第二十二話


 私は起き上がって辺りを見回した。空木の言った通り男はどこにもいない。すぐ側には宇津野くんが倒れていて、吾妻さんが跪いている。栗城さんは空木の後ろに立っていた。


「宇津野くん! しっかりして! 宇津野くん!」

 吾妻さんが、今まで聞いたこともないような金切り声を上げている。

「吾妻、落ち着け」

 言いながら空木は宇津野くんの側に歩いて行った。

「大丈夫、気を失っているだけだ。あまり人に見られるとよくないから、夢ノ見山に行こう。宇津野は俺がおぶってく」

 空木は宇津野くんを背中におぶって歩き出した。吾妻さんはそれを支えている。私も後に続いて歩き出した。

 誰も一言も喋らずに夢ノ見山の麓まで行くと、そのまま登り始めた。

 祠の所まで行くと、宇津野くんをベンチに寝かせた。吾妻さんが、宇津野くんの顔を覗き込むようにしている。

 空木は私たちに背を向けて、ほとんど明かりの消えた街並みを見下ろしている。小さくため息を吐いてから、話し始めた。

「あの男は人間じゃない」

 そして、空木が未来から来たことや‘装置’のことを話し出した。


「未来から来たとか……装置とか……意味わかんないよ……」

 栗城さんがぽとぽとと呟く。

「そんな……じゃあ宇津野くんはどうなっちゃうの?」

 吾妻さんが泣き出しそうな声で言った。

「あれは人間じゃなくて‘装置’が作り出した幻だ。あの‘装置’は人間の心の中にある感情をエネルギーにして動いている。だから、感情を向けさせるためにああいった幻想を見せてくるんだ。噂を広めて、俺たちの中から恐怖などの負の感情を吸い取っていく。そうやって集めたエネルギーで海が消えた状態を維持しているんだ」

 あまりにも淡々と話す空木は、まるでロボットのように見えてくる。

「こっちから何もしなければ危険はなかったんだ。だけど宇津野は触れてしまった。あれはこの空間に存在しない物だから、触れたことで時空が歪んでしまった。西堂たちはそれを見たはずだ。みんな何かが見えたはずだ」

 そこで空木はこちらを振り向いた。

「あれは幻だ、全部忘れろ。恐怖を引き出すためにあの‘装置’が見せた幻なんだ」

 空木は宇津野くんの前まで歩いていく。

「見ただけなら直に忘れる。だけど宇津野は見るだけじゃなくて触れてしまった、時空の歪みに。少し時間がかかるかもしれない。でも‘装置’が無くなればきっと元に戻るさ」

 吾妻さんを見つめてからそう言った。


「しばらくは寝込むだろうから、宇津野はこの先の小屋で寝かせておく」

「‘装置’はいつになったら無くなるの?」

 吾妻さんがすすり泣くような声で言う。

「また八日後にあの幻想が現れる。その時に、俺も含めて全部を時空の穴に放り込む。そうすれば時空の穴は塞がって、海も戻る。宇津野もすぐに良くなるはずだ」

 吾妻さんは宇津野くんの手を握って、よかったと呟いた。

「本当はできるだけ誰にも知られずにやりたかったんだけど、こうなってしまったら仕方ない」

 空木が小さくため息を吐く。

「全てが終わればこのことは全部忘れていく。でも、忘れるっていうのは心に負担がかかるんだ。深く関われば関わるほど、それは大きくなる。それだけは覚えておいてほしい」

 私は何も言わずに頷いた。

「だからできるだけ誰も巻き込みたくはなかった。もっと警戒しておくべきだった」

 空木は悔しそうに拳を握ってから、続けた。

「とにかく今日はこれでみんな帰れ。それからこのことは誰にも言うな。宇津野のことも、友達の家に泊まりに行ってることにしておく」

 私たちは空木と宇津野くんを置いて山を下りた。無言のまま二人とも別れて家に帰る。部屋に入ると、少し開いた窓から入る風でカーテンが揺れていた。

 全然眠れる気がしなかったのに、横になるとすぐに意識が遠退いた。


 夢の中ではお母さんが私を見つめていた。

 それだけだった。

 ただ、それだけだった。


 スマホの音で目が覚めると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。スマホを手に取ってアラームを止めようとして気付いた。空木からの着信だ。

 私は慌てて耳に当てる。

「西堂、今から夢ノ見山まで来れるか?」

 分かったと言って、大急ぎで支度をして家を飛び出した。祠の所まで行くと空木が待っていた。


「ごめん、急に呼び出して」

「いや、大丈夫だよ。何かあったの?」

「西堂、ニュース見てないのか?」

「え? ニュース?」

「壁が動き出した。海が、壁の外にあった海が消え始めている」

「どういうこと? なんでそんなことになるの」

「おそらく、昨日のことで今まで以上に‘装置’にエネルギーが送られたんだ。それで海を消す範囲が広がった」

 そんな、それじゃこれからどうなるの。私は言葉も出ないまま空木を見つめた。

「もしかしたら、‘装置’を作ったやつらの仲間が、この時代に逃げ込んでいるのかもしれない。そもそも昨日のこともおかしかったんだ。あれは普段の偵察とは違った。明らかに、接触されることが分かっていて、誘い込むための幻影だった」

 空木も私を見つめ返してきた。

「これからその逃げ込んだやつを探しだす。だから西堂にも協力してほしい」

「うん、でもどうやって探すの? 未来人なんでしょその人」

「昨日のことが仕組まれていたんだとしたら。そいつはすでに西堂たちに接触しているはずだ。未来人って言っても、俺みたいに見た目じゃ何も分からない。この時代にいて当然な存在になっているはずだ」

 この街に空木みたいに未来から来た人間が他にもいるなんて、もうどうすればいいのか分からない。


「あの男の幻を調べている時に、誰かに話を聞いたりしなかったか? あの男に接触するように促されたり、情報をもらったり、なんでもいいから思い出してみてくれ」

「あの男を調べるようになった理由は、確か宇津野くんがネットの噂を見て、それで私たちに話してきて。そうだ、そういえばうちの学校でも男を見た人がいるって言ってて、確か天文部の誰かだったはず」

「天文部? 名前思い出せないか?」

「ん~……こぬま……? そう、古沼くんって言ってた気がする」

「天文部の古沼だな。分かった」

「どうするつもりなの?」

「確かめる。そいつが未来から来た人間なのかを。これを使って」

 空木はポケットから細いペンのような物を取り出した。

「そいつが歴史改変主義者の一員なら、このライトの光を浴びると眠ってしまう」

 私は驚いて一歩後退る。

「西堂は大丈夫だよ。この光は、未来の世界で罪人登録されたやつらにだけ埋め込まれる、電子チップに反応するんだ。チップを埋め込まれたやつらが浴びると、二十四時間は眠ったままになる」

 未来にはそんなものがあるのかと感心した。今更になって空木は本当に未来から来たんだと納得する。

「じゃあ俺は今から古沼の所に行くから、西堂はもう家に戻った方がいい」

「いやだよ。私も一緒に行く」

「西堂。また危ない目に合うかもしれないんだぞ」

 空木がたしなめるように言う。

「でも、空木だって危ないかもしれないんでしょ? だったら一人で行くのはよくないよ。なんでもいいから協力させてよ。お願い」

 もう待っているだけは絶対に嫌だ。

 空木は困ったようにため息を吐いてから、わかったと小さく頷いた。


「ただし、絶対に近付くな。遠くから見てるだけな」

「わかった。それでもいい」

「あと、あのライトを使う時は目をつぶってろ」

「え? 私は見ても大丈夫なんじゃないの?」

「光を見るのは大丈夫だけど、光がチップに反応する時にまた幻が見えるかもしれない。だから俺が目をつぶれって言ったら絶対従えよ。それを約束するなら一緒に来てもいい」

 分かったと返事をした。それから小屋の方へ行って宇津野くんの様子を見た。

「宇津野くん大丈夫なんだよね?」

「あぁ、寝てるだけだ」

 空木はすぐに出て行ってしまった。私も後を追う。

「でも、こんなとこに小屋なんてあったんだね。全然知らなかった」

「あの小屋は俺が消えたら消えるよ」

 そう言うと、私が聞き返してももう何も答えてくれなかった。

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