30. どんどん意味不明になっている気がします

      Ⅷ


「捜したぜぇ、アデル・ノクス! おまえのためにスペシャルコースを用意し――」


「おっと、そこまでだ。俺たちに見つかったのが運のつ――」


「この場にふさわしい格言がある。人生という試合でもっとも重要なのは、きゅ――」


「はじめましてアデル・ノクス。ところで、おまえは俺のカテゴリを知ってるか? ――混沌、だよ」


 その、混沌と名乗り不敵に笑った男をあごから吹き飛ばすと、視線を切ったシンシャは急いで建物の陰に身を隠した。

 同時に容赦のない銃撃が壁を削り、街道の向かいから複数の気配と、人の争う声が届いてきた。

 シュナイダーの兵士と、レート目当てにやってきた乱入者たちの声だった。


「……なんというか、遭遇する敵の口上が、どんどん意味不明になっている気がします」


 西にあるシュナイダーシュツルムの本陣、トラファルガー広場への道中には、シュナイダーの兵士以外にも敵がいた。

 ゾラの提示した報奨を動機にして、アデルの誘拐、あるいは殺害を目的にした乱入者たちである。


 彼らの行動には特徴があった。一つは、根拠のない自信に満ちあふれていること。

 もう一つは、ハローポイントを気にせず――つまりは20秒以上の間隔を置かず――問答無用で襲いかかってくる点だった。


 はじめはそこが理解できなかった。

 ホワイトチョコレート派であるこちらが3人しかいない以上、彼らは確実に相対した敵とハローを済ませておく必要がある。

 でなければ、報奨のレートを獲得しても翌日にはそれが白紙に戻ってしまうはずだ。


 そのことを、先ほど格言好きの男に問いただした。

 集団ではなく一人で現れた彼は、目潰しの痛みにもだえながらもシンシャの声に反応した。10分前のことである。


「目がぁぁぁ! 私の目がぁぁあぁ!」

「失礼。一つ、うかがいことがあります」


 シンシャは言った。


「な、なんだ? アデル・ノクスか? 私に聞きたいことだと?

 まさか、私の目を潰しておいて、私に目の格言をたずねるという嫌がらせを……!?」


「いえ、それはどうでもいいです」

「そ、そうか」


 残念そうな声が聞こえた。


「で、ではなんの用だ!」


「ハローの件です。

 あなた方はハローの成立前に私に攻撃を仕掛けているように思えるのですが、それでは報奨のジャッジレートを獲得できないのでは?」


「何を言っている……? もしかして、ルールを理解していないのか」

「理解はしています。不足分をこうして補っているのです」


 シンシャは背後から締めあげていた男の腕をさらにしぼった。


「がぁああああ! わ、分かった、説明する! 簡単なことだ!

 私のような市長の報奨目当ての参加者は、アデル・ノクスを拘束してからハローを済ませ、必要であれば大手の者も迎え入れて恩を売ろうと考えている。

 対抗セクトの敵が極端に少ない場合、相手が初対面でなくともハローは成立する。

 つまり出会い頭に不意打ちを仕掛けても、相手が死ななければ再度ハローの交渉が可能になる。10分程度、時間を空けるだけだ。

 なあ、やめてくれ! 腕が折れる!」


「なるほど」


 たしかにロスペインがそんな補足していた。今回の敵セクトはハローの条件が緩和されている。人数は一人で、初対面の縛りもないと。

 どうやら、不意打ちなどでハローが不成立になれば二度目はない、と考えたのは自分の勘違いだったようである。

 シンシャは手をゆるめた。


「では、恩を売るとは?」


 男は低くうめいたあと、濁った声で続けた。


「こ、これもよくある話だ。

 今回あんたにかかったレートは異常ではあるが、同じようなパターンがないわけじゃない。協力者全員に報奨が与えられるパターンだ。

 今朝、市長はアデル・ノクスを拘束するだけで、1時間につき1,000のレートを与えると言った。人数の制限や、報奨の分配については言及がなかったから、これなら拘束場所にいる全員が、同額の報奨を得られることになる。

 もちろん、ふだんならセクトの味方であっても、レートをタダで稼がせるなんてことはまずしない。

 だが今回のジャッジは普通じゃない。

 それにシュナイダーのやつらをそこに呼べば、私たちが横槍を入れたことも帳消しになるし、貸しにもなる。

 あるいはシュナイダー以外の大手を呼んで、後ろ盾になってもらうのも悪くない。

 ようするに、はじめにアデル・ノクスを捕らえた者がすべてを専有するようなものだ。誰に恩を売るかも自由に選べる」


「ふむ。そうですか」


 私欲にまみれた話ではあった。だが、だからこそ彼の言葉には説得力があった。

 乱入者が予想外に多いことや、その排除にシュナイダーがかなりの兵力を割いていることにも合点がいく。

 シンシャは男の耳元でつぶやいた。


「よい情報をありがとうございます。参考になりました」


 男の体がびくりと跳ねた。


「え。だ、誰だ? 女……?」


 シンシャは、あっ、と思った。うっかり地声でしゃべっていた。

 声をもどした。


「質問は以上です。あなたは何も聞いていないし、何も話していない。

 アデル・ノクスは女でもない。いいですね」


「わ、分かった」

「よろしい。感謝します」


 男を気絶させ、シンシャはその場をあとにした。


 あの会話のあと、目算では西に1キロほど移動しているはずだった。

 だが周囲の銃声や、あわただしい気配に変化はない。

 むしろ川沿いを進みはじめてからは、遠距離からの狙撃も加わり、屋根を走ることが困難になっていた。


 シンシャは建物の陰を縫うように走りながら、脳裏に地図を思い描いた。

 デッドシティの主だった道は、川向かいの南地区をのぞいて、日頃から歩いて記憶している。

 裁判所を過ぎたあたりから北に流され足止めを食ってはいるが、トラファルガー広場まではすでに数百メートルの位置に来ているはずだった。

 逆に言えば、道中の敵の守りが、これまでよりも堅固になっていると考えるべきだろう。


「――」


 気配を感じて、シンシャは細い道が交差する五叉路の手前で足を止めた。

 物陰に隠れたとき、乱入者に応戦し、後退しながら威嚇射撃をするシュナイダーの一団が通りすぎた。

 息をひそめ、彼らをやり過ごした。そのとき、背をつけていた壁に指が触れた。

 視線を落とした。ぼろぼろになったレンガの壁には弾痕があった。

 それを見て、シンシャの中に自分でも意外な考えが思い浮かんだ。


「……こういうときは、見つけたユーリカ! と言って喜ぶべきなのでしょうか」


 つぶやきながら、シンシャは手のひらを壁に密着させた。

 緩やかにかまえて、全身の力を手のひらの一点に流し入れた。

 瞬間、鋭い音がし、壁に大きな亀裂が走った。

 息を吸い、静かに止めたとき、無形の力が弾力のある水のように全身を伝い、手のひらから解き放たれるさまをイメージした。

 イメージのままに壁を打った。

 すると、今度は石造りの壁が砕け散り、粉塵の向こうに薄暗い屋内が見通せるようになった。

 道のない場所に抜け道ができたのだ。


「なんだか、この街の粗暴さに毒されている気もしますが」


 廊下を駆け抜けたシンシャは、階段をのぼり4階にあがった。

 やはり建物の中には人がいない。

 ホテル・エルドラードを包囲する際、シュナイダーシュツルムは、一帯に避難勧告という名の脅しを出したのだろう。


 考えながら走り、当たりをつけていた西側の壁に窓を見つけた。

 光のさす、出口のような窓に向かい、勢いをつけて身を投げた。

 飛び散ったガラスが細かな音を立て、階下の地面に落ちていった。

 そのときには、大きく跳んでいたシンシャは隣りあう建物の壁に取りつき、窓をたたき割ると、そこから素早く屋内に身を潜りこませていた。


 異音を気づいた兵士たちが、そう遠くない場所から、建物を囲むように声をあげた。

 だが、それがシンシャの狙いでもあった。

 数を集めて彼らが一棟を囲んだときには、こちらはすでにべつの建物に移動している。

 彼らが散らばり手当たり次第に付近の建物を警戒するならば、かえってそれは各個撃破の隙になる。

 数を頼めず、射線も通らない屋内とくれば、シュナイダーの兵が自分の脅威になることはない。


 鍵をノブごとたたき落とし、シンシャは施錠されていた部屋のドアをあけた。

 中に入ると、古めかしい柱時計がずれた時刻をさし、チェンバロに似たベルを鳴らした。


 ――9時20分。


 自前の懐中時計で正確な時刻を確認すると、シンシャはわずかなあいだ目を閉じた。

 手はずどおりに進んでいれば、今ごろアデルは目的の教会に到着している時間だった。


「御主人様。どうか、ご無事で」


 祈るようにつぶやいたとき、階下からドアを打ち壊す音が響いた。


 ――そうだ。よけいなことを考えている暇はない。


 今は私も、自分の役目だけに集中しよう。

 そう切り替え、シンシャは窓から隣の建物へ飛び移った。

 ついでに、バルブロの焼夷弾を元いた部屋に投げておいた。


 10秒後、なだれこんできた兵士の一人が何かを叫んだような気がしたが、過剰な業火が立ちのぼり、その内容は灰となった。

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