18. 宣戦布告

 ホテル・エルドラードの周囲200メートルは、完全な包囲網の中にあった。


 抗弾ヘルメットと大型の盾で身を固めた一般機動隊と、重火器を装備した装甲車がバリケードを作り、ホテル前の広場は一見して物々しい封鎖区域になっている。

 くわえてバリケードの外側には、シュナイダーシュツルム以外の乱入者を警戒した「アストリット☆ファンクラブ」の非常勤工作員があえて目立つように配置され、辻々つじつじでの立哨りっしょうに余念がない。


 また地上より空に目を向ければ、近隣の高層建築物に、時おり動く小さな影を見ることができる。

 空からの奇襲を未然に防ぎ、あるいは敵の三人が不用意に建物から出てきた瞬間にその心臓を撃ち抜く、狙撃部隊が屋上の影の正体だった。

 そして万が一それらの前線が突破されようとも、シュナイダーシュツルムが誇る特殊要撃部隊の精鋭たちが、フル装備で各防護地点には潜伏している――。


 人間界の兵器を積極的に導入し、兵力の均質化に成功したからこそのこの組織力が、シュナイダーシュツルムの最大の強みであり、また他の勢力にはない特色の一つだった。


 その思いと、誇りを実感するように、若くして小隊長に抜擢された上級曹長はライフルを握り直し、ガスマスク越しに最前線の広場をじっとにらんだ。


 午前八時半。

 薄い雲だけがわずかに残る青空からは、冬の朝日が穏やかにそそぎ、広場の石畳を淡く照らしている。

 だが、やはり違和感がある、と彼は思った。

 ふだんのジャッジならば零時から夜明けにかけて一度目の戦闘が行われ、そのが朝方の道には転がっている。

 しかし、そうした本来あるはずのものがない状態、死体のない平穏にすぎる朝の風景は、かえって嵐の前の静けさを思わせる不吉なものに感じられた。

 前例のない異様な状況に、隊員たちが過度に緊張しているのも見てとれる。

 だがそれらの気負いを肌で感じながらも、一方で無駄とも思える待機が続く理由を考えて、曹長は何度目かの「異常なし」の報告を肩口の無線に吹き込むと、胸中でひそかにため息をついた。


 各部隊の配置が完了してから、すでに20分が経とうとしている。

 録画された投擲とうてき物の軌跡の検証と、工作員からの目撃情報で、対象の潜伏先がホテル・エルドラードであることはすぐに分かった。

 だが相手がエルドラードの中にいる以上、こちらから手を出すことは容易ではなく、対外関係を考慮するならば実質それは不可能に近い行為だった。

 市長と懇意こんいの間柄であるエルドラードの支配人とその土地は、この街の、特に東側の商業地区では絶対不可侵の聖域に等しく、いくらシュナイダーといえどもこれに干渉することは避けるべきとの認識がある。

 とはいえ、このままホテルのチェックアウトまで部隊をいたずらに待機させるのも得策でないことは明白だった。


 今回の戦いは、何においてもシュナイダーの面目を取り持つための政治的な宣伝活動の側面が強い。

 そこへ来て、たかが三人の敵を殲滅するためにシュナイダー全軍がひたすら待機しているというのも芸がなく、ともすれば勝って当然の雰囲気がある現状においては、相対的に他の大手より下に見られる契機になるのではないかという危惧すらある。


 いっそのこと、一般人を装った工作員に火でもかけさせればそれが戦端となり、市長の提案に乗った有象無象もあぶり出せて一石二鳥の先手になるではないか。

 いずれにせよ、かなえ軽重けいちょうを敵に問わせるには十分すぎる時間が経ってしまった……。


 そんなことをつれづれに考えたものの、いや、これは私情をまじえた判断か。そう自戒した彼は、周囲に気取られない程度に小さく首を振った。


 軍備を強化する一方で、その資金源となるアイドルまがいの活動にも本格的に力を入れ始めた昨今のシュナイダーは、実戦一筋の生え抜きでのし上がってきた自分のような下士官には、どこか煮え切らないような、矛盾する姿を無理に使い分けているような居心地の悪さを感じさせている。

 しかし、だからこそ今日のような戦時において、自分のような有志の者が率先して価値を示さずにどうするのか。

 信ずるべきは己の力と、それを与えてくれたシュナイダーシュツルムという組織のはずだ――。


 努めて念じ、雑念を振り払った彼は時計を見た。

 8時39分。その秒針がⅡの位置を示したとき、本隊からの伝令が無線に入った。


「シュティーアより全隊。

 これよりハンガーに向けて宣戦布告を行う。

 各位戦闘に備えよ。

 くりかえす、これよりハンガーに向けて宣戦布告を……」


 ついに来た。

 ハンガー。投擲されたものが、そのままアデル・ノクスのコード名になったものだが、今はその言葉に高揚を覚えた。


 ともに前線に立つ隊員らと目でうなずき合い、通信から数えることきっちり三十秒後、装甲車の上に立つ通信兵の拡声器から、遠く離れた本隊の声を曹長らは聞いた。


「凶賊、アデル・ノクスと、その一味に告ぐ」


 一同は、高らかに宣戦布告をするヒルデガルドの声に姿勢を正した。


「我々シュナイダーシュツルムは、当主アストリット・マグダレーナ・シュナイダーの名のもとに、セクトホワイトチョコレートに対して開戦の意を布告する。


 そも、ことの始まりにおいて、祭事にも等しい此度こたびのジャッジを無名の新参者がみだりにはずかしめるは度し難く、これまた本都市の平和を攪乱こうらんし人心を乱す禍根に他ならず、もって衆庶しゅうしょ釁端きんたんをひらくに十分な因となる大犯罪であることは丕顕ひけんの事実に相違ない。


 ゆえに、闘争の美名にかくれてなおあいせめぐをあらためず、干戈かんかるに至るならば、我々シュナイダーシュツルムは、自由な有衆の公然の怒りと億兆の蹶然けつぜんたる喝采を引き継ぎ、全力を奮って交戦に従事し、凶賊ホワイトチョコレートの一切を無慈悲に破砕せしめるをここに期す」


 淀みなく言い切ったヒルデガルドの声が一段低くなり、最後に告げた。


「では、型通りの文書はおいて、簡潔に言おう。

 おまえたちは今日、ここで死ぬ」


 開戦の狼煙のろしにかわるようにして、バリケードの外側から空へ向けて放たれた152mm榴弾りゅうだん砲の轟音が鳴り響いた。


 ここまでされてなお姿を見せないのであれば、観衆は敵が臆したものだと判断するだろう。

 宣戦布告によって戦いの大義がどちらにあるのかを示し、異議ある者は力をもって抗議せよと見得を切った、ヒルデガルド一流の政治的辣腕らつわんの効果だった。


 やはり、俺はこの組織を信じていい。

 腹を揺する轟音を感じながら、曹長は湧き上がる確信に拳を握った。


 逸る気持ちを抑え、部隊全体が突撃に備えてじりじりと包囲の輪を縮め始めていた。

 そのとき、最初の異変が広場で起きた。

 ゴン、と重い音を立てて、黒い球体が石畳の上に落ちてきたのである。

 一つではなく、ホテルの上階から放られたらしいそれらは次々と広場に転がり、ほどなくして大量の白煙を周囲に噴き上げ始めた。


 分隊が装備する発煙筒とは比べものにならない、火山の噴火口から噴きだすような色濃い白煙に、前線部隊の動きが止まった。

 反射的に身を低くし盾に隠れた曹長は、


「ツェーザーよりシュティーア、煙幕で視界をさえぎられている。

 探知状況を知らせ、送れ」


 と吹き込んだ。

 すぐに応答があり、


「広場煙幕に毒性は確認できず。

 施設外に熱反応および動体なし。

 アントン、ベルタは煙幕の発生源を排除し、ツェーザーは施設周辺を警戒しつつ、バックアップに回れ」


 そう指示があった。

 もうもうと立ち込める白煙は、一定の高度までのぼると緩やかに下降し、まるで意思を持った雲のように建物の隙間を埋めながら広がっていた。

 視界をさえぎることに特化した魔導具のたぐいだろう。

 だが、熱線映像装置を持つ傍受班からの情報があれば、たかが数人程度が施設内から機をうかがっていても問題はない。

 狙撃犯とこちらのバックアップがあれば即時対応、応戦できる。


 指示を受けてから数秒でそう判断し、先行するアントン、ベルタ小隊の人影が白煙の中に進むのを確認した曹長は、手信号で迂回うかいの合図を送った。


 やがて、煙幕を吐く魔導具の破壊ないしは停止させたという「クリア」の無線報告を聞き、こちらも位置取りを固めようと歩みを速めたときだった。

 ふと、風切り音のようなものが耳をかすめた気がした。

 反対に、今まで聞こえていたはずの足音や、白煙の中で動く回収班の気配が消え、かすかだが金属の擦れるような異音があった。


 本隊の指示からまだ90秒と経過していない。

 何かがおかしい。

 小さな違和感は、しかしいったん気がつくと数秒とたたず膨れ上がり、小走りに駆ける彼の足をわずかばかり鈍らせた。


 だが、実際のところ曹長が足を止めた理由はべつにあった。


 今度ははっきりと、白煙の中に風切り音を耳にしたとき、足下に突然、白い何かが転がってきたのだ。

 一瞬、何が見えたのか認識できなかった。

 見慣れたはずの、自分と同じ格好をした丸い何か。

 焦点が合い、息が止まった。

 それは、ガスマスクをしたままねじ切られた回収班の頭部だった。


 ――熱源のない敵がいる。


 爆発する思考の中にその一言が弾け、振り返った曹長は大声で叫んだ。


「退避! 退避しろ! 敵はすでに施設外に潜伏して……」


 瞬間、白煙を切り裂いて、赤黒い巨大な蛇のようなものが、後方にいた部隊員の首をひとなぎで跳ね飛ばした。

 目を疑うような光景に呆然と立ちつくし、蛇の正体が血に濡れた鎖であると気づいたとき、曹長の視界がわずかに揺れた。

 同時に全身が驚くほど軽くなった。

 それだけで、痛みを知覚する間もなく、彼の意識は断絶した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る