07. デッドシティ最速の男

      Ⅲ


 先に動いたのはシンシャだった。

 彼女はテーブルを横倒しにして、切迫した声で僕に叫んだ。


「御主人様。隙を見て外に退避を。私だけでは飛び道具を防ぎきれません。手近なものを盾にしてどうか――」


 言葉を切り、振り返ったシンシャが何かに当たって弾き飛ばされた。

 それは死角からまっすぐ来ていた。

 分厚いテーブルを貫通し、深紅の槍がその身を半分以上見せている。


「ヒューウ! 今夜の一番槍は、デッドシティ最速の男、ジャン・ジャックマン様がいただいたぜボハァ――!?」


 テーブル越しに顔をのぞかせ、最速を名乗った若い男があごから吹き飛んだ。

 シンシャが殴り返したのだ。

 ぼろ切れように飛んだ男はもんどりを打って床に倒れ、絶え絶えの息でつぶやいた。


「へ、へへ……。今日も、速すぎた……か」


 首を倒し、男はそれきり動かなくなった。

「おい、ジャンがやられたぞ!」

「またあの最速さっそく野郎かよ」

「まあ、ジャンも極端だが女もできる」

「ひるむな! 殺せ! いくら強くとも相手は二人だ!」


 銃声が合図になり、気勢を上げた敵がいっせいに動き始めた。

 僕はあわてて立ち上がろうとした。

 その肩をシンシャが押しとどめた。


「這ったまま後退を。敵は決して弱くありません」


 見ると、彼女の脇腹に血がにじんでいた。


「シンシャ、その傷、今の……」

「ロスペインが動けば太刀打ちできません。早く!」


 叫んだシンシャが、テーブルの槍を引き抜き、投擲した。

 悲鳴が上がり、複数の敵が串刺しになった。

 だが敵の勢いは衰えず、ひるむどころか狙いがシンシャに集中した。


「囲め、囲め!」

「女を素手だと思うな!」

「死んだやつを盾に使え、距離を詰めろ!」

「おい、射線に入るんじゃねえよ! おまえらが盾になってるのが分からねえのか!」

 次々に飛び交う指示は、声と同時に悲鳴に変わった。

 数で勝りながらも、誰一人シンシャをとらえられる者がいなかったからだ。


 振り上げた剣が下ろされる前に、敵の肘をシンシャの拳が砕いた。その敵のわきから不意を突くように繰り出された槍は空を切った。かがみながら出した彼女の足払いが敵の足をまとめてへし折り、倒れた敵が武器を落とした。そこからナイフを拾いあげ、下を向いたままのシンシャが弾けるように前に出た。すると、かがんだ彼女に飛びかかろうとしていた敵は痛烈な当て身で血を吐き、飛来した矢と銃弾の盾にされた。どいてろ、俺が潰す! 叫んだ大男が巨大な鎚を振り下ろした。それを左への足さばきだけで避け、シンシャはさらにスピードを増して回転した。裏拳が大男の脇腹にめり込み、続いた回し蹴りが側頭部をとらえ、男は周囲を巻き込んで吹き飛んだ。怒声がわき起こった。


「何やってんだ、てめえら! チームワークがなってねえよ!」

「うるせえボケが! 誰がてめえとチームになった!」

「痛え! 踏むな! まだ生きてる!」

「腹だ! 傷を狙え! 女の体力も無限じゃな……」


 スコン。

 ナイフが脳天に刺さり、傷を狙うように言った男は絶命した。攻勢が止まった。


 シンシャはまさに圧倒的だった。

 だが男の言うとおり脇腹の傷は浅くはないのだろう。

 血のにじみが大きく広がっていた。

 拳をかまえ、敵を鋭くにらみつけてはいるが、シンシャの肩は荒い呼吸で上下している。


 一瞬考えた。

 手当のために近づくべきだろうか。

 いや、それよりも外へ逃げるべきだ。僕がいればシンシャの負担は大きくなる。

 そう考えたとき、頭上から軽い声がした。


「ったく、誰もこっちを見てねえよ。これでチームワークとか、どの口がほざくってゆー」


 天井のはりにしゃがみ込み自嘲した男の両手には、むき身の刃と一体化した籠手がついていた。


「俺だって向こうがいいんだがね。ま、いいや。よう青年。とりあえず死ね」


 その武器は刺突に特化した武器に見えた。

 予想通り無造作に突き出された刃を、僕は握りしめていた椅子で思いきり受けとめた。

 金属のかち合う音が響いた。


「お、何? なんか魔術使ってる? なんだよ。やればできるなら言ってくれよ、な!」


 テーブルに手をかけ、飛び上がった男が回転しながら突きを出した。

 体重の乗った刺突に椅子が弾き飛ばされ、僕はあわてて後退した。

 崩れた姿勢から立ち上がろうとして、すぐやめた。

 背筋に冷たいものを感じたからだ。

 その感覚が殺気であったかは分からない。

 だが、ビュンと鋭い音が鳴り響き、立ち上がっていれば頭があった位置に金属の矢が何本も通過した。

 矢は調度品の壺を割っても止まらず、さらに木の壁に深々と刺さった。


「っ、ッ、っ!」


 先ほどからひと言も声を出せないでいた。

 心臓がおかしなぐらい飛び跳ねているのも自覚できた。

 それでも今は自分の判断で動かなければならない。動かなければ死ぬしかない――。

 僕は床をかいて、急いで男の方を振り返った。

 その瞬間、みぞおちに重い衝撃があり、はじめて声らしい声が喉から出た。


「がはっ」


 僕の腹に蹴りを入れた男が、刃をすりあわせてにやりと笑った。


「オーケイ、健闘賞。でも俺、魔術師って嫌いなんだよね。接近戦でもやることセコくて」


 男の笑みが消えた。肌が粟立ち、次に起こることが予想できた。

 男の突きに予備動作はない。腰のひねりだけで放たれる素早い突きが急所に来る。

 だが、それより早く、僕は男に自分の腕を突きだしていた。


抱けアプス 密の塵泥、憂いの床ミタ・レトロジス

「は? 何……うわ!」


 次の瞬間、男は右腕をつかまれたように、石の床にたたきつけられていた。

 正確には籠手が下に落ちたのだ。

 彼の腕の金属は今、数十倍の重さになり、さらに重みを増そうとしている。


「ああああああ、てめえ何した! くそ、腕が、腕が折れた。くそがあああああ!」


 彼はもう動けないだろう。逃げるならシンシャが他を引きつけている今しかない。

 僕は硬質化させた椅子をかつぎ立ち上がった。

 店の出口は遠くない。

 急げば十秒とかからないはずだ。


 走りだすと、複数の矢が背後から放たれた。

 それも予想の範疇だった。

 一本はうまく避けられ、一本は腕をかすめた。

 かすめたといって悪ければ、左の二の腕がざっくりえぐられた。だが耐えられた。

 三本目の矢が、頭を守るようにしていた椅子に直撃し、ハンマーで殴られたような衝撃が走った。

 反動で、僕は受け身をとれずに倒れ込んだ。

 椅子を捨てて、倒れた勢いのまま飛び込むように柱に隠れた。

 足を撃たれなかったのは幸運だったとしか言いようがない。

 肩で息をしながら、からからに乾いた唇を舐めた。

 興奮しているのが自分でも分かった。

 えぐれた腕はただ熱い。

 全身が火を入れたように熱を持っていた。


 ――大丈夫、もう少しだ。誰も僕に注目していない。


 柱に背を強く押しつけながら、出口までの距離を目で測った。

 頭から飛び込み、そこからは這ってでも行ける距離だ。

 銃や弓で撃たれたとしても、治療はあとでどうとでもなる。

 そう考えて、呼吸を飛び込むタイミングに合わせたときだった。


「逃がさない」


 低い、女の声がした。

 あまりの近さに驚いて振り向くと、すぐ横に口もとを布で隠した女がいた。

 彼女の手が僕の首にとりつき、爪がめり込んだ。

 女は先ほどの男のように無駄口をきかなかった。

 間を置かず、太い釘のような武器を振りかざした。


「死になさい」

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