04. ギルティーなオス
「もちろん、返すわよ。もらう物をもらったらね」
ロスペインがテーブルの鉈を上に投げた。
手首のスナップだけで瞬間的に飛んでいったそれは、再び天井に刺さり照明を落とした。
食器の割れるけたたましい音がした。
だが悲鳴はなかった。
そこで気づいた。僕たちのまわりに客がいない。
200席ほどある広い店の半分が、いつのまにか空席になっていた。
一方で、店の奥は敷き詰めたように満席になっている。
「さて。抜けてるあなたでも、いいかげん気づいたでしょう。私たちは今、他の雑魚どもに遠巻きにされてるわ。なぜだと思う?」
誰だって性格の悪い女は嫌だからだろう。と僕は思った。口にはしなかった。
「無礼なことを考えていると、つながった腕がまた飛ぶわよ」
「な、なんで無礼だって分かるんだよ。いや……まあ、たぶん、僕たちがアクロイドファミリーといざこざを起こしたからじゃないかな。近くにいると巻き込まれるかもしれないって」
「ふうん。ま、半分正解で半分はずれね。やつらは報復のために集団で来るんだもの。もしも客がアクロイドのカスどもを警戒しているのなら、店からすぐに出ていくはずでしょう?」
そういえばそうだ。
「でも客はいる。そしてアクロイドは来ない。なぜならもうすぐイベントが始まるから。アクロイドはそのイベントには参加せず、あとになって横槍を入れてくることで有名なギャングなの。だからあと15分後には、街から完全に姿を消すわ。最初の数日はね」
僕は時計を見た。午後11時40分。
大きな柱時計の長針は、Ⅷの文字をさしていた。
「言われてみれば、明日はもう月曜日ですね」 シンシャが言った。
「そう。ジャッジウィークが始まるわ」
ジャッジウィーク。知らない単語だ、と僕は思った。
それから、ふと首をひねった。
知らないというより、知らないままに聞き流したことが最近なかったか。
たしか4日前のことである。ピースホールで蘇生した僕は、いつものように墓守に会った。
常連の僕とは顔なじみの彼女は、天気の話でもするように軽い感じで口を開いた。
貴公はジャッジに参加するのか?
なんのことだか分からない、そう答えると、まあそうか。参加しても意味がない。むしろジャッジウィークの方が安全ですらある。
そんなことを言っていた。
「御主人様? 何か疑問でも」
シンシャの声に顔をあげた。
「いや。疑問というか、ジャッジウィークってなんだったかなって。単語自体は、この前聞いた気がするんだけど」
答えると、シンシャが驚いたように僕を見た。
僕も驚いた。
ロスペインが同じように僕の顔を凝視していたからだ。
「御主人様。ご存知なかったのですか」
「呆れた。あなた、この街にいったい何しに来たの? もしかして、ネギの運搬にやってきたボランティアのカモか何かなの?」
ずいぶんな言いようにも思えたが、この場で非常識なのは僕の方らしい。素直にたずねた。
「じゃあ、話の腰を折って申し訳ないんですが……。ジャッジウィークについて説明してもらってもいいでしょうか。簡単なもので結構ですので」
「は。説明ですって。無知は罪とはよく言ったものね。でも、罪な男というと株が上がりそうだから、今はギルティーなオスと呼ぶことにするわ。ねえ? ギルティーなオス」
「すみません……」
小さくなる僕にシンシャが言った。
「御主人様。どうかお気になさらず。そもそも彼女は、たとえ相手に非のない状況でも非を作りだして、チクチク言ってくるチクチク女です。いわば時計の細い針。秒針ガールロスペインです」
「……」
シンシャは悪口が下手だった。
「あ、ありがとう。気持ちは伝わったよ」
「恐縮です」
「で? 面倒だし私からは説明しないわよ。時間もないし5分でなさい。はい、スタート」
ロスペインは指でテーブルを叩いた。
「私もパンフレットを見ただけで、実際の経験はないのですが」
シンシャは言ったが、ロスペインは目を閉じて話そうとしない。
小さく息をつき、シンシャは、僕とロスペインのあいだに立った。
「ジャッジウィーク、あるいはジャッジとは、デッドシティで行われる月に1回の対抗戦の名称です。月曜日の午前0時から始まり、土曜日の24時に終わるこのイベントでは、派閥に分かれた参加者たちが、思う存分に殺し合います」
「いつもと同じに聞こえるけど」 僕は言った。
「いいえ、それが違うのです。ご承知のとおり、デッドシティにはキルレートという個人の戦績を示す評価システムが存在します。
しかしこのキルレートは、ジャッジに参加し、対抗派閥の参加者を殺すことでしか上昇しません。
つまり、ジャッジウィーク中以外の戦闘行為は、レートの上昇に関係のない無駄な争いということになります」
「へえ、そうなんだ?」
「上昇はしないけど、下がりはするわ。ノーマルウィークは死者のレートだけが変動するの」
ロスペインが口を開いた。
「なるほど。訂正、感謝します。やはり役場のパンフレットを読んだだけでは、どうしても情報が偏ってしまいますね。ところでロスペイン。あなたが説明すべきでは?」
ロスペインは目を閉じた。
シンシャは小さく首を振った。
「このように細かいルールはたくさんあるようですが、とどのつまり『殺せば殺すほど裕福になる』というデッドシティ独自のシステムは、『ジャッジが開催されているジャッジウィークの戦闘を指す』と、まとめることができそうです」
「なるほど」
「では、ジャッジとは具体的になんでしょうか? パンフレットによると、『その勝敗が人類の命運を決める聖戦』と記されています」
「命運を決める? 人間界の? さすがにそれは嘘か誇大広告なんじゃ」
「私もそう思いましたが、どうやらこれは事実のようです。しかし、スケールはとても小さいものでした。
たとえば前回のジャッジで決められた運命は、『初夢は悪夢か、いい夢か』でした。
接戦の末、結果は悪夢チームの逆転勝利。運命の災禍に呑み込まれ、人類は年始からうなされることになったのです」
「そ、そう」
「ともあれ、結果の大小は関係ありません。お題はくだらなくともジャッジはジャッジ。勝利チームにはキルレートの特別配当がありますし、奮闘すればそのぶん自分のレートも上昇するため、市民としてはこれに参加しない手はありません。
また、ジャッジ中のレートは平時のレートとは別枠で計算されるようで、いくら死んでもマイナスになることはないそうです。つまり最悪でもゼロ。所属チームが勝てば、それだけでプラスの計算になります。
……と、私も話していてあらためて気づきましたが、デッドシティでは、ジャッジウィークでキルレートを上昇させ、それ以外のノーマルウィークで他人の足を引っぱるというのが、月単位でくりかえされているようですね」
「まあ、概ねそんなところね。3分たったから説明は終わりよ」
時間は5分じゃなかったのか。
抗議する前にロスペインは言った。
「それで本題なんだけど。私の話は単純よ。あなたたち、今回のジャッジに参加しなさい」
「は?」
シンシャと僕の声がそろった。
「は、じゃないわよ。ビザを返して欲しいんでしょう? 私の要求は、あなたとシンシャのジャッジ参加。この証書にサインをすれば、あとは好きにしてかまわないわ」
羊皮紙の証書が2枚、テーブルの上に放られた。
「好きにしろって。話がまったく見えないんだけど」 と僕は言った。
「同じ話が見えないにしても、もう少し気の利いた返しができないのかしら。ほんと、ギルティーなオスはギルティーね」
ロスペインはシンシャを見た。
目を合わせたシンシャは、真意を探るように慎重に言った。
「まさかとは思いますが、御主人様をわざと敵陣営に配置して、自分のキルレートを荒稼ぎしようという算段ですか」
「ほら、聞こえた? これが気の利いた返しよ。オスギルティー?」
もはや原形が残っていなかった。
「答えてください。真意はどうなのですか。ロスペイン」 シンシャは重ねた。
「もちろん、そんなわけないじゃない。違うわ、シンシャ。いい? 戦う意思のないこういう腑抜けは、はじめからゴミクズ以下の空気なの。私の
たしかに、なかった。
石を投げるとか、毒を盛るといった乙女の範疇を超えた嫌がらせのたぐいは多数あったが、ロスペインが僕にかけられた報酬を狙って本気で殺そうとしてきたことは一度もない。
そして話のとおり、彼女が僕に手をかけたときは事情があった。
あれは街に来たばかりの僕が、当前だが人生ではじめての死に直面しているときだった。
敵は去り、瀕死の重傷を負った僕だけが地面に倒れ喘いでいた。そこへ歩み寄り、話しかけてきたのがロスペインだった。
なんで、助けるんだ。
たずねた僕に、リンチを見たら必ず助けることにしているの。なぜって、その方が恨みを多く買えるでしょう?
そう答えて、僕の傷をながめ手遅れだと分かると、じゃあ死になさい。と躊躇なく手を下したのが彼女だった。
出会ったときから変わることがない。
ロスペインには、ロスペインのなりの矜恃があるのだろう。
「信用できません」
シンシャの声が聞こえた。
「たとえそうだとしても、御主人様がジャッジに参加してなんのメリットがあるのですか。より危険が増すだけです」
「もちろんメリットはあるわ。それもたくさんね。あと、これが私の言葉が嘘じゃない証拠」
ロスペインはもう1枚、羊皮紙を取りだした。それは彼女の署名済みの証書だった。
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