第二十六話
太陽はすでに沈んでいて、辺りは真っ暗だった。建物にも明かりは付いていない。
「西堂はここで待ってろ。俺が調べてくる」
「どうやって? 勝手に入ったらさすがにまずくない?」
「俺についての記憶はどうせ消えるから、ちょっと問題起こしたって大丈夫だ。別に人に危害を加えたりはしないし」
「でも、そもそも空木って茂木田さんの顔しってるの?」
無言で私を見つめてくる。空木は本当に未来から来たのかと、ちょっと疑問に思ってしまう。
「顔も知らないのに一人で来るつもりだったの? なんか最近やけにすましてたけど、空木ってやっぱり抜けてるとこあるよね」
「うるさいな。そんなの顔を見りゃなんとなく分かるからいいんだよ」
あからさまに不機嫌な態度をとる空木は、可愛げがあって少しキュンとした。人工人間って本物の人間と何が違うんだろう。何も違わないんじゃないのかと思った。
「とにかく。中に人がいるか見てくるから、西堂はここにいろ」
私の返事も聞かずに、空木は道を渡って建物に向かって走っていく。出入口まで行くとドアに手をかけたけど、鍵がかかっているのか開かなかった。
周りを見回してからこっちに戻って来た。
「開かないな。茂木田の家は分からないのか?」
「それは分からない。礼深さんのお父さんなら知っているかもしれないけど、さすがに聞けないよ」
「そうか。まぁそいつで本当に間違いないなら、多分戻ってくるはずだ。ここからなら海も見渡せるし、俺を探すには都合いい場所だからな」
その時、通りを一台のパトカーが通った。私たちは咄嗟に物影に隠れる。
「なんだか私たちの方が悪いことして逃げているみたいだね」
空木は乾いた笑顔を見せて、通りを見渡した。どうやらうまく隠れられたみたいで、パトカーはそのまま通り過ぎていった。
そのまま少し待ってみたけど、誰も来ないので街の方へも行ってみた。確率は低いと思うけど、ただ待つよりは何かをしていたかった。
街には人が全然いなくて、たまに見つけても警察や消防の制服を着ている人だけだった。アパートや民家の多い通りを歩いみても、明かりは付いているけど話し声はほとんど聞こえてこない。
「やっぱりあそこで待っている方がよさそうだな」
空木は静かに言って、来た道を引き返す。私も無言でそれに続いた。
漁業組合の建物まで戻ると、さっきと同じ場所で待機した。空木は途中で建物の方へ走って、出入口の側に隠れた。
遠くから波の音が聞こえてくる中で、私はひたすら待った。
夜風に揺れる空木の髪が、ここから微かに見える。今何を考えているんだろう。僅か数メートルの距離がとても遠く感じて、道路のセンターラインに隔てられた別の世界にいるように思えてくる。
夏の夜風は不思議な魔力を持っているのか、今日はなんだか感傷的になる。
目を擦って道路を見渡す。ちゃんと見張っていないとだめだ。空木がいるであろう場所を見ると、隠れていて顔は見えない。その後ろで何かが動いている。なんだろう。
私が気付いたのと同時に、空木が襲われた。道路を挟んだこちら側から一瞬だけ顔が見える。茂木田だ。この瞬間まで顔も曖昧にしか思い出せなかったけど、街灯に照らされた顔を見て全部思い出した。
空木。声に出す前に空木が倒れた。すぐに起き上がろうとして、もみ合いになっている。早くライトを出して、そう思ってじっと見守る。
だけど、空木はライトを出さない。もしかしたら出せないのかもしれない。私は他に人がいないのを確認して、建物に近付く。そして言い争いをしている声が聞こえてくる。
「お前はいつまで政府の言いなりになるつもりなんだ! ここで世界を変えればきっと未来は変わる! そうだ、より素晴らしい世界が待ってるんだ! お前みたいな人工人間に邪魔させるわけにはいかないんだよ!」
茂木田さんの声、な気がするけど、元々の声もよく覚えていない。ただ、未来人は茂木田で間違いない。それだけは分かった。
「お前こそ目を覚ませ! そんなことしても世界はよくならない。時空の歪みはもう限界だ! このままじゃいずれ崩壊するぞ!」
空木は茂木田を振り払ってポケットに手を入れた。そしてライトを取り出して茂木田に向ける。
「政府の犬になんか邪魔させるか!」
バンッという重いものがぶつかる音がした。空木の持っていたライトが宙に舞って、地面に落ちる。ライトの光は建物の奥、暗い海に向けて小さく光っている。
「これで終わりだ! あのライトがなければお前なんてただの若造だ。所詮お前は作られたロボットのくせに、人間になり切ろうとするからこうなる! ろくに武器も持たずに戦えるほど甘くはないんだよ!」
私は気付かれないように、慎重にライトの側に歩み寄る。大丈夫、これさえ取れればあんなやつすぐに倒せる。一歩一歩、音を立てないように歩いて行く。あと少しだ。
「お前はただ逃げてるだけだ。戦う覚悟があるなら過去になんか逃げるなよ。未来で戦ってみろ! それができないから、未来をかける覚悟もないからお前はここにいるんだ! そんな逃げ腰のやつには過去も未来も変えられない」
バンッっという音がまた響いた。今度はさっきよりも重くて、何度も響いた。空木のうめき声が聞こえて、私の体が強張る。怖くて足が上手く動かなくなる。
ザッと砂利を踏む音を立ててしまい、茂木田が私を見る。目が合った。私は最後の力を振り絞って、全力でライトに向かって走る。その足に茂木田の手が絡む。
「偉そうなこと言ってたくせに、古代人の力借りてんじゃねえかよお前も! しかもこんな弱っちい女かよ!」
茂木田は私の足を掴むと、棒のようなもので膝を叩いて、ライトから遠ざけるように引きずる。そんなに強く叩かれたわけじゃないのに、どんどん膝が痺れてくる。
「やめろ……そいつに手を出すな……」
空木の声は力なく消えていく。
茂木田は空木の側まで私を引きずると、手を放して空木に馬乗りになった。私は立ち上がろうとしたけど、膝に力が入らない。ライトさえあれば茂木田を止められるのに、あと少しだったのに、自分の意気地のなさに泣けてくる。私は必死に唇を噛んだ。
このまま海は戻らないんだ。そう思った時に、空木の言っていたことを思い出した。私は今度こそ茂木田に気付かれないように、そっとポケットに手を入れる。そして、それを掴むとしっかりと狙いをつけて全力で投げた。言われていた通りにすぐ目を閉じる。
目を閉じていても分かるくらいの閃光が走り、まぶたの裏に白く焼き付いた。風の音だけが耳をかすめていく。
私はそっと目を開ける。横を見ると空木が倒れていて、その上に茂木田が覆いかぶさるようにしている。
「空木?」
少し痺れの残る足で空木に近付く。二人は動かないでじっとしている。
「空木、大丈夫? ねぇ、起きてよ」
覆いかぶさる茂木田をどかして空木の肩をゆする。小さくうめき声を出して、空木が目を開く。
「あぁ……大丈夫」
ゆっくりと空木が起き上がる。
「西堂は大丈夫か? 足痛むか?」
「うん、ちょっと痺れてるけど大丈夫」
空木はふらふらと歩いて行き、ライトを拾ってポケットにしまうと、茂木田が持っていた棒のようなものを拾い上げた。
「これで叩かれたのか。しばらく痛みや痺れが残るだろうけど、傷は残らないから安心しろ」
「それも未来の道具なの?」
「そうだな、触れるだけで相手を麻痺させることができる。でももう終わったんだ。すぐに全部忘れる」
そう言うと、隣に座ってきて私の頭にぽんと手を置いた。
「ありがとうな。西堂のおかげで助かった」
しばらくそのまま二人で座っていた。痺れが大分取れてきた頃に、空木がすっと立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ戻るか」
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