第二十話
青い物体は突然現れた。三人でずっと見てたのに、壁から出てくる瞬間は誰も見つけられず、気が付いたら海に浮かんでいた。相変わらず形のハッキリとしない多面体のような物体だ。
「ここからは絶対に見失わないようにしよう」
宇津野くんが望遠鏡から目を離さずに言う。
スマホで時間を確認すると午後二時半だった。夜までにどこかの砂浜に、壁の向こうの街の砂浜にたどり着くのだろうか。この街は壁の内側だから、ずっと向こうの方まで流れていったら、いつか見えなくなってしまう。
でもそんな心配を吹き飛ばすように、突然と消えた。
「あれ? ない。どこにも青い物体がないぞ」
「消えた。今いきなり消えたよね?」
二人が慌てて探すけど、壁の向こうの海にはどこにも青い物体はなかった。
「どうしてだろう。なんで消えたんだ」
望遠鏡を覗くのをやめてから宇津野くんが言った。誰も答えなくて、宇津野くんの声だけが床を転がっていく。
青い物体が消えてから、二人は色々と話し合っていたけど、あまりにも突然に消えてしまって手掛かり一つ見つけ出せなかった。私も、あれが未来から来たということ以外には何も分からない。
「まぁでも分からないものはしょうがない。明日はこの街に男が現れるはずだから、そこを見つけよう。いきなり接触するのは危険だから、明日は離れて動画を撮るだけにして、接触するなら明後日、僕らの街に来た時だ」
「うん。じゃあ今まで男が目撃された場所に、何か共通点がないか調べてみよう」
「そうだね」
それから二人はスマホやノートに書いてある情報を見ながら、地図に印をつけ始めた。私はただそれを見ていた。
印付けが一段落したら、今日はもう帰ろうと宇津野くんが言い、私と宇津野くんは帰ることにした。吾妻さんは着替えも持ってきていて、今日と明日はここに泊まるらしい。
帰り道では二人とも無言で、バスと電車を乗り継いで最寄り駅まで着くとそこで宇津野くんと別れた。
駅から家までの道を歩きながら、栗城さんとの会話を思い出す。
私は栗城さんを責めたかったわけじゃないけど、本当のことが知りたかった。栗城さんは本当に私の噂を流していたのか、だとしたらなんのために。
黙ったってことは本当なのかな。私のこと嫌いだったのかな。でも、それならなんで仲良くしてきたんだろう。
別に、あの時は嫌いだったけど今は違うって言ってくれれば、私はそれでもいい。
そんなことを考えていたら家に着いた。
ベッドに倒れこんでも頭が冴えていて、悶々としたまま時間だけが流れていく。明け方になってようやく少しだけ眠れたけど、またすぐ目が覚めてしまった。
男を見張るのは夕方からなので、みんなで集まるのは昼過ぎになっている。
私は二度寝することにした。カーテンを閉めて、薄明かりに染まる部屋で再び意識がまどろむのを待った。
やっと眠れてきた頃にスマホのタイマーに起こされた。お昼ごはんを食べて出かける支度をすると床の間に行った。お母さんの仏壇にお線香をあげて手を合わせる。
お母さんのことはまだ分からないけど、いつか本当のことを知りたい。本当に私のせいだとしても、それでも知りたいと思った。たとえどんな理由だったとしても、私はお母さんが好きだ。お母さんも私のことを好きでいてくれたならすごく嬉しい。
どうか私のことを見守っていて下さい。空木とも栗城さんともちゃんと話せますように。そう願ってロウソクを消した。
駅で宇津野くんと待ち合わせて、電車とバスで吾妻さんのお婆ちゃんの家に行く。
昨日、印を付けた地図を広げると、どこで男を待ち伏せるかを話し始める。
「今までの情報をまとめると海岸沿いの道でよく目撃されているから、そこから少し離れて見張ろうと思う。それで見つかったらすぐ連絡してそこに集まるって感じで」
了解と答える。今日は空木も栗城さんも来ないから、私と吾妻さんと宇津野くんの三人だけだ。
日が傾いてきて、三人で海岸沿いの道に向かった。広い道だけど車通りが少ない道で、私は近くの公園で待機することになった。二人も、歩いて五分ちょっとの所でそれぞれ待機している。
ゆっくりと空が赤く染まり、そして紫になって最後には黒に染まった。日が落ちると風が涼しくて心地好い。夏の終わりが近づいてくるニオイに、少しだけ胸が締め付けられた。
たまに通りから車の音が聞こえるだけで、それ以外は何も聞こえない。
ザーっという大きな音がして、トラックが通り過ぎていく。その音がいつまでも耳に残って消えない。そして、さすがにおかしいと気付いて通りに出ると、左の方から誰かが歩いてきた。まるで合成画像みたいに、その男の輪郭だけが浮き上がっていて違和感がある
一瞬、心臓が止まりそうになって、すぐに大きな音を立ててドクドクと動き出す。私はスマホを取り出して吾妻さんと宇津野くんにグループ通話をかけた。二人はすぐに出た
「男がいる。通りを左から歩いてきてる」
私が言うと二人は分かったと返して、すぐに走り出す音が聞こえた。
通話はそのままに、気付かれないように男を見張る。間違いない、ちゃんと顔を見たことはないけどそう思った。どこか人間らしくないオーラを漂わせながら、男はゆっくりと歩いている。
宇津野くんが右の道から走ってきた。私は小声でこっち、と言うと視線で男の場所を教える。スマホから、男の後ろ姿が見えたと吾妻さんの声がした。通りの左、男の十メートルほど後ろに吾妻さんが見える。
「じゃあこれから動画を撮るよ」
宇津野くんが言って通話を切った。私もスマホを向けて動画の撮影を始めた。吾妻さんもスマホを向けている。
男はそのままゆっくりと歩き続けた。やがて砂浜への道に入っていき、砂浜を超えて海があったであろう黒く汚れた場所へ進む。
どこまで追って大丈夫なのか分からないので、私は道の途中で立ち止まりスマホを向け続けた。吾妻さんも私の横で立ち止まっていて、宇津野くんだけが砂浜に入っていく。
宇津野くんは砂浜の端っこまで行って、そこで足元を一度見て立ち止まった。
男はそのままどこまでも歩いて行って、風に吹かれて舞う砂のように消えていった。その瞬間、生暖かい風になでられて全身に鳥肌が立った。
動画で見たことはあったけど、実際目の前で見ると本当に信じられないくらいあっさりと消えていった。二人も、まるで信じられないというように茫然と暗闇を見つめている。
しばらく経ってから急に宇津野くんが振り返って、それから走って私たちの所まで来た。
「見たよね! 消えたよ! 間違いなく目の前で消えた!」
海外ドラマの俳優みたいに、手を目一杯広げてオーバーなリアクションを見せる。
「靴。左右逆に履いてた。アタシ見たよ」
吾妻さんも冷静を装ってはいるけど、声のトーンがいつもより高い。
私も、さっきから心臓のドキドキが止まらない。空木の話は全部本当なんだ。信じていなかったわけじゃないけど、やっぱり目の前で証拠を見せられると動揺してしまう。あの男の人も未来から来たのかもしれない。そう思うとなんだかとても怖くなってきた。
宇津野くんはスマホを見ると、まだ終電に間に合いそうだと急いで帰っていった。私は吾妻さんと一緒に吾妻さんのお婆ちゃんの家に泊まることにした。
家に戻る途中、ファミレスで夜ごはんを食べた。
「栗城さん、明日は一緒に探してくれるかな」
食事を終えると吾妻さんが言った。
「どうだろうね」
私はできるだけ感情を込めずに答えた。
「連絡しないの? このまま転校しちゃうのは、なんか悲しいよ」
「そろそろ、戻ろうよ。吾妻さんのお婆ちゃん心配しちゃう」
私は伝票を掴むとレジに向かった。
お風呂に入って、持ってきていたパジャマに着替えると、二階の部屋に吾妻さんと布団を並べた。とくにやることもないので早めに電気を消して布団に入った。
「ねえ、もう寝た?」
月明かりが照らす部屋で、吾妻さんが呟いた。
「寝たよ」
そう答えるとふふっと小さな笑い声が聞こえた。
「じゃあここからは私の独り言ね」
私は何も言わない。
「栗城さんって西堂さんのことすごく心配してたんだよ。あんな噂が流れて、誰が犯人か捜したりしてたの。でも見つからなくて。それで自分から噂話したりして、誰が一番ノッてくるかとか探って、そういう子にはやんわりたしなめてた。最後には、私は西堂さんが羨ましいなぁって言ってね」
知らなかった。栗城さんがそんなことしていたなんて。
「栗城さんて前にちょっと問題起こしたことあるんだよ。礼深さん、私たちも会ったことあるよね。礼深さんって昔いじめられてたんだって。それで栗城さんその時すごく怒って、相手の子ケガさせちゃったの。それから大きないじめは無くなったけど、二人とも無視されるようになって、結局礼深さんは転校したって。だからきっと今回はそんな風にしたくなくて、栗城さんなりに色々考えたんじゃないのかな」
吾妻さんの声は本当にどこまでも透き通るように綺麗で、私の心にすんなりと入り込んでくる。
「まぁ、噂で聞いただけだけどね」
それっきり一言も喋らなかった。しばらくすると、スースーという寝息が聞こえてきた。私も目を閉じて睡魔に身を委ねた。
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