08. ごめん、シンシャ。ここまでみたいだ

「死になさい」


 もがこうとした手は、すでに女に踏みつけられていた。

 ――殺される。

 何度体験しても決して慣れることのない感覚に、僕は大きく目を開いた。


 そのとき、耳をつんざく音がした。

 木の柱が瞬間的にへし折れるけたたましい音。その中に風切り音が一瞬まじり、気づいたときには、飛来した巨大な斧が女の胸元に突き刺さっていた。

 女の体がうしろへ滑り、刷毛はけで塗ったような赤い跡を床に残した。

 僕はぎりぎりで刺されずにいた。

 首を解放され、激しく咳き込みながら背後を見やった。


「御主人様、ご無事ですか」


 シンシャが叫ぶように呼びかけ、持っていたメイスを店の奥に投げ返した。破壊音がした。

 僕は喉の痛みに耐えながらうなずき、それから這うようにして近くのテーブルを横倒しにした。

 ルーンを刻み、魔力を込めた。ほぼ同時に矢と弾丸が飛んできた。


「助かった。ありがとう、シンシャ」

「ご無事で何よりです」


 複数の銃声と、テーブルが攻撃を弾く甲高い音が連続していた。

 だが、敵が直接襲ってくるようすはない。シンシャの反撃を警戒しているのかもしれない。

 僕は彼女の傷に目をやった。


「シンシャこそ平気なのか。あれだけの数を相手にしたんだ。最初の傷だって……」


 言いかけて、口をつぐんだ。

 シンシャの傷がまったく治っていなかったからだ。

 シンシャは僕の魔力を原動力にするホムンクルスである。

 言い換えれば必要な魔力が供給されるかぎり、永続的な活動と自己回復ができるはずだった。

 だが今、彼女の腹の傷は目に見えて酷くなっている。


「申し訳ありません。はじめの油断が仇となりました」


 シンシャはうつむいて、顔をゆがめた。


「あの槍は、どうやら普通の武具ではなかったようです」

「呪いのたぐいか……。駄目だ。すぐには解呪できそうにない」


 止血のために、裂いた上着をシンシャに巻いた。

 わき腹に手で触れると、彼女の体がびくっと揺れた。

 直接のヒールも効果がない。

 毒でも塗られていれば、残された時間はそう長くないだろう。

 考えたとき、ギン、とひときわ高い音が響き、敵の攻撃がいったんやんだ。


 沈黙がおとずれた。

 しわぶき一つない、奇妙なほどの静けさだった。

 怪しく思い、僕はテーブルの陰からそっと奥をうかがった。

 すると拍手が聞こえた。

 一人だけが手を打つ緩慢な音が、酒場全体に響いている。


「素晴らしいわ、シンシャ。場末の酒場が死屍累々よ。あなたっていつも素手で戦うの?」


 拍手の主はロスペインだった。

 微笑を含んだ声で、彼女は続けた。


「ずっと見ていたけれど、流れるようで完璧な動きだったわ。疲れてきたり、それなりの傷を負ったりすると一瞬で精彩を欠きそうな完璧な動き。ねえ、シンシャ。もしかしてあなた、実戦の経験が少ないんじゃない? 聞いてるシンシャ? 黙っているのはお腹の傷が限界だから?」


 シンシャはテーブルに身を潜めたまま声を上げた。


「答える義理はありません。私はあなたを決して許しはしない」

「まあ怖い。でも、話を聞くことはできそうね。あなたたちも疑問に思っているでしょう。どうして攻撃が飛び道具だけになったのか。敵の様子がおかしくないか。

 そのとおり、これは罠なのよ。シンシャに殺されすぎて仲間の数が半分になってしまった彼らは、直接戦うことをやめて頭を使うことにした。まず、伝令の一人が外に行って……」

「おい、なんでバラすんだ。ロスペイ―」


 割って入った男の声が、低いうめきとともに途切れた。

 息を呑む気配があった。

 その気配の中、ロスペインの変わらぬ声が優雅に響いた。


「もう一度、私の邪魔をしたら全員殺すわ。分かってる? これは私のゲームなの。駒は黙って動くだけ。黙らないのなら動かなくていい。さあ、お返事は?」


 その問いに、分かったと答える馬鹿はいなかった。


「いい子ね。邪魔が入ったけど、どこまで言ったかしら。ああそう、待ち伏せと追い込みの話だった。

 つまり、彼らの主力は今外にいるの。店の中には最小限の戦力だけを残し、手負いのシンシャをわざと逃がす。あなたたちが外に出たら、周囲をかこむ50人ほどがいっせいに襲いかかる。そういう作戦なのよ。

 私の役割は、あなたたちが疑いを持たずに逃げるための追い込み役。たとえば、私が動くから他の雑魚がわきに退いた。そう考えれば、銃撃しかない今の状況もそれほど不自然じゃないでしょう?

 でも、やめたわ。今のシンシャと戦っても、あまり面白くなさそうだもの。だからチャンスをあげる。

 私はここを動かない。あなたは外の包囲網さえ突破できれば安全な場所に逃げられるかもしれない。そうしたら、あとで私が迎えに行くわ。そのときまでに、ジャンにやられた傷を癒やしておきなさい。そういうチャンスよ。さ、理解できたら外へどうぞ?」


 シンシャが僕に目配せをした。

 ロスペインの言葉も罠ではないのか?

 同じことを思ったのだろう。

 だが他に道はないように思えた。

 僕は言った。


「言われなくても、そうするつもりだったよ。ここにいるのは僕たちにとっても得策じゃない。でも、わざわざそれを勧めてくるのは、おまえが僕たちを楽に狙うための罠じゃないのか」


 返事はすぐあった。


「心外ね。それは楽ではなくて退屈というのよ。というかアデル、まだ生きてたの? すっかり頭から消えていたわ」

「嘘つけ! さっきから、あなたたちって何度も言ってただろ!」

「言ったわね。シンシャと死体であなたたちよ。文句ある?」

「ぐっ……」


 たしかにロスペインなら言いそうな表現だった。


「はい。論破」

「う、うるさいな。最初の質問に答えろよ」

「質問? そんなの答えるまでもないじゃない。これが罠ならデッドエンド。そうじゃないなら頑張り次第。真偽なんて関係ないわ。今のあなたにできることは、私の気が変わらないうちにさっさとここから逃げることよ」

「……」


 ロスペインの言うとおりだった。

 待ち伏せを知らされたぶん、望みが増えたとも言えるかもしれない。


 僕はシンシャを見た。

 彼女は目でうなずき、立ち上がろうとした。

 その動きが不自然に傾いた。

 傷のダメージが無視できなくなっているのだ。

 手を貸そうとすると、彼女は無言で首を振った。

 一人で立ち上がり、警戒するように周囲をにらんだ。

 僕も立ち上がり、奥にいるロスペインを見た。


 あいつが何を考えているのか分からなかった。

 ジャッジの前に持ちかけられたあの話。

 あの話は本当に嘘だったのだろうか?


 ロスペインは性格こそ褒められたものではないが、自分にも他人にも正直すぎるところがある。

 だからこそシンシャも、あるがままにふるまうロスペインに自然と心を開いていた。

 少なくとも、僕はそう感じていた。

 こんな街にいるからこそ、そうした関係は得がたいものにも思えていた。

 だがそれも勝手な思い込みにすぎなかったのだろうか。

 希望と現実とを、僕が勝手にはき違えていただけだったのだろうか……。

 

 僕は目を伏せた。考えても仕方ない。

 気配を探りながら、ゆっくり外に出た。


 外は広い通りに面していて、尖塔を持つ石造りの建物が、月の光に冷たく照らされていた。

 ふと気づいて足下を見た。

 石畳の地面に、青い花束が置かれている。


「御主人様」


 静かな声に顔を上げると、周囲の建物や路地から人影が現れた。

 待ち伏せのために隠れていたのだろう。

 ロスペインのおかげで無駄になった作戦ではある。

 だが、そもそも隠れる必要などないように思えた。

 人数が明らかに増えていたからだ。

 街灯の明るさだけでははっきりしないが、優に200人はそろっている。

 やがて、その人垣が沿道を隙間なく埋めたとき、ロングコートを着た長髪の男が一人、前に歩み出て口を開いた。


「慣例に従って、20秒待つ。ところで、殺す前に一つ聞くが、おまえら何が目的なんだ。俺にはどうでもいいことだが、祭りを邪魔されて不満に思ってるやつもそれなりにいる。楽に死にたきゃ素直に答えろ」


 男は、手にした杖で地面を鳴らした。

 杖の上部には人外のどくがついている。

 その空洞の目に、ほの暗い火が音もなく灯った。


 僕は確信した。

 この包囲網は突破できない。

 長髪の男はそれまでの敵と格が違った。

 彼がその気で杖を振るえば、一撃で建物ひとつが灰になるだろう。


「……ごめん、シンシャ。ここまでみたいだ」


 あるいはシンシャ一人であれば、この場から逃げることも可能かもしれない。

 だが、そんな考えを見透かしたように、シンシャは僕の手をそっと握った。


「いいえ。御主人様。これからです」


 彼女は臆さず敵を見た。その姿に、なぜか胸の底がちくりと痛んだ。


「……ああ。そうだな。そうだった」


 自分につぶやくように言って、僕はシンシャの手を強く握り返した。


「答えはなしか。まあいい。面倒事もこれで終いだ」


 男が杖を掲げると、取り巻きがいっせいに武器をかまえた。


「死ね」


 男が杖を振り下ろした。

 そのとき、その場の全員を巻き込む異変が起きた。

 酒場の壁を突き破り、轟音とともに黒い何かが居並ぶ敵に殺到したのだ。


 一瞬の出来事だった。

 のたうつ大蛇が触れるものすべてをなぎ払うように、圧倒的な暴力が通りの人影を引き千切っていった。

 あとには肉と血だけが残った。

 僕とシンシャ、そして長髪の男だけが、数秒前と変わらぬまま自分の足で立っていた。


 誰も、何も言えなかった。

 その静寂に、わざとらしい靴音がカツンと響いた。


「ふふ。ああ気分がいい。今夜だけで、ざっと200は稼いだかしら」


 手をつないだまま、僕とシンシャは背後を振り返った。

 そこには言葉通り、気分の良さそうなロスペインが嫌な笑顔で立っていた。


「どうしたの二人とも? まるで誰かに騙されたような顔をしているわ」


 僕とシンシャが顔を見合わせたとき、長髪の男が忌々しげにつぶやいた。


「ロスペイン。また、おまえか」

「そう。また私なの。オズワルド」


 微笑したロスペインが首をかしげると、男の首が吹き飛んだ。

 今度は何が起きたのかはっきり見えた。

 男の首に巻きついていたもの。黒い何かは鎖だった。


 ざりざりと石を擦る音を響かせながら、蛇のように動いていた鎖がロスペインの手元にもどった。

 血まみれだった太い鎖は彼女の手元で光に変わると、金細工として手首にからんだ。


「そうそう。誰も知的な考察をしてくれないから、あえて私からの説明なんだけど。花にはその一つひとつに、象徴的な意味が込められてるわ」


 ロスペインは血の海に浸る青い花束を指さした。


「ツイーディアの花言葉は、信じ合う心。まさに、この状況にぴったりの花言葉ね」


 思わず、つぶやきがもれた。


「おまえ、他に説明すべきことがあるだろ」

「え。ないけど」

「あるよ! 僕たちを裏切ったんじゃなかったのか、おまえは!」

「何言ってるのよ。いつ私が裏切りましたと宣言したの? むしろ逆の宣言をしたでしょ。裏切らないし、手も抜かないって。見なさい。すべて言葉通りの結果だわ」


 ロスペインは得意げに顔を振った。

 僕はもう一度、血の海をながめた。

 月明かりの下、無数の肉片が打ち捨てられた彫刻のように折り重なっている。目眩がした。


「つまり」


 とシンシャが言った。


「あなたはまだ我々の味方であり、寝返ってはいない。今後も、ジャッジウィークのあいだは協力関係にある。そういうことですか」

「そうね。そういうことよ」

「分かりました。なら、安心です」


 シンシャはうなずいた。


「いや、安心って。僕もシンシャも、一歩間違えれば本当に死んでた……」


 言いかけたとき、違和感に気づいた。


「シンシャ?」


 呼びかけると、つないでいた手がすべり落ち、シンシャは無造作に地面に倒れた。


「シンシャ!」


 目を閉じた彼女は答えなかった。

 呼吸が弱く、顔も赤い。

 触れるとかなりの熱があった。


「重傷ね。呪いをもらったのなら、あと二時間ってところかしら」


 ロスペインはあごに手をやった。


「移動しましょう。選択肢は二つあるわ。ピースホールにシンシャを運ぶか、ピースホール以外にシンシャを運ぶか。どっちがいい?」

「……。一応聞いておくけど、ピースホールに運んでどうするんだ」

「殺すのよ。で、預けるでしょ。最速じゃない」


 僕は叫んだ。


「駄目だよ! そんなの絶対駄目だ。最初からそんなの選択肢に入らない。おまえ、本当はまだ裏切る気満々なんじゃないだろうな」


 僕がダメダメと連呼していると、ロスペインはあきれたように息をついた。


「あーはいはい。冗談よ、冗談。いちいちウザいわね、ゴシュジンサマは。なんにせよ、移動するんだから、さっさとシンシャをかつぐなり背負うなりしなさい」


 たしかにここで話していても埒が明かない。

 迷ったが、僕の体力で可能のはシンシャを背負うことだけだった。いろいろと触れるものは気にしないようにした。


「で、どこに行くつもりなんだよ」


 もたつきながらようやくシンシャを背負った僕がたずねると、さっさと先を歩いていたロスペインは顔だけ振り返り、にやりと笑った。


「シンシャが裸になれる場所」

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