第五話
私は一度家に戻ると、お風呂に入ってからごはんを食べた。そしてお婆ちゃんに、友達の家に泊まりに行くと伝えて家を出た。
家を出る前にお婆ちゃんに、あんた夢ノ見山の祠に行ったかのか、と聞かれた。びっくりして、でも嘘も吐きたくなかったから、なんで、とだけ答えた。お婆ちゃんは、いやぁ行ってないんならいいんだけどね。と言ってから、あんなことがあってよそ者も多いから気を付けなさいよ。と言い、居間に戻っていった。
スマホの地図を頼りに吾妻さんの家まで行くと、栗城さんは先に着いていた。両親に挨拶をして、泊めてもらうお礼を言うと、吾妻さんの部屋に入る。室内は壁紙や小物がブルー系で統一されていて、吾妻さんの銀のメタリックフレームのメガネによく合っていた。
机にはノートパソコンが開かれていて、ビデオ通話がつながれていた。窓の外には大きな望遠鏡が置かれている。
吾妻さんの家は二階建てだけど、ベランダからは宇津野くんの家に負けないくらい、海がよく見える。
ノートパソコンの中の空木が喋り出した。
「お、これで全員集まったな。じゃあもう一度作戦の確認といこうか」
まるで初めてのお泊り会で枕投げをする時のように、テンションの高い声でまくしたてる。
作戦というのはちょっと仰々しい気もする。やることはただ爆破実験を望遠鏡で観察するだけだ。本当にそんな実験が行われる確証はもちろんないし、天体望遠鏡がどこまで役立つかも分からない。
吾妻さんと宇津野くんの予想では、今夜爆破実験の行われる場所は、一回目の実験が行われたとされる場所よりだいぶ沖の方らしい。その場所は宇津野くんの家からも吾妻さんの家からも見えるので、二手に分かれて観察することになった。
部屋の時計は夜の十時半を指している。吾妻さんが無線で聞いた作戦開始時刻は夜中の二時。まだまだ先だ。作戦が早まる可能性もあるからと、男子二人は交代で海を監視することにしていた。
吾妻さんはそれまで月の観測をしたいと言って、ベランダに出て行ってしまう。部屋には私と栗城さんの二人だけが残された。
開かれたままの窓。その境には網戸が閉められていて、そこから室内に入る空気はまるでろ過フィルターを通ったみたいに性質が変わっていく。ろ過されるなら綺麗な空気になるからいいけど、ここはその逆だ。不純物がコーティングされた重たくて暗い空気が室内に充満していく。
栗城さんが私を見た。そして窓の外を見てから、また私を見る。曖昧に見つめ返すと、栗城さんはノートパソコンを触ってからこっちに近づいてきた。
「西堂さんって、瑞透のことどう思ってるの?」
上目遣いに言う栗城さんの顔は、目の下に少し隈があって疲れているようで、それでいてほんのり口角が上がっていて、唇には潤いがあり輝いている。瞳の中には偽りではない強い意志が見えて、なんだかちぐはぐな感じだ。
「大丈夫。こっちのマイクはミュートにしてるから、あの二人には聞こえない。吾妻さんも月に夢中みたいだし、誰も聞いてないよ」
どうって、なにが。そう思って口を開きかけた。
「私は好きだよ。瑞透のこと」
栗城さんはためらいもなくそう言った。私を見据える瞳の奥にはやっぱり強い意志があるように感じる。
「空木とは幼馴染。それだけ」
その言葉に嘘はなかった。今まで空木を男として見たことなんてないし、優しいけど男らしいなんて思ったことはない。助けてくれた時にありがたいと感じても、付き合いたいなんて思ったこともなかった。
なのに、なんなんだろうこのどよめきは。吐き出した言葉を吸い戻そうとするように肺が、身体全体が締め付けられるようにしぼんでいく。
「だったら……」
栗城さんが言い出すのと同時に、ノートパソコンから宇津野くんの声が響いた。
「きた! 実験が始まった!」
宇津野くんはカメラに背を向けて口早にまくしたてる。
「今さっき目標の場所で小さな光が見えた。準備が進んでるのかもしれない。そっちからも観察を始めてくれ」
最後の言葉を言い切らないうちに、宇津野くんは窓際の望遠鏡の前まで走っていた。ノートパソコンの画面には、窓際で望遠鏡を覗いている宇津野くんが小さく映っている。
私はベランダに向かうと、吾妻さんに今の話を伝えた。それを聞くと吾妻さんはすぐに望遠鏡を海に向けて観察を始めた。
「ノートパソコンをこっちに持ってきてくれる」
吾妻さんが望遠鏡を覗いたまま言った。
分かったと答えて部屋に戻ると、ノートパソコンを持ってベランダに出た。そこに置いてと言って指さした先には、小さな台がある。私に続いて栗城さんもベランダに出てきた。
「それで、状況は?」
ノートパソコンを見もしないで吾妻さんが語りかける。
反応がない。吾妻さんはもう一度、さっきより大きな声で繰り返した。
やっぱり反応がない。私が戸惑っていると栗城さんが、あっと小さな声を漏らして、ノートパソコンに触った。栗城さんはこれで大丈夫と言ってから、状況はどうなってるのと言った。
「こっちからはもう何も見えない。そっちはどう? 何か見えた?」
スピーカーから、さっきより落ち着いた宇津野くんの声が聞こえてきた。
「こっちからも何も見えない。本当に光が見えたの? まだ予定時刻までは一時間以上あるよ?」
吾妻さんが、やはり望遠鏡から目を離さずに答えた。
「そうだけど確かに見えたんだ。もしかしたら予定が早まったのかもしれない。このまま観察を続けるよ」
「わかった。予定時刻まではこっちからも観察する」
そして沈黙の中、ひたすら暗闇を眺め続けた。私と栗城さんは前もって借りておいた双眼鏡で海を眺めた。途中で飽きて何回か星を探したりしながら、遂に何も起こらず二時になった。
「おかしいな」
宇津野くんの声が静寂の中に浮遊して消える。
それから更に三十分ほど待ってみたけど、結局何も起こらなかった。
「あれはガセだったのかな」
吾妻さんが囁いて、やっと望遠鏡から視線を外した。
「何かトラブルがあったのかもしれない」
完全に意気消沈したような宇津野くんの声。撤収ムードが漂ってきた中で、ふいに栗城さんが呟いた。
「まって、何か聞こえない?」
みんなが耳を澄まそうと意識を傾けた瞬間に、ドンという物凄く大きな音が暗闇に轟いた。
キャっという短い悲鳴を上げて栗城さんが屈んだ。私も怖くなって辺りを見渡す。何も見えない。
今度はザァーという音が聞こえてきた。
「なんだろう。何も見えない。やっぱり爆破実験は行われてるのか。でもどこでどうやって」
さっきまでの様子が嘘のように、息を吹き返した張りのある声で宇津野くんが喋り出す。
「音的には爆破が行われてるはずなのに、なんで何も見えないんだ」
吾妻さんは黙って望遠鏡を覗いている。そしてザァーという音が消えるとまた静寂が戻ってきた。それからは朝まで何も起こらなかった。
二人は寝てていいからと言われたけど、私は朝まで一睡もできなかった。
吾妻さんがずっと望遠鏡を覗いているのを、カーテン越しに眺めていた。
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