第2話




 要約すると、こうだ。


(この手紙の主――追坂おうさかひめるはオレのことが好きらしい)


 追坂秘。女子。同じクラス。

 それくらいしか知らない。あまりにも接点の薄い相手。

 本当に本人かは怪しいが、少なくとも手紙の末尾には名前がある。そして文面を見るに、冗談ではなく本気だ。


(じゃなきゃ相当イカれてる)


 とまあ、シンプルにまとめるとそうなるのだが、事態はそう単純ではないようだ。


(この文脈からすると――)


 下駄箱から教室に移動し、雪実ゆきさねは自分の席で怪文書じみた手紙を睨む。

 ふと気になってちらりと周囲を窺うが、件の追坂はまだ登校していない――いや、やってきた。


 目立たない女の子だ。片目を覆うほどに長い前髪が陰気な印象をつくっている。猫背気味に歩いてきて、雪実から離れた前の方の席に座る。それから、そそくさと鞄から教科書やノートを取り出し始めた。


(こうして意識しないとまるで空気だな――)


 観察していると、彼女がやたらそわそわしていることが分かる。後ろを振り返りたそうにきょろきょろしたり、椅子から腰を浮かしかけては座ったりと、明らかに落ち着きがない。


(……間違いなくこいつだな)


 そう確信したはいいが……さて、これからどうしようか。


 と。


「おやおやだいふく氏、もしかしてあの子が気になる系で?」


「だいふくやめろ」


 小学校低学年時、今より少し太っていた時につけられたあだ名だ。

 そしてそんな古いあだ名で雪実を呼ぶヤツは一人しかいない。


 見れば、いつの間にか近くの席に陣取りにやにやした笑みを浮かべる男が一人。


 赤井あかい経一けいいち……雪実が唯一「友人」と呼べる相手だ。


「僕は嬉しいよ、雪実がついに女子に興味を持ってくれて」


「そんなんじゃねえよ」


「おや珍しい、もしかしてその手にあるのはラブレター? いつもは処分するのに……さてはもしや雪実宛てかい!?」


 覗き込もうとする友人から手紙を隠す。


「ほほう、話は読めた。あの子――えっと、追坂さん」


 赤井は何やらメモ帳を取り出すと、


「追坂秘。一見地味で目立たないけど、実家は金持ち、割とお嬢様。性格や見た目がああじゃなかったら立派なヒロイン属性だ。そんな訳だから僕もしっかり網羅している。でも残念、彼女は僕のタイプではない。というか僕は夏夜かやさん一筋だからね」


「個人情報大図鑑じゃねえか。お前そのメモ絶対落とすなよ」


 たまに、なんでこんなのと友人やってるのだろうと自分でも不思議に思うが、小学校以前からの腐れ縁としか言いようがない。

 親の都合で一時期この街を離れていた雪実が今も付き合っているのは彼くらいだ。街に戻ってきて、すっかり様変わりしてしまった周囲に戸惑う雪実を見つけ、声をかけてきた古い友人。

 ただ、根は良いのだが、自分の姉を狙ってるという点で相容れない。


「それで? 雪実はそのラブレターに返事するのかい?」


「しねえよ。それと、たぶんこれはオレ宛てじゃない」


 文脈から察するに――これは、「女性」に宛てたものだ。

 そうなると――下駄箱に入っていたもう一通の手紙の封を切る。


「おや、それ夏夜さん宛てじゃないのかい? いつもならすぐ破り捨てるのに。それで散々恨み買ってるじゃないか」


「送る方が悪い」


 とはいえ雪実にも他人宛ての手紙を覗く趣味はない。


「……やっぱりな」


 それでも開いてみたのは、確認したかったからだ。



『――仲谷なかがい先輩に手紙を届けてください』



 シンプルに、その一文だけ。差出人すら記されていない。


(〝中身〟、間違えてやんの)


 つまり、そういうことだ。


「なるほどねぇ……。事情は察したよ。残念だったね雪実」


 そもそも、最初から何か期待していた訳ではない。ちょっと物珍しかったからじっくり読んでみただけ。それで間違いに気づいた。


 ただ、一つ思うのは、


「不毛だな」


 恋愛なんて、くだらない。


(学生の恋愛なんて結局は遊びだろ。恋愛っていうのは、結婚を前提にしたものだ。結婚に繋がらない恋愛になんの意味がある? やりたいだけだろ。下心だ。アクセサリーみたいなもんだ、恋人って)


 顔が良くても性格がブスなら、付き合うのもつらい。それで結婚し一生添い遂げるなんて地獄以外のなんだというのか。


(大事なのは中身だ、スペックだ。オレは顔より性能でガチャを引く。可愛くても弱いキャラに用はないんだよ)


 仲谷雪実は恋愛に興味がない。

 もちろん社会に出て必要を感じれば結婚を考えるだろう。そういうときにはきちんと恋愛をするはずだ。


 世の中には「恋愛経験豊富」だのとぬかす輩がいるが、雪実に言わせればそんなのはただの「遊び人」。そいつの経験、テクニックに価値はない。


(経験豊富ってなんだよ。結婚してなきゃ他は全部失敗だ。恋愛は一回でいい。そりゃあ失恋もするだろうさ、そういうのに備えての「練習」って考えは分かる。でもそんなのは不純だし――)


 何より、意味がない。


 仮にテクニックとやらで異性を虜にし、その心を落として――それを結婚した後も、相手の気持ちが離れないよう一生やり続けるのか?

 そんなのは疲れるだけだ。ずっと相手の顔を窺って本心を殺し嘘偽りで着飾り続けるなんて正気の沙汰じゃない。


 恋愛とは叶うなら一回きり、そして嘘偽りない自分で接することが出来る相手とに限る。


「とはいうけどねえ、雪実。……実際彼女の一人もいないんじゃ、ただのひがみにしか聞こえないよ?」


「うるせえな、お前もいないだろ」


「僕は、」


「はいはい。好きでつくってねえんだよこっちも。そもそもな、オレは恋愛ってものが気に喰わない」


 下心を隠して打算で尽くして、それで相手の好意を得て付き合う……エゴと偽善に塗れた騙し合い、それが恋愛だ。


「学生の恋愛なんて将来結婚する訳でもないのに、なんでいちいち相手の機嫌とったりしなくちゃいけないんだ」


「でも仮に、その相手と結婚することになったら? ご機嫌取りとか、打算が出るんじゃないの?」


「結婚するヤツとは……なんかこう、そういうのは無しでも付き合えるんだよ、きっと。『ご機嫌をとろう』とかじゃなくて、もっと、自分からそうしたいって思えるんだよ」


 うまく言えず――ふと我に返って気恥ずかしくなり、意味もなく友人を叩いた。


「いった……。まあ、雪実はあれだよね、外はシビア、中身は乙女」


「あ……?」


「そこが君の美点だとは思うけどね、だけどそういう主張を声高に唱えたいんなら、自分が恋愛できると証明しないと。しかし雪実は不器用、無愛想、ぶっきらぼうだから恋愛とか難しいかぁ」


 こうあおられると、ちょっとやり返したい気もしてくる。


「……ゲームでもするか? お前持ってんだろ、何かしら」


「いやいやいや、ここはさあ……ほら、気になってるんだろう? あの子」


 赤井が促すのは……今も自身の席で何やら落ち着きのない、追坂秘だ。


 そちらを見て、雪実はしばし考える。

 赤井が言いたいことは、なんとなく分かった。ただ、それには気が進まない。しかしそう言うと何か言い返されるのが目に見えている――


「……よし、分かった。今に見てろよ」


「およ?」


 雪実は席を立った。

 そして、追坂に声をかけた。


「お前、ちょっとツラ貸せ」


「は、はい……!?」



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