六章 夢ノ見山

第二十八話


 小屋の前でこれからするべきことを考えていると、吾妻さんが走ってきた。

「二人とも大変。これから規制が強化されて出歩けなくなる。急がないと砂浜まで行けないかもしれない」

「え? 本当に?」

 もう時間がない、今すぐ海の祠に向かわないと。そう思って小屋の中に入ると、空木はすでに起きていた。

「もう時間だな」

 空木はさっきよりは少しだけマシになったけど、まだ疲れの見える顔で立ち上がった。

「体大丈夫? 私も一緒に行くよ」

「大丈夫だから、西堂はここにいろ」

「いや、私も行く。人を担いで海まで行くんでしょ? 一人じゃ大変だよ。今出歩くの難しいんだし」

 空木を一人で行かせるわけにはいかない。吾妻さんの話を聞く前からそう思っていた。

「分かった。その代わり、時空の穴が開いたらすぐに戻れよ」

「うん、分かってる」

「海までだったらアタシも行く」

 小屋を出ると、吾妻さんが言った。

 栗城さんも一緒に行くと言い、みんなで麓まで行く。空木が茂木田をおぶり歩き出すと、私たちは辺りを警戒しながら後に続いた。


 砂浜の近くまで来ると、そこら中に金網のフェンスが張られて警備も厳重になっている。入り込めそうな場所が見当たらない。

「こっちこっち」

 吾妻さんが言って、警備の少ないフェンスの角に走って行く。

「昼のうちに警備が手薄なところ探しておいた。ここのフェンスから入れるから急いで」

 吾妻さんの指さす先には破れかけたフェンスがあって、力一杯押せば人が通れるくらいのスペースが作れるようになっている。

「これ吾妻さんがやったの?」

 吾妻さんは自分の唇に人差し指を付けて、私を見つめる。

「アタシが押してるから早く入って」

 空木が最初に入って茂木田を引っ張るようにして入れると、その後に私が入った。

「アタシたちは出る時のために外で待ってるから」

 私はお礼を言うと、茂木田を背負って歩き出した空木を追いかけた。


 警備に見つからないように注意しながら洞窟の前まで来ると、そっと中に入った。少し進んでからスマホを取り出してライトをつける。茂木田を背負う空木を支えて、二人で歩き続けた。

 太陽はほとんど沈んでいて、僅かに届いていた光も洞窟に入ってすぐに消えた。日が沈んだからなのか、入り口が見えないくらい進んだからなのか分からないけど、もうどこを振り返っても暗闇しかない。


 長い洞窟を歩いていると、これで最後なんだと気付いた。この道が終われば空木とはさよならだ。

「ねぇ、未来の世界ってどんななの?」

「そういうことは言えないんだ」

「いいじゃん少しくらい。もうこれで最後なんだから」

 少し沈黙してから空木は話し出した。

「どうって言われても困るけど、いい世界だよ。まぁこんなやつらもたまにいるけどな」

 首を後ろにひねって顎で茂木田を指す。

「空木たちは、普通に暮らせてたの? その……人工人間たちは」

「うん。この時代で言う寮生活みたいなもんだよ。実家がないだけで普通に学校行って

友達と遊んで、就職はまぁないけど」

「え? 就職ないの?」

「別に働かなくていいわけじゃないぞ。こうやって何かあった時に動く。それが仕事だ」

「そっかぁ。でも年齢は今の空木と同じなんでしょ? 実は何百年も生きてるとかないよね?」

「ものすごく寿命の長い人はいるけど、俺はちゃんと十七歳だよ」

「よかった、安心した。同い年なんだね」

 生まれてきた時代が全然違うのに、同い年っていうのもちょっと不思議な感じだ。

「そういやもうすぐで西堂の誕生日だったな。お祝いできなくてごめんな」

「覚えててくれたんんだね。それだけで嬉しいよ。あっ、でも何かプレゼントが貰えたらもっと嬉しいな。あのキラキラなビー玉みたいなの、一個貰っちゃダメかな?」

「未来の物は置いてくわけにはいかないんだ。小さな物一つでも過去が変わるかもしれない。西堂が投げた玉もちゃんと回収してきたから。ごめん」

「そっか、じゃあ仕方ないね」

 スマホの小さな光しかない洞窟で、空木がどんな顔をしているか見えない。


「ねぇ……空木」

 空木は何か小声で呟いたような気もしたけど、聞こえなかった。

「……これでいいんだよね……全部うまくいくんだよね?」

「あぁ。こいつ以外に邪魔者はいない。大丈夫だ、まだ時空の歪みはそこまでひどくないはずだし」

「それで……空木は元の時代に戻れるの……」

 空木に会えなくなるのは仕方ないとしても、せめて空木には空木の世界で生きてほしい。生き続けてほしい。

 だけど、空木は何も答えない。


 洞窟は何度も曲がり、一度深く潜るように下ってまた上る。そしてまた長い道を歩くと、その先に祠がある。

「見えてきた」

 私が声に出すと空木も小さく返事をした。ここは今でも海のニオイがする。

 祠の前まで行くと茂木田をそこに寝かせて、空木は祠の後ろの岩に向かう。岩に手を置いて引っ張るようにすると、岩の隙間から白い光が漏れる。眩しくて目を細めると、その光はすぐに青色に変わった。

「それが‘装置’なの?」

「そうだ」

 岩の隙間から出てきたのは、私の胸の高さくらいまである大きな箱だった。まるで陽炎のように表面が黒く揺れていて、それが箱なのかも分からなくなってくる。

 空木の手がその表面に触れる、というよりも沈み込んでいく。空木の指が半透明の黒い液体に浸したように、黒く染まっていく。

「西堂、もう離れろ。早く戻って、できる限り海に人を入れないように頼む」

 その言葉で、本当に最後が近いことを悟った。このままお別れなんて。そう思うと心臓がギュッと痛くなる。

「できるだけ海がゆっくり戻るようにやってみるから、早く戻れ西堂!」


 私は走った。来た道を戻って砂浜へ向かう。

 何も言えなかった。お別れの言葉も、感謝の言葉さえも。

 砂浜へ出ると辺りは暗くて、月明かりだけが私を照らしている。フェンスの所へ行くと、小声で吾妻さんを呼ぶ。

「今開ける。待ってて」

「ありがとう」

 吾妻さんがフェンスを押している間に這い出ると、私たちは夢ノ見山に向かって走った。靴の紐がほどけてしゃがむと、背後から誰かの走る音が聞こえてきた。

「お前ら、なにやってるんだ!」

 気付かれた。声の方を見ると警官が走ってきている。私は吾妻さんに先に行ってと言い、すぐに立ち上がった。

「待て! 逃げるな!」

 まずい。まだ傷が癒えない足ではあまり速く走れない。追いつかれそうだ。息も苦しくなって、もう諦めようかと思ったら前方から栗城さんの大声が聞こえてきた。

「こっち! はやく乗って!」

 栗城さんが自転車に乗って私を呼んでいる。もつれそうになる足を必死に突き出し走ると、自転車の後ろに乗った。瞬間、栗城さんが立ち漕ぎで走り出す。

 そして、あっという間に警官を振り切ると夢ノ見山の麓まで走っていく。栗城さんの背中は空木よりもずっと小さくて細いけど、とても頼もしく見えて私は安堵した。


「ありがとう。助かった」

 自転車を降りると私は栗城さんにお礼を言った。

「当たり前でしょ。友達じゃん」

 照れるそぶりも見せずに、キラキラとした笑顔を向けてきた。私は頷き返すと一緒に夢ノ見山を登り始めた。

「私やっぱり諦めたくない。礼深にもさっき電話して、協力してくれるって言ってくれたから強硬手段に出る!」

「え? なんのこと?」

「避難だよ、避難! 警察の人も消防の人もみんな助けたい。吾妻さんがこの辺りの街の防災スピーカーをジャックしたから、無線でここから避難警報を流す」

「え? そんなことできるの?」

「ずっと準備してたんだって、吾妻さん。今最後の仕上げに向かってて、終わったらこっちまで戻ってくるって」

 元々は私のせいでこんなことになったのに、みんながここまで頑張ってくれている。私も最後まで全力でやろう。


 小屋まで行くと、宇津野くんの様子を見に入った。まだ目覚めてはいない。でもあと少しだ。

「お待たせ! 準備できたよ!」

 吾妻さんの声が聞こえて外に出る。吾妻さんは何やら大きな機械を持っていた。

「じゃあすぐに始めるよ」

 そう言うと、座って機械を触りだす。

「これで本当に警報流せるの?」

「うん、本当はしちゃいけないことなんだけどね。でもそれで誰かが助かるなら、アタシはやる」

「礼深の方も準備できてるって」

 栗城さんが近寄ってきて、吾妻さんに声をかけた。

「了解。これで全部準備完了。いくよ」

 吾妻さんが機械をいじると、街の防災スピーカーから警報が鳴りだした。そして次に、女の人の声で海から避難するようにと流れた。

「これ、本当に他の街にも流れてるの?」

「うん、電車が使えるうちに南の街でも準備しといたし、北の街は礼深さんに頼んだから」

「すごいよね、吾妻さん。もしかしたら使うかもって、礼深に前もって機械渡しといたんだって」

 本当にすごい。私は感心して、機械をいじる吾妻さんを見つめていた。

「この音声も、実は吾妻さんが作ったんだって」

「え? そうなの?」

「まぁ、通常のだと無視されるかと思ったから」

 吾妻さんは照れながら言って、放送が終わると立ち上がった。海の方からはざわめきが聞こえてきた。


「これで海が戻るんだよね? 宇津野くんも助かるんだよね?」

 振り返って私に聞いてくる。

「そのはず。今、空木が時空の穴を開いてる」

 吾妻さんは小屋に向かって走りだした。小屋に入ると宇津野くんの横に腰を下ろして、手を握った。

「あと少し、頑張って」

 祈るように手を握っている吾妻さんの足元に、キラキラと光る物が見えた。


「あっ」

 声を出して、それを拾った。綺麗なビー玉のような球体。空木の忘れ物だ。

「どうしたの西堂さん? それなに?」

 栗城さんが私の手元を覗き込むようにして聞いてきた。

「これ、空木の持ってた物だよ。多分さっき仮眠してた時に落としたんだ。届けないと。未来の物を残しちゃダメって言ってたの」

「待って! 今からじゃ無理だよ。さっきの警報で、海の中にいた人たちがみんな海沿いの道に集まってる。もう洞窟まで行けないよ」

 小屋を飛び出していこうとする私を、栗城さんが止める。

「でも、このままにはできない! せっかくみんなも空木も頑張ってくれたのに、台無しにはできないよ!」

 私は栗城さんの手を振りほどいて小屋を出ていこうとして、また止められる。今度は吾妻さんと栗城さんの二人に。

「わかったから。じゃあ一緒に行こう」

 栗城さんに言われて、三人で砂浜に向かった。

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