第十七話


 夢を見た。

 最近は夢を見ることもほとんどなく、見ても曖昧で起きたら忘れてしまうような夢だけだった。

 私はまた祠の前にいた。

 隅の方からは水が滴っている。

 風は吹いていないのに潮のニオイがきつく鼻を突く。

 ここはどこだろう。見覚えがあるような気がする。

 祠からお母さんの声が聞こえる。

 なんて言っているんだろう。

 聞き取れないのになぜだか怖くはない。

 お母さんが呼んでいる。

 そうだ、祠の中から私を呼んでいる。

 私は祠の扉に手をかけた。

 触れた瞬間に辺りが眩しいくらいに明るくなる。

 そして、目が覚めた。カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。


 夏休みも折り返しを過ぎて、休み中に一度だけある登校日になった。

 学校に行くと、まだ一か月くらいしか通っていないのにもう懐かしい気持ちになる。教室に入るとすでに人が集まっていた。外での出来事が嘘のように、学校の中では何事もなかったように世界が動いている。

 時間になり体育館に移動して校長先生の話を聞く。どうやらこの学校は夏休み明けも通常通り続くことになったらしい。ただ、引っ越す人も何人かいるのでクラス替えやクラスの統合をする予定だという。それ以外にも長々と話をしていたけど、ほとんど聞いていなかった。

 教室に戻る廊下を歩いていると、後ろから栗城さんが背中をツンツンしてきた。


「西堂さん、西堂さん。よかったね、学校続いて」

「うん、そうだね。どうなるか心配だったから決まって安心したよ」

 そこで栗城さんが前に引っ越すかもと言っていたことを思い出す。

「そういえば、前に引っ越すかもって言ってたけど、どうなったの? 学校大丈夫ならこっちに残れそう?」

 一応、他の人に聞かれないように小声で聞いた。

「ん~、私はやっぱり引っ越すことになりそう」

 私よりも小声で囁いてきた。

「え? そうなの?」

「でも大丈夫。西堂さんの誕生日会はその前にちゃんとやるから」

 私の疑問を遮るようにそう言うと、教室に入っていった。私も続いて教室に入る。

 担任が来ると、進路についてや夏休み中も節度を守って行動しろということを話して、お開きとなった。


 担任が出ていくとそこらじゅうでお喋りが始まる。栗城さんの周りには特に人が集まっていた。

「え? 栗城さん引っ越しちゃうの?」

「うん。お父さんの都合でどうしようもなくて」

「そっかぁ~残念だね。いつ引っ越すの?」

「まだ決まってないけど、遅くても今月の終わりには引っ越すと思う」

「え~、じゃあ会えるの今日で最後じゃん」

 小麦色に焼けた肌の子が、悲しいのかそうでもないのか、よく分からないテンションで喋っている。ここら辺だと海水浴はできないし、わざわざ他県に行って来たのかな。それとも焼いただけだろうか。

 教室を見まわすと宇津野くんも吾妻さんもいなかった。もう帰ったみたいだ。空木もいない。

 私も帰ることにしてカバンを持って教室を出た。


 帰り道の途中、久しぶりにスーパーイバタに寄り道をした。

 一時期品切れが多かった店内も今は大分品数が増えている。エアコンの冷気が満ちている店内を歩き、冷たい飲み物のケースの前でどれを買うか迷う。最近はちょっと我慢していたけど、久しぶりにコーラの缶を買うことにした。

 レジで会計をする。イバタさんは皺くちゃの手で缶のバーコードを読み込ませている。

 最初は知らなかったけど、実は去年の暮れに、一緒にお店をやっていた奥さんが亡くなったそうだ。それからはずっと一人でこの店を開けている。もうすぐ九十歳になるのにすごいなと思う。


「朱百合ちゃんはこれからもこの街に住むのかい?」

 お釣りを渡しながらイバタさんは嗄れた声で話す。

「ん~、まだ分かんないです。とりあえず高校はまだ通うつもりですけど」

「そうかぁ~。まぁ若いもんには退屈だろうねここは」

 どことなく寂しそうな顔を見せるイバタさん。

「昔はそれでもまだ活気があったんだけえどね。そうだ、朱百合ちゃん覚えてるかい? 幸福のロードって。昔役場のやつがそこの道を行った先で、大潮ん時に岩の間に道ができてるって騒いで、観光名所にしようとしてたんだよ」

 天井を見上げて思い出話を始めたイバタさんはとても幸せそうで、無下にするわけにもいかない。


「あ~、なんとなく覚えてますよ。今なら好きなだけ歩けますねあの道」

「フフッ。確かに今ならいつでも歩けんな。でも当時はそんなこともなくて、観光名所にしたはいいけど大潮の時だけじゃ大して人も来なくてね。いや~懐かしいね」

 そこでイバタさんはふと何か気が付いたというように私を見てきた。

「そういや、あの道に洞窟へつながる横道があるの知ってるかい? 元々はそこも観光できるようにしとったみたいで、たしか奥の方に古い祠か何かがあるとかなんとかね。あーでも、入ってる途中で潮が満ちたら大変だからって結局すぐに立ち入り禁止にしたんだったかな」

 祠……。あそこにそんなものがあったんだ。


「いやそれにしても、ここらももうダメかもわからんね。どんどん大きなデパートができて、商店街のやつらもみーんな店畳んじゃってさ、うちもいつまでやれるかね。この身体ももうガタがきちまって。ゴホッゴホッ……」

 急に咳き込んでそのまま店の裏に行ってしまった。大丈夫だろうか。少し待っていると奥から、大丈夫だから引き留めて悪かったね、と声がした。

 外に出るとスマホを取り出して空木に電話をかけた。

「空木。今から会えないかな」


 スーパーイバタの前でベンチに座ってコーラを飲む。空木はすぐに来ると言っていた。蝉の鳴き声がして、遠ざかる。そしてまた聞こえてきた頃に、商店街の奥から自転車が走ってきた。

 空木は自転車を乗り捨てると、やけに緊張したような表情で近づいてくる。

「西堂、もう一つ祠があるって本当か?」

「うん、たぶん間違いない。さっきイバタさんに言われて思い出したんだけど、海の中にある洞窟に祠があるって、昔聞いたことある」

「そうか、なるほど……」

 何かを考えこむように下を向いている。

「西堂、そこに案内してもらえるか」

「もちろんいいけど。でもそれが何か関係あるの?」

 何も答えないで自転車を立てると、後ろに乗れと言わんばかりに荷台を叩く。こんなにも焦っている空木は初めて見た。一歩踏み出すと手の中でスマホが震えた。

 画面を確認する。瞬間、空木が私を呼ぶ。

「西堂! 急げ!」

 なぜここまで急いでいるんだろう。理由は分からないけど素直に従うことにした。スマホをカバンにしまうと私は空木の後ろに座る。

「飛ばすからな。しっかり捕まってろよ」


 空木の背中が目の前にある。その背中から両手を伸ばして、お腹の前で手を結ぶ。場所を伝えると空木は全力で自転車をこぎ出した。

 走り出すと空木のニオイがした。風を切って走ると、伸びた襟足が頬をくすぐる。手が塞がっているので背中に頬を擦りつけて痒みを抑えた。とても心地好い。この道がどこまでも続けばいいのにと思う。

 赤信号で止まると、背中から空木の鼓動が聞こえてくる。すごく速い。肩が揺れて口から息を吹き出す音も聞こえた。信号が変わるとすぐに走り出す。

 砂浜が見えてきた。もうすぐ着いてしまう。


 道路脇に自転車が止まると、結んでいた手を開いて自転車から降りた。

「あそこの岩の道って警備いたっけ?」

 息を整えながら空木が聞いてくる。

「どうだったかな……。前に通った時はあんまりいなかった気がするけど」

「そうか。まぁとりあえずあまり目立たないように行こう」

 元々そこは、海の中に沈んでいた場所だったから少し不安だったけど、幸いにも警備の人たちは砂浜から海に向かう人ばかりを気にしていた。岩の道を歩く私たちのことはあまり気にしていないようだった。

 岩の道を途中で陸の方へ曲がる。ゴツゴツとした岩が増えてきて、地下に潜っていくような洞窟が見えてきた。この先に本当に祠があるのかな。

 洞窟の入り口で一度振り返って外を見る。誰も見ていないのを確認して中に入る。

 中は真っ暗だった。カバンからスマホを取り出してライトをつける。スマホのライトを頼りに進んでいくと足音が、それに続く小石の転がる音が、反響していく。


 どれくらい歩いたんだろう。振り返ると入り口は小さな白い点になっていた。なんの迷いもなく進む空木を追いかける。何を考えているんだろう。さっきまであんなに暖かく感じた背中が、今では冷たい岩のように見えた。

「ねぇ、空木。まだ進むの? 今でもこの先に祠があるかは分からないよ」

「あるよ。絶対に」

「なんで? なんでそんなこと言えるの? なんでそこまで祠にこだわるの? 分からないよ」

 堪えきれなくなって空木の手を掴む。

「ねぇ、教えて……空木は何を知ってるの?」

 空木が歩みを止める。でも振り返りはしない。洞窟内は暗くて表情が全く見えない。私は怖くて泣きたくなってきた。何か答えてよ。

 耳が痛くなる程の沈黙が続いて、ようやく空木が答える。振り返りはしないまま。

「西堂、もし俺が未来から来たって言ったら信じる?」

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