10. 血を編む鎖

「一つは急ぎ、ときみは言ったが。急ぎではない用件もあるのかね」

「二つあるわ」 とロスペインは言った。

「どんな望みだ」

「知りたいことと、欲しいものがあるの。ジャッジはまだ始まったばかりだけど、街の動きが気になるわ。特に大手の動向が」

「きみが、大手を気にしてる?」


 カールは少し目を開いた。

 首を振りながら微笑した。


「その情報を流せば、彼らは簡単に混乱するよ」

「茶化さないで。真面目に聞いてるのよ」

「だが、今回のジャッジで争いごとは起きないだろう。ならば相手を探る必要もない」

「それがあるのよ。じつは、ぎりぎりでセクトを作ったの。私とあと二人、三人のセクトを」

「……まさか。ロスペイン。きみは街を敵に回したのか」

「そういうこと」


 小さく口をあけたまま、カールは眉根を寄せて目を閉じた。真顔にもどった。


「それは問題だ。私も知らないということは、本当に直前のできごとだ」

「あなたが知らないのは、ここに引きこもっていたからでしょう。でも、たしかに直前の決起だったわ。彼がその英断を下したの」


 ロスペインが僕を見た。

 僕は、何を言っているんだこいつは、という顔をした。


「彼は不本意そうな顔をしているように見えるが」

「そういう顔なのよ。さもしいやつなの。気にしてるようだから触れないであげて」

「そうか」


 カールは同情の目で僕を見た。

 僕たちは小さくうなずき合った。理解者ができた。


「だから、今回の私たちに反応して、すぐに動きそうなやつの情報が欲しいの。それによって、どう攻め崩すか考えるから」

「攻め崩すか。変わらないな、きみは」

「劣勢だからこそ攻めるのよ。で、どう。誰かいる?」


 カールは小さく息をついた。


「そうだな。きみはどの派閥にも属さない個人だから、大手の小競り合いに利用されることはないだろう。しかし場合が場合だ。数の上では、たった三人で数十万人を相手にしなくてはならない。この機に乗じて、恨みを晴らそうとする輩も少なからずいるかもしれない。そういう点で心当たりは?」

「ないわ。私は全員に平等よ」


 つまり全員に恨まれているのだろう。

 カールは声を立てず笑った。


「なるほど。では、同じように中庸のグループが動くかもしれない。もっとも可能性が高いのは、シュナイダーシュツルムだ」

「シュナイダー? あの軍隊もどきが?」


 ロスペインは首をかしげた。


「どうして。中庸であっても動機がないでしょう」

「彼らには軍隊の他にも生業があるんだ。クリーニング屋だよ。衣類を預かって洗浄する、まっとうな意味でのクリーニングだ。

 ともあれ、彼らは今回のジャッジに便乗して、新規顧客の獲得のため出店やイベントの用意をしていた。そこへきみが横槍を入れたんだ。他の者ならばいざ知らず、血を編む鎖ヘマトクリットの名は、客が逃げだすのに十分すぎる脅威がある。

 ゆえにシュナイダーは、イベント費用を無駄にしないためにも、きみたちを全力で潰しにかかるだろう。

 それに血を編む鎖を倒したとなれば、それだけで素晴らしい宣伝になる。シュナイダーは他の大手を牽制しつつ、早晩、全面戦争を仕掛けるだろうね」


「ふうん。じゃあ出店を破壊すれば、シュナイダーはより混乱するのね」

「そうかもしれない」


 カールは笑った。それから僕を見た。


「アデル。きみもセクトの一員だ。何か聞きたいことがあればたずねるといい」


 彼を見返した。戦うための疑問ではないが、分からないことはたくさんあった。

 思えば、アクロイドの一件からずっとロスペインには振り回されっぱなしだ。


「今の流れとは直接関係のない質問になりますが」 と僕は言った。

「かまわないよ」

「では、元も子もない話なんですが。彼女は……ロスペインは、本当に僕たちの味方なんでしょうか」

「それは、道義的な意味で?」

「いえ。ジャッジ中の制度的な意味で」


 カールは苦笑した。


「大方の予想はつくが、ロスペイン。きみは必要なことを省きすぎるきらいがある。今回の場合は説明だ。彼は今、きみに疑念があるらしい」

「失礼ね。必要なことはちゃんとしてるわ」


 ロスペインは不満げにあごを上げた。


「裏切らないと宣誓もしたし、敵だってちゃんと皆殺しにしたでしょう? あれより明確な説明って他にある?」

「おまえな……。僕たちを殺そうとしたあとに、そうしただろ。敵だっておまえのことを最後まで味方だと思ってたし。でも、僕とシンシャは、ジャッジの証書で同じセクトになっていたのを確認してる。あの証書は偽装できるものじゃなかった。だからもう、何をどう認識していいか分からないんだよ」


 ロスペインがカールを見た。

 説明が面倒。いや話すべきだ。

 そういう表情のやりとりがあって、ロスペインは大きくため息をついた。ようやく言った。


「証書は本物よ。私があなたたちと同じセクトなのも本当」

「じゃあ、敵はなんでロスペインを味方だと思ってたんだ」


「一つはゾラの発表を聞いたから。あいつは会見で、二人の名前だけを読んだでしょう? あれは新規に参加した登録者のみを読み上げたの。つまり、私一人がもとから所属していたセクトに、あなたたち二人が直前で参加したって流れね。

 でも、セクトは一人だと機能しないから、私は保留の状態になっていた。そこに二人が追加されて、そのあとに保留だった私の参加が処理された。その時間差で、ああいう発表になったわけ」


「なるほど……」


「そして私はジャッジ開始の鐘が鳴ったとき、自分の所属を一時的に偽装するアイテムを使った。そのアイテム――マスカレイドは、自分のレートを消費することでしか手に入らない割高なアイテムなんだけど、場合によっては有効に使えるときもある。今回みたいな、自分が注目されると分かりきってる場合なんかにはね」


「そうすると、敵味方を区別する方法が何かあるのか」

「あるわ。相手の前で目をつぶるの。そうすれば、まぶたの裏にその人物のセクトやレート情報が浮かび上がる。やってみなさい」


 言われるままに目を閉じた。

 すると、まぶたの闇に青白い火のような線が浮かび上がった。

 絶え間なく揺れるその線は、ソファーに座るロスペインの輪郭を描き、その頭上にレートの数値、彼女の名前を文字で出した。

 名前とはべつに、Hematocritの文字もあった。


「ヘマトクリット」


 僕は目をあけてつぶやいた。


「さっき、カールさんも言ってたけど」

「それは私の二つ名よ。血を編む鎖、でヘマトクリット。分かりやすいでしょ」

「分かりやすいっていうか……」


 禍々しい。血を編むって。


「それと、敵の判別方法には小ネタがあってね。鐘が鳴ったとき目が光るのよ。所属人数の多いセクトは赤く光る。少ない方は青く光る。ジャッジが始まったとき、あなたには酒場の連中の目が赤く見えたでしょう?」

「そういえば」


「ちなみに私はあのとき目をつぶってた。マスカレイドはジャッジの前だと使えないから、開始直後の目の色だけはごまかせない。でも実際に光ってるわけじゃなくて、相手にはそう見えるってだけだから隠すのは簡単。

 まあ、雰囲気に合わせてなんとなく手をあげたりもしたけど、正直、視線の誘導なんて必要なかったわね。私は前もって『面白いことが起きる』って酒場の連中に教えておいたから。誰も私を敵だなんて思ってなかったわ」


 指揮者のように手をあげるロスペインの姿を思いだした。

 あれは別の意味での演出だったらしい。

 たしかに、顔よりも手に注意がいった。


「他に質問は?」


 言われて、少し考えた。

 頭の中に今までの出来事を順に並べる。


 ビザ。脅迫状。酒場。アクロイド。

 ジャッジへの誘い。ゾラの会見。ロスペインの裏切り。裏切りの裏切り。

 そして、ホテル・エルドラード。


 裏切りの件は今の説明で納得できた。

 僕の知らないルールは他にもたくさんあるのだろうが、大枠で矛盾はないように思えた。

 筋は通っているし、何よりも結果が証明している。


 だが、何かが引っかかるような違和感もあった。

 近くで見ると分からないのに、遠くで見ると不自然に感じる。そんな漠然とした違和感だった。

 しかし、そもそもこれはロスペインに聞くべきことではないのかもしれない。質問の形にもなっていない。今は他のことに集中しよう。


「とりあえず、今は大丈夫だ」


 逡巡を打ち切り、僕は言った。


「酒場の件は納得できたし、ロスペインが味方だってことも理解はできた。一応は」

「一応も何もないでしょ。敵か味方か。殺すか殺されるか。必要なのはそれだけよ」

「まあ、そうかもな」


 そうかもしれない。

 その言い分はロスペインらしいと僕は感じた。


「どうやら疑念は晴れたようだ」


 カールが言うと、ロスペインは肩をすくめた。


「まったく、とんだ手間だったわ。それでカール。用意してもらいたい物があるんだけど」

「聞こうか」

「さっきの子。シンシャに合った武器が欲しいの。あの子は素手でもそれなりだけど、どう見ても力を持て余してるから」

「ふむ」


 うなずいたカールが僕を見た。


「シンシャはきみの従者だろう。日頃から、何か親しんでいる道具はあるのかね」

「道具、ですか……。そういえば、たしか包丁は器用すぎるぐらいうまく扱ってるのを見たことがあります」


 しかしあれは曲芸のたぐいであって、武器として有用かどうかは分からなかった。

 僕はシンシャの日常を思い浮かべた。

 もう一つ、それらしいものがないでもない。


「あと、そうだ。家では箒をよく持っていました。魔獣を追い払うときなんかも、その箒で」

「はあ? 箒? 馬鹿なのあなた」


 ロスペインが口を挟んだ。


「それは仕事で箒を持っていただけじゃないの? 他にないからそれを使っただけで、そもそも箒って武器としてカテゴライズできるものなの?」

「い、いや、それはそうかもしれないけど」

「まあ、棒術ととらえればいいだろう。箒であれ、長物は体捌きが未熟だと役に立たない。シンシャは基礎ができているんだ」


 カールがいさめると、ロスペインは首をかしげた。

 それからすぐ何かを思いだしたように指を鳴らした。


「棒術。だったら似たようなものがあるじゃない。あれって倉庫に置きっぱなしでしょ」


 うなり声が聞こえた。


「ロスペイン。もしかしてきみは、のことを言っているのか」

「そう。。金属だけど、あれも伸ばせば棒みたいなものでしょ」

「しかし、用途がまったく違う」

「そうね。楽しみだわ。シンシャが持つとどう化けるかしら」


 それで話は打ち切りになった。

 あの釘をくれ。意味が分からなかったが、ロスペインは要求が通り満足げだった。

 カールは、武器は明朝までに用意しよう、私はまだ仕事があってね、と眼鏡をかけ直してペンを取った。


 僕たちは礼を告げ、席を立った。

 そのとき、テーブルの上を何かがすべった。

 アデル。話があればまた来なさい。

 カールがさしだしたのは金貨だった。

 きっと、彼に会うにはこの方法しかないのだろう。

 エルドラードでは金貨に特別な価値があるらしい。

 もう一度礼を言い、僕たちは地下のバーをあとにした。

 

 特に荷ほどきがあるわけでもない。

 汗と血を落として、備えつけの寝巻きに僕は着替えた。


 ロスペインの借りた部屋は必要以上に広かった。

 大きな油彩画が飾られた客間に、二つの独立したリビングルームとダイニングルーム、そこから続く二つのベッドルームと、それぞれに隣接した二つの浴室……。

 これらがなぜ一つの部屋として供されるのか、僕に理解できる日は来そうになかった。


 アンティークが置かれた広すぎる寝室で、僕は仰向けになってベッドの天蓋を見つめた。

 シンシャのことが心配だった。

 思えば、ピースホールにいるとき以外、シンシャがとなりにいないのは初めてだった。

 明日はいったいどうなるのだろう。

 そのことも考えた。

 だが僕に分かることは多くない。

 今日一日で状況はめまぐるしく変わったのだ。

 こんな夜には話し相手がいれば違ったのかもしれない。そう思いながら寝返りを打ち、僕は寝室のドアをながめた。時間が過ぎた。


「童貞は知らないでしょうけど、夜はまだまだこれからなのよ!」


 バーン! そんなセリフとともに、ロスペインに蹴破られたドアを僕はながめていた。

 少し前のことだった。

 あのとき、ロスペインはワインボトルを持っていた。

 それで僕は彼女の妙に高いテンションと、カールがなぜ酒を勧めなかったのかを理解した。

 速やかに部屋から追いだし、ドアに全力の結界を張った。

 抗議の声がドアを殴る音とともに聞こえてきたが、その音も耳栓をすれば解消された。

 必要な物はすべてそろっている。さすがはホテル・エルドラードだった。


 僕はうなずき布団をかぶった。

 体の内からは潮騒のような耳鳴りが聞こえている。

 その音に身をゆだねると、眠りはすぐにやってきた。

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