3
もうすっかり明るくなった。
ほのかに朝の光が森を包み、小鳥の声が響きわたる。
人間たちが戦争をしていようとも、生物界はおかまいなし。自然はきちんとさわやかな朝をもたらしてくれる。
「あなたも、私たちと同じ時代の人?」
私の問いかけに、右馬佐は静かに首を横に振った。
「いや、違う」
「違うって……。じゃあ、なんで現代の言葉なんか」
「私は君たちの二十一世紀よりも約千年後の三十世紀、つまり君たちの時代から見ても未来ってことになる時代から来たんだ」
「千年後……?」
私たちが驚いていると右馬佐は、
「時際救助隊隊員証」
と、それには書かれてあった。そしてその漢字の下には、見たこともない文字。なんだか韓国のハングルみたいな気もするけど、でもちょっと違う。
「この文字は
「あひるって、あの鳥の?」
隆浩が口をはさむと、右馬佐は少し笑った。
「そのあひるじゃない。それとはぜんぜん関係ないんだ。神代文字っていうのは超太古の日本で使われていた文字で、私の時代にはそれが復活しているんだよ。君たちの時代の人は、知らないだろうけどね。われわれの時代では、人類の本当の歴史が分かっているから」
「え? じゃあ、俺たちが今学校で習っている歴史は、本当の歴史じゃあなんですか?」
「いや、全部が全部嘘だってわけじゃあないんだけど、君たちが習っている歴史っていうのは、本当の歴史からいえば近代史ってとこかな。いや、現代史かもしれない」
「繩文時代とか弥生時代の所からですか?」
「ああ、そんなの本当の人類の歴史から見たら現代だよ。実際はその前が長いんだ」
「だって」
そこで私が、口をはさんだ。日本史や世界史は専門外だけど、その前ってことになったら、生物学の領域だものね。
「その前って、文明の歴史なんてないんじゃないの? 生物の進化の過程だけでしょ、あるのは」
右馬佐はまた含み笑いをした。
「そういうことになると、嘘の歴史といわなければならないね。それがいわゆる歴史迷信ってことだよ。いいかい、君たちの時代には進化論というものがあったということは知っているけど、我われの時代ではそんなのとうに昔話だ。実は君たちの時代においても進化論というのは、一仮説にすぎないんだけどね。それを金科玉条のようにして学校で教えているのは、君たちのいる日本だけだ。地球創生以来、地球上に人類がいなかった時代はなかった。人間は決してアメーバやサルが進化したものではない。そのことが時代がたつにつれて、だんだんと解明されていくよ」
「そんな、ばかな!」
生物学をかじる私としては、納得がいかない。もっとつっこんで議論がしたい。でもこの人が未来から来たっていうのが本当なら、もしかしたら勝目はないかも……。
ソ・レ・ヨ・リ・モ!
まさかこの差し迫った状況で、人類史の話なんかするためにこの人は私たちを呼びとめたの?
私たちがこんな話をしている間も、山の下の町では戦争が続いてるはず。
そう思った私は、右馬佐をじっと見て言った。
「あのう、今はそれよりも、大事な話があるってことだったはずですけど」
「そうそう、話って?」
隆浩も相槌を打つ。さらに私は言った。
「その前に、だいいち、あなたは何? よくSF小説とかに出てくる。タイムパトロールとかいうやつ? 時間密航者をつかまえたりする……。でも私たち、ここに来たのは偶然のアクシデントですからね」
「大丈夫。私はそんなんじゃあないから」
右馬佐は笑いながらそう言って、私たちにまたあのカードを見せた。
「救助隊ってなっているだろ。だからパトロールというよりもレスキューだ。アクシデントでタイムスリップした人を、救助するのが任務だよ」
「えっ?」
声を発したのは、私も隆浩も同時だった。私たちはすぐに、顔を見合わせた。そして明るい顔で右馬左を見た。
「じゃあ、私たちを、元いた時代に戻してくれるの?」
「ああ。それが仕事だからね」
「やったーっ!」
思わず、隆浩と手をとりあっていた私。
「で、どうやって? タイムマシンかなんかで?」
「そんなのは君たちの時代の人の、空想の産物だよ。物質の機械なんかで、時間をくぐれるはずがない」
「じゃあ、どうやって」
「今から、
「コトタマ?」
「ま、呪文というか詠唱のようなものだね」
「えー、ちょっとォ!」
なんか、ウソ臭いなあ。
「詠唱なんかで時間旅行があ? アニメじゃあるまいし。あなた、本当に未来の人? なんか言ってることが逆に古くさいっていうか、厨二入ってるっていうか」
「それな。言霊って、古代人が信じていた信仰の一形態だろ」
「そうよ。機械の方がよっぽど科学的で、合理的でしょ」
右馬佐は、また笑った。
「我われの時代は。君たちの時代のような物質文明じゃないんだ。だから君たちには、理解してはもらえないかもしれないけどね」
「あのう、ひとつ聞いてもいいですか」
隆浩が、口をはさむ。
「俺たち、ここで歴史を変えちゃったんすけど、二十一世紀に戻ってから世の中はどうなってるんですか。全く違う時代になってるなんてこと、ないですか。これからこの国は、俺たちの知っている歴史とは違う歩みをするんでしょ」
「それは心配ない」
やけに自信たっぷりに言ってから、右馬佐は私を見た。
「小島さん。君はさっき、ここに来たのは偶然のアクシデントだって言ったよね」
「はい」
「実は、それは違うんだ。すべては必然ってこと。世の中の一切は必然であって、偶然なんてものは存在しない。歴史に『もしも』はあり得ないっていうのは、そういうことなんだ。だから、君たちは来るべくしてこの時代に来た。すべてが必然であって、偶然なんてものが入りこむ余地は寸分もなかったってことだね」
もう私は、そして隆浩も、ただ黙って右馬左の顔を見ながら話を聞いているしかなかった。
「むしろ君たちがここに来なかったら、逆に歴史は変わってしまっただろう。もっとも『来なかったら』なんていう仮定も、本来あり得ないんだけど」
「じゃあ、あなたに助けられるのも?」
「そう。タイムスリップというのは宇宙意志、あるいはある絶対的なものの仕組みによって起こる。でもその必然を果たし終えたら、必ずそこで死ぬ。なぜならこの時代には、君たちの過去世の魂が存在しているからね。同時代に二つの同じ魂は、存在し得ない。だから死ぬ。しかもただ肉体が死ぬだけじゃなくって、魂すら抹消されて宇宙の原質に還されてしまう。現に君たちは昨日、殺されかけただろう」
「でも殺されずにすんだのは、偶然あなたが助けてくれたからじゃあないんですかあ?」
「いや、世の中一切必然あって偶然なし。君たちの魂はまだ、令和の時代で必要とされているんだよ。私もある仲間の指令を受けてね、君たちがここへ来てからずっと見張ってたんだ。私のことを印象づけようとして、あの蛇のびっくり袋や歌を送ったりもしたんだよ」
「あ、それで……」
少しだけ納得がいった感じ。いたずらじゃなかったんだ。一瞬うつむいたあと、すぐに私は顔をあげた。
「私も聞いて、いいですか」
「どうぞ」
「これから……て、いうか、私たちの時代のあとは、どんな時代になっていくんですかあ」
「それは、ちょっと……。実は、過去の人に未来を教えることは、許されていないんだ」
「あ、じゃあ、質問を変えます。なんで、あなたたちは、自由に時間を移動できるんですかあ。呪文で、なんてダメ。もっと科学的、合理的に説明して下さい」
右馬佐は少し考えてから、目をあげた。
「これくらいは、言ってもいいかな。君たちの時代の科学は、まだまだ三次元界の物質科学から脱け出ていない。でもそんなものはわれわれに言わせれば、
話がこうなってくると、文系の隆浩の方はお手あげのようで私を見てる。
「はい」
私は力強く返事をした。
「分子、原子、原子核、そして中間子や陽子、中性子、電子などの素粒子。これらは君たちも知っているね」
「はい」
またもや返事をしたのは、私だけだった。
「二十一世紀になると、もっと細かい幽子科学時代に、人類は突入するよ。さっき言ったエクトプラズマの四次元科学だ。でもね、我われの時代、つまり三十世紀ではもっともっと細かい、
私はただ、口をあけて聞いていた。
昔の人の話も分からなくて苦労したけど、未来の人の話も、やっぱり同じように分からない。理系の私が分からないんだから、隆浩なんかもうわかろうとさえ思っていない様子。
それを見て右馬佐は、声をあげて笑った。
「話が難しかったかな」
「あのう」
また隆浩が、口をはさむ。
「時間旅行の話は、どうなったんですか」
隆浩がぶっきらぼうに言っても、右馬佐は微笑んでいた。
「その極微実相玄幻子界ともなると、もはや七次元の世界なんだ。そして宇宙のはじまりは、その七次元界で始まったんだよ。その時はじめて出現したのが時間、空間、火、水という宇宙の四大源力でね。そのあと次々に七次元、六次元と出現していったんだ。そして最後にそれらが物質化されたのが三次元界なんだよ。だから物質としての時間や空間や火や水があるのは、この三次元界だけ。四次元界はエクトプラズマの世界だから、物質としての時間や空間は存在しない。われわれの科学はとうに五次元以上に達しているから、四次元界の解明はとっくの昔に終わっている。だから自由に自らを幽体化、エクトプラズマ化させることもできる。エクトプラズマの世界は、物質としての時間はない世界なんだから、三次元の時間移動なんて簡単にできてしまうってことだ。ただし、自分の意志でではできないよ。勝手に時間移動したら、魂の抹消が待っているからね。私のように許されたタイムレスキューだけが、必然としてタイムスリップした人を、必然として救助するために許されているだけだ」
「分かんない!」
思わず私、また叫んでしまった。
もう、頭の中がパニック! 何が何だか分からない!
でも、右馬佐ったらまた笑ってる。
「君たちの時代の人に、これ以上言っても分からなくて当然だね。少なくとも二十一世紀になって、すべての人類が利他愛で生きる想念になってからじゃないとね」
「そんなあ」
茶化したような、隆浩の声。
「人類が全部、その、なんだっけ、リタアイ?」
「他人の幸福だけを、念じて生きる想念」
「そんなの無理っすよ。今の世の中は犯罪や殺し合い、戦争、憎しみ、利己主義、そんなのでいっぱいじゃないですか。それが俺たちの二十一世紀ですよ」
右馬佐はまた何かを考えてから、私たちを見た。
「これもたぶん、言ってもかまわないだろう。実は君たちの時代の人類全部が、利他愛の、そしてエクトプラズマ幽子科学時代に突入する時代を迎えられるってわけじゃないんだ」
「え?」
私は叫んでしまったから、隆浩を見た。隆浩もマジな表情で、黙って右馬佐の顔を見ていた。
「なんで、なんで!」
「地球が大掃除されるってことだよ」
「それって、地球の浄化?」
「のみこみが、早いね」
右馬佐はしゃべり続ける。
「だから二十一世紀は二十一聖紀となる。『せい』は、君たちの時代でいえば聖地巡礼とかいうあの『聖』」
「でも、なんでそんな字を?」
「二十一聖紀はそれまでの物主文明じゃなくって、霊主文明の時代になるからさ。二十一聖紀から、地球はいよいよ宇宙始まって以来の大進化を遂げて、地球全体が一気に五次元界に次元上昇、アセンションする。人の体も、半霊半物質になる。これが大宇宙の宇宙創世以来の大シナリオ、大プログラムなんだ」
普通に学校に行っている時にこんな話聞いたら、宗教の勧誘かって鼻にもかけなかっただろうけど、今こうしてSFの中だけのことと思っていたタイムスリップがリアルに起こっているわけだし、それを思ったら右馬佐の言うこともありかなと思う。
でもまだ、頭の中の整理がついていない。
「それで君たちには新真二十一聖紀の、霊主文明を建設していく使命がある。二十一聖紀の
「え? それは俺たちがその精進とかいうのをやるかやらないかにかかっているんですかあ? やるかやらないかに関係なく、一切が必然だってさっき言ったじゃないですか」
「必然なのは天命と宿命でねえ、運命っていうのは自分で切り開いていくものなんだよ。それも選ぶことによってね。でも天命と宿命の範囲は越えられないから、だから一切が必然なのであって、君たちもその宿命によってこの時代に来て、そして霊主文明建設の種人として
「え? 私たち、何かしたっけ?」
隆浩と顔を合わせて見る。隆浩も首をかしげていた。
「苦しみ悩むことで、過去世の罪穢も少しだけ消えた。それよりも何より君たちは、ほんとうの愛を学んだじゃないか。その心を広く人類愛にまで広げていくのが、これからの精進だ。それをするかしないかどちらを選ぶかによって、運命は変わってしまうぞ」
「俺たち、愛なんて学んだっけ?」
今度は隆浩が私を見て、ぽつんと言う。
「さあ」
私は首をかしげただけだった。あたりはもう、すっかり朝になっていた。
町の方では明るくなるにつれてますます激しく、戦争の声や音が響いている。山の上から都を見て、右手の山の麓当たり、あの八角形の巨大な九重塔のある辺りがいちばん声が激しい。
「浄化のための苦しみを乗り越えて、やがて輝かしい聖紀の朝が来よう」――なんかのアニメでそんな台詞があったような気がするけど、それを思い出した私は右馬佐の言うこと、何だかすべて素直に受け入れられる気がしてきた。
「さあ、そろそろ君たちが君たちの時代に帰る時が来たよ」
右馬佐が言う。
「あのう……」
まだ何か、隆浩は言おうとしてる。
「ここへ来てから四十日たってるんですけど、やっぱあのショーから四十日たったあとに戻るんですか」
「どうして? ショーから四十日後っていうのは、君たちにとっては未来じゃないか。どうして未来に戻さなきゃならないのかな? ちゃんと君たちにとっての、現在に戻してあげるよ。しかもあの時の格好のままでね」
「ほんとうに呪文なんかで、帰れるんですね」
しつこいと思われるかもしれないけど、私はもう一度念をおした。
「ああ。この宇宙ができた時も、宇宙意志がその思念を凝集することによってできたんだ。決して機械で造ったわけじゃない。その思念には想念っていうのものすごいパワー、つまりエネルギーがこめられているんだよ。思念が凝集すると大波調の響きともなって、必ず物質化する。そしてそれがさらに強く発せられるのが言葉、すなわち言霊なんだ」
ここまで言われたら、だまされたと思って任せるしかない。
「では、始めるよ」
右馬佐が言う。
「あ、待って」
私は立ち上がった。そして、もう一度町の方を見た。戦争が規模が大きくなっていて、川の河川敷を中心に戦いは繰り広げられているみたい。川の右手の上流の方で、川のこっちと向こうでたくさんの数の兵隊さんがひしめき合っているのが見える。たぶん弓とかでお互いに激しく矢を飛ばし合っているのだろう。弓矢だとここからは見えないし、鉄砲のように音は聞こえないけど。
もしかしたら大納言様も、どこかで戦っているのかなと思う。大夫の君はあれからどうなったのだろう?
ほんの一角で戦争してるけど、大部分の平安京はいつも通り静かに、遠くの山の麓まで広がっている。
それを見ていてなんだか胸の中に、熱いものがこみ上げてきた。
ここへ来てからの四十日間、大納言様たちたちのお蔭で飢え死にもせずに生きてこられた。
感謝の思いがじわっとわいて、涙がにじんでくる。
最初に見つけてくれたあのお寺のお婆さんの尼さんにも、大夫の君にも……。
大納言様はきっと、私のことを心配するだろうなあ。ごめんなさい、大納言様。もう朝になっちゃったけど、かぐや姫は月に帰ります。そして、ありがとう。私、忘れない。
思い切りをつけて私は、くるりと右馬佐の方を向いた。
「お願いします!」
私は隆浩と、並んで座った。その私たち二人に、右馬佐は手をかざした。そして呪文を唱えはじめた。
「【五官を断つ、五官を断つ、五官を断つ。肉界を去る、肉界を去る、肉界を去る。極微実相の世界に入る……】」
あとはなんだかわけのわからない、それこそ呪文。なんか「ヒー、フー、ミー、ヨー、イー、ムー、ナー」なんて、数えてたりもしてるみたい。そのうちだんだんと、私の意識は遠のいていった。
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