29. ほんと、困ったわ

「さよなら」


 無敵の装甲など関係ない。

 魔術で造られたものならば、それを上回る魔力で破壊すればいいだけである。

 一撃で敵を両断するため、ロスペインは渾身の魔力を編みヘマトクリットをふりあげた。

 そのとき、それは唐突に起こった。


「は。かかったわ」


 エルネスティーネの豹変した声が響いた。

 そこにゾロターンの自壊する爆発音が割って入り、ロスペインはわずかに目を見ひらいた。

 ヘマトクリットは、まだゾロターンに届いていない。

 ならば、自壊の狙いは一つしかない。


 ――やられた。


 脚部の片側が吹き飛び、ゾロターンの車体が大きく傾いた。

 その砲口が可動域を越えてロスペインの視線と交わったとき、彼女の知覚から五感のすべてが消え去った。


 気がつくと、視界が白一色に染まっていた。

 ただしそれは、そう感じられるだけの眼球と神経が残っていればの話である。

 断線した思考の中で、ロスペインはかろうじて奥歯を強く噛みしめた。

 すると完全な無音から一瞬、バリッという鼓膜を針で突き刺したような音がした。

 鋭い痛みが走り、耳の中で空気が膨張するような感覚のあと、小さな耳鳴りが聞こえはじめた。


 音を増す耳鳴りが、頭蓋を内側から圧迫していた。

 不快感に耐え、眉間に力を入れたとき、真っ白な視界に、ようやくおぼろげな輪郭が映るようになった。


 はじめに見えたのは、空を覆うおびただしい噴煙と、すすにまみれた瓦礫の山だった。

 目だけをわずか動かすと、まくれあがったドレスの裾から傷だらけの足が見えた。

 その片側、左足には膝から下がついていなかった。

 そのように見えた。

 だが、原因は足が千切れたせいではない。地形が変わったためだった。


 ゾロターンの砲撃によってできたクレーターのような巨大な窪地くぼち

 そのへりに腰かけるような形で、ロスペインは今倒れていた。

 背後には、半ば崩れかけた建物の壁があった。

 主砲の直撃を受けたあの瞬間、とっさに飛び退いて頭と胸を守ったが、けっきょくのところ回避はしきれず、ここまで吹き飛ばされてきたらしい。


 ため息をつき、ロスペインは立ちあがろうとして体を前に傾けた。

 そのとき、ふと違和感を覚え、ようやく彼女は自分の変調に気がついた。

 赤いドレスが、さらに赤いにじみを広げつつある。

 見ると脇腹から、手のひら程度の裂けた鉄片が突きでていた。


 ――これは、すぐには止血できそうにない、か。

 つくづく、面倒ばかりを起こしてくれる。

 これで血が止まるまでは、不用意にヘマトクリットを使えなくなった。


 痛みではなく、敵へのいらだちに目を細めたとき、広場の状態に変化があった。

 上空から噴煙を散らす光がさした。

 現れたのは、例の光の歯車だった。


「おうおう。ええ具合やな、ロスペイン」


 ロスペインは声の方へ視線を向けた。

 脚部だけになったゾロターンの上に、腕を組み仁王立ちしているエルネスティーネがいた。


「一発で死なんかったんは褒めたるがな。

 まあその傷や。勝負ありやろ。

 知っとるで? あんたの鎖は、自分の血を媒介にして動く蛇みたいなもんや。

 つまり出血は、体の不具合以上にあんたの力を削ぐことになる。

 うち一人でも余裕で勝てるぐらいにはな」


 はじめは黙って聞いていた。

 だが、あまりのあきれように、つい笑いが漏れてしまった。


「何かと思えば、あなた知っているようで何も理解していないのね。

 同じ情報でそこまで勘違いできるのって、もしかして一つの才能なのかしら」


「ははん。まーたハッタリかい」


「いいえ。ただの事実よ。まあ、なんでもいいわ。

 ところで、生首がどこかへ消えたようだけど」


 ロスペインがたずねると、エルネスティーネは口をへの字に結び、冗談にしか見えないいかめしい顔つきで、厳かにうなずいた。


「フランツはな、あれや。名誉の戦死や。

 ゾロたん砲の発射で車体が吹き飛ぶんは分かっとったけど、まさかフランツまで一緒に飛んでいくとはな……。

 まあ、どのみちそろそろ爆発の時間やったから、うちから離れたところで爆死してくれたんは不幸中の幸いや」


 たしかに、あのサイズの火砲を撃てば反動が大きいことは予想がつく。

 エルネスティーネの背後を見通すと、折れた主砲と、バラバラになったゾロターンの残骸が認められた。

 もしかしたら敷かれた線路は移動のためではなく、反動を受け流すための設備だったのかもしれない。


「で、一人で私を倒すと言っていたけれど。

 自慢のオモチャがそのざまで、どうやって私に勝つつもり?」


「決まっとるわ。うちの信条、大艦巨砲主義を貫くまでや!

 万物よザイト学びて経巡れフライゼヒ!」


 彼女が叫ぶと、ふたたび光の歯車が回転し、さしこんだ光で広場の噴煙がかき消えた。

 歯車の力が伝播したのは、戦車の残骸や周囲の瓦礫だけではない。

 窪地に散らばり、埋もれていたであろう砲弾の破片までもが宙を舞い、時を巻きもどすようにエルネスティーネの頭上で螺旋を描きはじめていた。


「ええか。今度のゾロたんは、火砲部可変式のフレキシブルゾロターンや。さっきと同じ手は食わへんし、なんなら今のうちに攻撃してきてもええで。

 壊れた先から造り直してでかくしたるわ!」


 宣言とともに、重い鉄の門が閉ざされるように、急造されていくゾロターンの装甲でエルネスティーネの姿が見えなくなった。

 ロスペインは、脇腹の傷に触れないようにしながら慎重に立ちあがった。

 水音がし、傷口から血の塊があふれた気がした。


「せやから、二百秒や」


 またエルネスティーネの声が響いた。


「再装填のそんときまでに、勝手にくたばるか、うちと勝負するか選ばせたるわ。

 まさかあの血を編む鎖ヘマトクリツトが、逃げるなんて手は打たへんやろうしなぁ!」


 火口のような窪地のふちを緩慢に歩きながら、ロスペインは首をふった。


「逃げないわ。それどころか、あなたの望みを叶えてあげる。

 真正面から、互いに最大の一撃をぶつけ合う一番勝負よ」


「ほう、ええ度胸やな! そんなら、ティーガーはもう用済みやな!」


 広場の外周部と、建物の裏で爆発が起きた。

 その黒煙と、まだ消えていない炎が柱となり、戦車の残骸とともに歯車の螺旋に吸いこまれていった。

 思わず、ため息が出た。


 ――ああ。あの馬鹿、本当に馬鹿なのね。


 こちらの言葉を疑いもせず、彼女は即座に伏兵を解除するという愚行を犯している。

 敵の逃亡がないと確信できても、援護なり、再度の不意打ちに使うなり、用途はいくらでもあるというのに。


 考えて、ロスペインは自然と口の端がゆるむのを感じた。

 それは敵への賛辞と、敬意を含んだ微笑だった。


 広場には、ささやく歌声に似たエルネスティーネの詠唱が響いていた。

 あらゆる物体を飲みこみ自らの被造物に転換する彼女の能力は、周辺に落ちているも、その材料の対象にしているらしい。

 宙に浮かび、砂のように崩れていく兵士の死体を眺めながら、ロスペインはゾロターンの真正面に歩いて回った。


「まるで終末の風景ね」


 赤黒くにごった空と、雲を割る黄金の光が見えていた。

 鉄の怪物と、螺旋を描きながらそれに飲まれる街と人があった。

 そうした光景が、崖のような窪地の数十メートル先に、隔たれた別世界のように広がっている。


「ま、足場が片づいたのは悪くないけど」


 つぶやいて、ロスペインは靴を脱いだ。

 それから刺さったままの鉄片を脇腹から抜き、地面に捨てた。

 傷口から血があふれた。

 だがかまわずそこに指を突き入れ、内側の肉に触れながら、ゆっくり目を閉じた。


とざしの血血ちちよ。我らに与え、恩恵めぐみみたしめ」


 その言葉は、自らへの暗示を打ち消すための、鍵となる詠唱だった。

 エルネスティーネは、ロスペインの鎖が血を媒介にして動く武器だと言った。

 だがそれは事実と異なる。

 ふだん見せている血を編む鎖ヘマトクリツトは、模造品にすぎないからだ。


 指を引き抜くと、血は、指先と脇腹の傷をつなぐ鎖に変化していた。

 暗い赤色をした生き物のようなその鎖を、ロスペインは足下に向けてふりおろした。

 すると傷口から離れた血の鎖が、地面に横一文字の染みを作った。


「来たれ。わが忿怒いかりは、黒暗淵やみわだをはむ一輪の花」


 唱えて意識を高めると、染みの周囲が仄暗く光り、音を立てて地面が砕けた。

 手のひらを下に向け、今度は右腕を前に出した。

 瞬時に、染みをかたどった二メートルほどの岩が、胸の高さまで浮かびあがった。

 あとはこれを、敵を殺すのにふさわしい形に整えていく。


しかして我なんじ地上おかに投げすて、

 汝を野のおもてなげうち、

 空のもろもろの鳥をして汝の上にとどまらしめ、

 全地の獣をして汝にあかしむべし。

 我汝の肉を山々にて、汝のしかばねをうずたかくして谷々たにだにうづむべし。

 我汝のあふるる血をもて地をうるおし山にまで及ぼさん、谷川には汝満みつべし」


 詠唱の中で、「汝」の音を重ねるたびに岩が砕けた。

 そして砕けた岩と同じ分だけ、黒い光が地面から立ちのぼり、香炉からくゆる煙のように岩をなでた。

 やがて黒い光が残った岩を完全に包み、楕円をなしたその光が徐々に全体を圧縮しはじめた。

 それを認めて、ロスペインはいよいよ声を高くすると、詠唱に潜む文意の中に没入した。


「我汝を滅する時は空をおおい、その星を暗くし、雲をもて日をおおわん。

 月はその光をはなたざるべし。

 我空の照る光明ひかりをことごとく汝の上に暗くし、

 汝の地を黒暗やみとなすべし。

 すなわち、これ天地を蹴散はららかひづめに似たる滅びの槍なり――」


 そこまで唱えて、ロスペインは深く息を吸った。

 眼前には、黒い槍が静止していた。

 一点の乱れもない、なめらかな、ただの直線でできたか細い槍は、圧縮された破壊と美の、これ以上ない結晶に思えた。


「なんや。そないな棒きれが、あんたの隠し球か?」


 エルネスティーネの声に、ロスペインは顔をあげた。

 えぐられた地面の対岸には、先ほどよりも一回り大きいゾロターンが見えた。

 同時に、ロスペインは目を疑った。

 どういうわけなのか、火砲が3本に増えていたのだ。


「あなたのそれは……。なんていうか、隠しようのない品性が表われているわね」


 とロスペインは言った。完全な蛇足だとは口にしなかった。


「ひゃひゃひゃ、せやろ! 

 どうせ壊れるなら積めるだけ積もうっちゅう突然のひらめき。

 我ながら末恐ろしい頭の冴えや」


「ああそう。じゃ、悔いはないってことね」


「おうよ! 来いやロスペイン!

 ゾロたん発射まで十五秒前!」


 ドライツェン、ツヴェルフ、と学習しないエルネスティーネが、カウントダウンをはじめた。

 軽く息をつき、ロスペインは胸の前に浮かぶ槍をにぎった。


「見よ。は光を滅す大度たいどの焼尽――」


 つぶやくと、か細い槍からすさまじい魔力の波動が生じ、槍をにぎる手が震え、べつの生き物のように暴れだした。

 今朝方、ホテルで投げた即席のハンガーとは比べものにならない。

 気を抜けば体の方が持っていかれそうになる腕のブレをどうにか抑え、ロスペインは前後に足を開き、身を低くした。

 渾身の投擲とうてきに必要な助走距離は、すでに確保してある。

 このために、あらかじめ靴も脱ぎ捨ててある。

 正面を見据え、迷わず進んだ。


 一歩、二歩。

 呼吸を止めて踏みだした足が四つを数え、軸足にした左足が地面に深く突き立った。

 そのとき、対峙する二人の声が、吹き荒れる風の中で鋭く響いた。


撃てフオイエル灰になれアシユバーデン!」

「――、」



 ――大いなる災禍の黒槍



 投げられた槍が、指を離れた。

 瞬間、ロスペインの視界は一切の光を失い、夜に沈んだ。


 音のない、静かな闇がそこにはあった。

 その中で、小さな星の光がまたたいたとき、周囲の闇が一瞬で縮まり、視界の中央で点になった。

 指先の爪にも満たない黒い極点は、火を噴いたゾロターンの主砲と、寸分違わずに重なっていた。

 ほぼ同時に砲弾がまっすぐに射出された。

 都合、三発。

 ロスペインの黒槍は、そのうちの一つの砲弾しか捉えていなかった。

 だが、それで十分だった。

 光が弾け、太陽を直視したときと同じように景色が白んだ。

 一瞬、虹色の薄い光が行きすぎ、ロスペインは柔らかな痛みに目を閉じた。


 そのあと、どれぐらいの時間がすぎたのか。

 たぶん一秒もたっていないのだろう。

 しかし、ふたたび目を開いたとき、勝負はすでに終わっていた。


 ゾロターンの姿はそこになかった。

 それだけではない。ゾロターンの周囲とその背後。それらの場所にあったほとんどの物質が、空間ごと削り取られたように、巨大な円形をなぞって消滅していた。


 あるいは観察者がロスペインの真横にいたのなら、べつの風景が見えていたかもしれない。

 一秒を一万倍に刻んだ刹那の中で、放たれた黒槍は一度、液状化したように穂先から溶け、ゾロターンと同じ大きさの球体になり、ロスペインの周囲を包みこんでいた。

 その後、倍するスピードで一点に収束したそれは、ゾロターンとロスペインの指先を結ぶ一本の直線となり、光に変わった。

 光は触れるものすべてを焼いて直進した。

 そのさまは上空から見れば、デッドシティという扉の鍵穴からさしこむ、異世界からの光に見えたかもしれない。


 ただ現実にその場にいた者たちが、そうした感想を抱くことは一度もなかった。

 光に触れた者は一切を知覚せずに消滅し、光を見た者は一様に放心していた。

 そして思考に生まれた一瞬の空白が、現実でも空白として街を削り取っていることに呆然として目をしばたたいた。

 変わらなかったのはただ一人。

 黒槍を投げたロスペイン本人だけだった。


「……ふう。まぶし」


 投げきった姿勢から元にもどり、ロスペインはドレスの裾を手で払った。

 それから少し歩いて靴を拾った。

 ゾロターンがいた広場の西だ。もう一度そちらをふりかえり、ロスペインは目を細めた。


 街が、消えている。

 私がやったのだ。


 そのことがどうしようもなく愉快に思えて、彼女はくつくつと喉を鳴らして笑った。


「さて。私は帰るわ」


 ひとしきり笑ってから、ロスペインは靴を一つずつ手に持ってくるりと回った。


「ホテルで着替えなくちゃならないから。

 シンシャが勝ったら、あなたたちはフロントにそれを連絡しなさい。

 ああ、アデルの方はどうでもいいわ。

 それじゃ、よろしく」


 物陰に潜むパパラッチどもが、この伝言を聞いているかどうかは分からない。

 だがいずれにしても、結果は一時間とたたず明らかになるだろう。

 それまで小休止を咎める者はたぶんいない。

 あるいは今の私に口出しできる者もたぶんいない。

 シャワーを浴びて、服を替えて、私は新しいイヤリングを探すとしよう。


 ――ほんと、困ったわ。


 上機嫌のまま、ロスペインは右耳に残ったイヤリングをはずした。

 今回の戦いに失敗があるとすれば、これだけが手痛い損失だ。

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