眠れないままに朝を迎え、格子をあげる人が来る前に縁側に出た。今日も暑くなりそうだけど、今はまだ涼しい空気が肌をさしている。

 「隆浩」

 小声で呼んでみたら、しばらくして隆浩は眠そうな目で現れた。

 「寝てたの? 呼んだのよく分かったね」

 「眠れなくって、ちょうど歩き回ってたんだよ。それより何か、思いついたのか」

 「うん。これしかない」

 私うなずいて、縁側にしゃがみこんだ。

 「あのさあ、シンウィンってのが、クーデターを起こそうとしてるんだよね。そうでしょ」

 「ああ、たぶんな」

 「でもって、大納言様がシンウィンを裏切って、天皇の方につくことになったってのが、今の状況だよね」

 「ああ、あのカードのせいでな」

 「ねえ、クーデターってさあ、起こす前は秘密にしておくよね。ばれたらやめるよね」

 「さあ、どうだろう」

 「だって大納言様が天皇の方に行ったら、クーデター計画が相手にばれるってことになるじゃん。そうしたら、クーデターは中止ってことにならない?」

 「でもなあ、大納言様の方だって裏切ることを秘密にしてりゃあ」

 「そこ、そこ」

 私は立ち上がった。

 「知らせてやればいいじゃん、シンウィンの方に。大納言様が裏切りました。あなたたちのクーデター計画は天皇側につつぬけですって、手紙を書けば」

 「そんなの、信用するかあ?」

 「だって大納言様がカードを見て心変わりしたってことは、少なくともあのカードにはシンウィンの方が負けるって書いてあったんでしょ。そのことも書いてあげれば」

 「それはダメ! もう、あのカードは使いたくない。だいいちもう、カードが手元にないじゃないかよ」

 「あ、そっか。じゃあ、裏切りのことだけでも」

 「でも、どうやって届けんだよ、その手紙」

 私はあごで、隆浩を示した。

 「冗談! やだよ。これ以上自分の手で歴史を変えるの、もうやだ!」

 「たくさんの人の命が、かかってるんだよ!」

 なんだかもう、イライラしてくるなあ! 

 「もう、いい! 他の下人にいいつけるから。……ケラオ!」

 私が庭に向かって叫ぼうとすると、隆浩があわてて両手を振った。

 「分かった分かった。いったん落ち着こう」

 「落ち着いてどうすんのよ」

 「分かったよ。他のやつに頼むくらいなら、俺が行くよ」

 そこでそれまで眉をしかめていた顔を、私はパッと笑顔にした。

 「そうこなきゃ。頼むね」

 「で、手紙は?」

 「これから書く」

 「おめえ、書けんのかよ」

 そう言われると自信ない。そこで一度部屋に戻って、硯箱を持ってきた。紙は見当たらなかったから、しかたなく硯箱のふたをとってひっくりかえした。

 「ここに書くしかないね。隆浩、書いて」

 「やっぱ、結局俺かよ。で、なんて書くんだ?」

 「さっき、私が言ったようなこと」

 舌を鳴らして、隆浩は筆をとった。

 ――民部卿大納言、うちへ行く。謀反のこと皆知る。謀反中止願ふ。大納言民部卿女――

 「これでいいか?」

 隆浩がそれを、私に見せた。

 「女ってなにさ」

 「ばか、むすめって読むんだよ。じゃ、みんなが起きる前に行って来っから」

 「場所、知ってんの?」

 「鳥羽の田中殿だよ。使いで何度も行かされてる」

 「鳥羽って、三重県の?」

 「あのなあ、都の南。すぐんとこだよ。昼前には着けると思うよ」

 「お願いね。たくさんの人の命がかかってるから!」

 隆浩の姿は、そのまま朝もやの中に消えた。

 

 その日は、何ごともなく暮れた。

 広い屋敷のひと部屋に籠っていると、まるで世の中には何も起こってはいないかのようにも感じられてしまうほどの静けさだった。

 今日は七月二十七日の金曜日。この時代に来てからカレンダーなんてないから、私は自分で作って毎日日付と曜日を確認してた。タイムスリップからもう四十日近くたったことになる。

 この日も今までと何ら変わりなく、私は虫を観察しながら過ごしてた。

 それでも、気持ちは落ち着かない。それどころか、高ぶってさえいる。

 現代では私たちはやっと選挙権があたえられたっていっても、国会で政治家たちがああでもないこうでもないと言い合っているのは自分とは関係ない世界と思ってる。

 でも今は、そんな私たちが、世の中を動かそうとしてるんだ。

 そんなことを考えて一日過ごしたけど、その日は夜になっても隆浩は姿を見せなかった。

 大納言様も帰ってきていないみたい。

 そして次の日、夕方も近くなってから、慌ただしく大納言様が私のいる建物に来た。なんと大納言様まで、鎧を着けている。こんな偉い人でしかも老人までもが鎧を着るなんて、よっぽどの一大事なんだ。

 結局、クーデターは中止にはできなかったのかなあ。隆浩はいったい、どこで何してるんだろう。

 大納言様は今帰ってきたばかりみたいで、かなり慌てている様子だった。

 「シンウィンも左府殿も、昨夜白河北殿に遷らせ給フィぬ。まろもしばしファ内裏うちとなりたる高松殿にまうぃらうずるぞ。これもいと危ふく思ファるるに、とく六波羅ろくふぁらに渡り給フェ。六波羅ファすでに内裏うちフェふぁシェ参じ、うふぇフェ合力がふりきしにける。なれもとく」

 立ったまま早口でそれだけ言うと、大納言様は行ってしまった。あんなに優しく笛を吹いてくれた大納言様とはまるで別人みたい。

 「仰せのまにまに」

 大夫の君も、そう言ってうなずいている。

 それからというもの、今度はほんとうに引っ越しの準備が始まった。

 でも、やはり私は何もすることはない。どうやら今度は、六波羅というところに連れていかれるみたい。隆浩は、まだ戻っては来ない。

 そして日が沈む直前には、私はすでに車に乗せられてた。

 車には、大夫の君がいっしょに乗ってる。私が右側面、大夫の君が左側面をそれぞれ背中にして、私たちは向かい合って座っていた。

 久しぶりに出る屋敷の外。あの尼寺からこの屋敷に移ってきて以来だ。でも今は、見物なんかしているような心の余裕はない。町の人たちも、何かがはじまりかけているってことは分かってるみたいで、荷物を背負って逃げていく姿も多い。

 車はすぐに、大きな川沿いの道に出た。そのまま川に沿って、下流の方へと進む。

 六波羅ってどこにあるんだろう。遠いのかなあ。

 そんなことを考えていると、急に車は停まった。

 見ると、鎧を着た人たちがたくさん、この車を囲んでいる。

 すっごい鎧! 五月人形みたいな、大きな兜をかぶった人もいる。

 こちらの車についていたお供の、やはり鎧を着たさむらいたちが車を守るようにして敵と向かい合って立って、大声で叫びはじめた。

 「こを民部卿みんぶきゃう大納言だいなうごん殿の御むすめの御車と知りての狼籍らうぜきなるか!」

 「おうよ! われらは左大臣の手のもの。憎き大納言めの娘、捕らふぇまうぃれとのわれらが御あるじの仰せにて、推参つかうまつるなり。いで、おり給フェ

 さむらいよりも、車の中の私たちに向かって吠えてるみたい。大夫の君なんかは震えあがっちゃって、一所懸命お経なんか唱えてる。

 「いかに左府殿の御いふぇの子といフェども、下郎ぐぇらうどもが手に渡せらるる御身かは」

 左府殿ってたしか、シンウィン側の人。て、ことは、クーデターを中止するどころか、私を人質にして裏切った大納言様をこらしめるつもり? やり方が、汚い! 

 一瞬そう思っているうちに、車の外ではチャンバラが始まってた。これ、ほんとうにやってんだ! 

 怒鳴りあいの大声と金属音が響いて、車の中にまで血しぶきが飛んでくる。すぐそばで、人が殺されてる! 殺人事件が起こってる! 

 なんだか私、恐怖感を通り越しちゃって、全身が硬くなって動けなくなった。頭の中も、真っ白。大夫の君だけが悲鳴をあげて、背を丸めて震えてた。

 そのうち車が揺れはじめた。敵のさむらいたちがあざ笑う声も聞こえる。

 この頃になってやっと私、恐いって実感しはじめた。からだ全体が勝手に震えだし、いつまでもとまらない。

 「やめてーッ!」

 何かを突き破るように激しく悲鳴をあげた私は、大夫の君とひたすら抱きあっていた。

 その時、牛が放された。

 尻を叩かれた牛は、一目散に駆けていく。

 牛がいなくなった分だけ支えを失って、車は大きく前へと傾いた。私と大夫の君は、地面の上にまっさかさま。大夫の君は、あわてて自分の顔を袖で隠す。

 すっかり敵に囲まれているけど、私はひらき直って顔も隠さず、敵のさむらいを見上げてにらみつけてやった。

 「おう、音に聞きし虫めドゥ姫君ふぃめぎみは、ここにおファしますや。げに化粧くぇさうもせで眉もぬかず、ふぁも白きままなり」

 兜をかぶった男が叫びたてると、みんな血のついた刀をぶらさげたまま、一斉に大声をあげて笑った。味方はっていうと、十人くらいいたはずなのに、あっちこっちに倒れてる。げ! まじ!? 死んでる! やばい! ガチ殺人事件!

 「待てーッ!」

 その時、遠くで叫び声があがった。そして鎧を着て槍を持ち、駆け足でこっちに向かってくる人がいた。ひとりだ。。

 「隆浩ーッ!」

 「ミッコーッ! 大丈夫かあ!」

 この時ほど、隆浩が男として頼もしく見えたことはなかった。

 ぼろぼろの服に鎧をつけて、顔も泥だらけ。そんな隆浩が、槍を振り回しながら走ってくる。

 かっこいい! 

 「何者ぞ。まだこりぬ輩やある」

 さむらいたちはその刀を、一斉に隆浩に向ける。肩で息をしながらも、隆浩は槍を構えてさむらいたちをにらんでいた。

 「何者ぞ。名乗れ、名乗れ!」

 「大納言家だいなうごんくぇ下人ぐぇにんよ。武蔵の国の住人、佐々木次郎隆浩、見参!」

 かっこいいのはそこまでだった。隆浩はまだ槍を振り回し続けている。ただメチャクチャに振り回してるだけで、当たるはずがない。

 もう、見てらんない! かえってひやひやしちゃう。

 「ばか、槍って突くんだよ! 突くの!」

 思わず私が叫ぶと、隆浩はその体勢になって、一人を突いた。

 でも槍は鎧の胴に当たって、突き刺さらない。その槍は、相手の刀で斬り落とされた。また一斉に笑い声があがる。

 みんな、刀を下げてしまってさえいるじゃない。隆浩はたちまち、何人かにねじ伏せられた。

 「下郎ぐぇらうの首ひとつとらんも、えうなきことのやうにファあれど、御主フェの手持ちにこそせめ」

 刀が振り上げられた。

 隆浩の首がはねられる。

 隆浩が殺される! 

 私は思わず、目をギュッと閉じていた。

 

 何が起こったのか、はじめはよく分からなかった。目をあけると、隆浩の首めがけて刀を振り上げていた人の頭に、一本の矢が刺さっていた。

 「待てーッ!」

 また遠くで、別の人の叫び声が上がった。

 今度は馬が走る音が響いてきた。そして鎧を着た若武者が、馬の上で刀を振りかざしながら飛び込んでくる。

 私たちを取り囲んでいたさむらいを、バッタバッタとなぎ倒す。

 こういうのが、ほんとうの「かっこいい」っていうんだ! 

 そのうち若武者は私をすくいあげて馬の前にのせ、隆浩に向かって叫んだ。

 「ついてまウィれ!」

 「あッ、あんたは!」

 若武者の顔を見て隆浩は叫んでいたが、若武者は微笑さえ浮かべていた。

 「とく!」

 そのまま馬は、速歩で走りだした。馬といってもまだ小さい、子馬ポニーのような感じだ。隆浩は必死になって、走って追いかけてきている。

 「大夫の君は? 大夫の君はどうなるのさ!」

 私は夢中で叫んだけど現代語だったから分からなかったみたいで、若武者はそれを全く無視して、馬を走らせていた。

 

 もうすっかり薄暗くなった頃に、川を渡った。都を背にして、山の方に向かっていく。

 馬だから橋もないところを、水しぶきをあげて渡る。

 そして、目の前にある山が、はじめてこの時代に来た時に登った山だと気づく。

 景色の左前方には、大寺のいくつもの屋根が見える。そしてあの巨大な八角形の九重塔が、山にも負けないくらいに高くそびえて、夕陽を受けて赤く染まっていた。

 川を渡りきった時、右手にもすごい数の灯りが灯されているのが見えた。

 大きなお屋敷があるみたい。若武者は言った。

 「あれなん、六波羅ろくふぁらにてふぁべる」

 「いドゥれかの大臣おとどなどのお屋敷にて?」

 私は、そう尋ねてみた。

 「いな。あるじはいまだ安芸守にして、すなファ遙任えうにん国司にてふぁべる」

 よく分からないけれど、そう身分は高くない人みたい。それがあんな大きなお屋敷に住んでるってことは、よっぽど勢力のある人かお金持ちなんだろうなって思う。

 大納言様のお屋敷より、ずっと大きいよ。

 で、大納言様はその六波羅へ行けって、私に言ったんだ。それで途中でクーデター側に襲われて、この人が助けてくれた――助けてくれたってことは味方なんだろうから、きっとこれからあの六波羅に連れていってくれるんだ。

 そう思っていたけど、馬はどんどん山の中に入っていく。隆浩もなんとかついてきてはいるけど……。

 「ちょっと、待って! どこへ連れていく気!?」

 私は思わず現代語で叫んでだ。

 「悪しき心にファふぁべらず。ただ心安く、おファしませ」

 心安く――安心しろって言ったって、森の中はもう暗いのに。

 隆浩もへんだと思ったらしく、馬の前まで出て両手を広げて立った。

 「やや、待ち給フェ! わどのファさいつ頃、ふぃめくちなふぁをおくりし公達きんだちにてやあらん」

 「え? なんですって?」

 私は首をひねって、後ろの男を見た。

 イケメン!。鼻筋がとおってる。

 こんな顔、この時代に来てからは、見たことがなかった。

 でもこれが、あの蛇のおもちゃでいたずらしてきたストーカー変態男――右馬佐うまのすけ? 

 「ちょっと、おろして!」

 私はあばれた。右馬佐は馬をとめて、丁寧に私をおろしてくれた。

 わりと紳士的だったけど、でも私は逆上している。

 「あんたね、あの変態は! 今度は人の不幸にかこつけてこんな山の中に連れてきて、そんでへんなことしようってんでしょ!」

 私は立ったまま、右馬佐をにらみつけた。

 それでも右馬佐は笑顔のまま、馬を木につないで戻ってきた。

 「さにあらず。ウィさせ給フェ

 座れって? 

 しかたなく近くの倒れている木の幹に、腰をおろした。右馬佐も座った。

 もうすっかり宵闇が、私隊を包み込もうとしてる。

 「さやうなる心もちならば、など隆浩殿をもうぃて来つるや」

 それはそうかも……

 えっ? なんかこの人、まるで私が感情まかせに言った現代語を理解してるみたい。 

 しかも今たしかに、隆浩って言ったよねえ。

 私と隆浩は、思わず顔を見あわせていた。

 隆浩が、口をひらいた。

 「何フィとにておファしまするや。大納言殿の御身内なるや。あるフィは六波羅の手の者にてか」

 右馬佐は黙って、首を横に振っていた。

 「隆浩殿。首尾はいかがなりふぁべりしや」

 もう私、呆気にとられていたので、しばらくは何も言えなかった。

 やがて隆浩は、ゆっくりと話しはじめた。

 「田中殿にてファ、皆人われを大納言殿の家人くぇにんと知りたれば、たやすく門の中に入れたれど、箱のふたの裏のふみを案内のものが見るままに、すなファ顔色かふぉいろファりぬ。やがてわれはらうに押し込められ、そのうちおふぉくの車や人々ふぃとびとが、門を出でにしを見き。今日けふになりてやうやく逃げてて戻るに、ふぃめの車のでおファしませれば、ただあとをつけていきウォりたるに……」

 隆浩ったら、ずいぶん流暢にしゃべれるようになったじゃない。本物のこの時代の人の言葉とはちょっと違うような気もするけど。それにしてもとにかくそういうことだったんだ。

 でもせっかく知らせてあげたのに、なんで隆浩を牢屋に? 

 私は、右馬佐を見た。右馬佐は言った。

 「戦さやめさせてんずる心の、なかなかふぃに油をこそ注ぎたんめれ。謀反むふぉんの相手に知らるればつとにことを起こさんとての、シンウィンや左大臣の、鳥羽田中殿より白河北殿への御遷りとぞ覚ゆる」

 「ああ」

 私は頭を抱え込みたい気分だった。

 私のしたことがかえって火に油を注いだなんて。戦争をやめさせようと思ってしたことが、結局は戦争をやめさせるどころか、戦争がはじまるきっかけを作ってしまったんだ。

 「だから、歴史を変えようとしちゃいけないって言っただろ」

 隆浩が食ってかかってくる。

 私はただくちびるをかみしめて、泣きだしそうになるのを必死でこらえていた。なんだかとりかえしのつかないことを私はしでかしてしまったみたいで、いたたまれない気持ちになってしまった。

 右馬佐は、黙ってそんな私たちを見てた。

 

 しばらくは、そのまま最初に座った倒れた木の幹に座っていた。

 そのうちあたりは真っ暗になった。でも空には半月よりだいぶふくらんで満月に近くなった月が出ていたので、お互いの顔はよく見えた。

 さっきから三人ともずっと黙ったままだった。

 自分のせいで私が機嫌を損ねたのだと隆浩は思ったのか、かなりたってから優しい口調で隆浩は言った。。

 「なあ、ミッコ、見てみろよ。月がきれいだぜ」

 隆浩にしては、歯が浮くようなセリフ。

 でも今日は、なぜか心にしみる。見上げると、たしかにきれいな月。そして月のせいか星は少ないけど、それでも満天の星といえる。天の川もくっきり。

 そしてその夜空の一角にはあの無気味な彗星がまだあって、白く長い尾をひいていた。この前見た時よりも、はっきり見えるくらい。

 隆浩が立ち上がった。そして町が見える崖の上まで歩いていく。私もすぐに立って、実は長袴に裸足だったので歩きにくかったけど、なんとかその隣まで行った。

 二人並んで、夜の都を見下ろした。

 この時代には、夜景ってものが存在しないみたい。都は暗闇の底にある。これだけ大きな都市なのに、夜は全く明かりもない。

 「なあ、ミッコ」

 いつのまにか隆浩ったら、私の肩なんか抱いてる。図々しいと思ったけど、なぜかそのままそうしていてほしいと思った自分が不思議にも思えてくる。

 「俺、今日、死ぬって思ったよ。自分めがけて刀が振り上げられた時、現代には帰れないでここで死ぬのかって思ったんだよ。でも、まだ生きてるんだよな。これから、どうなるんだろうな」

 私の肩にまわされた隆浩の手が、肩から少しはみ出していたので、私はそれを握っていた。

 「ねえ、隆浩。現代に帰れたら、最初に何がしたい?」

 「そうだなあ、音楽が聞きてえな。スマホでネットもしたいし、ゲームもしたい。ミッコは?」

 「友達に会いたい。お風呂に入りたい。テレビも見たいしあといろいろ」

 言っているうちに、目がうるんできちゃった。隆浩も黙ってる。男だから言わないだろうけど、きっとおんなじなんだ。

 「俺たち、現代に帰れるのかなあ」

 私は、鼻をしゃくりあげた、もう何もものを言うことはできそうにもなかった。

 隆浩の手を握った自分の手に、黙って力を入れた。

 私たち二人は、しばらくそうしていた。

 自分のすぐ隣からも、同じような鼻をすする音が聞こえた。私の手を握る力が、強くなっていた。

 うるんだ目で、もう一度町を見てから。右の方の手前の一角にだけ、煌々と明かりがともっている屋敷があるのに、このとき私ははじめて気がついた。

 そして、川の向こうにも、ぼんやりと明かりがともっている屋敷が見える。

 いつの間にか私たちのうしろに、右馬佐が来て立っていた。

 「あの手前なるはシンウィンの御所の白河殿。川の向かふが、うふぇ内裏うちの高松殿にてふぁべり」

 右馬佐は、そう説明してくれる。

 本当なら真っ暗なはずの夜の都の底に、今は二つだけ明かりがともっている所がある。それが、これから戦争をはじめようとしている、二つの存在の明かりなのだ。

 なんだか私またやりきれなくなって、その場に泣いてしゃがみこんでしまった。

 

 「今夜はここにて、大殿籠おふぉとのごもらせよ」

 右馬佐は言った。

 「え? ここで?」

 ここで休めってことは野宿……だよね。夏だから寒くはないけど……。

 「まろは眠らずて、賊やじうなどより護りせんほどに」

 右馬佐の言葉に続いて、隆浩も叫んだ。

 「俺も! 俺も寝ないで見張ってるから!」

 でも、その目は半分寝てるくせに。

 私は右馬佐に言った。

 「でも……われ、そこもとのことを聞かまフォしく覚ゆるに、今まだしばしファ。こたび助けくれたること、さらにはかのくちなふぁのことなども」

 右馬佐は少しだけ、さわやかに笑った。

 「そファ明日にでも。仔細あることなれば」

 何よ、もったいぶって、とも思ったけど、やっぱ私も眠たくなっていた。

 言うとおりにして木に寄りかかっていると、いつの間にか眠ってしまっていた。

 

 どれくらい眠ったのかなあ。隆浩に叩き起こされた。空は少しは明るくなってきてはいるけれど、すっかり夜が明けたわけではないようで、まだ十分に暗い。

 「ミッコ、たいへんだ! あれ、見てみろ!」

 寝たい目をこすって隆浩が指さす方角を見ると、――火事! 

 しかも、川の手前の右側の、明かりがともっていたお屋敷。それだけでなくって人々の騒ぎ声、武士が名乗りを上げる声、馬の蹄の音なんかが微かに聞こえる。

 「戦争が始まった!」

 私は思わず叫んでいた。もう寝気もふっとんでいた。お屋敷は炎をあげて燃えている。その照明で、武士たちが戦っている様子もよく見える。

 「夜討ちなり。内裏うちつふぁものの、白河殿へ夜討ちをかけたるならん」

 右馬佐も背後に立っていた。まだ夜明け前のこんな時間に戦争がはじまるなんて思ってもみなかったし。隆浩なんかただ口をあけてポカンとしてる。

 「ちょっと! たいへん! 隆浩、行こう!」

 「行って何すんだよ!」

 「私のせいではじまった戦争なんだから、黙って見ているわけにはいかないでしょう!」

 「おめえなんか行ったって、なんになるってんだよ! 死ぬぞ!」

 それでも私、山を駆け下りて町の方に駆けて行こうとした。でも長袴なのだから、走れるはずなんかない。もたもたしている私の着物の袖を、右馬佐が慌ててつかんだ。

 「待ちなさい! 行っちゃだめだ!」

 「だって……はなして!」

 「隆浩君の言うとおり、君が行ったからってどうにもなることじゃあない。これは歴史なんだから」

 それでも私、なんとか右馬佐の手を振り払おうとした。その時……

 「え! ええっ!」

 私は大声をあげてた。

 「あ、あなた、なんで……?」

 右馬佐は驚く私と隆浩の顔を見て、ゆっくりとうなずいた。

 「小島美千子さん、それから佐々木隆浩君。君たちに大事な話があるんだ。朝になってからと思っていたけど、君たちは目を覚ましてしまったことだし、それにもうすぐ夜も明ける。今言っておかないと、これから戦争が大きくなったら君たちは何をしでかすかわからない。生命も危なくなる。早く本当のことを知っておいた方がいい」

 もう私も隆浩も、言葉も出ないという感じだった。やっと私が先に、口を開いた。

 「あなたももしかして、タイムスリップして……?」

 「いや、そうじゃあない」

 「そうじゃないって……」

 「まあ、座って」

 右馬佐は妙に落ち着いている。そのまま私たちを、草の上に座らせた。その頃にはもう、少しずつ夜の闇の中に、明るさがもたらされていた。

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