21. 錬金術的なジェノサイド

 最初に感じたのは、鼻をつく異臭だった。

 肉と、金属の焦げた匂い。それらを生ぬるい血で包んだような独特の濃い匂いだった。

広場では点々と残る焼夷弾の残り火が、血だまりをぐずぐずと蒸発させていた。

 そこから立ちのぼる黒い煙の周囲には、炭化した、人だったものの一部が転がっている。


 だがそうした光景は、シンシャから少し距離を置いた場所にあった。

 真下を見ると、地面には黒い汚れだけが確認できた。

 おそらくあの汚れの半径に存在していたものは、すべて灰となり消し飛んだのだろう。

 現実味のない凄惨な光景に、十分前の短い会話が重なった。


「これ、あなたが作ったの」

「おっしゃるとおりでございます」

「じゃあ、燃えすぎるんじゃないの」


 ……。

 ロスペインが何を想像して、あの質問をしたのかは分からない。

 ただバルブロの焼夷弾には致命的な欠点があった。

 延焼によって敵を撹乱する前に、近くのものを一瞬で残らず灰にしてしまうのだ。

 控えめに言うならば、それは「燃えすぎる」ということになるだろう。


「あと六本もあるのですが……」


 使いたくないなあ、とシンシャは思った。

 使うにしても、どのように使えば撹乱を持続できるのか見当がつかない。


 どうしたものか。首をかしげたとき、ふと乾いた音がした。

 焚き火が爆ぜるようなその音は、場の空気を完全に無視した、一人だけの拍手の音だった。

 見るまでもなく、誰がその拍手をしているのか想像できた。

 昨晩あった酒場の記憶。

 なんだか、先ほどから同じ人物ばかりを連想している。


「壮観ね。クリーニング屋の頭でも、これでようやく理解できたかしら。

 今の業火こそが、アデル・ノクスの真の力よ」


 響いた声は、予想どおりロスペインのものだった。

 広場の中央で、彼女ははばかることなく外套を脱ぎ捨てた。

 声と同様に、すでに仮粧けわいの魔術はかかっていない。


「ちなみに、見れば分かるでしょうけど、私は全然アデル・ノクスではないわ。

 あ、でも見て! あっちの屋根にいるのが真のアデル・ノクスよ!」


 そう言って、ロスペインはわざわざシンシャのいる屋根を指で示した。

 敵がいっせいに振り返った。

 不本意ながら、これ以上なく効果的に注目されている。

 シンシャは仕方なく立ち上がった。

 青い外套がはためき、フードが外れた。

 アデルとしての顔があらわなると、広場でざわめきが広がった。


 たしかにアデル・ノクスだ。

 いったい、いつのまに。

 我々の包囲は完璧だったはずだ。

 というか、あっちはやはりロスペインだったのか。

 どうりで鎖っぽいのが見えると思った。

 待て待て、そういう魔術だと本部より通達があったはずだろう。

 いやデマだろあれは。でなけりゃ誤報だ。

 まあ、おかしいんじゃないかって俺は薄々気づいてたけどね。

 ふざけるな、錬金術だから金属で鎖なんだと得意げに語ったのは貴様だろうが!

 違いますぅ、鎖が見えるっていうからもしかしたら錬金術なんじゃねって言っただけですぅ!

 つまりロスペインは錬金術師である可能性が……?

 いや全然違うでしょ。馬鹿かよおまえ。

 なんだとッ、馬鹿と言った方が馬鹿であると貴様聞いたことがないのか!

 はい出た謎理論。でもそれおまえが馬鹿であることになんの反論もできていませんから!

 この青二才が……ッ!


 ざわめきは、もはやただの雑談に変わろうとしていた。収拾がつく気配もない。

 シンシャは、彼らを見下ろしながら思った。

 私はこんな相手と戦っていたのか。

 彼らの評価すべき点がそれで変わるわけではない。

 だが一抹の虚しさが、胸を埋めるのも事実だった。


「……とりあえず、もう2、3本投げておきましょうか」

 シンシャはおもむろにポーチを探った。

 だが先に、広場で轟音が鳴り響いた。

 見ると、ロスペインの鎖が装甲車を叩き潰し、数人の兵士ごと地面にめり込んでいた。


「ご歓談中申し訳ないけれど、少し静かにしてもらってもいいかしら。段取り的に大事な話があるのよ。そう。真のアデル・ノクスから、あなたたちへの宣戦布告がね」


 シンシャは目を細めた。

 ふたたび注目が集まる中で、その表情はきっと、いかにも大事を告げる前の厳かなものに見えるだろう。そう考えた。

 ただ内心は混乱の極みに達していた。


 宣戦、布告……?


 聞いていない。

 私のセリフに必要なのは、シュナイダーへの軽い挑発と、これから仮設ステージを破壊するぞ、という陽動のための宣言、その二つのはずではなかったのか。


 しかも、こういうときにかぎってシュナイダーの兵士たちは、なぜか真面目に静聴の姿勢を取っている。

 ロスペインの攻撃を警戒して身を隠したりはしているものの、こちらに不意打ちを仕掛けてくるようなそぶりはない。

 もしかしたら宣戦布告という軍事的な建前が効いているためかもしれない。

 その意味では、ロスペインの意図も汲み取れはする。

 だが裏を返せば、私はそのために何かをここで言わなければならない。

 彼女の余計な一言のために。

 あるいはこの場の体裁のために。

 ひいてはアデル・ノクスの名誉のために。


 こんなとき、ロスペインなら……。


 一瞬考えて、シンシャはすぐにその想像を打ち消した。目を閉じた。


 違う。私は自分の言葉で話さなくてはならない。

 たとえそれが本物のアデル・ノクスと異なるものであったとしても。

 借り物の言葉で、彼の在り方を私が語ることだけはしてはならない。

 そんな気がした。


 目を開くと、青い空と、戦場が見えた。

 シンシャは口を開いた。


「僕はこれから、極めて重要なことを口にする。

 それはあなたたちにとって宣戦布告になるかもしれないし、あるいは和解の助けになる言葉かもしれない」


 自分でも、思いも寄らなかった言葉が湧きだしてきて、シンシャは、自分の中にいるもう一人の彼を見つめるような思いで続けた。


「世界中のあらゆる者たちが共感し合うことは不可能だ。

 今日ここで、あなたたちが争いを望むなら、僕は僕の主張と尊厳を賭けてこの戦いを受け入れる準備がある。

 戦いながら、前進するための可能性を心に刻み込んでいる。

 その姿を理解してくれとは他者に言わない。

 けれど、考えて欲しい。争いだけが物事の解決を図るための唯一の手段ではないということを。

 僕は魔術師である前に一人の学者だ。

 きみたちのもう一つの顔、商人の顔となら分かち合える利害があるかもしれない。

 つまり、今からでも武器を収め商談という形で話ができるなら、互いに悪くない条件がきっと出せる。そう考えている。

 時間はかからないはずだ。

 きみたちの判断を、今この場で聞かせて欲しい」


 そう告げると、複数の、等しい応答が即座にあった。

 シュナイダーの銃口が、いっせいに青い外套に向けられた。

 やはり、彼らは戦士なのだ。

 その忠誠と士気に関しては、一点の曇りもない賞賛を送るべき相手なのだ。


 わずかだが、頬がゆるむのをシンシャは感じた。

 こんなことでアデル・ノクスは笑わないだろうが、それを承知で心の動きを止めはしなかった。

 彼に彼なりの戦い方があるように、私にも私なりの戦い方がある。

 ならば、ここからは私のやり方で、この高揚を言葉にしてもいいだろう。


「なるほど。答えは受け取った。だが一つ忠告しておこう。

 闘争の美名にかくれてなお権力の誇示に執着するならば、シュナイダーシュツルムという白痴の巨人は、今日、痛切に思い知るだろう。

 偉大なる魔術の前では、貴殿らの銃器など、ただの玩具にすぎないことを」


 シンシャが背後に跳んだのと、彼らの号令が銃弾に変わったのは同時だった。

 不意打ちはないと見たのは油断だったかもしれない。彼らの部隊はすでにシンシャの立つ建物を包囲し、階段を駆け上がっていた。

 その足音と乱雑な気配に、大きな声が割って入った。


「急ぎなさい、アデル・ノクス。ここは私に任せて、あなたはシュナイダーのイベントステージを燃やし尽くすのよ!」


 すっかり忘れていた。そのセリフは少数での陽動に欠かせない要素の一つだった。

 シンシャは苦笑した。やはり自分は実戦経験に乏しいらしい。

 やり方に難点はあれど、ロスペインにはかなり助けられている。

 それから思った。苦笑ついでに、今は彼女のセリフを借用することにしよう。

 屋根の上を移動しながら、シンシャは金属の筒を取り出した。

 それを投げ、大声で言った。


「見よ、そしておののくがいい。錬金術的なジェノサイド!」


 視界を焼く業火が立ちのぼった。

 屹立する火柱はきっと、錬金術の悪評を街に広めることだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る