第33話 F.Y.D.
小寿とは翌日仕事帰りに新宿で会うことになった。
ちょうどよく残業もなくあがれたので、少し早い時間から待ち合わせをし、三丁目辺りの喫茶店に入ってコーヒーを注文する。
彼女はノンアルコールのフルーツソーダカクテルを頼んだ。
可愛らしいチョイスだけれど、冬に飲むには寒くはないのだろうか。
「改めまして、夢の請負人、山入端小寿です。よろしく。えっと。」
「音葉よ。よろしくね。小寿ちゃん。」
明るいところで改めて見るとやはりこの子はとても可愛い。
大きくて丸い、でもちょっと我の強そうな目、ふわふわのパーマのかかった髪。
これは同年代からもモテてそう。
ただちょっと不思議な近寄りがたい雰囲気を纏わせている。
それがまたミステリアスで良い。
とても好みの女の子だ。
「それで音葉さん、やっぱり夢の世界に踏み込んだことがあったんですね。」
「小寿ちゃんの言うような世界かは判然としないけれど、異世界には行ったよ。信じてもらえるとは思えないし、頭のおかしい女だと思われるだろうから誰にも言ってないけれど。」
「信じる。私は何度もそういう世界に行っている。種々様々な不可思議な世界。恐らく音葉さんが行ったのもそういう世界の一つ。」
小寿は深く頷きながら私が行った世界が夢の世界であると請け合った。
「その言い方から察するに、異世界はいくつもあるということ?」
「あります。時々そういう世界が生まれてはその世界に入ってしまう人がいる。」
「それではまるであの世界が悪いように聞こえるけれど、何か問題があるの?いや、私も帰って来れなかったら大変だったとは思うよ。でもあの世界は何ていうか悪でも正義でもなくフラットなところだった。この世界と同じで悪いやつもいればいい人も沢山いた。」
「いえ、そういうことじゃないです、その世界が正義に寄ってるとか、悪に寄っているとかの問題ではなくて、夢の世界そのものが危険。」
「命の危険ってこと?確かにあの世界でも何度も危ない目には遭ったよ。でもその世界の仲間が助けてくれたから無事ですんだの。」
「ふむ、そういう意味でもないのですが。」
「あと夢の世界って言う風に小寿ちゃんは言うけれど、あれは紛れもなく現実だったわ。こうやって写真も撮ってこれた。」
私は珠名やジーン、みんなの写っている写真を彼女に見せる。
彼女は考え込んでいるように暫く黙ってから口を開いた。
「確かに、写真に残ってますね。それはちょっとイレギュラーパターンかもしれない。」
ちょっと心配になってくる。
もしかしたら私が見てきた世界のことは何も知らず、この子は本当にただの不思議ちゃんで、自分の中で設定した世界の話を色んな人に話しているだけなのかもしれない。
けれど、だとしたら私が本当の異世界の写真を見せたら驚きそうなものだけれど。
やはり異世界について本当に何か知っているから動じないのだろうか。
それともただ単に不思議ちゃんだから驚かないだけなのか、私は疑心暗鬼になっている。その気配を読んだのか、小寿は口を開く。
「わかりました、ちょっと踏み込んで説明します。F.Y.D.という略称を聞いたことは?」
「ないよ。初耳。どういう意味なの?」
「少し以前に破棄されたFeel Your Dreamという名のプロジェクト。何人かの実業家が協力して行ったその名の通り夢のようなプロジェクトです。技術的な面の詳しいことは私にもわからないけれど、それは特定個人の夢をまるで現実世界みたいに歩き回れるようになるものです。バーチャルリアリティーのもっと高次元なもの、まるで魔法のような技術が何処からか齎されて、それを軸に組まれた計画でした。人々は夢の世界を現実で歩き回るように実際に見て触れることができます、転べば怪我をするし、ものを食べれば実際に腹が満たされ、栄養分を体が吸収する。本当の意味で現実になった夢。」
「えらく荒唐無稽な話になったわね。それこそ異世界の話じゃなくて?本当にこの世界の現実の話?」
小寿はフルーツソーダを一口飲むと言った。
「私が今、美味しくて可愛いソーダを飲んでいるこの現実の話。Feel Your Dreamでできることは、夢を現実化させ、その夢を異世界として存在させること、そしてその夢の世界に入り込めるようにすること。その夢世界というのは夢の主がその世界にいれば、他の人間もその世界に入場することができる。人も招待できるプライベートなサーバーのようなものだと思って良いかも知れない。」
「俄には信じられないわ。それにその話が本当だとして、更に私の行った世界が私の夢を現実化した世界だとして、どうして私なの?F.Y.D.というプロジェクトと関係があった覚えなんてないよ。」
知らない間にそういうプロジェクトに巻き込まれたのだろうか。
いや、それにしても心当たりが全くない。
「F.Y.D.は破棄されたプロジェクト。結局実用に耐えなかったというか、余りにも危険だったから。だから本来ならばF.Y.D.で夢世界に入った人は、テストに参加した人以外にはいない。なのですが、そうではないのです。F.Y.D.のシステムは放棄されてから以降は暴走状態にあり、この東京都内のある程度広い地域内に住む人全員に今現在も影響を及ぼしています。そして稀にですがF.Y.D.とある種の共鳴状態に陥った人は夢世界を作り、その世界に入り込んでしまうのです。そうなると幸運以外に戻る方法はありません。」
「私はそのシステムと共鳴して夢の世界に入った、そしてラッキーにもこの世界に戻って来れた?」
「そうです。多くの人は戻って来れない。ログアウトの方法が確立されていないから。そして夢世界の最も危険な点は、夢世界は時間とともに主人の精神を蝕んでゆき、その影響で世界そのものも崩壊させてしまい、最終的には夢世界にいる人間、その夢の主人である本人ですら、その肉体とともに完全に消滅させられてしまうということです。だから今では私達はこのシステムをFeeling Yourself Disintegrateと呼んでる。」
信じ難い話が湧き出るように次々と出てくる。
正直私は混乱していた。
担がれているんじゃないか。
この子の遊びに付き合わされているのではないか。
でも私が異世界に行ったことを人に話す場合もまた、他人にはそう映るだろう。
私はなるべく信じる方向で話を聞きたいと思っている。
それがあの世界について知れる今現在唯一の方法ならば尚更。
「わかった、信じる。」
私がそう言うと小寿はホッとしたように表情を和らげる。
やはり自分の話を信じてもらえるか不安だったのだろう。
「よかった。それで私の役目、夢の請負人っていうのは、そういう夢世界に入り込んでしまった人を解放すること。音葉さんの場合は自力で戻ってこれているから少しいつもと違うパターンですけれど。ただ私にできることはそれだけで、共鳴の条件とか理由とかがわからないから、夢世界の発生を未然に防いだりとかはできない。くやしい。」
「私は小寿ちゃんと力を借りれないということ?」
「いえ、必ずしもそうではないです。むしろ音葉さんの夢世界はまだ存在している。私がするのは、夢世界の破壊。夢世界の根幹である悪夢を解消して完全に夢世界を壊すこと。そうするともうその世界に取り込まれる心配はなくなる。夢世界は放っておくとまた主を取り込んでしまうことがあるから。」
それは困った。
私はあの世界にもう一度行きたいし、可能ならば自分の意思で往復する手段を見つけ出したかった。
しかし彼女が語る事実は――彼女の言っていることが全て本当だとして――、私にとって都合の悪い情報ばかりだった。
あの世界にいる限り私は精神を崩壊させる、あの世界は消失する、そして私も消滅する、そうならない為にはあの世界を破壊する必要がある。
その全てが私にとっては選びたくない結末だった。
私はそれを彼女に正直に伝えることにした。
「私が小寿ちゃんに相談したかったのは。」
「はい。」
「あの世界にもう一度行きたいということ、好きなときに行き来できるようになることだったの。」
「……音葉さんにとってあそこは甘い夢だったのですね。あなたを傷付ける夢でなくてよかった。」
「ねえ、あの世界も救って、私も無事でいる方法はないの?」
「申し訳ないです、私は行く方法はわかるけれど、帰る方法は知らない。そして壊す以外に夢の主を救う方法を知らない。」
手が震える、目の前がくらくらする。
ジーンや珠名、ルスリプの皆が消えてしまう?
選択肢はたった2つ。
夢世界を破壊して皆が消えて、私は助かる。
それか夢世界が自然と終わるまで夢世界を壊さず、いずれ私も一緒に消滅する。
きっとあの世界のことを考えたなら後者の方がいい。
けれど、私は怖い、死ぬのも、狂うのも。
私はこんなにも自分の命が大事だったのか、何もないような人生を送っているだけなのに。
後者を決断できない自分が恥ずかしくて情けないように思う。
私の苦痛の表情を見て小寿は言う。
「私は音葉さんを救いたいです。それが音葉さんの希望通りの結末じゃないとしても、あなたを消滅させたくない。私達の現実は夢から覚めても続くこの人生。ここでの生活です。」
「違うの私はどちらも怖くて、それが情けなくて。」
「自分の死を恐れない人なんて何かが欠けている。音葉さんは正しい反応をしている。私は夢世界の破壊を推奨する。」
「……嫌だ。私も死なない、あの世界も救う、そんな方法を模索できるならそれを選択したい。ねえあの世界にもう一度行ってその方法を探したい。協力してくれる?」
「……本当なら承服しかねます。でも、そうですね。危険のない範囲ならば、お手伝いしても良い。タイムリミットは音葉さんが納得がいくまで、もしくは音葉さんの精神状態が蝕まれないところまで。もし危険と感じたら私は夢世界を終わらせる。それで良ければ協力する。」
夢世界を破壊されるのは困るが、確実にあの世界に行くには彼女の協力なくしては難しい。
ここは条件を飲むべきだろう。
それにもし救う方法が見つからずとも、世界を壊さないよう彼女自身の説得もできるかもしれない。
もちろんあの世界を救う方法は探すが、なるべく時間の猶予が欲しい。
例え私の精神状態がおかしくなったとしても。
「その条件を飲むよ。お願い協力して。」
小寿は可愛らしく首をかしげ微笑みながら答えた。
「はい。任されました。」
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