セレスティアル・トラぺジア

楸 茉夕

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 局長室には、局長の他にもう一人いた。

 年の頃は二十歳手前といったところだろう。金髪で、彫刻かCGかと思うほど整った顔をしている。その中性的な顔立ちと、身体の線の出ない黒のパンツスーツを纏っているせいで、性別は判然としない。

「おはよう、リツヤ。早くにすまないね」

 規格外の美形を前にしてぽかんとしていたリツヤは、局長に声をかけられて我に返った。

「おはようございます。ウォン局長」

 慌てて挨拶を返すと、ウォンはデスクを回りこみながらリツヤを手招いた。扉の前に立っていたリツヤはそれに従って中央まで足を進める。

「ウェーバーくんになんて言われた?」

「局長がお呼びだって言われただけで、ウェーバー課長からは何も」

「そうか。じゃあ、まずは紹介しよう。リツヤ、この子はRA-SS02Dアールエーダブルエスゼロツーディー

「R……なんですって?」

 聞き取れなかったのではなく、その言葉の意味するところが解らずにリツヤは聞き返した。するとウォンは再び同じ音を繰り返す。

「RA-SS02D だ。今日から一班のパイロットに配属される。RA、彼は三局PD開発部運用課一班技術主任、リツヤ・マキナ。君の直属の上司だ。いろいろ教わるといい」

「はい」

 ウォンがRAと呼んだ彼、あるいは彼女は、直立したまま返事をした。リツヤは状況を飲み込めず、二人を交互に見る。

「は? え? いや、ちょっと待ってください局長。君も、はいじゃなくて」

「落ち着いて。とりあえずそちらに座りなさい。お茶でもれようか?」

「結構です」

 お茶を断り、リツヤは示された応接ブースのソファに移動した。ウォンもRAを促してリツヤの向かいに座る。

「RAもこちらに」

「はい」

 ウォンに言われるまま、RAはリツヤの隣に腰を下ろした。それを待ってウォンは話し出す。

「RAは元は連合軍の第三師団に配属されて、この間まで月基地にいたんだ。でも、いろいろあって除隊になってね。行く宛がないって言うから、うちにきてもらうことにした」

「きてもらうことにって、局長……」

 また拾ってきたな、とリツヤは苦笑いでウォンを見た。とはいえ、リツヤもウォンに拾われた身であるので非難はできない。

「 一班にはすでにパイロットがいますよ」

「パイロットが一人では足りないから、増やしてくれと前々から要望がきていたから、ちょうどいいと思ってね。軍でも優秀なPDパイロットだったそうだよ」

 だが、軍を出されたのだろうという反論をリツヤは飲み込んだ。

 PDは、Protective Dressの頭文字である。元々は大気圏外での作業用に開発された防護服だったが、目的に応じて様々な種類が開発され、近年では本来の目的を外れて戦闘用に用いられることが多い。

 人間が搭乗して動かすものは、作業用も戦闘用も一緒くたにPDと呼ばれる。アインホルン社の三局では主に、PDとその装備の開発が行われているのだ。

 反駁はんばくいとぐちを探して黙っていると、ウォンはにこやかに言う。

「まあまあ、そんな顔をしないで。事前に連絡が行かなかったのはすまなかった。けれど、私は君が適任だと思ったんだよ」

「何を根拠に」

「勿論、君の人柄を信頼してさ」

「買い被りです」

 リツヤは甚だ不本意であるということを隠さずに返す。しかしウォンは気を悪くしたふうでもなく声を立てて笑った。

「いいじゃないか、前例もあることだし」

「前例って……」

 何を言っても返ってくる答えが予想できて、リツヤは言いさしてため息をついた。消極的な承諾だと解釈したか、ウォンは続ける。

「RAはID申請もまだなんだ。必要なデータを送っておくよ。ついでに寮も手配してもらってくれ」

「え、じゃあ引っ越しもまだですか?」

「直接こちらにきてもらったからね、いろんなことが突貫なんだ。渋られたら私の名前を出していいから」

「……何をそんなに急ぐ必要が?」

 ウォンは笑って答えない。間違いなく何か裏があるなと、リツヤは目をすがめた。

「私からは以上だ。一班のみんなには私から言っておくから、今日はRAに色々と教えてやるといい」

「……わかりました」

「ではリツヤ、よろしく頼んだよ。RA、あとは彼の指示に従ってくれ」

「はい」

 RAはやはり毛ほども表情を動かさず、短く答える。今の状況に何も思わないのだろうかと様子を伺ってみるが、やはり眉一つ動かなかった。

 リツヤは立ち上がり、一礼する。

「失礼します」

 不満を示すことはできても、結局のところ局長命令に逆らえはしないのだ。諦めの境地でリツヤは踵を返した。廊下を進むとこのフロア専用の直通エレベータがある。

「……あれ?」

 エレベータホールで振り返り、RAがついてきていないことに気付いて、リツヤは眉を顰めた。仕方ないので、局長室に戻る。扉が開いたままだったので中をのぞくと、RAが先程最後に見た姿勢のまま不動でいた。思わずウォンを見れば、何やらにこにこと満面の笑みでいる。

(絶対面白がってる……)

 胸中で毒づきながら、リツヤは廊下を親指で指しながらRAを呼んだ。

「何やってんだ、行くぞ。ええと……、RA-SS02D」

「はい」

 今度こそ背後をRAがついてくるのを気にしつつ、局長室を出る。エレベータに乗り込んでから、リツヤは口を開いた。

「おまえさん、名前は?」

「RA-SS02です」

 返ってきた声は高くも低くもなく、容姿にたがわず中性的だった。

 身長はリツヤより頭半分低い程度だが、間近で見ると恐ろしいほど美しい顔をしている。曇りのない白磁のような肌、整った鼻梁、形の良い唇。混じりけのない金髪は長めのショートカットにされ、琥珀の瞳は長い睫毛に縁取られて、ますます性別がわからない。

「いや、RA-SS02Dって識別コードか何かだろ? 名前を教えてくれよ」

「私の名称はRA-SS02です」

「そうじゃなくて、名前だってば」

「RA-SS02です」

「だから、名前をだな……」

 どう言えば会話が成り立つのだろうと、リツヤは髪を掻きやった。ふと気付いて問う。

「RA-SS02Dじゃなく、RA-SS02なのか」

「はい」

「Dって何?」

「末尾のDはDiscardedの頭文字です。廃棄処分になった物品につきます」

 今度こそ言葉を失い、リツヤはRAを見下ろした。うそ寒くなるほど端正な顔は小動こゆるぎもしない。自らを「物」と称するRAは、そのことに一切の疑問も抱いていないらしい。

「廃棄って……、どういうことだ?」

「不要なものや役に立たないものを捨てることです」

「いや、そうじゃなくて。RAが廃棄? さっき、局長は除隊って……DischargeのDじゃないのか? なんで廃棄なんて、自分を物みたいに言うんだ」

「私は地球連合軍第三師団の備品でした。PDの生体部品として稼働していました」

「……なんだって?」

 RAの言葉を聞いて、リツヤは眉を寄せた。

(まさか……いや、そんな何人もいてたまるか)

 思い浮かんだ考えを打ち消し、わざとぞんざいに片手を振る。

「人間は備品でも部品でもない。そういうふうに教育されたのか? まったく、軍ってところは」

 呟いてリツヤは舌打ちを堪える。軍の内情は詳しく知らないが、将来連合軍に入ることを条件に、無償で学校に通える制度がある。慈善事業のように言われることもあるが、要は少年兵の育成だ。親切そうに手を差し伸べておいて、育てた子供を戦場に放り出すという、その神経がリツヤにはわからない。

「あー……じゃあ、ラスって呼んでいいか? RA-SSでラス」

「問題ありません」

 肯定するRA-SS02―――ラスに頷き返し、リツヤは改めて呼びかけた。

「それじゃあ、ラス。今から……ええと、とりあえず俺のオフィスに行こうか。そのあと事務局。IDの最終認証は本人がしなきゃいけないんだ。運用課の場所……は、まだわかんないよな」

「見取り図は記憶しました。行動可能領域の設定がまだです」

 機械音声のように淡々と言われ、リツヤは目を瞬く。

「行動可能領域って、警備ロボットかよ。アインホルン社の社員なら、大抵の場所には入れるから。……局長がID申請しろって言ったってことは、入社するんだよな?」

「私はアインホルン社第三局PD開発部運用課一班の生体部品として配置されます」

「だーかーらー」

 リツヤは思わず頭を抱えそうになった。ラスが悪いのではないのだ、ラスを怒鳴りつけたところで自己嫌悪に陥りこそすれなんの解決にもならないと、吸い込んだ息を意識して言葉に換える。

「……わかった、とりあえずオフィスだな。落ち着いて話した方がよさそうだ」

 微かな頭痛を覚えながらリツヤは視線を階数表示に移した。丁度電子音が鳴って地階に到着したことを知らせ、リツヤはラスを促してエレベータを降りた。汎用エレベータに乗り換えて目的の階数のボタンを押す。乗り込んでから、幼子に言い聞かせる気分で告げる。

「軍ではどうだったか知らないが、今日からおまえさんは一班のパイロットだ、ラス。パイロットの意味は解るな?」

「はい」

「パイロットは備品か?」

「違います」

「うん。で、ラスはパイロット。つまり?」

「私は生体部品に分類……」

「だーかーらー!」

 とうとうリツヤは大声を上げた。叫んでから、ここが廊下でなくてよかったと思う。

 言葉を遮られたラスは、口を閉じてリツヤを見ている。その顔からはまったく感情が読み取れない。

 リツヤは髪を掻き回し、半ば途方に暮れてラスを見下ろした。

「あのな……ああもう、一体どう言ったらいいんだ? 今までなんて言われてきたか知らないけど、おまえさんは人間だろう。人を備品だの部品だのなんて、軍隊ってところがろくでもないってことはわかった。忘れろ。全部忘れろ。いいな」

「はい」

 話していると、エレベータが目的のフロアに到着した。始業時間前なので人気のない廊下を、リツヤは自分のオフィスへ向かって歩く。主任クラスから、狭いながらも個室が与えられる。

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