05. 肛門から少しずつ太い杭を打ち込まれたりする拷問ですよ?

「私の所属セクトよ」


 そう言って、ロスペインは証書の一部を指で示した。

 それからテーブルの上にある無記名の証書の、同じ箇所を指で叩いた。


「で、これがあなたたちの所属セクト。どう? 同じでしょう。つまり、こいつを殺しても私のレートが上がることはない」

「たしかに」


 つぶやいた僕は証書をにらんだ。

 セクト、ようするに所属のチームはホワイトとあった。

 白人のことだろうか、と最初は思ったが全然違った。

 所属セクトはホワイトチョコレート。

 ジャッジのテーマは、バレンタインデーで売れるチョコレートの種類だった。

 シンシャの説明通り、本当にどうでもいいことがお題になるらしい。


「分かりました。私の予想が杞憂であったことは認めます」


 シンシャは言った。


「しかし、疑問点はまだあります」

「一つ。あなたたちのメリットは何であるか。一つ。私のメリットは何であるか。こうでしょう?」


 ロスペインは微笑した。


「そのとおりです」

「大丈夫よ。そんなに身構えることじゃないわ。この話は、お互いに美味しいことばかりの相互扶助的なお話なのよ。ウィン、ウィンってやつ? ね?」


 うわあ怪しい、と僕は思った。

 僕でなくても思うだろう。


「では、あなたのメリットはなんですか」 硬い声のままシンシャは言った。


「私のメリットは、あなたたちが証書にサインした時点で得られるわ。未経験者をジャッジに参加させると、その勧誘者には、初回お誘いポイントが付与されるの。

 一人につき20ポイント。そして新人の戦果が一定以上だとさらに上乗せで20ポイント。つまり二人で最大、80ポイント。80人を殺す手間が省けると考えれば、多少の労力は惜しくないわ」


「労力、ですか。そうは言いますが、あなたのキルレートは56万であると聞き及んでいます。それに比べれば80ポイントなど微々たるものではありませんか?」


「ジャッジ中のレートは、足し算じゃなくてかけ算にもできるの。いくつかのリスクを受け入れるとね。

 それで考えると、私がいつも通り200人ほど殺せば、そこに80をかけてジャッジレートは1万6千になる。これでも微々たるものだと、あなたは言える?」


 シンシャは黙り、視線を落とした。

 考えているようだった。


 やがて彼女は顔をあげると、「では、御主人様のメリットは?」と切り替えた声で言った。

 ロスペインは首をかしげた。


「不思議ね。私のメリット、とは、あなたは決して言わないのね」

「それはどうでもいいことだからです。ジャッジに参加することで、御主人様にどのようなメリットがあるのですか」


 僕はシンシャの横顔を見た。


「こいつのメリットは、あなたがどれだけ優秀であるかにかかっているわ」

「私の優秀さ?」

「あなたが戦ってキルレートを上げれば、手に入る報酬の中に最高のセーフハウスがあるってことよ。そこまで行かなくても、たとえばあなたたちは今、宿を探すのにも苦労しているはず。レートが低いとあらゆるサービスに制限がかかるから、そういう点でもメリットはあるわ」


 シンシャの眉がわずかにくもった。


「金よりも力。力とはレート。そういう場所なのよ、この街は」

「私が、戦えば……」


 ロスペインはうなずいた。


「それにもう一つ。じつはこれが最大のメリットなんだけど、同じセクトに私がいるわ。分かる? この街で二番目にキルレートの高い、実質最強のこの私があなたたちの味方になるの。

 そして、同じセクトに実質最弱のダメがいるから、私は自分のセクトが負けないようにダメ男を護衛しなくちゃならなくなる。

 でも、これはタダ働きってわけじゃない。なぜならこいつには、ワンキル百ポイントという、一人で百人分の破格の報酬がついてるから。だから、それを狙った対抗セクトの馬鹿どもが、こぞって私の前に来ることになる。私はこれを一掃する。

 正直、こんなおいしい話ってないのよ。最近は私を見ると逃げ出す腑抜けが大半だから。そういうやつらをまとめて片付けられるってのも気分がいいし。

 だから、私はわざわざ準備をして、今夜ここであなたたちに話を持ちかけた。証書も用意したし、ビザも持ってきた。あとは当人が決断するだけ。

 どう? あなたにとっても、悪い話ではないと思うけど」


 ロスペインは、証書の上にビザを乗せた。


「先に返すわ。私にはただの荷物だし」


 シンシャの視線がテーブルに落ちた。唇を結び、一点を見つめたまま動こうとしない。

 リスクを秤にかけているのだろう。かすかな迷いが瞳の奥ににじんでいた。


 その横顔を見て、ふと浮かんでくる記憶があった。

 家から出るとき、シンシャは無理やり僕のあとについてきた。

 一人で抱え込まないでください。そう言って、いつのまにか用意していた小さな荷ひとつで、生まれてから一度も出たことのない家を捨てて、僕と一緒にこの街にやってきたのだ。


 それは彼女の、生まれてはじめてのわがままらしいわがままだった。

 だが、そのわがままも現在の迷いも、すべての原因は僕にある。

 僕はシンシャに負担ばかりをかけている。そう思った。


 目を閉じて、父との約束についても考えた。

 僕はこの街で百年、殺され続けて自分の意思を示さなければならない。

 そうした中で殺されないように努力することは、約束を破ることにもなるかもしれない。

 だが、されるがままの僕のとなりで、シンシャは懸命に戦っている。

 物理的な戦いだけでなく、僕に寄り添い理解しようと、見えない何かに抗おうとしている。

 だからこそ、ロスペインの誘いにのるべきか否か、安易な道を選んでいいのか迷っているのだろう。


「……」


 一人で抱え込まないでください。

 その言葉を、僕はもう一度思った。

 あるいは僕の選択が、シンシャのためになるようなことが、この先いつかあるだろうか?

 ……たぶん、それはないだろう。

 頼ってばかりの今の僕にそんな都合のいいものは存在しない。

 けれどシンシャが今、戦う利益とその後の危険を秤にかけて迷っているなら、その責任の一端を僕が負うことはできるかもしれない。

 それができなければ、僕は彼女に守られる資格すら持てない。


「一つ、確認したい」


 僕はビザを手に取った。


「ジャッジの期間中は、どんなに死んでも死者のレートは下がらないんだよな?」

「下がらないわ」


 ロスペインは言った。


「まあ、私がいるから死なないけど。あなたに自殺願望がないかぎり」

「……分かった。それなら僕は、今回のジャッジに参加する」


 ペンを取り出した僕に、シンシャがあわてて口を開いた。


「御主人様。よろしいのですか。いつも以上に多くの敵に狙われることになります」

「大丈夫だよ。ちゃんと、考えてるから」

「ですが、この街で無限に生き返るということは、死の苦痛を無限に受け入れることと同義です。御主人様はいつも殺されているだけとおっしゃいますが、それがどれだけ……」


 ペンを置いて、僕はシンシャを見つめた。


「でも、今回はこれでいいんだ。僕がそうしたいんだよ。できれば、シンシャも協力して欲しい」


 説明になっていないが、これぐらい強引でなければシンシャは折れないだろうと思った。


「……本当に、よろしいのですか」


 シンシャはそれでも迷うように言った。


「殺されるだけでなく、拷問にかけられる可能性もあるんですよ」

「まあ、そういうこともあるかもしれないけど……」

「溶けた鉄を目に垂らされたり、肛門から少しずつ太い杭を打ち込まれたりする拷問ですよ?」

「えっ」

「あるいは生きたまま毒虫の壺に入れられたり、生きたまま○×△□◇※○××△◇※○たり、生きたまま■■■■■■■■■■■■■■■■■■こともありうるでしょう」

「酷いわね」 ロスペインが、ぼそっとつぶやいた。

「それでも本当に、御主人様はよろしいとおっしゃるのですか?」


 想像を絶する拷問内容に、さすがに即答はできなかった。


「よ、よろしくは……。…………ょぃ」

「は? どちらですか」

「いいよ! それでもいい! でも、そうならないようにできるかぎり頑張って欲しい。僕が廃人になる前にシンシャにはキルレートを上げて欲しい。応援してる!」


 なかば叫ぶように僕は言った。やけだった。

 だが予定とはだいぶ違うものの、これもシンシャの後押しに変わりはないだろう。

 僕が言い切ると、シンシャは視線を落とし、目を閉じた。

 それからゆっくり顔をあげた。

 僕を見つめたその表情に、一瞬かすかな笑みが見えた気がした。

 気のせいかもしれない。


「かしこまりました」


 そう答えたとき、シンシャはいつもの無表情にもどっていた。

 だが、一つだけ変化があった。強い光を宿した目で、彼女はロスペインを振り返った。


「ロスペイン。あなたの言葉に偽りがないことを願います。もしもあなたが我々を裏切り、御主人様に悪意ある結果をもたらした場合、私はあなたを殺すでしょう。たとえ何度蘇生しようとも、あなたの魂が摩耗しきり、この世から完全に消えてなくなるまで、決して許すことはありません。これは絶対です。ですから、これまでの話に嘘があるなら、今すぐ告白することをおすすめします。いかがですか」


 その言葉は、シンシャにしてはひどく直情的で、脅しに等しい問いかけだった。


 ロスペインは、まばたきもせずシンシャを見つめていた。

 視線を逸らさないまま、左手の親指をそっと噛んだ。

 やがて、その口もとに笑みが広がり、彼女は声を出して笑い始めた。


「シンシャ。あなたって顔には何も出ないくせに、中身はずいぶん過激なのね。心配しないで。私の言ったことに嘘はないわ。でも、私のことをあなたが殺す? 私の魂が摩耗してこの世から完全に消えてなくなるまで? そんなことを言われると、なんだか裏切るという選択が魅力的に見えてくるわ。ねえ、シンシャ。私がここで裏切ると言ったら、あなたは死ぬまで私と一緒にいてくれるの?」


 シンシャは答えず黙っていた。その顔をロスペインはじっと見つめていた。

 互いの視線が、互いにしか見えない何かにとどまっている。

 張りつめた沈黙がそこにあった。


 数秒がたった。

 そのとき、ふっと笑うような吐息が聞こえ、ロスペインが首を振った。


「冗談よ。ごめんなさい。私ってこういう性格なの」


 彼女は軽く右手を掲げた。


「お詫びにここで誓いを立てるわ。今回のジャッジで、私は裏切らないし味方を守る。シンシャと一緒に戦いもする。当然、手は抜かないし抜け駆けもしない。どう? 聞きたい言葉は他にある?」

「……信じていいのですか」

「いいわよ。裏切る楽しみは、次回以降に取っておくから」


 シンシャは少しだけ眉をひそめたが、ロスペインがにこにこしてペンを差し出すと、あきらめたように息をついた。


「分かりました。次回以降も誠実であることをおすすめします。御主人様。よろしいでしょうか」


 二人のやりとりに見入っていた僕は、「あ、ああ。かまわない」と少し遅れてうなずいた。


「では、署名いたしましょう」


 二人で証書にサインすると、筆跡が青白く輝いた。

 羊皮紙はただの書類ではなかった。

 魂を束縛される魔術的な契約が結ばれたのだろう。

 ペンを置くと、テーブルの向かいからやる気のない拍手が聞こえてきた。


「ジャッジ初参加おめでとう。素晴らしい決断ね。私には、得しかなくて嬉しいかぎりだわ」


 僕は証書を懐にしまった。


「どの口で言ってるんだよ。さっきまで裏切るとか言ってたくせに」

「昔の話よ。もっと今を楽しみなさい」

「それも性格か」

「そうよ。さっぱりしてていいでしょう」


 たしかに憎たらしいほどの潔さはあった。

 清々しいとも言えるのかもしれない。

 苦笑していると、店の奥からも拍手と歓声が聞こえてきた。

 時刻は0時5分前。

 彼らの視線を追うと、店に設置された水晶盤のビジョンに映像が見えた。

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