第二十七話


 眠った茂木田の体を建物の隅に隠して、私たちはバイクのもとに向かった。まだまだ夜は長いけど、のんびりしている時間はない。

「まずは西堂を街まで送って、その後俺はまた戻ってきて茂木田を連れてく」

 空木は茂木田を物影に運びながら言ってきた。一人で帰れると言いたかったけど、電車も全部止まってしまった以上、空木のバイクに乗せてもらう以外に方法がない。

「ありがとう。無理しないでね」

 精一杯の感謝を込めて言った。

 バイクに乗ると、今日走ってきた道をひたすら引き返した。真夜中の道路は規制の影響もあって、しんと静まり返っている。その静寂をバイクのエンジン音が切り裂いていく。私は空木の背中にきつく頭を押し付けて、もう二度と味わえないであろう感触を確かめた。ヘルメット越しにも空木の温もりが伝わってくる気がした。


 信号で止まると、空木が振り向かずに声をかけてくる。

「西堂、体大丈夫か? なんかあったらすぐに言えよ」

「うん、ありがとう。もう大丈夫だよ」

「そうか、よかった。でも西堂があれを持っててくれて本当に助かった」

「私も、あの時までポケットに入れてるの忘れてたよ」

「西堂は海が戻ったらどうすんの? あの街に住み続けるのか?」

 意外な質問に戸惑ってしまう。海が戻ったら、それはつもり空木がいなくなったらということだ。

「わかんない。でも、またモデルやりたいとは思ってる。私やっぱり好きみたい」

「そっか。いいと思う。前に栗城に見せてもらったことあるけど、すげえ決まってたよ。西堂モデル向いてると思う」

 急に褒められて頭が真っ白になった。足の痺れがよみがえってきたような浮遊感に、一瞬これが夢なんじゃないかとさえ思った。空木のお腹を抱きしめて、背中に頭を押し付けて、これが現実だと確かめる。

「ありがとう。すごく嬉しい」

 不意に感情が高まって、空木にこの気持ちを伝えたいと思った。

「空木、私ね」

 信号が青になって、その次の言葉はエンジン音にかき消されてしまった。


 長い暗闇が続いて、徐々に東の空が明るくなってきた。夜明けまでに着きたかったけど間に合いそうもない。朝になると更に規制が厳しくなると、昨日の夜に吾妻さんから連絡があった。

 検問を避けて細い道に入る。突き当りを曲がれば夢ノ見山が見えてくる。太陽が見えてきて空は一層明るくなった。


 夢ノ見山に着くと、空木は私を降ろした。

「俺はすぐに戻って茂木田を運んでくる。日没までにはまたこっちに戻るから、それからすぐに‘装置’を時空の穴に消す。全部今日中に終わらせるから、みんなに伝えておいてくれ。あと西堂はとりあえず寝とけ」

 ヘルメット取って空木を見る。大分疲れている様子だけど、大丈夫かな。

「私は大丈夫。それより空木が帰ってくるまでに何かやっておくことある?」

「俺も詳しくは分からないけど、海が戻ったら海水が流れてくる。できる限り人が入らないように避難させておいてくれ。茂木田は二十四時間で目が覚める。だから絶対に今日中に終わらせなきゃいけない」

 私からヘルメットを奪うとすぐに走り去っていった。


 眠い頭を必死に動かして、私は夢ノ見山を登った。小屋に入ると、吾妻さんがいた。

「西堂さん! どうしたの? すごい顔だよ?」

「やっぱり未来人は茂木田だった。空木が連れてきて、今日中には全部終わらせる。きっとこれで宇津野くんも大丈夫」

「本当に? よかった」

「でも海が元に戻ったら海水が流れてくるから、誰も海に入らないように避難させておかないと危険だって」

「避難……住民は多分入れないけど警備の人はどうしよう」

「私たちじゃ厳しいよね」

「とりあえず栗城さんにも相談しておくから、西堂さんは家に帰って休んだ方がいいよ。顔色本当に悪いよ?」

 まだ大丈夫と言いたかったけど、さすがに頭が回らなくなってきた。私は大人しく従って家に帰ることにした。

 家に戻るとすぐに部屋に入ってベッドに倒れ込んだ。


 夢を見た。


 私は電車に乗ってこの街に向かっている。

 隣では子供が海を眺めていた。

 駅に着いて降りると、海が静かに波を立てている。

 電車が過ぎ去ってもずっと眺めている。

 これは夢だ。わかっている。

 駅を出るとお婆ちゃんの家に向かった。

 記憶をなぞるように、この夏の出来事を繰り返す。

 再会したときは空木が未来人なんて知りもしなかった。

 気が付くと私は、夢ノ見山の祠の前にいた。

 ここから全てが始まった。

 口に出してはいけない。絶対に。

 分かっているのに、幽体離脱のように自分を俯瞰して見ている。

 そして、私ではない私の声を聞く。

 海なんてなくなっちゃえばいいのに。

 街並みを見下ろす。

 見えるはずもないのに海沿いの道を茂木田が歩いているのが見えた。

 その顔が私を見つめてきて、にやりと笑う。

 辺りが暗くなって、ザァーという音とともに海が沈んでいく。

 砂浜の下にしみ込んでいくように海水が消えて、船も飲み込まれて消えていく。

 干からびた海底で魚が暴れている。

 次第に勢いがなくなってきて、最後には動かなくなる。

 すべてが砂浜の下に飲み込まれるように消えていく。

 また辺りが暗くなって、私は洞窟をひたすら歩いている。

 小さな光が見えてきた。

 近づくとそれは祠だった。海の祠。

 側には空木がいて、へんてこな機械をいじっている。

 これが‘装置’なのだと私は思った。

 水の音がして後ろを振り返った。

 暗くて何も見えない。

 前を向くと空木も‘装置’も消えていた。


 目が覚めると、空は赤く染まり始めていた。

 慌ててスマホを見ると、吾妻さんから何件も着信が来ていた。すぐにかけ直す。

「ごめんずっと寝てた。何かあった?」

「空木くんから連絡あって、もうすぐこっちに着きそうだって。西堂さん体調はどう? 大丈夫そうなら今から来れる?」

「わかった、すぐに行く」

 電話を切る。出かけようとして、思いとどまった。さすがにこのままはちょっと……嫌だな。

 私は急いでシャワーを浴びて着替えを済ませた。


 夢ノ見山に向かっていると、遠くからサイレンの音が聞こえた。もしかしたらもう強制退去が始まったのかもしれない。そう思うと走り出していた。

 夢ノ見山の麓に着くと、まだ空木のバイクはなかった。私は息を整えながら小走りに登る。

 吾妻さんは、街を見渡せるベンチに座っていた。私に気付いて振り返る。

「西堂さん、もう体は大丈夫?」

「うん、大丈夫。それより何かあった?」

「栗城さんに聞いたら、礼深さんのお父さんに頼めばもしかしたら避難警報を流せるかもしれないって。でも勝手にやったらダメだから、今電話でずっと話してる。もし大丈夫ならこれで一応全員避難するはず」

「それならよかった。空木はまだだよね?」

「まだだけど、もうすぐ来ると思う」

 その時、背後の道を誰かが走ってくる音が聞こえた。振り返ると空木がこっちに向かって走ってきている。今にも転びそうな足取りに思わず駆け寄る。


「西堂、ちゃんと寝たか?」

「うん。空木の方こそずっと寝てないんでしょ? 大丈夫なの?」

「あぁ、あとは茂木田を‘装置’のとこまで連れてけば、準備は終わりだ」

「茂木田はどこなの?」

「バイクのとこに置いてきた。大丈夫、まだ起きないから。それより避難はさせられそうか?」

「うん、今栗城さんが礼深さんに頼んでる。うまくいけばそれで避難警報出せるって」

「そうか、じゃあ俺はこれから茂木田を運んでくる」

「今から? ちょっと休んだ方がいいよ。もうふらふらじゃん空木」

 空木の腕をつかんで引き留めた。

「休んでる時間はないんだ。ここら辺もいつまで歩き回れるか分からない。規制が厳しくなる前に早く運んでおかないと」

 私の手を振りほどこうとしてくる。だけど、その仕草はあまりに弱々しくて、私は空木をきつく抱きしめた。


「まだ大丈夫だよ。お願いだから少し休んで。こんな状態で行くと逆に危ないよ」

「……わかったよ。少しだけな」

 私は空木を支えながら小屋の方へ向かった。小屋の外には栗城さんがいて、まだ電話をしているようだった。その声音は、じめじめと暗い調子だった。

 宇津野くんの横に空木を寝かせると、ちゃんと寝ててと言って外に出た。空は大分赤に染まり始めている。

 栗城さんの方を見ると、電話がちょうど終わったところだった。

「栗城さん、どうだった?」

「ん~……だめだった」

 力なく吐き出された言葉が風に流されていく。空木にも聞こえただろうかと心配になる。

「仕方ないよ。栗城さんは頑張ってくれた」

「でもこのままじゃせっかく海が戻っても誰かが犠牲になるかもしれない。そんなの嫌だよ」

 栗城さんは今にも泣き出しそうな顔で話す。私はなんて声をかければいいか分からず、ただ立っていた。

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