第六話
あの大きな音が何だったのかはわからないけど、吾妻さんの情報はあながち間違いでもなかったようだ。この街への出入りは規制され始めている。
あの後、眠いのを我慢しながら朝ごはんを食べていると、テレビからそんなニュースが流れてきた。部外者のこの街への出入りが徐々に規制されていくという。私たち住人はまだ大丈夫だけど、それもこの先はどうなるか分からない。海だった場所への立ち入りも、危険だからという理由でどんどん厳しくなっている。政府が補助金を出して他県への転居も勧めているらしい。
一時は物珍しさから観光地化していたのに、規制を強化して住人も追い出して、一体何をするつもりなんだろう。ネットの噂ではこの街に軍事施設を作るだとか、極秘の実験場を作るだとか言われている。
吾妻さんのお母さんにごはんのお礼を言って、一旦それぞれ家に帰る。仮眠をとってから、午後二時に宇津野くんの家に集合となった。
帰り道で栗城さんが話しかけてきた。
「西堂さんのところは引っ越しの話とかしないの?」
「ん~、うちはお婆ちゃんがずっとここに住んでるから、出ていく気はなさそうだね」
「そっかぁ。……私は引っ越すかもしれない」
「え? そうなの?」
横を向くと栗城さんが少し俯きながら歩いている。
「うん。お父さんは海が無くなったら仕事できないから。今なら国からお金も貰えるし。みんなが色々調べてくれたのは嬉しいけど、でも学校だって夏休み終わっても通えるかわかんないし」
学校。確かにこのままだとどうなってしまうんだろう。
「だからね」
並んで歩いていた栗城さんが私の前に回り込む。
「だから、私。瑞透に告白しようと思ってる」
まっすぐに私の目を覗き込んでくる。なにが、だからなんだろうか。
「西堂さん、応援してくれる?」
こういう時になんて答えればいいんだろう。きっと求められている答えは分かっている。だけどなんでこんなことを私に聞いてくるんだろう。だまし絵を見ているように思考が堂々巡りする。
「うん」
結局そう答えた。他の選択肢なんて元々ない。許される答えが一つしかない問いほど不条理なものはないと思う。
そんな考えを全部見透かすように、栗城さんが一瞬笑った気がした。
「じゃあ私あっちの道だから。また後で」
そう言って歩いて行く栗城さんの後ろ姿を、いつまでも眺めていた。
家に帰るとスマホを枕元に放り投げてベッドに倒れこんだ。考えなきゃいけないことがいっぱいある気がするけど、もはや睡魔に勝てる体力は残ってない。
夢を見た。
そこはとても暗くて湿ったニオイがした。
明かりはどこにもなくて、それなのに真っ暗でもない。
おぼろげに浮かぶ世界は狭くて、横も後ろも岩のようなもので覆われている。
私は歩いた。進んでいるのかさえ分からない道を。
どれくらい歩いただろう。夢の中では時間の感覚がおかしくなる。
気が付くと、目の前に祠が見えてきた。祠が幽かに光っている。
私は祠に向かった。ゆっくりだった歩調が途中から早足になり、最後は走りだしていた。
祠の前に着くとどこからか風が吹く。
風に乗って懐かしいニオイがした。
最初は夢ノ見山の祠かと思ったけど、違った。いつか夢に出てきた祠だ。
ぽたぽたと祠の隅から水が滴っている。
それが次第に音を増していく。
ついにはザァーザァーと耳が痛くなるほどに鳴り響いて、目が覚めた。
耳元でスマホがけたたましく吠えている。
電話は事務所の社長からだった。
テレビのニュースを見て、心配になって連絡してきたという。お父さんにはすぐに、大丈夫だと連絡したけれど、事務所に連絡するのをすっかり忘れていた。
社長はいつも、私のことをとても気にかけてくれている。私がいっぱいいっぱいになってしまった時も、活動を休止して一度家に戻ってみたらどうかと提案してくれた。当時事務所の寮に住んでいた私は、東京のお父さんの家ではなくてお婆ちゃんの家に戻ることにした。お父さんのことは嫌いではなかったし、この街の海は好きではないけれど、あの時はとにかく東京から離れたかった。
思えば、私は事務所に何か恩返しができているのだろうか。
お母さんがいなくなってから何にも積極的になれなくて、クラスでも浮いていた私が初めて夢中になれたのがファッションだった。お小遣いを貯めて服を買って、たまには自分で刺しゅうを入れたりして。やっと自分を見つけられた気がした。スカウトされたのは、それを認めてくれたようで嬉しくて、事務所にも社長にもすごく感謝している。
でも私は折れてしまった。好きだからこそ思い通りにならないのが辛かった。本物を見せられて、否応無しに自分の実力を知って、そして逃げた。
東京を立つ日、事務所に挨拶に行くと社長が、いつでも戻ってこられるように準備しておくから、と言ってくれた。私はそれが嬉しかった。私の居場所がある。それだけで少し気が楽になった。
それなのに何の連絡もしてなくて本当に申し訳なく思う。
電話で丁寧に謝ると、問題がないなら別にいいよ。と言ってくれた。お礼を言ってから電話を切ると、起き上がって着替えた。
時間は午後一時過ぎ。一階に降りて遅めのお昼を食べることにした。まだ寝たりなかったけれど、ここで寝たら確実に二時には間に合わない。
冷蔵庫にあった食材だけでチャーハンを作ると、鍋に残っていた味噌汁を温めてからテーブルに並べる。お婆ちゃんは居なかったから一人で食べた。
食べ終わって出かける支度をしていると、お婆ちゃんが帰ってきた。
支度が終わって玄関まで下りて行くと、お婆ちゃんが私を呼び止める。
「また出かけるのかい」
「うん、ちょっと友達の家に行ってくる」
そうか。と言って少し間を開けてから私を見つめてくる。
「あんた、やっぱり祠に行ったね」
お婆ちゃんが断言したから何も言い返せなかった。
「あんた、お母さんのこと忘れたのかい」
「え?」
言葉が出ない。なんでここでお母さんが出てくるの。それに忘れたってなに。お婆ちゃんはなにを言っているの。
意味が分からない。頭が混乱してくる。
「あんな祠、無くなってしまえばいいんだ。あぁ、忌々しい」
お婆ちゃんは最後に、もう二度とあそこには行くんじゃないよ。と言って居間に戻っていった。
私は茫然と立ちすくむ。
ポケットの中でスマホが震えて、ハッとした。スマホを見ると空木からの着信だ。黙って玄関を出てから通話を始めた。
「もしもし、西堂。今少し大丈夫か?」
「うん、なに?」
「ちょっと会って話したいんだ。イバタまで来れるか?」
「うん、すぐ行く」
通話を切るとスーパーイバタに向かった。
店の前のベンチに空木が座っている。私が気付くと同時に空木も気付いて立ち上がった。
「すまん、急に呼び出して」
「ううん。でもこれから宇津野くんの家に集まるのに、わざわざ何か用事なの?」
「ああ、あの祠のことなんだけど」
祠という言葉に、さっきのお婆ちゃんの姿がよみがえる。
「何か分かったの?」
「ん~、まぁそうなんだけど」
妙に歯切れの悪い言い方をしてチラチラと私を見る。
「なに? ちゃんと言ってくれなきゃ分からないよ」
「うん、まぁそうだけど」
そこで一旦切ると、俯いてまた黙った。頭上からは蝉の鳴き声が聞こえてくる。
うん、と小さく呟いてから、顔を上げて私を見る。
「思い出したくないかもしれないけど、西堂は昔のこと覚えてる? 小さいころに夢ノ見山の祠行ったことあるよな?」
「え?」
自然と口から洩れた。
「お母さんが亡くなったころだから、やっぱり思い出したくないよな。ごめん」
昔のこと。お母さんが亡くなった。忌々しい祠。
心の隅に追いやった記憶があふれ出してくる。
そうだ、私はお母さんと夢ノ見山に行った。そして祠の前で転んでケガをした。大したケガじゃなかったけど、傷口からばい菌が入って熱が出て寝込んだんだ。お母さんは何度もお参りに行って祈ってくれて、そして私が元気になったころには居なくなっていた。
私のせいだったんだ。私のせい。
「わたしのせい……」
「え?」
「お母さんが死んじゃったの、わたしのせいだったんだ」
我慢しようとしても涙があふれて止められない。
「それは違う! 西堂のせいじゃない!」
珍しく空木が大声を出す。びっくりして顔を見上げた。
「それは絶対に違う。西堂のせいじゃないのは俺が知ってる。あれは事故だ。」
言い切って、私の両肩に手を乗せる。私はそのまま胸に飛びついて泣きたくなるのを必死に堪えた。
「嫌なこと思い出させてごめん。でももう他に方法がなくて。なぁ西堂、あの祠について何か覚えてないか?」
「祠について?」
「そう、あの祠のこと何か知らないか? どんなことでもいい、教えてほしいんだ」
必死に思い出そうとしたけど、出てくるのは辛い思い出だけだった。
「わからない。転んだことはなんとなく思い出したけど、ほかにはなにも」
「そうか、分かった。変なこと聞いてごめん」
私は黙って首を振る。空木はなんでこんなにも祠について聞いてくるんだろう。空木だけじゃない、お婆ちゃんもそうだ。
「じゃあ俺もう行くわ」
走り出した空木はすぐに立ち止まって振り返った。
「お前は少し休んでから来いよ。ひどい顔だぞ今」
笑顔でそう言うとまた走り出した。
ベンチに座って空を見上げる。風が吹いて汗も涙も乾かしていく。
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