16. 我が闇は光を滅す大度の焼尽
「なんだ、それ……」
「武器よ。頼んでおいたシンシャの棒」
ハンガーではなく、ロスペインは包みの方をシンシャに渡した。
シンシャが開くと、中には20センチほどの細い銀色の棒があった。
「いやいやそっちじゃなくて! 僕が言ってるのは、そのいかにも危なそうなハンガーのことだ」
「これは客間から持ってきたコートハンガーよ。見れば分かるでしょ」
シンシャはハンガーをじっと見つめた。
「何か呪われそうな邪気を感じます」
「私が魔力を込めておいたの。で、このハンガーには手紙を添える」
ロスペインは、僕から取り上げた便せんをハンガーの中ほどにくくりつけた。
それから窓をあけ、5メートルほど距離をとった。
「見よ。我が闇は光を滅す
唐突な詠唱は魔力を練るためのものでなく、解き放つための引き金だった。
部屋が異界化するほどのゆがみが生じ、一瞬ののち、膨れ上がった魔力があらゆる音や風を吸い込み、ハンガーの先で矛のような形を作った。
「――
無音の空間に、ロスペインのささやきが響いた。
瞬間、彼女がハンガーを投擲すると、すさまじい突風が巻き起こった。
衝撃で部屋全体が鳴動し、同時に誰かが緊迫した声を上げた。
「空爆だ!」
声はビジョンから響いたものだった。
画面は叫んだフランツとその周辺を大写しにしている。
「ひゃっひゃ。空爆て。お空にはなーんも飛んでへんよ」
フランツのとなりで茶々を入れたのはエルネスティーネである。
「フランツはほんま臆病やなぁ。
そんなに怖いんなら、お姉ちゃんがぎゅーっとしたろか。
ほりゃほりゃ?」
「ちょ、やめろ放せ! それどころじゃないんだ!
あの、そこの人、逃げて!
おまえらも早く散開しろ、散開!」
フランツの指示に、あたりの兵士が散り散りになった。
一方で、そこの人、と呼びかけられたララノアは、自分のペースを崩そうとしない。
「まあ、すごい。今のが噂の『まゆつば未来予報』なんでしょうか?
いったい何が降ってくるのかララノアどきどき……って、え?
逃げるんですか? どうぞどうぞ。
私はレポーターですから、カメラマンさんはあちらから引きで撮っててください」
彼女が手を振ると、画面が慌てたように大きく揺れた。
カメラマンが走って距離を取ったのだろう。
再び画面がララノアの姿をとらえたとき、その後方で舞台から飛び降りたフランツが、ララノアに向かって走りだすのが見えた。
だが、相変わらずのララノアは、のほほんとして空をながめると、
「ん? ハンガー?」
そうつぶやいて巨大なハルバードを低くかまえた。
「危ない!」
フランツが叫んだのと、ララノアの斧が空から降ってきた赤い直線に衝突したのはほぼ同時だった。
画面が白くなり、ビジョンの音が薄いノイズだけになった。
やがて、白く飛んでいた画面が正常にもどると、もうもうとした土煙や、駆け寄る兵士のうしろ姿が見えてきた。
音声も、安否を確認する大声や、大勢のざわめきを拾っている。
「へえ。あのエルフ、なかなかやるじゃない」
ビジョンの横でロスペインが言った。
土煙が晴れた画面には、服が片肌を脱いだようにぼろぼろになっているララノアがいた。
そして彼女から少し離れた地面が、爆心地のように削れていた。
数秒後、振り返ったララノアが笑顔でこちらを手招きし、カメラが寄ると彼女は頭をかいた。
「えー、思わぬ展開になっちゃいました。
何かが降ってきたことにもびっくりなんですが、びっくりしたわたしは、降ってきた何かを思わず斧で殴っちゃったんですねー。
そしたら、わたしに駆け寄ってきたシュナイダーの人が、私の殴った何かに当たっちゃったみたいで、もうスーパーびっくり!
めんご、めんご☆
でもたぶん、シュナイダーの人はわたしを助けようとしてたみたいなので結果オーライですよね?
うん、サンキュ。好青年!」
ララノアが親指を立てると、カメラが爆心地に移動した。
そこには倒れたフランツがいた。
あるいは倒れたというより、転がった彼がそこにいた。
彼の下半身は、そのほとんどが吹き飛んでいる。
「おま……、めんごって。軽すぎだろ……」
つぶやいて、フランツは赤い泡を吹き気絶した。
すると、ヒルデガルドをはじめとしたシュナイダーの面々が、彼のまわりで口々に言った。
「フランツ! 爆撃程度で傷を負うとは、貴様それでも我が軍の将校か!」
「ねえ。フランツ死んじゃったの?」
「いやいや寝たふりしとるだけやろ。こんなんソーセージきめたら一発で目ェ覚めるやつや」
「エルちゃん、さすがにそれはフランツ君が死ぬんじゃ」
注射器を取りだしたエルネスティーネを、ノーマンがやんわり押しとどめた。
「いずれにせよ、ここでフランツを失うわけにはいかん。ノーマンは治療を。エルはその怪しげな薬を今すぐしまえ」
「怪しくないで! これはソーセージエキスを配合したエルちゃん特製の覚醒剤で……」
「え、欲しい」
興味を示したアストリットが手を伸ばすと、
「駄目だ! 没収!」
ヒルデガルドが叫び、注射器をエルネスティーネから取り上げた。
そうしたやりとりを画面越しに見て僕は思った。
たしかに全員、キャラが濃い。
ノーマンをのぞいて……。
同情に近い思いを感じていると、彼らの横あいから、いつのまにか近くにいたララノアが、地面に刺さったハンガーを指して声を上げた。
「ところで、これ、どこから降ってきたんですかね?
なんか手紙がくっついてるんですけど?」
全員がコートハンガーを振り返った。
しゃがんだララノアは便せんを開き、周囲に聞こえるように文面を読んだ。
「えーと、なになに?
『愚かな豚どもに死を。by アデル・ノクス』
ですって」
その瞬間、僕の時間が停止した。
「んんん? アデル・ノクスって、あの?」
ざわめきは瞬時に伝播した。
誰もが口々にアデルという名を呼び、ついで、大佐のかたきだ、やつを殺せ! 死より辛い拷問を!
と、その内容は物騒なものに変化していった。
声が高まり、兵士たちがいよいよ動き出そうとしたときだった。
喧噪を突き抜ける硬い声が響いた。
「総員、静粛に! 敵の挑発に踊らされるな」
ヒルデガルドの一声で、すべての兵士がかかとを合わせ直立不動の姿勢になった。
「……だが、その怒りは胸にとどめておけ」
抑えた声で命令し、ヒルデガルドは一直線にカメラに向かって歩きだした。
殺意をあらわにしたその表情に、おびえたように画面が揺れた。
それをひっつかみ、ヒルデガルドは片手でカメラを固定した。
彼女の顔が、画面ごしに僕をにらんだ。
「見ているな。アデル・ノクス。この代償は、高くつくぞ」
ガシャン。
カメラを叩きつける音がし、砂嵐になった映像がスタジオに切り替わった。
そこには、一切ぶれのないガラドミアと、お茶を飲んで完全にくつろいでいるゾラがいた。
「以上で中継を終わります。皆さま、続報をお待ちくださいませ」
型通りの文言を述べてから、ガラドミアは横を見た。
「ところで市長。今回は対抗セクトが極端に少なく、映す素材が他にないので尺が足りないという情報があります。
何かコメントを」
「きみ。少しは遠慮というものがないのかね。
今回の場合、容赦ともいう」
「市長への信頼の表れです」
「言ったものだ」
ゾラは笑いながらカップを置いた。
「しかし、面白くはある。
私を含め、視聴者の誰もが予想だにしない展開になった。
無名の個人がここまで大見得を切り、シュナイダーシュツルムという巨大な組織に一泡吹かせたのは痛快としか言いようがない。
我もと思った立志の者も少なくないだろう。
そこでだ。私から諸君に提案がある」
ゾラは右手の指を二本立てた。
「提案とはジャッジに関する特別ルールの追加だ。
一つ。今やデッドシティでもっとも注目されている男、アデル・ノクスを殺害した者には、通常報酬にくわえて、新たにレート500を与えることとする。
一つ。反対に、アデル・ノクスを彼の敵からかくまった者には、一時間につきレート1000を与えることとする。
以上の二点である。
断っておくが、この提案は諸君とシュナイダーシュツルムを対立させるものではないし、ましてや諸君がアデル・ノクスの味方になることを望んだものでもない。
賢い者ならばすぐに理解しただろう。
私の意図を汲み、この機会を存分に活かして欲しい。
では、健闘を祈る」
スタジオはにわかに騒がしくなった。
新ルールの追加を各所に通達する声が上がり、番組編成の変更に奔走する者が画面を気にせず横切った。
その慌ただしさの中で律儀に礼を言い、今後の流れを大まかに説明するガラドミアの姿もあった。
誰もがすべきことを自分の判断でこなしていた。
プロの動きだった。
ただ、画面の前に座る僕はプロではなかった。
大きすぎる疑問に、思考が完全に止まっていた。
「もっとも注目されている男。アデル・ノクス」
歌うようにロスペインが言った。
「有名人になった気分はどう?」
「なんで僕の名前が手紙に書かれてるんだ!!」
僕は叫んだ。するとロスペインは、心底愉快そうに肩を揺らし、笑い声を上げた。
「予想通りすぎて愉快な男ねアデル。
なぜって、私が書いたからじゃない。分からないの?」
「分かってる。分かってるよ。
僕が分からないのは、そうやっていちいち波風立てようとするおまえの性格とその思考だ」
悲痛な訴えがどれだけ届いたかは分からない。
ロスペインはひとしきり笑ったあと、はー喉渇いた、と言って紅茶を飲んだ。
それから、妙に落ちついた声で言った。
「まあ、ここまで話が飛躍するとは思ってなかったけど、大方は私の狙い通りに動き始めたわ。
手紙を出す前と出したあと。状況がどう変わったか分からない?」
分かるかボケ! と反射的に答えそうになったが、ぐっとこらえた。
そもそも怒ったところで事態は何も変わらない。
「悪い意味で、状況がどう変わったかは理解してるよ。
余計な署名のせいで大勢から狙われることになったんだろ」
「ふうん。論点が完全にずれてるわね。
答えを自分で言っておきながら、まったくそれを理解してないわ」
ロスペインは横を見た。
「シンシャ。あなたはどう思う?」
「私にも状況がよくなったとは思えません。
しかし、明確な変化は一つあります」
シンシャはちらと僕を見たあと、ロスペインに視線をもどした。
「この戦場に、仮想のセクトが無数に乱立したことです」
「そのとおり」
ロスペインは胸の前で指をからめた。
「ゾラは立場上、シュナイダーとの対立を煽ったわけじゃないと言ったけれど、あんなのただの言い訳にすぎない。
極上のえさが目の前にあるのよ?
そのえさが実質一つしかないのなら、みんなで仲良く譲り合いましょうなんて、ぬるいことには絶対ならない。
競争相手を蹴落とそうとする小ずるいやつが必ず出る。
つまりシュナイダーにとっては、大手の自分たちを攻撃してくる可能性は低いとはいえ、作戦遂行に邪魔な存在が増えたことになる。
けれど、私たちからすれば敵が5千から5万に増えたところで変化はない。
一度に出会う敵の数なんてたかが知れてるし、むしろその敵は連携がとれていないぶん弱くもなる」
「ですが、非常に大きなデメリットも生まれました。
市長の提案した二つ目のルールです」
「そうね。あれが厄介なのよ。
あいつ分かってて言ってるだろうし。忌々しい」
「二つ目のルールって、僕を一時間かくまうと報酬があるってやつだよな」
僕は口を挟んだ。
「あれの何が駄目なんだ?
それこそ、かくまったやつらはシュナイダーと対立することになるだろうし、仮とはいえ守ってくれる味方が増えるってことじゃないか」
「全然違うわ。ほんと甘ちゃんね」
ロスペインは大げさにため息をついた。
「かくまうって言葉を字義通りにとらえてどうするのよ。
実際は逆。
あなたはその仮の味方とやらに監禁されて、一時間たったら殺されるのよ。
で、そいつらは1500レートを手に入れてウハウハってわけ。
ああ、あなたには素で100ポイントついてるから1600か。
なんでもいいけど、今の話に守ってくれそうな味方がいた?」
「む、む……」
「もっと悪ければ、死なない程度に痛めつけられて、監禁場所をたらい回しってこともあるでしょうね。
たとえば手足を切り落とされてとか。
そうなると私たちがいくらレートを稼いでも、お荷物のだるまが敵にレートを渡しちゃうから、いつまでたっても勝利は来ないわ。
それと可能性は低いけれど……」
「ご、ごめん。ちょっと待ってくれ」
止まりそうにないロスペインを僕は控えめに制止した。
確認のためにも、ルール追加による変化を整理しておきたかった。
「僕に狙いが集中するのはロスペインの想定の範囲内だった。
なぜなら敵が内部で分裂することの方が、はるかに大きなメリットになるから。
でも、市長がさっき提案した二つ目のルールによって、僕一人にかかるレートの損失に際限がなくなって、作戦を立てるにしても慎重にならざるを得なくなった。
これで合ってるか?」
「だいたいはね」
ロスペインは言った。
「あなたの名前を目立つようにすれば、ゾラが報酬を上乗せしてくることは分かっていた。
あいつはそういう性格なのよ。
ジャッジが盛り上がるなら、なんでもいいって性格」
「すると」
と今度はシンシャが、ロスペインに問う目を向けた。
「あなたには御主人様に狙いが集中しようとも、御主人様を守り抜き、かつ戦況を有利に運べるような秘策があるのですね。
そうでなければ、あなたは酒場での誓いをたがえることになります」
「そうね。そんな目で見なくても大丈夫よシンシャ。
ちゃんと考えはある。
しかもこれは、二つ目のルールによってより有効な作戦になったんだから」
「具体的には?」
ロスペインは微笑し、小首をかしげた。
「アデル・ノクスを増やすのよ」
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