第三章 「決戦、シュナイダーシュツルム」

17. 好きな動物は死んだ豚です

      Ⅵ


 ベッドの天蓋に使われていた赤い布を頭からかぶり、顔だけを出して僕は言った。


「さて豚ども。楽しいディナーのご注文は?」


 にたりと笑ったその顔はじつに堂に入っていた。

 僕は、僕の顔と声をしている眼前のロスペインに言った。


「……あの。仮粧けわいの魔術が上手くいったのは分かったんで、僕の声でそれ言うのやめてくれませんか」

「ごきげんよう皆さん! 私がアデル・ノクスです! 好きな動物は死んだ豚です!」

「だから悪評ばらまくのやめろって言ってるんだよ!」


 僕が怒鳴ると、ロスペインはすっと真顔にもどり沈黙した。

 腹立たしいかぎりだが、怒りをぶつけようにも相手が自分の顔だと違和感が勝って何も言えない。

 まあいい……。

 と僕は自分を納得させるために、もう一度現状を振り返った。


 ロスペインの提案した作戦は、単純だが非常に有効なものだった。

 アデル・ノクスを増やせばいい。

 端的にいえば、シンシャとロスペインが僕に変装し、わざと目立って敵を撹乱するという作戦である。

 もちろんこれは敵との実力差が圧倒的であることを前提とした、強者にしかできない作戦でもある。

 だが、シンシャはその提案にあっさりうなずいた。


 狙いが御主人様以外に集中するのなら、私に反対する理由はありません。効果的でよい作戦だと思います。

 そう答えた。


 ただ、僕には一つ心配な点がないでもなかった。

 いくらシンシャが強いとはいえ、彼女はデッドシティでの戦いに慣れていない。

 昨日の呪いが分かりやすい例で、不意打ちのたぐいは経験がなければ防ぎようがない。

 そう告げると、


 じゃああなたが一緒にいると不意打ちが防げてシンシャが戦いやすくなるの?

 逃げ回るだけで手当もできなかったクソ雑魚が?

 え、何? 足手まといの声がよく聞こえないんだけど?


 反論はできなかった。

 たしかに敵を分散させ混乱させるという点でも、三人しかいない僕たちは別々での行動が望ましい。

 それはこの作戦の前提でもあり、それによって出る不安要素は各自の裁量でどうにかするしかない。

 心配というならば、僕は自分の心配をすべきなのだろう。


「ほら、シンシャも何か言いなさいよ」


 その声に僕は顔を上げた。

 ロスペインは、今度は自分の声でシンシャに言った。


「黙ったままじゃテストにならないでしょう」

「しかし。何を口にすれば」


 僕の顔をしたシンシャが酷く狼狽ろうばいしながらつぶやいた。

 こちらは青い布をかぶっている。


「なんでもいいでしょべつに。思いつかないなら、実際言われたやつでもいいじゃない」

「な、なるほど。では」


 深呼吸をしたシンシャは、意を決したように僕の声で言った。


「大きさは関係ない。うまく言えないんだけど、その、僕の好みはロスペインじゃなくてシンシャの胸だか――」

「待って待って待って! 急に何言ってんのシンシャ!?」


 僕は割り込んだ。


「えっ。先ほど、御主人様に言われた言葉ですが」

「いやいやいや、そうかもしれないけど、ここはもっとべつの言葉を選ぶべきでしょう!?」

「も、申し訳ありません。印象深いものから頭に浮かんだので、つい」

「ついって……」


 沈黙があった。

 シンシャは僕の顔でもじもじしていた。

 見るに堪えない。

 そう思って顔をそらせば、横ではロスペインが、僕の顔でにやにやしていた。

 悪夢だった。


「お待たせいたしました。皆様」


 そこへ折り目正しい声があった。

 荷物の積まれた台車を押して、バルブロがエレベーターから出てくるところだった。

 僕たちは今、全員ロビーにいる。

 仮粧の魔術で変装を済ませ、客室からの電話でアイテムの用意を依頼し、先にここで待っていたのだ。


 バルブロは、シンシャたちが魔術で顔を変えていることを知らないはずだったが、昨晩と同じ柔和な笑みのまま僕たちに向かい合った。


「なるほど。ユニークな作戦ですね」

「ずいぶん時間がかかったわね。バルブロ」


 一時的に変装を解き、ロスペインは不機嫌そうに声を上げた。

 仮粧の魔術は今回、顔と声だけに作用している。

 彼女たちは実質、ふだんの格好に布をかぶっているだけの状態だった。


「申し訳ありません。煙幕を出すアイテムをご所望とのことでしたが、うかがった作戦の規模を考慮すると、必要な数を確保できませんでした。

 そこで、急ぎ代用品をご用意いたしましたので、まずは用途に適うかどうか、ご確認いただければと存じます」

 

 バルブロは分厚い革のケースを開いた。

 中には筒があった。

 黒色の細い金属の筒が、薄いしきりごとに一本ずつ整然と詰まっている。

 僕は筒の表面に刻まれた紋様を見て、


「熱と……、光?」


そうつぶやいた。


「さすがはアデル様。ご慧眼けいがんまさしく、こちらは燃焼の概念を封じた特別製の焼夷しょうい弾でございます」

「焼夷弾、ですか」


 僕は慎重に言った。


「となると、燃えますよね。いや、当たり前なんですが」

「もちろん。燃えますとも」

「敵を撹乱するために、街中にばらまく予定なんですが」

「はい。できるだけ一時に、広範に散布なさるのがよろしいかと存じます」


 バルブロは笑顔のまま続けた。


「何か問題でも」

「いえ……。大丈夫です」

 延焼による無駄な被害はできるだけ避けるべきではないのか。

 そう考えたが、この街の感覚では、どうやらおかしいのは僕の方らしい。


「ふうん。焼夷弾ね」


 ロスペインは筒を取り上げ、バルブロを見た。


「これ、あなたが作ったの」

「おっしゃるとおりでございます」

「じゃあ、燃えすぎるんじゃないの」


「そのご見解は、時と場合によって若干の差違を生じるのではないでしょうか。

 たとえば、皆様が暖を取ることをご所望であれば、暖炉以上の火力をいとい遠ざけるかもしれません。

 一方で、皆様が多勢を相手取る窮地にあるのならば、水では消えない強力な炎は、むしろ好ましいものであると拝察いたします」


「なんで水で消えないのよ」


「物理的な水では、概念に干渉することができないからです。

 端的に申し上げれば、この焼夷弾はピースホールで使用されている地獄の業火と同じものでございます」


 眉根を寄せたロスペインは、品定めするようにバルブロと筒を交互に見つめた。

 バルブロは笑顔を崩さなかった。

 気のせいかもしれないが、いつもより活き活きとした雰囲気さえある。


「まあ、いいわ」


 諦めたようにロスペインは息をついた。


「消えないなら、そのぶん長く足止めできるし」

「ご利用ありがとうございます。実験品ですので、お代は成果次第で結構でございます」


 バルブロはお辞儀をし、さっそくといった感じで筒をテーブルに並べ始めた。

 そのとき、ホテルの外で声が響いた。


「凶賊、アデル・ノクスと、その一味に告ぐ」


 ヒルデガルドの声だった。

 あいだに建物の壁があることを差し引いても、かなり距離のある聞こえ方だった。

 だが拡声器で増幅されたその声には、戦意と自信がありありとうかがえる。


 薄く響き続ける宣戦布告の声を聞き流しながら、ロスペインは何食わぬ顔で僕に言った。


「アデル・ノクスと、その一味ですって。

 向こうの認識では、あなたがボスってことになってるみたいよ。

 ほら、ボス。さっさと何か言いなさいよ」


「ええ……? まあ、その。死なないようにがんばりましょう。がんばります」

「零点」


 不興顔を隠そうともしないロスペインを横に、シンシャはうなずいた。


「必要にして十分な訓示であるかと。僭越ながら、私も御主人様のご武運をお祈りいたします」

「ま、なるようになるでしょ。こいつが作戦通りに動けば」

「努力します」

「それでは、勝利を信じて参りましょう」


 シンシャの言葉を合図に、僕たちは発煙の魔導具と例の焼夷弾を携帯し、互いの素顔を確認した。

 一瞬ののち、それが変化した。

 礼をするバルブロに見送られ、僕たちは別々の扉から外に向かった。

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