003.01
003
何度も通信を試みたものの、ようやくウォンが掴まったのは終業間際だった。
「局長……」
『なんだいリツヤ、今にも誰かを捩り切りたいような顔をして。この膨大な履歴は君のだね?』
「そうですよ。確認したいことがあったので」
『何かな? RAのことは君に一任したからいちいち私の指示を仰がなくてもいいよ』
「ええ、まったく繋がりませんでしたので結果的にそうなりました」
リツヤは嫌味のつもりで言ったのだが、モニタのウォンは声を立てて笑った。
『よかったじゃないか。そのRAはどこに?』
「さっき総務部から連絡がきたので、登録の仕上げに行っています」
IDの登録の九割は、データさえ出せばシステムとネットワーク上で完結する。しかし、最後に本人の認証が必要なのだ。取り違えや不正を防ぐのが目的だろう。
ラスを一人で行かせていいものかリツヤは少々迷ったが、認証くらいならば大丈夫だろうと送り出した。総務部の職員の言うことに従い、自分に関することは話すなと言ってある。
『では、もうできているかな』
言いながらモニタの向こうのウォンは端末を操作した。
『ああ、これだ。ラス・シュルツ、十八歳、男性。名前をつけてあげたのか、いいことだね』
「……識別コードのままだと不審がられると思いまして」
他意はないのだと言外に含ませたつもりだったのだが、モニタのウォンはにこにこと笑っている。
『どうだった? ラスと一日過ごしてみて』
「驚かされることばかりです」
リツヤが率直に感想を告げるとウォンは頷いた。
『そうか。やっていけそうかな?』
「まあ……、なんとか」
『それならよかった』
「何故俺を付けたんですか? こういったことは、俺よりも向いている人がいると思いますが。アーサーさんとか、ノエルとか」
『そう思っているのは君だけじゃないかな』
「そんなことは……」
『謙遜しなくてもいいよ。理由が欲しいなら、前例があるからと言ったじゃないか。お人形を人間にしておあげ』
思わず瞠目するリツヤに、ウォンやはり楽し気に満面の笑みを向ける。
『おっと、会議に遅れてしまう。それじゃあ失礼するよ』
言いおいてウォンは一方的に通信を切った。リツヤは映像の消えたモニタをしばらく睨んでから通信ウインドウを閉じた。椅子の背凭れに身体を預ける。
(人形を、人間に……)
ウォンの言葉はとても的を射ているようにリツヤには思えた。自ら動き、話しもするが、言われたことには逆らわず、自らの意見を述べることもない人形。息を呑むほどに美しいラスの顔を思い出し、リツヤは一つ息をついた。
(いくら一班のみんなでも、これはちょっと気になるんじゃないか?)
あまり知られていないことだが、三局のPD開発部運用課一班には、リツヤをはじめ、ウォンに見出された者たちが集まっているのだ。ゆえに平均年齢は飛び抜けて低い。最年長は二十七歳のアーサーである。
一班の人間は皆、己だけでなく同僚も、口にするのを
単純な好奇心から、リツヤはウォンに、事情を抱えた人間を集めているのはどうしてなのかと尋ねてみたことがある。そのときは、「趣味だよ」とあっさり返された。その答えに納得しているわけではないが、ウォンはリツヤたちに―――己が見つけて引っ張りあげた相手に、見返りも対価も要求しない。今となっては、趣味だというのが半分くらいは本当なのではないかとリツヤは思っている。
廊下側の扉から電子音がしてリツヤは顔を上げた。返事をすると扉が開く。
「失礼します」
「おかえり」
戻ってきたラスに言うと、ラスはぱちくりと目を瞬いた。それに気付いてリツヤは首をかしげる。
「どうした? 何か気になったら遠慮せずに言えよ」
「おかえりと言われたのは初めてだったので」
「……一度もなかったのか? 軍で、PDに乗ってたのに?」
「はい」
素直に答えるラスの言葉に驚き、同時になんだか切なくなってリツヤはぽんとラスの頭に触れた。
「行ってらっしゃいって送り出した相手には、おかえりって言うものなんだ。そしたら、ただいまって応えるんだぞ」
ラスはそうですかと頷いた。そして、リツヤを見上げてぽつりと言う。
「ただいま」
「……うん。おかえり」
何だか小さな子どもと話しているような気になって、リツヤは笑みながらくしゃくしゃとラスの髪を掻き混ぜた。手をどけると、ラスは乱れた髪を手櫛で掻きやる。
「総務の人は何か言ってなかったか?」
「IDの認証は問題なく終了しました。その他、必要事項は私宛にメールを送ったので、端末から開くようにと」
「そっか。ラス用の端末はまだ準備できてないから、とりあえず俺ので開こう。ちょっとここに顔を近付けてくれ」
「はい」
ラスが端末の正面に立つと、ユーザーが切り替わり、ラス用の画面になる。リツヤはそのままラスに指示を出した。
「そっちのアイコン……そうそれ。新着メール開いて」
リツヤの言うとおりにラスが操作をすると、総務部からのメールが何通かきていた。
「お。さすが総務、ぬかりがないな。ラス、携帯端末持ってるか?」
「いいえ」
「じゃあ、ゲスト用の貸すからちょっと待って。多分、携帯端末もそのうち社用の寄越されると思うけど」
リツヤは貸与用の携帯端末を取り出し、必要なデータを転送した。画面を開きながらラスに渡す。
「これ、今から帰る寮なんだけど……あれ、俺の隣?」
寮の部屋に関する事項をスクロールし、リツヤは首をかしげた。
寮とはいえ大きな集合住宅のようなもので、人数が増えてもある程度対応できるようにと建設時にかなり部屋数を多く設計されたらしい。そのせいで未だに三分の一は空き部屋がある状態である。異動などで人の出入りも激しく、入室状況を完璧に把握しているのは総務部の一部だけだろう。
(偶然なのか、局長が手を回したのか……)
リツヤが住んでいる部屋の両隣が空いているのは知っていたが、後者の方がありそうだと思いつつ、リツヤは立ち上がった。
「なんか部屋、隣みたいだな。これがラスの部屋のキー・コード」
「はい」
「コードは好きに変えられるから。やりかたはそこに書いてある。定期的に変えることが推奨されてるけど、そのへんはまあ適当に」
ラスが不思議そうな顔をしたので促せば、ラスはリツヤを見上げて口を開いた。
「鍵をかけてしまっては他の方が自由に出入りできなくなります」
「そのための鍵だっつの。自分の部屋に勝手に入られたら困るだろ」
「困る」
それがまるで初めて聞く言葉であるようにラスは繰り返した。リツヤはどう説明したものかと頭に手を遣る。
「あー……ええと、泥棒に入られたら大変だろ?」
「私は財産を所有していません」
「…………。今そうだとしても、これからできるさ。なんにせよ、戸締りはしっかりな」
「はい」
相変わらずの無表情から納得したかどうかは読み取れなかったが、ラスは頷いた。安堵してリツヤは立ち上がる。
「さて。今日はもう終わりだから帰るか」
「はい」
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