25. 首をボキッてされるのは

      Ⅶ


 敷石のつなぎ目をなぞりながら、ゆっくりと赤い液体が流れていた。

 陽光を浴び、てらてらと輝く敵の血は、折り重なる死体から流れていながら、より鮮明に命の熱を帯びているように見えた。


 ぼんやりながめていると、血が足下まで流れてきた。

 靴が汚れる。

 片足をあげ、ロスペインは近場の死体を無造作に踏んだ。

 低く、うめく声がした。


「あら、まだ生きてたの。その他大勢のくせに、けっこうしぶといのね」


 足はどかさず、さらにヒールで胸を踏みつけると、しわぶきのような声がガスマスクの内側から漏れでてきた。


「き、さま……」

「せっかくだから、リクエストを聞いてあげる。

 サービスで好きな場所を踏んであげるわ。

 に、敬意を表して」


 言葉どおり、明白な景色がそこにはあった。

 ロスペインをのぞいて、ホテル前の広場には立っている者がいなかった。

 地面を埋め尽くす白い戦闘服と、赤い血のコントラストが目に染みた。

 その色を引き立てるように、無数の薬莢とガラスの破片が、小さな光をきらめかせている。

 破片は、近隣の建物から降りそそいだものだった。

 大半は彼らの爆薬がこちらに届く前に誤爆した結果である。

 部隊の壊滅、もしくは包囲作戦の続行不可。

 そうした報告が、シュナイダーの本部には届いているだろう。


「ところで、不思議なんだけど」


 ロスペインは広場を見つめたまま口を開いた。


「あなたたちって商売のために軍隊ごっこをやってるのよね? つまり営利目的。

 だったら、勝てないと分かってる相手にどうして弾が切れるまで撃ち続けるのかしら。

 よく知らないけど、弾代だってバカにならないんじゃない?」


 返答はなかった。

 仰向けに倒れているシュナイダーの男は、答えるかわりに手を伸ばした。

 見えない何かを求めるように、震えながら動いたその手の行方を、ロスペインは目で追った。

 緩慢な動作だが、男は腰元から拳銃を引き抜いた。

 その銃口が、ほどなくロスペインの顔を狙った。

 ロスペインは、男を見おろしたまま笑みを作った。


「ふうん? どうぞ」


 銃声が響き、額のあたりに軽い振動があった。

 だが、感じた変化はそれだけだった。銃

 弾をはじいた魔力の障壁が、視界の隅で淡く光り、かすかに揺れただけだった。

 ロスペインは首をかしげた。

 細く立ちのぼる硝煙の向こうで、男の目が呆然と見開かれている。


「化物、め……」


 男のつぶやきに、ロスペインはうなずいた。


「そのとおりよ。今後とも、よろしくどうぞ」


 くぐもった音とともに、巻きついた鎖が男の首をへし折った。

 血を編む鎖ヘマトクリツトを手首にもどし、ロスペインは軽く息をついた。


「さて。とりあえず私は待ちなのかしら。

 これだけめちゃくちゃにされれば、幹部が誰も来ないなんてことないだろうし」


 シュナイダーシュツルムの構成員はおよそ五千人いる。

 ただしすべてが戦闘員というわけではないし、後方支援の人員も少なからずいるだろう。

 役割を分け、均一化された戦力を高い水準で維持すること。

 その組織力こそが、シュナイダーシュツルムを大手たらしめる最大の武器になっているからである。


 ただそうなると、広場で死んだこの部隊は、敵の戦闘員の何割程度になるのだろうか。

 ホテル・エルドラードの包囲網には、軍事力のアピールのためにも相当数の部隊を用意したと見て間違いはない。

 なんとなくではあるが、手応えとしては1,000から2,000を殺したような気がしている。

 だから、あと。


 ――何人をぶっ殺せば、シュナイダーが言い訳できないぐらい決定的な敗北になりうるのか。


 それが気になるところだった。


 シュナイダー戦は、単純に幹部を殺すだけでは目標とする勝利に遠く及ばない。

 ジャッジにはまだ先がある。

 今日からの6日間を有利に進めるためには、この戦場で「たった3人が5,000千人を壊滅させた」という印象づけが重要になる。

 そうすることで明日が変わり、明後日の正午に変革が起きるのだ。


「そういえば、聞けば答えられそうな奴らがいたわね。

 ここで何人死んだかを」


 広場の外周に目をやった。

 半壊したバリケードに並んで、黒煙をあげる装甲車が横倒しになっている。

 その陰にロスペインは声をかけた。


「ねえ、パパラッチ。聞きたいことがあるわ」

「……」


 返事はなく、動きだす気配もないので、もう一度言った。


「ねえ、パパラッチ」


 ついでに右手を振りあげた。

 瞬時に伸びた鎖が隣接する建物を削り、五階建てが四階建てになった。

 削れた一階は、装甲車を潰すように瓦礫となって地上に落ちた。

 悲鳴が聞こえた。


「聞きたいことがあるわ」


 また呼びかけると、今度はしっかり反応があった。

 機材をかついだ男たちと、ハルバードをかついだ女が粉塵の中から走りでてきた。

 ハルバードには降伏の意を示す白いハンカチがくくりつけてある。


「は、はーい。パパラッチのララノアでーす……。

 あの、いったいなんのご用でしょーか……?

 ぁ、でもパパラッチってカメラを持った人のことだから、どちらかというとわたしじゃなくて、相手はカメラマンさんの方が適任かなぁ、みたいな?」


 出てきたのは、今朝の中継に映っていたエルフの女と、番組スタッフの男たちだった。

 恐る恐るといった感じで声をかけてきたララノアは、言いながら、ロスペインにカメラマンをさしだそうとしていた。

 男は首をふり必死の抵抗をみせていた。

 互いに譲り合い、場所を前後に入れ替わっている。

 ロスペインは腕を組んだ。


「そういう茶番は、私の不興を買うだけと認識しなさい」


 彼女たちの動きがぴたりと止まった。

 ふりかえり、目に涙をためてララノアは言った。


「えーと……首をボキッてされるのは、できればララノアたちは遠慮したいなぁ……って」

「ふうん。首をスパッとされるのがご希望かしら」

「どっちも遠慮したいんです……」


 彼女は泣いていた。嘘泣きだろう。


「なら、私の質問に答えなさい。

 シュナイダーシュツルムの奴らは今日、何人死んでいるか。

 この広場だけじゃなく街全体でね。

 役所やピースホールとつながってるあなたたちなら、簡単に分かることでしょ」


「ええ? シュナイダーの死者数、ですか?」


 ララノアはカメラマンと顔を見合わせると、またロスペインに向き直った。


「分かるとは思いますけど、でも、どうしてそれを知りたいのかー……」


 言いかけて、ララノアは質問を呑みこんだ。

 ロスペインの鎖が、音を立てて垂れ下がったのを見たからである。


「……は、べつにわたしは知りたくないです。大丈夫でした。間に合ってます、すみません」

「そう。早くなさい」

「はい! 早くします!」


 彼女が問い合わせて分かった数は、概ねロスペインの予測と一致していた。

 広場での死者数は1,600。その他、街全体では200弱。

 後者は今も増え続けている。


「ふうん。なんだか、思ったより少ないわね」

「!? まだ殺したりないんですかっ」


 ララノアが叫んだ。


「まあ、そうだけど」


 今の感想は、彼女の認識と少し違う。

 街全体の死者数、つまりシンシャの働きがいまいちだ、というのがロスペインの感想だった。


 広場の部隊とはべつに、街の西にはシュナイダーの精鋭がいるのかもしれない。

 あるいはシュナイダー以外の乱入者の影響かもしれない。

 乱入者はしょせん、目先の利益で動いた雑魚である。

 その雑魚とシュナイダーがぶつかるならば、シュナイダーの損耗は、結果的にシンシャと戦うよりも小さくなる。


 黙っていると、蚊の鳴くような声が聞こえた。


「あのぉ、他に質問がなければ、ララノアたちは、そろそろお暇したいなぁ、なんて……」

「そうね。じゃあ最後にもう一つ答えたら消えていいわよ」

「な、なんでしょーか」

「あなたのキルレートはいくつ?」

「えっ」


「キルレートよ。あなた、今朝、広場に降ってきたあれを斧で弾いたでしょう。

 そこいらのゴミにはできないかなりの芸当だわ。

 でもさっきディビジョンで見たら、あなたの情報は見えなかった。

 だから直接聞いてるの」


「え、えーと……」


 明らかにためらう様子があった。

 キルレートをたずねるということは、相手の格をたずねることと同義である。

 ではなぜたずねるのか。

 むろん、一般的には戦うかどうかを量るためである。

 ロスペインが見つめていると、耐えかねたように目をそらし、ララノアは小さく答えた。


「2,800……ぐらいだった、ような?」

「は? ぶち殺すわよ」

「ゴメンナサイ! 2万8千でした! コロサナイデ!」


 叫んだ彼女は風のように走り去った。

 間髪入れず、それに続いた男たちも足が速かった。

 気がつくと、それぞれべつの方向に走る背中が見えていた。

 番組スタッフの募集要件には足の速さがあるのかもしれない。

 そう思わせる程度の機敏さと判断力のある走りだった。


「2万8千か。ニュースのレポーターにしては、ありえないほど高いわね」


 しかもディビジョンで情報が出てこないということは、彼女はジャッジに参加していないということである。

 報道関係者の立場上、中立を維持するための配慮だろう。

 であれば、実際の実力はレートより上の可能性が高い。


「まあ、ポイントにならないからどうでもいいけど」


 つぶやいて、ロスペインは大きく伸びをした。

 そのとき、ふと何かを感じた。

 予感というほどでもない。

 ただ、頬をなでる風が途切れたとき、空気がかすかに重くなったような気配がした。


 ――何か、いる……?


 黒煙の立ちのぼる、左側の建物をふりかえった。

 次の瞬間、その建物の一階が吹き飛び、何かがまっすぐに向かってきた。

 遅れて、爆音を聞いた気がした。

 音速を超える飛翔体――。

 巨大な砲弾が頭をかすめ、ロスペインは自分の首がねじきれるのを知覚した。

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