第33話 竜王頂点(蹂躙)

「ソフィー、君か?」


 天井が崩れた地下牢からツネヒコは這い出てくる。地面を抉ったのは、竜の剛腕だ。目の前にいるのは巨大な竜だ。その角と尻尾には見覚えがあった。前脚一本で家を三軒は踏み潰し、その長い腹は大通りを覆い付くせるほどだ。その巨大なドラゴンであっても、ツネヒコにはソフィーだという確信があった。


「ツネヒコ……グウェン様の敵!」

「なんだと!?」


 ソフィーの大きな口が開いた。敵の名前と共に、炎が吐き出された。それは質量を持って、通りの家屋を吹き飛ばし、大量の瓦礫と共にツネヒコに襲いかかる。


「うわわわ!」

 

 地下牢への穴から、ひょっこりと首を出したのはハトムギ。ツネヒコは穴に飛び込みながら、ハトムギの頭を下げさせる。二人の頭上を、炎と瓦礫の渦が通り過ぎていった。


「ひっこめ!」

「く、首が飛ぶとこでござった!」


 ハトムギは地下牢の薄暗がりの中、頭を抱えた。


「ハトムギ! いったいどうなっている! あれはソフィーのはずだろう!」

「それが……エリゴスが何やら体液を注入して色々やっていたら……なんか成長したようでござる」

「成長ってレベルじゃないだろ! あれは変身……いや、先祖帰りか」


 グレモリーとソフィーは通じる部分があった。ソフィーが覚醒した姿が竜だというのは、想像していなかったわけではない。


「先祖帰り……でござるか? エリゴスの体液で感覚を狂わされているのではござろうか」

「ならば俺が正気に戻させてやる。あのイモムシ野郎の力は、俺の中にあるんだからな」


 ハトムギはもじもじとして逃げようとしなかった。


「あ、あのう……」

「お前は地下を通って逃げろ。あのドラゴンは対処する」

「ツネヒコ殿……主君への薬を作ってくれるという約束は本当でござるか?」

「そのことか、心配するな。その代わり協力しろ。街の外にいる俺の仲間に、伝言をして欲しい。ソフィーを見つけた、あの竜を目印に集合だとな」

「わ、分かったでござる!」


 ハトムギはタッタと地下牢内を走っていった。俊敏な彼女を見送り、ツネヒコは天井に空いた穴から飛び出す。地上は黒焦げていて、元凶はまだそこにいる。


「グウェンのために死ね!」

「まったく、変わっちまったな、ソフィー!」


 ソフィーの叫びは可愛らしい声ではなく、耳をつんざく咆哮だ。鉤爪の鋭い前足が飛んできた。ツネヒコは横っ飛びして回避、路地裏に逃げ込む。家の壁はすぐさまソフィーの腕で破砕された。ツネヒコは逃げるように動き続けた。


「死ね! 死ね! ハラワタをぶちまけて、腹の肉を干物にしてやる! くたばった後に我が地獄の業火で喰らってやろう!」

「くっそ! あの可愛いソフィーをなんて思考回路にしてくれてんだ!」


 怒鳴ったところで腹の中のエリゴスは何も言えはしない。ツネヒコは手を合わせて魔法陣を宙に出す。そこからはイモムシ野郎の能力の一部、感覚麻痺の霧を吐き出す。地上に白い幕が出来た。


「小癪な! 虫けらのように隠れる気か! 我に潰されて、ひしゃげた肢体をピクつかせるが良いわ!」


 ソフィーの足をドタバタと地団太を踏むように、暴れる。火を吹き、地面を引っ掻いている様はまるで怪獣大決戦だ。


「うわあああ! 逃げろ! あんなやつに敵うわけが……ぎゃああ!」

「味方にやられるなんてお笑い草……あああ!」


 周囲から悲鳴が聞こえるが、構わない。この街は魔物だらけだ。周りは霧で見えないが、血の匂いや肉が焼ける音がする。


「ソフィー! お前は強くなったな、見違えるほどに。俺は非力だった頃から、好きだった」

 

 何かが空を切る音が聞こえた。ツネヒコは反射的に【決闘隔離魔法】のバリアを張った。強靭な竜の爪が、ツネヒコを捉える。今までない衝撃が、バリアを揺さぶった。


「我は昔とは違う! 我こそが全ての頂点に立つ! 邪魔をするものは全て消え失せろ!」

「がっ! 本当に、昔とは違う……!」


 バキバキと障壁に音がする。ソフィーの巨大な腕を受け止めていたバリア魔法に亀裂が入ったのだ。今まで一度も破られたことのない魔法にだ。

 ツネヒコは破壊されるよりも前に解除した。目の前にあるソフィーの巨大な手首に、魔剣を振り下ろす。一度弾かれて、丸鋸のような軋みの音をあげた。魔法陣を刀身に滑らせ、着っ先にエリゴスの毒を滴らせる。

 剣の先っちょで小突くように、小さくソフィーの手を切りつけた。


「その小さな傷で我を何とか出来ると思ったか!」

「ソフィー! その狂ったままの脳味噌じゃ理解できないだろうから言っておく! 人間の見た目のお前は可愛かったぞ!」


 あんな狂暴な竜をソフィーとして認めるのは心苦しい。可愛いソフィーを思い浮かべて、なんとかツネヒコは自我を保とうとした。

 ツネヒコは竜の腹の下を通って、左の後ろ脚を切りつけた。


「こざかしい! 雑魚め! 痛くもかゆくもない!」

「奴隷のお前を見た時、守ってあげたいと思った。最初は同情かと思ったが違った。お前の角も尻尾も、可愛いと思ったからだ!」


 竜の足に踏みつけられるのを寸で回避。尻尾の薙ぎ払いを飛び越えて、右後ろ脚に毒剣を掠らせる。


「鬱陶しい、食われるだけの癖に逃げ回りおって!」

「戦いに出ればお前のことで気が気じゃないし、お前が傍にいるとドキドキして逆に落ち付かない! お前が可愛いから!」


 首を捻じ曲げた竜が火を吹く。ツネヒコは真っ直ぐ飛んでくる業火を、崩れた建物の中に入って避ける。ガラスの無い窓から飛び出し、最後の前足を斬り付ける。


「人間が! 飛んで火に入る羽虫が! ゴミのように散れば楽に殺すというものを!」

「お前がいなくなると困るんだよ! 皆もお前の帰りを待っている! だって、可愛いから!」


 四肢を全て切りつけた。末端から侵入した毒液が、竜の巨体すらも狂わせたのだろう。ソフィーの巨大な口の端から泡を吹いた。そのまま巨大な身体は横向きに倒れ、土埃と共に光が散乱した。

 竜の姿が消え、霧が晴れた大地にソフィーは倒れた。人間に似た、角と尻尾の生えた女の子。可愛いソフィーだ。


「大丈夫か? よかった、元に戻ったようだな」


 ツネヒコは彼女を抱き起す。ソフィーは徐々に目を開いた。熱でもあるのか、頬がピンク色に紅潮していた。


「うぅ……ごめん」

「謝るなって、仕方ないことだ」

「そうじゃなくて……全部聞こえてた」

「え?」

「可愛い、可愛いって……恥ずかしい」


 ソフィーは手で顔を覆った。そんな恥じらいを見せられると、ツネヒコも自分が口走ったことが恥ずかしくなった。


「ば、ばか! ほ、本当のことだろ!」

「ツネヒコのバカ!」

「な、なんだよ!」

「……ありがとう」

「素直だな」

「ツネヒコも素直」

「そうだな、そうだな! はは!」


 ツネヒコが笑うと、ソフィーも笑った。よかった、いつもの彼女だ。


「まったく、付け焼刃ではグレモリーの代わりにはならんか!」

 

 声が空から聞こえた。帝国の魔物を仕切っている男、グウェンの声だろう。彼はそう、空を飛んでいた。

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