在アインホルン社に所属しているのは、表向き、将来PDの開発に関わりたいので、経験を積むためだということになっている。

 研究者になることを嘱望されていながら、大企業とはいえ民間会社のパイロットに収まったのは、本人の強い意向と、ウォンの手回しによる。

 フェルンもウォンに拾われた一人だ。いくら秀でた頭脳を持ち、身体能力も優れているからといって、パイロットとして受け入れてくれる組織はなかった―――アインホルン社を除いては。

 十五歳の女の子とはいえ、フェルンは頭の回転が早く、聡い。露骨な言葉こそないものの、己の言動に明らかに辟易している同僚たちに気付いていないわけがないのだが、それでもまったく態度が変わらないところを見ると、彼女もわかっていてやっているのではないかとリツヤは思う。

 ぽーん、という電子音にリツヤは思考から引き戻された。《レーヴェ》で作業をしていた一班のメンバーがぞろぞろとエレベータから出てくる。

「失礼しまーす」

「お疲れさまでーす」

「うお! 美人だ!」

「美人がいる!」

「こちらが新人さんですか、主任」

 ラスは壁際に避けていたのだが、目敏く見つけて騒ぎ出す面々へリツヤは適当に手を振った。一班はリツヤを含めて十三人いるので、コントロール・ルームは途端に狭く、騒がしくなる。

「はいはい、紹介はまとめて後で。すぐフェルンが戻るから」

「ええー。別にフェルンを待たなくとも」

 冗談めかした誰かの言葉に、リツヤも軽口を返す。

大人気おとなげないこと言うな。一度に済ませたいんだ」

「《ルフト》帰投。自動誘導装置起動、ゲート開きます」

 メリッサが状況を告げる。コントロール・ルームにいる全員の目がゲートへ向けられた。

 格納庫からは直接宇宙へ出ることが可能であり、外とは八つのゲートで隔てられている。

 やがて、一番手前のゲートが開いて青く塗装された機体が入ってきた。所定の場所に固定されると、ハッチが開いてフェルンが飛び出してくる。彼女は手近な支柱を蹴ってコントロール・ルーム直通エレベータへ向かった。

「姫のご帰還だね」

 ぼそりと呟くアーサーに一同は力のない笑みを浮かべる。程なくしてエレベータが上がってきた。扉が開き、ヘルメットを小脇に抱えて苦々しい顔をしたフェルンが姿を現す。そして居並ぶ同僚をぐるりと一瞥すると、最後にリツヤに目をとめ、

「帰ってきてあげたわよ。早くして」

「第一声がそれかい。―――ラス、こっちへ」

「はい」

 リツヤが呼ぶと、ラスは頷いて前に進み出た。リツヤはラスを自分の隣に立たせ、全員の顔が見えるように向き直らせる。

「今朝、局長から話があったと思うけど、今日から一班でパイロットをやってくれる、ラス・シュルツだ」

 言いながらリツヤは横目でラスの反応を窺うが、ラスは相変わらずの無表情で真正面を見据えていた。

「これまでは月基地でPDのパイロットをやっていたそうだ。年は十八。だな?」

「はい」

「ちなみに男だ」

 告げた途端、男性陣から落胆の声が上がる。女性三人―――メリッサとノエル、フェルンからは目立った反応は見られない。メリッサはノエルと意外そうに顔を見合わせているが、フェルンは先ほどから険しい表情でラスを睨んでいる。とりあえず罵声が飛んでこないだけいいかと、リツヤは続けた。

「ラスから何かあるか?」

「ありません」

「そうか。ここには明日からきてもらうから、皆よろしく頼む」

 同僚からは歓迎の拍手が起こるが、フェルンだけは一人きびすを返してエレベータに乗って行ってしまった。

「近いうちに歓迎会しましょうね」

「よろしく!」

「いやー、パイロットが増えてくれて助かるわ」

「男か……こんなに美人なのに男なのか……」

「勿体ないなあ。姉さんか妹さん、いない? いたら紹介してくれよ」

「はいはい。時間をとってすまなかったな、みんな作業に戻ってくれ」

 好き勝手に騒ぎ出すメンバーをリツヤは手を振って追い遣る。彼らはわいわいと喋りながら三々五々散っていった。

 コントロール・ルームにはリツヤとラス、アーサーが残る。

「主任とシュルツくんはこれからどうするんだい?」

「取り敢えずブロック内を一通り案内して、明日からの段取りを説明しようかと。時間が余ったらシミュレータにでも乗りにきます」

「わかった。シュルツくんがシミュレータに乗るときはおれも呼んでね」

 笑顔で言い置いてアーサーもエレベータで降りていく。

 見るともなしに格納庫の様子を見下ろしながら、リツヤは小さく息をついた。そのままラスへ告げる。

「ごめんな、名前、勝手に」

 リツヤはラスを振り返るが、ラスは相変わらずの無表情でリツヤを見つめたまま口を開いた。

「問題ありません」

「……そうか。よかった」

 問題が生じるかどうかではなく、ラスがどう思うかなのだが、まあいいかとリツヤは軽く床を蹴った。エレベータの方へ流れる。

「行こう。他の場所も案内するよ」

「はい」

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