第二十九話


 砂浜への道を、隠れながら進むとフェンスが見えてきた。

 さっきのフェンスの近くには制服を来た人が大勢いて、とてもじゃないけど忍び込むなんてできそうもなかった。

「やっぱりここからは無理だって」

 今度はさすがに何も言い返せなかった。

「また見つかると困るから、とりあえず戻ろう」

 仕方なく来た道を戻って夢ノ見山に向かう。でも、このままじゃダメだ。これを残していったら過去が変わってしまう。そしたら未来も変わっちゃうかもしれない。絶対に空木に渡さないと、じゃないとちゃんと終われない。

「それはどうしても届けないとだめなの?」

 栗城さんが遠慮がちに聞いてきた。

「未来の物を残していくと過去が変わるかもしれないって」

「じゃあ壊しちゃったら? 誰にも見られなきゃ問題ないんじゃないの?」

 どうなんだろう。それは私には分からない。

「そうかもしれないけど、できれば届けたい」


 街を見渡せるベンチに座ると考えた。どうすれば空木にこれを届けられるだろう。何も思いつかなくて、途方に暮れて祠の前まで歩いた。そもそもの始まりはここから。もう一度願えば、叶えてくれかな。手を合わせて屈むと、ふと思い出した。

 そうだ、前にこの祠の後ろに隠れた時に、たしか空木が来てびっくりして草むらに入った、あの時に。下の方へ続く道があったはずだ。私はすぐに草むらの奥へ進んだ。

「西堂さん? そんなとこ入って危ないよ」

 この先に何かがあるなんて確信はないけど、それでもきっと空木に会える。そんな予感がした。

 すぐに道は消えて。あとは道とも呼べないような斜面を下って行く。スマホのライトと月明かりを頼りに進むと、道は徐々に険しくなっていく。

 木の根に足を取られてバランを崩してしまった。

「あぶない!」

 間一髪のところで栗城さんに支えられて、地面に手をついた。

「急ぐのは分かるけど、気を付けないと。落ちたら大ケガだよ」

「うん、ごめん。助けてくれてありがとう」

 手の汚れを払うと慎重に、だけど素早く斜面を下る。後ろからは栗城さんと吾妻さんが来ている。

「この先に何かあるの?」

「分からない。でもきっと何かある」

 自信を込めて言う。


 そして本当に見えてきた。斜面の途中に、大きくえぐられたような穴が開いている。

「あれ、洞窟? こんなとこにあったんだ」

 私は迷わず洞窟に入る。

「ちょっと、危ないよ」

「大丈夫。きっとこの先に空木がいる」

 私は当てのない自信でそう言った。

 三人で洞窟に入ると、頼りはスマホのライトだけになった。道はどんどん下に向かっていて、次第に海のニオイがしてきた。間違いない、この洞窟は海とつながっている。

 やがて道は狭くなっていって、ついに行き止まりになった。

「なんで? 海のニオイはするのに。どこか別の道があるのかな」

 私は動揺して二人を振り返る。

「分かれ道なんてなかったよ」

 吾妻さんの声が、洞窟内で冷たく反響する。何も言い返せずに沈黙すると、風の音が聞こえてきた。

「風……どこかから風が入ってきてる」

 みんな無言で耳を澄ませる。やっぱり、ひゅーひゅーと音が聞こえる。

「本当だ。どこかで海とつながっているのかも。探してみよう」

 スマホのライトを当てて、岩の壁や隙間を触って確認していく。

「あっ、ここ! 穴が開いてる」

 栗城さんが叫んで、私はすぐに駆け寄る。大きな岩と岩の間に、人ひとりがギリギリ通れるくらいの穴が開いていた。

「ここ、入るの? さすがに危険だよ」

 穴の下は少し広い空間のように見えるけど、真っ暗でよく分からない。入ったら戻ってこられる保証もない。


「行く。二人はここで待ってて」

 栗城さんが私の手を掴んだ。

「きっと止めても行くんだよね。だからもう止めない。でも絶対に戻ってきてよ、約束」

「うん、絶対に戻ってくる」

 栗城さんの指が離れていく。私はそのまま穴に入った。思っていたよりも高さがあって、着地した時に足がジーンとした。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。必ずこれを空木に届けて戻ってくる」

 ポケットに入れた光る球体を掲げて叫ぶ。

「念のためにこれ持ってって。待ってるから、絶対戻ってきてね」

 栗城さんはそう言って小さなペンライトを落とした。私はそれをキャッチして、ありがとうと言った。


 辺りを見回すと、穴の下の空間は細長く伸びていて、私は風の吹く方へ進んだ。段々と海のニオイが強くなってくる。

 歩き続けると、前方から幽かな光が見えてきた。それを見て走り出す。

「空木!」

 祠の側にいる空木が見えた。やっぱりこの洞窟は海とつながっていたんだ。私の歩いてきた道は、祠のある空間の横道につながっていた。

「西堂! なんでここにいるんだ、もうすぐ海が消える。早く戻れ!」

「これ! 忘れ物だよ、小屋に落ちてた。未来の物は全部持って帰るんでしょ?」

 私はポケットからキラキラと光る球体を取り出した。

「ほんと、空木って抜けてるよね」

 私はそれを渡しながら、笑顔で言った。

「悪い。助かったよ」

「それから吾妻さんたちがみんなを避難させてくれたから、もう大丈夫だよ。海が戻っても安全」

「そうか、よかった。こっちもあと少しだ」

 祠の後ろ、‘装置’の近くの岩が青白く光って揺れている。

「あれが時空の穴?」

「そうだ、ここに茂木田を入れて、‘装置’と一緒に俺も入る」

「もう、本当にお別れだね」

 空木は頷いて時空の穴を見つめる。

「時空の歪みは大丈夫なの?」

「あぁ、でも近づくと巻き込まれるかもしれないから、早く戻れ」

 私は空木の手を掴んだ。

「やっぱり……ここに残ることってできないの……」

 どうしようもないことだと分かっているけど、胸が痛くて痛くて、涙が溢れてくる。

「……西堂」

 顔を見たらもっと悲しくなりそうで、下を向いた。涙がぽたぽたと落ちる音が聞こえる。ちゃんとお別れしようと思っていたのに、なんで私はこんなに弱いんだろう。


「西堂、モデル続けろよ」

 空木の声が頭上から降ってくる。

「きっとうまくいくよ。そんで超有名になって未来でも名前が残るような、そんなやつになれよ」

 空木の手がそっと私の手を握った。

「俺が元の時代に戻った時に、西堂のこと調べてびっくりするくらいの有名人になって、そんで自慢させてくれよ。こんなすごいやつと一緒に未来を守ったんだって」

 無邪気に笑う空木の声は胸に沁みる。多分私のために無理して明るく振舞ってくれているんだ。

「分かった……私絶対に有名になる。そんで未来にも名前が残るようになるから、だから空木も絶対に元の時代に戻って。必ず生きて未来に帰って」

「あぁ、約束する。絶対に生きて帰る」

 顔を上げて空木を見た。後ろで光る時空の穴が逆光になって顔はよく見えない。だけどきっと笑ってくれている気がする。私は最後に、この気持ちを伝えることにした。

「瑞透、私ずっと」

 その瞬間、空木は私を引き寄せてきつく抱きしめた。


「それ以上は言うな。忘れた後に辛くなる……。西堂は自分の時代を生きるんだ」

 空木の体温を全身で感じて、その思いも伝わってきた。

「でも私、忘れたくないよ。忘れられるわけないよ空木のこと」

「忘れる。絶対に全部忘れる。それはもうどうしようもないことなんだよ」

 絞り出すような声で言って、私を抱きしめる腕に力がこもる。

「西堂には、辛い思いをしてほしくない」

 そして空木の腕が離れていく。 ‘装置’の方へ歩いていく後ろ姿を、私はただ見つめていた。‘装置’の前で振り返ったその顔は、やはり逆光でよく見えなかった。

「これ以上は危険だ。今から時空の穴の中に入ってこの穴も消す。強い光で幻を見るかもしれないから、振り返らないですぐに戻れ」

 私は来た道を引き返そうと、空木に背を向け歩き出した。


 一歩、二歩と歩いて、辺りが真っ暗になった。スマホの充電が切れた。ポケットから栗城さんに貸してもらったペンライトを取り出すと、スイッチを入れる。

 スマホよりもほんの少し弱い光が、洞窟の岩々を照らしている。フッと背後から風が吹き抜けていく。風になびく髪をなだめていると、潮のニオイを感じた。振り返ると、祠だけが静かにそこに佇んでいた。

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