第32話 夢の請負人
「え、夢の中?」
不思議ちゃんかしら。
私に用があったのではなく、たまたまそこにいたから声を欠けられただけだろう。
ポエム読みか何かだろうか。
「そう、夢。まるで現実みたいな夢の中を歩いたこと。」
そう言われてハッとする。
あの異世界のことを言っているのだろうか。
でもあれは紛れもなく現実だった。
だって夢の中で買ったものを現実に持ってこれるだろうか。
でももしあれのことを言っているのであったら、それは仲間を見つけたような気になれただろう。
しかし、私は彼女を警戒した。
あの不思議な体験のことを指摘されたのだとしたら、明らかに最初から私を対象に話しかけてきた。
そしてその意図がわからない以上、心を許すのは何か、漠然と不安がある。
「さあ、わからないわ。夢はよく見る方だと思うけれど。」
「……そう。じゃあ、これ。」
少女は何か紙のようなものを手にこちらに差し出した。
それは可愛らしいバクのマークが印刷された名刺だった。
「やまいりはし?」
「やまのはこじゅ。」
「山入端小寿ちゃんか、珍しい名前だね。沖縄の人?」
「そう。去年から東京の学校に通ってる。小寿の寿は樹の方が可愛いと思うからちょっとコンプレックス。」
「この夢の請負人って言うのは?」
「私の肩書、自分で考えた。夢のことでもし困ったら連絡して。それじゃあ。」
そう言うと少女はあっさりと帰って行った。
ホッと胸を撫で下ろすが、彼女の言っていたことが引っかかっている。
現実みたいな夢。
その現実みたいなの意味部分が何処までの意味を持っているのかは不明だが、もしあの世界のことを指しているならば、彼女は私に起きたことについて何か知っているに違いない。
いずれもし必要になったら彼女の戸を叩くのはありかも知れない。
ところで夢の世界と言えば確かにエルヴェのことを思い出す。
あの能力は夢の中でを夢であることに気付くとそれを操作できるようになる、といったあの独特の感覚がコントロールの鍵だった。
あの世界が夢ならばその感覚も合点がいくような気もする。
だけれど、同時に私はあの世界が夢だなんて信じられない。
彼らとの絆を夢と断じられるのは、我々の関係を軽んじられているように感じて何か嫌な気持ちになる。
それに写真に残る夢だなんてあってたまるものか。
しかし少し心配になってスマートフォンの写真フォルダを確認する。
大丈夫、そこには昨日のあの宴の様子が写されていた。
ジーンの幼いながらも美しい顔、珠名の白くて長いきれいな髪と小さくて可愛らしい顔、その2人の笑顔がしっかりと写っている。
良かった、やはり夢ではない。
* * *
家に帰ってメールを確認していると、信輝からのファッションショーの概要と彼のデザイン画が添付されていた。
信輝のデサインは奇抜なものではなかったが、シルエットの緩急がデフォルメされているようにハッキリとしていて特徴的だった。
テーマは牧歌的なインダストリアル。
硬質な素材感と細かい装飾に比して柔らかくドメスティックなラインの対比が面白い。
「なんか思った以上にちゃんとやってるんだな彼も、あんなにおちゃらけているのに。私は詳しくないから彼が才能があるのかそうでないのかわからないけれど。ちょっと着てみたいと思わせる魅力があるね。ショーが終わったらサンプルとかくれないかな。サイズが合わないか……。」
ところで私が担当するのは信輝のショーではなく、ショー全体通しての音楽らしい。
信輝の音楽の枠は真緒が担当するとして、他の人のショーの音楽を決めるということで、何やら責任が重い。
彼らは音楽にあまり詳しくないらしく、ショーに使う音楽に悩んでいたところ、信輝が私を推薦したようだった。
嬉しいけれど不安でいっぱいになっている。
全員が真剣に物を作って、それを発表する場だ、私で台無しにするわけには行かないし、気は抜けない。
私は彼らのテーマやデザイン画、いくつか完成している作品の写真を見ながらイメージを膨らませていく。
それは楽しい作業で、あっという間に時間が過ぎていった。
私がこれまで聴いてきたいろいろな音楽が彼らの作品によって別のストーリーを描くようで、それがたまらなく嬉しかったし、逆に音楽によって彼らの作品が世界観を構築して行くような楽しみもあった。
信輝は面白いことに私を巻き込んでくれたのだな、と思って一人で感謝をする。
こうなってくると真緒の曲もどんなものが出来上がってくるのかとても楽しみだ。
予めどんな曲なのか共有してもらって、前の曲からのつなぎを不自然にならないよう調整するのも良さそうだ。
「あ、もうこんな時間。お薬飲んで寝なきゃ……。」
横になりながらふとエルヴェのことを考える。
「もしかして、ここでも使えたりしないかな。」
そう呟いてイメージに集中する。
右手にあの銃が現れる感覚を思い出しながら。
しかし当然といえばそうなのだけれど、エルヴェは現れなかった。
やはりあの能力はあの世界でのみ使えるものであるらしい。
「そりゃそうだよね。あーあ、こっちで使えたら色々便利だったのにな。」
目を閉じるけれども落ち着かない。
珠名の家にあったルームフレグランスの香りが懐かしい。
私はお気に入りのストーンポプリの蓋を開ける。
あの家の香りの代わりにはならないけれど、ないよりもずっと安心する。
* * *
日常と習慣というのは一度取り戻すとまるで車輪のようにどんどん回ってしまう。
そうしてあっという間に2週間が過ぎた。
その間に起こったことは何もない。
ショーの準備があるとは言え、それ以外は本当にいつもどおりの日常。
そんな日常の平坦さとは裏腹にルスリプの思い出は日に日に大きさを増しており、またあの世界へ行きたいという気持ちが募っていく。
物語は終わっても人生は続く。
それが例え突然の打ち切りのような最後であっても、人生は滞りなく滑り、こうやって日々変わらない日常を続ける。
私はあの続きを見たい。
常識じゃ考えられない動物や、不思議な現象、神秘的な出来事、そう言う非日常と自分自身のコントラストが、一層自分自身の喜びや悲しみなどの感動を浮き彫りにし、生きている実感を与えてくれた。
夜、ベッドの中で私はあの謎の女子高校生、山入端小寿のくれた名刺を右手で弄んでいた。
連絡を取っても良いかもしれない。
あの世界の思い出が自分の中で膨らむに連れて、彼女への興味も増していく。
もし彼女があの世界への行き方を知っているとしたら、そう考えるとますます気になってしまう。
「悪そうな子には見えなかったし、ダメもとで電話してみようかな。」
実際、この2週間で彼女への印象は、胡散臭さよりも興味の方が上回っていた。
引っかかる事と言えば恐らくはあの世界のことを夢だと言う彼女の言い方だけだった。
しかしこれは話を避ける理由にはならず、むしろ詳しく聞くべき事柄だと言うのはわかっている。
もしあの思い出が全て夢だったら、と言う恐怖が彼女への連絡を遅らせている原因だ。
「でも、だからこそちゃんと真実を知りたい。珠名やジーンの存在を肯定する為に。」
私は意を決して小寿の番号を押す。
発信音が聞こえる。
「あ、ちょっと夜遅かったけれど大丈夫だったかな。もう寝てるかも。」
その心配は杞憂だった。
短いコールの後、小寿は電話に出た。
「はいもしもし、山入端です。」
「あの、この前の名刺を貰ったOLの。」
「ああ、今晩は。全然連絡がないので心配していました。」
「夢の世界を歩いたことはないかって言ってたよね。夢の世界かはわからないけれど、ここではない何処か知らない世界を歩いたことがあって連絡をしたの。」
「そう。多分それは私の言う夢の世界。もし良ければ話を聞かせて欲しい。」
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