11. お尻を見られたわ。訴訟します

      Ⅴ


 朝の冷気で目が覚めた。

 薄く目を開くと、カーテンの向こうにわずかに白んだ空が見えた。

 首筋をなでる冬の空気とベッドのぬくもりが心地いい。

 だが、もう一度眠る気分ではない。

 布団から腕を出し、あたたまった肌が蒸発するように冷めていくのを感じていた。


 ふと、近くに気配が立った。

 首をめぐらせると、おだやかな声が降ってきた。


「おはようございます。御主人様」


 ぼんやり見上げた。

 ベッドのわきに、いつのまにかシンシャが立っていた。


「シンシャ」


 呼びかけて、自然に笑みがもれた。

 そんな僕を見て彼女が少し身をかがめた。

 手を伸ばし、彼女の頬にそっと触れた。

 あたたかい。夢ではない。

 そのぬくもりで彼女の無事を実感した。


 僕が触れているあいだ、シンシャは目を閉じていた。

 手を下ろすと、彼女はゆっくりまぶたをあけた。

 青みがかった朝の空気に、色素の薄い彼女の瞳が美しく映えた。


「お茶をお持ちします」


 かすかな笑みを浮かべ、シンシャは静かに部屋を出ていった。

 いつ治療が終わったのだろう。何か支障はないのだろうか。

 小さな気がかりはなくもなかったが、けだるい体にはゆっくりと安堵が広がっていた。

 よかった。シンシャが無事ならそれでいい。


 伸びをして、僕はベッドの反対に寝返りを打った。

 そこで違和感があった。

 右手の甲に、異様に柔らかい何かが当たっている。


「……」


 目を疑った。

 知らない女がとなりで寝息を立てていたからである。

 しかも全裸で。

 息づく果実のような胸のふくらみに、長い黒髪がたれていた。

 その髪が、ゆっくりと上下する白い胸の動きに合わせて少しずつ位置を変えていた。

 白ではない他の色が、ちらと見えた気がした。


 僕は思った。これは夢だろうか?

 夢だとすればこれは誰だ?

 考えたとき、女が目をあけた。

 彼女は僕をまっすぐ見つめ、あどけなく笑った。


「昨日はよくも、追いだしてくれたわね」


 幻想が消え、現実が見えた。

 女はもちろんロスペインだった。


「ロ、ロスペ――」


 鋭い蹴りが腰を襲い、気づいたときには僕はベッドの外に弾き出されていた。

 鏡台にぶつかり、転がっていた体がようやく止まった。

 ぶつけた頭と、蹴られた腰がしみるように痛んだ。


「お、おお」


 情けなくうめいて身を縮めた。

 そのとき、ちょうどベッドから立ち上がったロスペインのうしろ姿が目に入った。

 光の射し込む窓の前で、一糸まとわぬその姿が影をつくり、しなやかな輪郭を浮き立たせた。

 一瞬、痛みを忘れて見入った。

 その視界にシルクがひるがえり、ローブを羽織ったロスペインが優雅にこちらを振り返った。


「お尻を見られたわ。訴訟します」

「なっ……み、見てない! そんなところ見てない。冤罪だ。そもそもそんな暇なかったし」

「などと、胸を見た男は供述しており」

「……」


 罪状が変わっていた。冤罪ではないので僕は黙った。


「シャワーを浴びるわ」


 勝ち誇ったように言い残し、ロスペインは奥の浴室に消えていった。

 しばらくして、お茶を持ってきたシンシャが、うなだれる僕に首をかしげた。


「御主人様? いかがなさいました」

「……いや。お茶が来るのを待ってたんだよ」

「床の上で?」

「床の上で」

「では、床の上でご笑味しょうみあれ」


 濃い目のアッサムは、心境に関係なくいい味だった。

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