第三話
海には空木と栗城さん、それから同じクラスの
吾妻さんと宇津野くんとは挨拶程度しかしたことないけど、空木の話だと、吾妻さんはいわゆるリケジョで科学はいっつも成績上位。宇津野くんはSFマニアで、授業中も教科書に隠してよく読んでいるのに、それでも成績は良いという。
二人とも天文部に入っていて、月の観測ができるならと行くことになったらしい。昼間でも月って見えるんだろうか。
古いエアコンは全然効かなくて、部屋にいても暑いから出かけることにした。
べつに仮病で断ったわけでもないけど、なんだかクラスの子に会うのも気まずい。私はスーパーイバタでアイスとジュースを買ってから、海の反対にある山に行くことにした。
何年振りだろう。夢で見た祠はまだあるのかな。
そもそもあれは実際の記憶だったのかな。本当に夢の中だけでのことだったのかもしれない。
山の麓に立て板があった。夢ノ見山と書いてある。
夢ノ見山。昔もここに来た気がする。あれはお母さんと一緒だったような、お父さんだったような、うまく思い出せない。
少し登るとベンチが置いてある小さな休憩所があって、そこでアイスを食べた。
日陰にはなっていたけどそれでもやっぱり暑い。麦わら帽子をうちわ代わりにして扇いでみたけど全然涼しくならない。これなら家で扇風機の前に座ってた方がよかったかもしれない。
それでも帰らなかったのは、あの祠の夢を見たからだろう。
たしかもう少し上まで行けば見晴らしのいい場所に出て、その奥に祠があったはず。段々と記憶の輪郭が鮮明になる。
アイスを食べ終えてレジ袋に入れると、また歩き出す。
栗城さんが私の噂話をしていることはすぐに気付いた。東京では何度もそういう人を見たから分かる。トイレで話声が聞こえたこともあった。
別に栗城さんを責めるつもりもない。人間なんてみんなそんなもんだってもう知ってるし、今更噂を全部否定して仲良くなりたいなんて思わない。
私だって栗城さんのすべては知らないし、知りたいとも思わない。私のことを知って欲しいとも思っていない。このままでいいと思っているのかもしれない。
なのに、今日も私の噂話をしているのかと思うと、胃が締め付けられるみたいで、何かドス黒い物が逆流してくる。
そこは夢で見たよりもこぢんまりとしていた。
少しだけ開けた所を柵で囲って、街並みや海や空を見渡せるようになっている。柵の前には丸太を半分にしただけのようなベンチが二つ置かれている。
デートで来れば良い雰囲気になりそうだけど、地元の人には見飽きた風景なのかもしれない。斜面の手前にある木の柵が所々傷んでいる。
柵の所まで行くと眼前には古びた街並みがあり、その先に海が広がる。海には船がいくつか見える。あの中に空木たちもいるのかな。
なぜだか、最近はふと空木のことを考える。
海を背に柵の反対方向へ少し進むと祠があった。思っていたよりずっとずっと地味で、なんでこんなものを見るためにここまで来たのかと後悔した。それでも一応お参りだけはしておく。
目を閉じた瞬間に前方から風が吹いてくる。風に乗って懐かしいニオイがした。なんのニオイだろうかと目を開けると、すでに消えていた。耳には蝉の鳴き声がしつこく纏わり付く。
柵の所まで戻ると栗城さんの笑い声が聞こえてきた。
一隻の船が、小さな島に向かって進んでいる。見えるはずもないのに、聞こえるはずもないのに、あそこから私を笑っている姿を思い描く。
胸がツンとした。何かが込み上げてくる。
――海なんてなくなっちゃえばいいのに。
そう思うと無意識に声に出てしまった。全く感情のない声で、自分の声なのに自分じゃないみたいでドキッとする。
沖まで届くかのような突風が吹いて、声が風に乗って海まで流れていく。
本当に栗城さんたちの所まで届いてしまうんじゃないかとソワソワしてきた。そして海を見ず、一度も振り返らないで、家まで帰った。
山になんて登ったからなのか妙に疲れてしまって、夕食後にお風呂から出たらすぐに寝てしまった。
その日の夜に不思議な夢を見た。
いつもとは違う初めて見るような夢。
夢の中で私は風に乗って空を飛び回っていた。
その世界には海はなくて、どこまでも続く綺麗な白い砂浜があった。
砂浜の上を、山々の間を、私は自由に飛び回っている。
お母さんも、お父さんもお婆ちゃんもみんな一緒に飛んでいる。栗城さんもクラスの人たちも楽しそうに飛んでいる。
途中で夢だと気付いてからもずっと空は飛べた。
白い砂浜を飛行機よりも速く飛んで、海外にも行ってみた。どこにだって行ける。誰にだって会える。
雲を抜けてどこまでも登っていく。太陽が地上で見るよりも大きい。
地球を一周してこの街に戻ってきた。
夢ノ見山から見る景色も全く違っていて、海が消えて真っ白な砂浜が広がっている。
柵に腰かけて白い海と青い空を眺めているとお母さんの声が聞こえた。
声の方へ行ってみると祠があった。夢ノ見山で見たのとは違う、もっと暗くて、なんだか湿っているみたいだ。隅を見ると水が滴っている。ここはどこだろう。
いきなり辺りが暗くなってきた。太陽も雲も消えている。
祠の中からお母さんの声がした。でもなんて言っているか分からない。
声は間違いなくお母さんなのに言葉が理解できない。
急に怖くなってきて空木の名前を呼ぶ。
そうだ、空木がいない。
目覚めると世界が変わっていた。
海が消えていた。この街から。
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