二章 壁と爆破実験
第四話
スマホでニュースを見ると、この街のことがいっぱい載っている。普段はネットで目にすることなんてないこの街の名前が、今はネット中に拡散されている。
この街から海が消えた。常識では考えられないことが起きている。
私は遅めの朝ごはんを食べると、すぐに出かけた。
丁字路に行くと、テレビ局の大きなカメラを抱えた人や、変な白衣を着た人、自衛隊の人までもいた。まるで渋谷のスクランブル交差点みたいに人でごった返している。
スーパーイバタで、売れ残っていたお茶のペットボトルを買って夢ノ見山に向かった。
海の見渡せる場所まで行くと、柵の前に立つ。夢で見たように真っ白な砂浜ではないけれど、黒く汚れているけれど、海水はすべて消えている。
ここから見える世界に海はない。
蝉の鳴き声が立体音響のように様々なとこから聞こえてくる。ここ数日で一気に暑さが厳しくなって、今日は三十度を優に超して三十五度も超える見込みだと、テレビで言っていたはずだ。収まらない汗を何度も拭ってからペットボトルを呷るように飲むと、もう半分以上無くなっていた。
ニュースによると、世界中の海水が無くなったわけではないらしい。日本の他の海も普通で、ここから見える範囲だけからキレイに消えている。
海の底になっていた所に沢山の人がいる。政府が派遣した調査団だろうか。あれから毎日、昼も夜もずっと調査をしている。
海の切れ目はここからは見えないくらい遠くにあって、そこは透明な壁で海水をせき止めている。その壁がどんな素材なのか、そもそも本当に壁が存在しているのかも、今の科学では分からないらしい。
ただ、この街を中心に海が消えた。それだけはまぎれもない事実だった。
振り返って祠の方へ歩いていく。
海が消えてから何度もここに来た。草むらの中に少し入っていく。
あの夢はなんだったんだろう。少し進むと祠が見えてくる。
あの日、私は海を消したんだろうか。祠の前でいつもそう思う。
やっぱり声に出してしまったから。願ってしまったから。私のせいでこんなことになっちゃったのかな。
風が吹くと潮のニオイがした。海の残り香。
私は、いつか誰かがこの祠に気付いてしまうんじゃないかと不安になる。そして私のしたことがバレるんじゃないかと。別に悪いことをしたわけじゃない。そう思おうとしても、気持ちはどんどん塞いでいく。だから何度もこの場所に来てしまう。
ザッザッと地面を踏む音が聞こえてきて、咄嗟に祠の奥の草むらに隠れた。隠れてすぐになんで隠れたんだろうと思う。
そーっと顔を出すと空木がいた。一人で何やってるんだろう。出ていくタイミングを失ってしまってそのまま眺めていると、空木がこっちに歩いて来て祠を触ったり覗いたりしだした。
自分の日記を他人に読まれている時みたいに、胸の中がぞわぞわとする。空木が今まで見たこともないような鋭い目をしている。その目が祠の中をじっと見つめていて、時が止まったように動かない。
首元が熱くなってきて鎖骨に汗が滲む。息を潜めて手で汗を拭う間も視線は空木に向けたまま。瞬きをすると汗が目に沁みて痛い。
パキッっという音が足元から聞こえて、時が動き出す。空木と私の視線が重なる。
「西堂? 何してるの?」
「うん……ちょっと散歩に……」
自分でも呆れるくらいにわかりやすい嘘を吐いてしまう。
空木は何も言わない。沈黙が重量を増してきて、私の心臓を潰してしまうんじゃないかと思えた。
先に息を吐いたのは空木だった。
「西堂さ、何か隠してない?」
肺に空気が入らなくなる。海で溺れた時みたいに、息を吸っても体に入ってくるのは重い液体だけで言葉が吐き出せない。空木は気付いたのだろうか、私の嘘に。それもいいかもしれない。どうせバレるなら空木に話してしまう方が楽だ。
「私ね……海を消しちゃったかもしれない」
そしてあの日のことを全部話した。空木は一度も口を挟まずに最後まで聞いてくれた。それが嬉しくて、久しぶりに胸が暖かい空気でいっぱいになった。
「一緒に海を取り戻そう」
全部話し終えると、空木はそう言った。まっすぐに私を見つめて低い声で。
「そんなことできるの?」
純粋な疑問を口にする。
「たぶん。まだやり方は分からないけど。でも絶対方法はあるはずだ」
バカバカしい私の話を全部聞いてくれて、そんなことを真剣に言ってくれる。やっぱり空木は優しいな。
「本当に西堂のせいかは分からないけど、そんなの関係なしに一緒に海を取り戻したい」
「うん。私も本当のことが知りたい」
「よし、決まりな! それじゃこれから宇津野の家に行こう」
「え? なんで宇津野くん?」
「あいつん家結構でかいし高台にあるから、そこから海の境界線を見る。あいつ望遠鏡も持ってるし」
「見てなにかわかるの?」
「見てみなきゃそれも分からないだろ。本当は実際に側に行って確かめたいけど、それは警備がキツくて無理そうだし。そもそも危険だしな」
そのまま二人で山を下りて宇津野くんの家に向かう。その途中で空木が電話をかけた。
「お、宇津野。急だけどお前の家行っても大丈夫か?」
宇津野くんの声は私には聞こえない。
「そっか。わかった。じゃあまぁ今から行くわ」
数分で電話は終わった、
「とりあえず今から家に行くけど、栗城も来るらしい」
栗城さんも来る。その言葉に、消えかけていた憂鬱がまた広がってきた。
「あいつの親父さん漁師だから、海が無くなってすげえ困ってるんだって。それでみんなで色々調べるらしい」
「そういえば船に乗せてもらったんだったね」
ぎこちない会話をぽつぽつと続けていると、宇津野くんの家に着いた。
宇津野くんの家は本当に大きくて、三階まであった。最上階の宇津野くんの部屋まで行くと栗城さんと吾妻さんもいた。
「さっき話したけど、空木くんと西堂さんも一緒に調べたいって。まぁ僕はあの現象の理由が知りたいだけだから、とりあえず一緒にやることにした」
宇津野くんが二人にそう言うと、空木がよろしくと言って手を上げる。私は軽くお辞儀をした。
「早速だけど、僕はあの透明な壁と海が消えたことは別々に考えるべきだと思うんだ。壁で海の流れが途切れても、あれだけの量の海水が一夜に消えるなんてありえない」
それから宇津野くんは何やら難しそうな数式をノートに書くと、壁の範囲内の海水が消えるために必要なエネルギーや海水の重さなどを説明し始めた。私には全然理解できなかったけれど、海水の重さはこの街の家や物や人を全部合わせたよりも重くて、それらを消すには、この街を簡単に吹き飛ばせるくらいのエネルギーが必要だということは分かった。
「それはつまりどういうことなの?」
栗城さんが質問する。
「今の日本の技術力では不可能だということ。国家機密級の兵器でもあれば、別かもしれないけどね」
宇津野くんはそう言うとフチなしメガネのブリッジをくいっと上げて、胸の前で腕を組んだ。涼しげな沈黙が流れていく。
「壁についてはどうなんだ?」
今度は空木が質問する。
「正直壁についてはまったく分からない。限りなく透明に見える物質ならあるけど、あれだけの海水をせき止めるのは、相当な重さに耐えられないといけない。ネットに上がっている動画をいくつか見たけど、どうにも理解しがたい。なんだかまるで未来から送られてきた兵器みたいだ」
「兵器って、ただの壁じゃないってこと?」
栗城さんが怯えるような表情で呟いた。
「まぁ何でできているか分からない以上、油断はできないよ。噂ではここから北に行った所の壁で、米軍が爆破実験をしたらしい。沖から離れたところでやったみたいだけど、遠くから撮った動画がネットに上がってた」
宇津野くんは机に座るとパソコンを操作しながら続けた。
「今回の現象については世界中から調査団が来て調べてるけど、どこの国も一番の関心はあの壁についてだよ。海が消えたのは確かに不思議だけど、海外の最新兵器を使えばやってやれないこともないと思うんだ。でもあの壁は違う。あれはまぎれもなく人類が初めて遭遇したものだ」
そして宇津野くんはみんなにパソコンの画面を見るように言って、爆破実験の映像と言われている動画を再生させた。その映像は夜中に撮ったようで画面の半分以上が黒で覆われていた。その中で小さく白い光が見えて、消えていった。映像はそれだけだった。
「本当にこれ爆破実験なのか?」
空木が少し茶化すように言う。宇津野くんが、まぁ確証はないね、と返してパソコンの画面を消した。
「爆破実験についてなんだけど、実は今夜もう一度やるって情報もあるんだ。だよね、吾妻さん」
ここまでずっと黙っていた吾妻さんが口を開く。
「そう」
吾妻さんの、小さいけれど透き通るような声が部屋に響いた。
「アタシの兄が昔無線マニアだったの。それで、今はもうやってないから最近はアタシが使ってるの。機材の使い方は昔教えてもらったから」
吾妻さんはそこで一旦切って、ペットボトルのお茶を飲んだ。私は口に入った液体が喉を滑るように流れていくのを眺めていた。そのままペットボトルをほぼ逆さまにするくらいまで飲み続けていくので驚いた。もしかして緊張しているのかも。
飲み終えるとペットボトルの蓋を閉めて、本当はしちゃいけないことなんだけど、と前置きしてから続けた。
「海が消えてから色々な人たちがこの街に来たでしょ? それで普段はキャッチしない電波も色々増えたの。その中の一つが、交通規制やヘリの規制、マスコミの報道規制なんかを伝えてたの。」
私は唾を飲み込んだ。吾妻さんが喉元の汗を拭う。
「それでアタシ、その無線をずっと聞いてたの。本当にずっと、寝るのも我慢して。そしたら丁度今日、無線から今日の夜に作戦決行って聞こえてきたの」
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