第二十三話


 古沼くんの家は、駅近くにある小さなマンションだった。小さいと言ってもここら辺ではわりと良い家だ。

「ここの三階に住んでるはずだ」

 空木はスマホを見てからそう言った。一体どこからそんな情報を見つけたんだろう。

「それで、これからどうするの? 古沼くんが出てきたらそのライト浴びせるの?」

「いや、まずは見るだけで何もしないよ」

 空木の答えに私は拍子抜けしてしまう。何もしないんだ。

「このライトはちゃんと浴びせられれば強力だけど、充電が必要だから一日に何度もは使えない。それにもし、古沼じゃなかったら、やつに気付かれるかもしれない。相手に俺のことがバレたら、最悪こっちがやられる」

「え? そんな怖い人なの?」

「そりゃそうだろ。国家に逆らうテロリストなんだからさ、」

 空木が小馬鹿にするように笑ってきた。その態度には少しムカついたけど、確かにそうか、今この時代に紛れ込んでいるのは世界を変えようとしている未来人なんだ。それに気づくと額から汗が流れてきた。今日も本当によく晴れていて暑い。


 しばらく待っていると、マンションの出入り口から若い男が出てきた。空木がスマホの画面とその男を何度も見比べている。

「あいつが古沼だ」

 空木はスマホをしまってポケットの中に手を入れた。

「とりあえず後をつける。見つかるなよ」

 そして尾行を始めた。古沼くんはスーパーイバタまで歩いていき、買い物を終えるとマンションに入っていく。そしてそれっきり出てこなかった。


 夕方になり空は赤く染まり始めていた。

「ねぇ、もしかしてずっとこのまま待つしかないの?」

 私はさすがに不満をぶつけてしまう。

「だから俺一人でやるって言っただろ」

 思っていたのと違う。未来の道具を使ってもっとこう、派手にやり合うのかと思っていた。それなのに、こんな探偵みたにじっと待っているだけなんて。


 日が落ちても、古沼くんは出てこなかった。

「やっぱり西堂はもう帰れ。あとは俺が見張ってるから」

「いや、私も協力するって言ったじゃん」

「誰かに見つかるかもしれないだろ。俺一人なら隠れられるけど、二人いると隠れるのも難しい」

 私を追い返そうと、空木がこちらを向いた時、マンションから誰かが出てきた。

「あ! 誰か出てきた」

 街灯の下を歩く黒いパーカー姿、フードを被っていてその顔まではよく見えない。すぐに追いかけるのかと思ったら、空木はその場でポケットの中を探っているだけで動かない。早くしないとどこかに行ってしまう。


「西堂、何かあったらすぐに逃げろよ」

 空木はポケットからじゃらじゃらと何かを出すと、それを持ったまま歩き出した。

「これなに?」

 私は、空木の手からそれを一つ奪って見つめる。それはビー玉のような綺麗な球体で、透明な中に鏡のような小さな板が幾つか入っている。街灯に照らしてみると眩しいくらいにキラキラと輝く。

「おい、ふざけてる場合じゃないだろ。返せよ」

「そんなにいっぱいあるんだからいいじゃん。それより何なのこれ?」

 空木が奪い返そうと伸ばしてきた手を避けて、私はもう一度聞いた。

「それは光を拡散させる道具だ。あのライトだけじゃ逃げられる可能性があるから、これに光を当てて拡散させる。だからライトを使う前に撒いたり投げたりする」

「じゃあ私にも貸してよ。何かあった時に必要じゃん」

 空木は少し不機嫌になりながらも、無理やり奪い返すことはしなかった。

「西堂はここで待ってろ。あいつが戻って来た時近くに誰もいなかったらライトを向ける。いいか、絶対近づくな。それから俺がライトを付けたら目をつぶれ」

 わかったと返事をすると、空木は通りの向こうへと走って行った。道の端にビー玉のような物をいくつか撒いている。


 しばらくしたらパーカー姿の人が戻って来た。近くには誰もいない。空木が私の方を見てきた。私は少し下がって物影に隠れる。

 空木が指でカウントダウンをしている。私はそれを見て、指が一本になった時に力一杯に目をつぶった。


「うわぁ!」

 男の声がして目を開くと、パーカーのフードを脱いだ古沼くんが突っ立っていた。何が起こったのか分からないというように、辺りを見回している。空木はどこにも見えない。

 古沼くんは誰もいないのを確認すると、そのまま歩いてマンションに入っていった。

 背後に気配を感じて振り向くと、空木がいた。


「どういうこと?」

「古沼はこの時代に本当にいる人間だ。今回のことには無関係」

 それだけ言うと私を残して歩いて行く。

「え? 古沼くんじゃなかったの? じゃあ一体誰なんだろう。ねえ、どうやって探すの?」

 置いていかれないように小走りに後を追う。何も言わない空木にもう一度聞く。

「あのビー玉? みたいなの置いて行っていいの?」

「もう全部回収したよ。一つも残してない」

 あの一瞬で全部やったのかと驚いた。

「ねえ、これからどうするの?」

「とりあえず帰って寝ろ。また明日。山で」

 振り向きもせずぶっきらぼうに言ってくる。そのまま無言で歩いて別れた。


 家に戻ってテレビをつけると、海の消失が拡大していることが大々的に報道されていた。海岸から近い土地に関しては、政府が強制的に買い取って壁の研究を進めるべきだと、コメンテーターのオジサンが熱心に訴えている。

 スマホでニュースサイトを見て回っても、前よりも過激な意見が増えている気がする。匿名掲示板では世界の終わりが近い、なんて書き込みもある。誰かの不安を煽ることで、自分だけは冷静だと言い聞かせるように、どんどん熱を上げている。

 次にあの幻影が現れるのは来週。それまでこの街は、この世界は持つのだろうか。

 私は電気を消して、ベッドに倒れこむようにして眠った。


 その日も朝から夢ノ見山に向かった。祠の所に誰もいなかったので小屋まで行ってみた。

 小屋の中には吾妻さんと空木がいた。吾妻さんは宇津野くんの側に座って手を握っている。吾妻さんの顔はここからは見えないけど、辛そうに感じた。

 私に気付いて空木が顔を上げた。

「おはよう。早いな」

「おはよう。宇津野くんはまだ起きないの?」

 聞こえるか聞こえないくらいの小声で、まだだと答えてきた。

「今日はこれからどうするの? 未来から逃げてきた人を探すのって、昨日みたいに一人ずつ確認していくしかないの?」

「当てがなければ、そうするしかないな」

「アタシも一緒に探す」

 吾妻さんが振り向いてから言った。

「いや、西堂もそうだけど二人には一緒に探すんじゃなくて、とにかくあの幻影を探っている時に聞いた話やあった人を思い出してほしい。実際会って確認するのは俺一人でも十分だ。むしろ一人のがやりやすい」

 私は吾妻さんとのこの数週間を思い出す。初めて会ったのは宇津野くんの家でだった。それから北の街に行ったりもした。色々ありすぎて一つ一つは曖昧なことも多い。

「とりあえず今日は、天文部と同じクラスのやつらから怪しそうなのを探す。二人は何か思い出したら連絡してくれ」


 空木が出ていってから、吾妻さんが話し出す。

「アタシ、あの時もっと強く宇津野くんを止めればよかった。なんだか舞い上がっちゃって、あの男のことはちょっと怖かったけど、謎解きみたいで楽しんでた。宇津野くんがこんなことになるなんて思ってもなかった」

「私もだよ。海が消えたのは元々私のせいだし、あの時なんであんなことって今でも思っちゃう」

 今にも泣き出しそうな吾妻さんの隣に腰を下ろす。

「でも、空木の話を聞いてたら少し気が楽になった。きっと私たちが今どんだけ悩んでも未来なんてちっとも変わらなくて、未来人の作ったわけの分からない装置で簡単に変えられちゃうんだよ」

「アタシ、そんなの悔しいよ」

「うん、悔しい。だからこれ以上は変えさせない。絶対に海も宇津野くんも取り戻す。こっちには空木もいるんだし負けないよ。私も頑張るから、吾妻さんも頑張ろう」

「……うん」

 少し倒れこむようにして、吾妻さんが私の胸に頭を預けてきた。私はそれをできる限り優しく受け止める。きっと大丈夫。覚悟よ。そう呟いた。

 それから二人でこの夏のことを話し合った。何度も何度も話して、気になることがあればすぐに空木に連絡した。だけど、その日は結局何も手掛かりが見つからなかった。

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