12. 起きた時点で服は着ていませんでした
「まず、弁明したいと思うんです」
着替えを終えてリビングに移った僕は、開口一番に切りだした。
弁明とは、全裸のロスペインがいつのまにかベッドに潜り込んでいたという身に覚えのない事象についての弁明である。
「シンシャさんの、誤解を解いておきたいんです」
「はあ。誤解ですか」
朝食の配膳をそこそこに、シンシャは僕に向き直った。
「しかし、概ね把握していると思いますが」
「は、把握とは……?」
恐る恐る聞き返した。
するとシンシャは「そうですね」とつぶやいて、みぞおちのあたりで腕を組んだ。
「私の把握する概ねとは、御主人様の嗜好についてでしょうか」
「僕の嗜好……」
「さようでございます。御主人様は、女性のお尻よりも胸の方にご興味があるのですね」
一瞬、思考が停止した。
「なんの話!?」
「先ほど漏れ聞こえたお話でございます。そんなお尻は見ていない。見る暇があったら他を見ている。冤罪だ、と大声でおっしゃっていたようなので」
「い、いやあの、部分的には合ってるんだけど、ニュアンスとしてはまったく違うというか」
「ほう。事実は異なるとおっしゃる?」
「そう。そうだよ。全然違う」
「なるほど」
シンシャは厳かにうなずいた。
「つまり御主人様は、胸よりお尻が好きであると」
「そういう意味じゃない!」
僕は叫んで頭を抱えた。
なんなんだこの会話は。今まで十年以上一緒にいて、ここまで話の通じないシンシャははじめてだった。異常といってもいい。
うなっていると、ふと彼女の組んだ腕が目に入った。異常とまではいえないが、シンシャが僕の前で腕を組むというのもめずらしいことである。初めてかもしれない。
もしかして……。奇妙な推測が頭をよぎり、僕は顔を上げた。
「シンシャ。もしかして、僕をからかってる?」
彼女はわずかに首をかしげた。
「どうして、そのように思われました」
「なんとなくだけど、意図的に話をこじらせてるというか、いつもとは違うことをあえてやってるような感じがして」
「ロスペインに似ていませんか」
「は?」
声を上げた僕に、シンシャは冷静にくりかえした。
「私の言葉はロスペインに似ていませんでしたか。いえ、私の演技力の問題でしょうか。
じつは先ほど、私は御主人様とロスペインのやりとりを、
御主人様が大きな声でいきいきとお話なさるのは、いつも決まってロスペインと一緒のときであったと」
「いや、あれはたんに抗議の声を上げてるんであって」
「でも、お屋敷では決して見せなかったお姿です」
僕はシンシャを見返した。
「それで、ロスペインの真似をした……?」
「はい。私にも同じように御主人様を励ますことはできないかと。しかし、付け焼き刃のふるまいでは違和感が勝ってしまったようですね。私の能力不足です。申し訳ございません」
「……まあ、僕のためにしてくれたのはいいんだけど」
気まずさを感じて、僕は言葉を探した。
「っていうか、付け焼き刃のままでいいからね。付け焼き刃じゃなくなるってことは、僕をなじるのがうまくなるってことだから。そういうのは全然嬉しくないから」
「なるほど。もしかして、それはいわゆるフリというやつでしょうか? つまり、本心ではやれと思っている」
「本当に嫌なんだよ! どんな深読みだ!」
「ふむ。難しいものですね」
シンシャは組んでいた腕を下ろした。
「気を回しすぎなんだよシンシャは。単純にいつも通りが一番いいよ」
僕はため息をついた。
「でもまあ、いいか悪いかはべつにして、ドキッとさせられたのは事実かな。わざわざ腕を組んで話してたのも、ロスペインっぽいと言われればそれっぽいし」
「いえ。あれは違いますよ」
「違う?」
「腕を組んだのはロスペインの真似とは関係ありません。彼女に比べて大きさで劣る私の胸を、御主人様に強調するために腕を組んだのです。このように」
そう言って、シンシャは胸を押し上げるようにした。
思わず見つめてしまい、あわてて顔をそらした。
「気づかれなかったのですね」
心なしか、しょんぼりしたような声がした。
意外だった。
「ち、違う。そんなことはない。ちゃんと気づいてたし、見てたから」
シンシャがちらと僕を見た。
「本当でしょうか」
その声を聞いて、僕は考えるより先に答えていた。
「本当だ。大きさは関係ない。いや関係ないというか、うまく言えないんだけど、大きければいいってわけじゃなくて、人にはそれぞれ適正なサイズがあるというか……その、つまり、僕の好みは、ロスペインじゃなくてシンシャの胸だからッ!」
知らず、大声で言っていた。
シンシャは「あ、ありがとうございます」と控えめに答えてうつむいた。もう腕は組んでいなかった。見ると、それとは分からないほどに頬と耳が赤くなっていた。
そのとき、はたと我に返った。
僕は今、何を言った?
気づくと自分も顔が熱くなった。
もはや弁解の言葉も見つからない。
お互いに、相手のひそめた息を聞くような気恥ずかしい沈黙が部屋に流れた。
「え、何……? 小さい胸が好きだと叫んで照れてるの? ドン引きなんですけど」
横で声がした。
驚いて顔を上げると、バスローブ姿のロスペインが立っていた。
僕と目が合うと、彼女は隠すように肩を抱いた。
「よかったわ。私、胸が大きくて。こんな変態に朝から迫られたら大変だもの」
「ち、ちが。今のはそういう意味じゃ」
「近寄らないでちょうだい。寝起きに胸を揉ませたのは、あなたに脅されただけなんだから」
「さらっととんでもない嘘つくんじゃない! あと、おまえを脅せるやつなんてこの世に存在しないだろ!」
「なるほど。このようにして会話を構築するのですね」
シンシャがメモを取っていた。まずい。これ以上ロスペインの相手をしてはいけない。
しかし焦る僕をよそに、ソファーに悠然と腰かけたロスペインは、ところで、と流れを無視して話題を変えた。
「シンシャ。あなた体の調子はどうなの。どこか痛むとか、感覚がおかしいとかない?」
シンシャはうなずいた。
「いえ。どこも問題はないようです。むしろ回路の効率が上がったほどで」
「回路の効率?」
「疲れが取れて、健康になったという意味です」
「へえ。よかったじゃない」
「そうですね。損壊の原因があなたにあるとはいえ、よい治療をいただけたことには感謝します。ロスペイン」
「いいのよべつに。費用がかかったわけでもないし」
ロスペインは自分で紅茶を入れ、ひと口飲んだ。
「そういえば、カールはサウナがどうとか言ってたけれど、あれってどういう感じの治療だったの。切ったり縫ったりじゃないんでしょう?」
それは僕も気になっていた。寝起きには聞きそびれていたことでもある。
二人のやりとりを黙って聞いていた僕は、もう話がもどることはないだろうと判断して会話に混じった。
「たしかに、けっこう厄介な呪いだったから、どんな治療だったのかは気になるな」
僕が言うと、視界の隅でロスペインがにたりと笑った。
え、なんで。
思ううちにシンシャが話し始めた。
「そうですね。少なくとも外科的な処置はありませんでした。どんな治療だったか、と聞かれると答えづらいのですが。動きだけで言えば、あれはマッサージのたぐいでしょうか」
「へえ。マッサージ」
「目が覚めると、私は香の焚かれた薄暗い部屋に寝かされていました。言われてみればサウナのように室温は高めだったかもしれません。
傷がうずき、うめいた私が動こうとすると、そばにいた女性が私の体に手を添えました。動きを止めるというより、あれは私の中の痛みを元の無知覚の場所にそっと押し返すような感じでしょうか。
ともあれ、彼女から敵意のようなものは感じ取れず、私もそれで力が抜けてしまったので、あとは彼女にされるがままにしていました」
すかさずロスペインが口を開いた。
「なるほど。シンシャはその女にされるがままだったのね。裸のままで」
――!?
「まあ、そのとおりです。起きた時点で服は着ていませんでした。あと香油のようなものを塗られた気がします。
そして気がつくと何度も体を仰向けに、うつぶせにとひっくり返されるので、どうすれば相手に気取られずこのような動きができるのかと不思議に思ったのを覚えています。
……あの、御主人様。いかがなさいました。私の説明が分かりづらいのでしょうか」
シンシャが探るような目を僕に向けた。
無理もない。自分で説明を求めておきながら、僕は口元を手で覆い、顔を横に逸らしていたからだ。
ロスペインの嘲笑うような声が聞こえた。
「いかがも何も、想像してるんでしょうよ。いろいろとね」
「はあ。いろいろと」
「あとで聞いてごらんなさい。私の話は魔術の参考になりましたかって」
ああ魔術の、とシンシャはうなずいた。
「なるほど。そういうことでしたか。説明不足は否めませんが、お役に立てたのなら幸いでございます」
僕は無言のまま、口元を覆っていた手のひらを見せ返事にした。
内心ではロスペインに歯がみしていた。
直接言われるより、こちらの方がよほど堪える。
「さて、そろそろ会議を始めましょうか。あなたたちも席につきなさい」
僕をからかって満足したのか、ロスペインはそっけなく言った。
会議とは今日のジャッジをどう切り抜けるかの相談だろう。
彼女風に言えば、どう攻め崩すかの作戦会議だ。
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