ブラック・ビューティー 黒く美しい殺し屋ども

青柴織部

黒く美しい者たち

 嵌められた、と若き『運び屋』レオナルド・カーターは舌打ちをする。

 バックミラーに視線を移せば、後ろに複数台の車がぴったりとついてきていた。街にいた時から何度か道を変えたにも関わらず、だ。確実にこの車を追っている。

 そして今、左右を見渡してもただただ平原しかない面白みのない一本道を、車が五台もまとまって走るのはさすがに違和感しかない。

 いささか杜撰すぎやしないかとレオナルドは思ったが、その杜撰な連中に追われている自分も自分だとため息をつく。


「絶対こういうことだと思っていたんだよな…」


 やけくそ気味にレオナルドは呟いた。

 こういうことだとは分かっていても、この世界の新人は依頼を拒否できないのでどちらにしろ避けられない事態ではあった。

 二十代というのは、親から自立し、社会人としての責任、信用や信頼が付き始める年ごろである。

 表の――ごくごくまっとうな社会で生きているのならば。


 アウトローな世界では、誰もが積極的にやりたがらない仕事を「社会勉強だ」と押し付けられてしまう不遇の時代でもある。もっとも、二十代後半から三十代ほどでその時代は終わる。生き残っていたらの話だが。

 今年で二十二歳になるレオナルドもまた、先輩方からご親切に押し付けられた仕事をこなしている最中であった。


「紙束のために命を張り合うんじゃないよクソ…」


 とある組織間の文書、それを届けている最中だ。

 どのような内容なのかは興味もなければ知りたくもないが、追跡者の数から見るによほど重要なものなのだろう。

 第六感が働き、レオナルドはとっさにハンドルを切る。つい一瞬前まで左後輪があった位置に銃弾が撃ち込まれた。


 じわりと手のひらに汗をかく。恐怖と、緊張と、高揚。ドクドクと分泌されるアドレナリンを感じる。

 ついでに無事に帰ってこられたら先輩方を片っ端からぶん殴ろうと決心しかけるぐらいには気分もハイになっている。


 さすがに直接車を破壊しようとはしてこない。だが、車を止めるためなら連中は何でもするだろう。例えば運転手を殺すとか。

 一台がスピードを出しレオナルドの車に並んだ。人を容易に殺傷する物騒なものを見た気がして、とっさにブレーキを踏んだ。後続の車が慌てて避ける。それなりに距離を開けていたので互いにぶつからないですんだ。

 レオナルドはブレーキから足を離そうとして――やめた。タイヤがぎゅりぎゅりと音を立てながら動きを止め、完全に停止した。

 停止した車の中でレオナルドは一度大きく息を吐く。


「何事もなく、何事もせず終わらせたかったけど無理か…」


 そろそろ車内に渦巻くふたつのうずうずとした殺意に吐きそうだ。なんちゃってカーチェイスよりも、この雰囲気のほうがひどく疲労感を覚えた。

 周りを追跡してきた車が囲み、襲撃者がぞろぞろと降りてくるのを確認する。だいたいここまで予想通りでもあった。


「頼みましたよ!」


 襲撃者たちが近くに不用心によってくるのを見て、レオナルドはドアを勢いよく開けた。

 助手席に潜んでいた影が起き上がる。そして、影の形を相手に視認させる間もなく、レオナルドを踏み越え襲撃者の一人に体当たりした。

 それは襲撃者の喉元に食らいつく。引きちぎり、血管と気管をズタズタにしてしまうと傍に立っていた別の人間にとびかかった。まさに銃を撃とうとしていた手首に噛みつく。


「犬!?」


 誰かの叫び。どよめきが走った。

 その言葉の通りで、今まさに人を襲っているのは黒い柴犬だ。日本の天然記念物である。もっとも、そのことを知るほど柴犬に詳しい人間はこの場にいなかったが。

 唖然とその様子を見ていた襲撃者のうちの二人をレオナルドはダッシュボードに隠していた拳銃で胸部を撃ち抜く。ひとりは心臓を破壊され、もうひとりは肺を潰された。

 レオナルドはバックミラー越しに後ろの様子をうかがう。襲撃者数名が後部座席のドアを開けようとしているのを見て顔をしかめながら、ドアロックを解除した。


 かこんと軽い音とてもに解錠される。力任せにドアを開けようとしていたひとりの男が、ニヤニヤと笑いながら侵入し――

 ――同時に鈍い銀色が煌めき、首が飛んだ。ころりと地面に転がった仲間の一部を見て、他の者たちは動きをとめる。

 血のシャワーを潜り抜けて、刀を手にした女が後部座席から滑り出すように出てきた。

 まだ若い…十代後半とも思える風貌だ。

 女の顔の上半分は犬を模した面で覆われており、あどけない笑みを浮かべる口元と相まってさながらお遊戯会のキャラクターのようであった。首に黒いチョーカーを巻いている。ポニーテールに括った黒髪の先端が機嫌よく揺れた。

 呆然と彼女を見ていた人間たちへ、女は容赦なく刀を振るった。

 あまりに現実離れした殺害場面にとっさに反応ができなかったこともあり瞬く間に二人が犠牲になる。

 正気に戻った一人が女に銃口を向ける。

 それを目撃したレオナルドが声をかけるよりも早く女は身をひるがえして弾丸をやり過ごした。女を追い、銃口が揺らぐ。その隙に彼女は手近の死体を盾にする。直後、死体の肉の一部が爆ぜた。

 盾を手放した女の手には刀ではなくスローイングナイフが握られていた。予備動作から軌道を察し、とっさに防御に入った男の腕にナイフが刺さる。ついで、男の腹へ走りこんできた女のつま先がめり込む。共に倒れこんだ。

 苦痛に色を変えた男の表情を、女は変わらぬ笑顔で見ていた。ゾッとするほど無邪気な笑みで。

 男の腕からナイフを抜き取り、そのまま首に差し込む。九十度捻ると男は激しい痙攣をおこした。

 最後まで見守ることもせずに、女は立ち上がる。彼女の足元でまたひとつ死体が増えた。


 女はあたりを見渡し、脅威がほとんどなくなったことを確認してから先ほど置いていった刀を回収しにいった。スローイングナイフをしまい、刀についた汚れをハンカチでひとまず拭うと鞘に納めた。

 あたりはほとんど死体だ。いや、一人だけ生きていた。しりもちをついてただただこの光景を見るしかしていなかった男が。

 上着からわずかにのぞく腕時計や、靴の質を見るとどうやら襲撃者たちの中でも上の立場の人間らしい。

 黒柴もレオナルドも、目前の襲撃者を屠った後に同じく視線を向けた。

 男は絶叫する。


「お前ら……『殺し屋』か!」

「ご名答。まあ、見ていれば分かるよな」


 黒柴が口を開く。低音の落ち着いた声だが、その奥底には意地の悪い笑いが含まれている。

 女はにこにことしたまま、レオナルドは「自分は『運び屋』だ」と言いたいのをこらえて成り行きを見ていた。


「喜べよ。〈色彩〉の中でもレアだぞ、俺らは」


 男は「まさか」と驚愕し、続けて何かを言おうとした。それと同じくして傍に落ちた銃を手で探る。


「死に損ないの殺し屋どもが!」

「おやおや、耳が痛いな」


 飄々と黒柴は返す。

 男の肩へ女は血の付いたスローイングナイフを投げた。刺さった。襲い掛かった痛みに男が驚いている間に女は近づくと、ナイフを抜く暇も与えずに顔面を蹴り飛ばす。

 銃を拾い上げると手慣れたようにセーフティを外し、銃口を男に向けて引き金に指をかけた。


「よせ、千夜子」


 黒柴の声は若干の焦りを伴っている。


「銃は使うな。下手くそなんだから」

「でも、こんな近いなら大丈夫だよ」


 うつぶせに倒れる男に視線を固定したまま、女――千夜子はふてくされたように答えた。

 お気に入りのおもちゃを取り上げられたような、そんな子供じみた声色をしている。


「いいからやめろ。それ以外でもやりようはあるだろ」

「……」


 しぶしぶ、といったふうにセーフティをかけなおし放ると、今まさに起き上がろうとしている男の背中に馬乗りになった。

 両手で頭を掴むと、細腕からは信じられないほどの勢いで首を180度捻じ曲げた。今まさに死を迎えた男と目が合い、千夜子は楽しげに「こんにちは」とつぶやいた。


「…これで全員ですか?」


 レオナルドがため息をつきながら座り込んだ。


「そうだな。ざっと確認してきたが、全員死亡している。首が取れている奴は確認しなかったから心配なら見てきていいぜ」

「はは、それはさすがに…。でもよかった、この地域はこういう人たちが多くて危険なんですよ」

「話には聞いている。ここらのつまらない組織をどうにかしたいって話も『運び屋』の中であったしな。帰ったら報告して臨時収入をむしり取ってくるさ」

「ぜひそうしてください」

「それでレオ、ゴールまではあと何キロなんだ?」

「一時間もしないうちにつきますよ、ミスタークロミネ。幸い車も壊れていないし、あとはのんびりドライブを楽しみましょう」


 タイヤも無事だし、と安堵したようにレオナルドは呟く。

 車体に飛び散った血しぶきにはあからさまに嫌な顔をしたがそれは仕方ない。帰り、町中に戻る前にどこかで洗わなければならないだろう。


「しかし、親父の言う通りおふたりに頼んでよかったです。ひとりで強行していたら今頃ここに転がっていたのは俺だったかもしれません」

「おいおい、湿っぽくなるなよ。まあ自分の運の良さは祝ったほうがいいぜ。なんせ――」


 もったいぶるように黒柴――クロミネはぶるぶると体を震わせ、余韻のように二、三度尻尾を振った。


「俺たちを味方につけられたんだからな」


 □〇□


「確かに、約束の品を受け取った。これは報酬だ」


 広範囲の地域を取り仕切る麻薬カルテルのトップ・ジェームズはそう言って部下に命じ、ジェラルミンケースをレオナルドに渡した。

 ウェブマネーやらなんやらが発達しているこの時代でも、結局は現物のほうが信用を得られやすい。


 ジェームズとレオナルドは対面に座っている。レオナルドが腰を沈めるソファの後ろでクロミネと千夜子が護衛のように立っていた。

 犬と、仮面を被った女。相手をばかにしていると思われても仕方のないふたり。普通なら門前払いをされても文句は言えないが、すんなり通された。

 千夜子は日本刀を腰から下げたままである。ここは麻薬カルテルのフィールドなので容易に手を出されないよう牽制しているのだ。それと同時に、敵意がないことを示すためか手を後ろで組んでいる。

 慎重にケースを開けるレオナルドを見て、ジェームズは薄く笑った。


「さすがにこの場で開けると分かっているのに爆弾はしかけないさ」

「……あ、すいません。若輩者で」

「いい。先輩にさんざん脅されていたんだろう?」

「はは……」

「……彼がいなければそうしてもよかったんだがね」


 物騒なことを小声でぼそりと呟いてジェームズはクロミネを見た。

 クロミネは一言も発さず、ただバカにするように口をぱかりと開き舌を出してみせただけだ。


「――はい、確かに受け取りました」

「これからも頼むよ。そういえばここに来るまで厄介者には絡まれなかったか?」

「遭いました」

「だろうね。たちの悪い連中を、こちらとしても目障りなので早く潰したいのだが、なかなか姿を現さなくて――」

「始末したよ」


 ジェームズの言葉を女の声がさえぎった。

 一斉に視線が千夜子に集まる。むず痒そうに、彼女は口元をゆがめた。


「今、なんと?」

「私と、ボスと、レオで始末した。男ばかり十四人。ここから北の方角に一時間前。まだ死体があるんじゃないかな」


 カラスに食われてなければね。そう付け足した。


「おい、お前……」


 あまりに奔放な態度と口調に部下の一人が止めようとする。ジェームズは首を振って制止した。

 顔がこわばるレオナルドと、にこにことした表情で尻尾をゆるく振るクロミネ。


「お嬢さん、名前は?」

「オニキス。よろしくね、ジェームズさん」


 偽名であることはジェームズ側もすぐに分かっただろう。

 そういうものだ。『殺し屋』や『情報屋』はおおっぴらに本名を口にしない。


「よろしく。全く恐ろしい護衛をつけたものだな、『運び屋』くんは」


 皮肉が混じった物言いにレオナルドは苦笑いをするしかない。

 ジェームズが千夜子の無礼さに腹を立ててしまえばさっきの比ではない戦闘が起きてしまうところだった。

 なんせ、全員銃を構えている。


「……そ、それでは、仕事も済みましたのでこれで。再びお会いできたらいいですね」

「ああ、また頼むよ」


 社交辞令とも取れる会話の後、クロミネとジェームズは一瞬視線を交わし、ふいとどちらともなく目をそらした。

 不思議そうな顔でレオナルドは見たが、『運び屋』にとって好奇心は最大の敵だ。何も知らないふりをして部屋を出ていく。そのあとを千夜子、クロミネが追っていった。



 ――見送りに出た部下の数人もいなくなり、部屋は片手に数えるほどの人数になった。


「…いいのですか?」


 トップの右腕がそっと耳打ちをする。


「情報の漏洩を気にするなら、あの場で殺したほうがよかったのでは?」


 『運び屋』など裏社会では消耗品だ。年間何人も消えているが、誰も気にしない。同業者ですら。

 念には念を入れるなら情報を売られることを考慮してあの若い『運び屋』を殺しておいたほうがよかっただろう。そのほうが組織は安泰だ。


「『運び屋』はともかく、その後ろが問題だった」

「カタナを持った女と、黒い犬ですか?」

「侮らないほうがいいぞ。いったいどこにそんな伝手があったか知らないが…喧嘩を売るとめんどうくさい奴らを護衛にしていた」

「あれが、ですか…あの女、そんな強いのですか?」

「犬だ」

「犬」


 納得しかねる、といった右腕を放置しジェームズは度の強いアルコールを持ってくるように言いつけた。

 わずかに、煙草に取りだそうとするジェームズの手が震えている。


 クロミネが――〈黒〉が数年ぶりにおおっぴらに出てきたことに対しても嫌な予感を覚えると同時に、どうかトラブルに巻き込まれないようにと信じてもいない神に祈った。


 □〇□



「あーもう、死ぬかと思った」


 ハンドルを握りしめながらレオナルドはげっそりとした様子で言った。

 助手席に座り、膝の上にクロミネを乗せた千夜子は目を瞬かせる。仮面は取り去り、代わりに帽子を深くかぶっていた。


「どうして?」

「どうしてって…。ああいう立場の人の言葉を遮るとか、砕けた口調で話すとか、あんまりしちゃいけないんだからね」

「そっか。気を付けます」

「お願いします」


 ぺこりと意味もなくふたりは頭を下げあった。

 ただ、あの場で保護者コントロール役のクロミネが黙認していたところを見ると良しとしているのだろう。

 最悪殺し合いになってもいいぐらいは考えていたのかもしれない。『殺し屋』の中には本当に殺ししか考えていない社会不適合者もいるという。社会不適合だからそんな道を選ぶというのもある。


「ともあれ無事に終わったことですし報酬の話もしないといけませんね。ミスタークロミネ」

「まずはこのつまらない道を越えてからだな。この時間だと街につくのは夕飯ぐらいか」


 遠回しに奢りを要求されていることに、レオナルドは苦笑した。良好な付き合いを考えれば夕飯代ぐらい安いものだ。


「…そういえば、チヨコの偽名って何からとっているの?」

「宝石だよ。ボスがつけてくれた」

「そうなんだ。ダイヤモンドぐらいしか宝石は知らないなぁ…」

「ボスは昔はオブシディアンとか呼ばれていたんだよね」

「ああ。長いし嚙むからって大不好評で、今はもっぱら本名寄りのクロミネだな」

「へ、へぇ。なにか偽名に決まりがあるんですか?」


 千夜子が執拗に耳をいじるので頭を振って抵抗の意を示すクロミネは、少し考えるそぶりを見せた。


「裏社会の住民ならちょっとは『殺し屋』について知っておいたほうがいいぞ。仲間から聞いていないのか」

「親父からは少し」

「どこまで」


 レオナルドはちらりとクロミネを見る。

 黒柴は千夜子の膝の上で耳だけを彼のほうに向けていた。


「色の名前がついた『殺し屋』〈色彩〉の組織は五つあると。〈レッド〉〈ブルー〉〈イエロー〉〈パープル〉、そして…〈ブラック〉」

「それから?」

「本当は七つあったけれど、ええと、七、八年前の組織間戦争で減ってしまったとか」


 どれだけ壮絶なものだったのか、レオナルドには分からない。なにがきっかけだったのかもレオナルドの父親は話さなかった。

 そういえばその時期やたらと物騒なニュースが流れていたぐらいの認識だ。つまるところ、一般人の目に触れるほどのものだったというわけだが。


「それぐらいか」

「そうですね」

「補足としては、千夜子や俺のように色に基づいた宝石を仕事ビジネスに使うことが多いな。おもに幹部あたりが」

「へえ…」


 言葉が途切れる。

 千夜子は会話には加わらずにただ唇に笑みを乗せて黙るだけだ。

 レオナルド的には片手で数えるほどにしか接触していないながらそれなりに気になっている彼女とお話がしたいのだが、タイミングと話題が悪すぎる。おとなしくクロミネと話すしかなかった。


「親父さんは〈黒〉のことを何と評していた?」

「……」

「悪口だな」

「ええ、まあ…」


 レオナルドは歯切れ悪く、肯定した。

 彼の父親は何かあったら〈黒〉を頼れと言っていた割には罵詈雑言が多かった気がする、と軽く回想した。出来れば関わりになるなとも。結果的に頼ってしまったが。


「だろうな。昔、散々振り回したから」


 〈黒〉のボスは笑う。


「…僕のことも振り回しますか?」

「当たり前だろ。俺らに関わった以上は諦めろ」


 千夜子はただ微笑むばかりだ。

 レオナルドは今日何回目かも分からないため息をついた。



 クロミネと、千夜子オニキス

 実質的にはこの二人だけが〈黒〉の『殺し屋』であった。

 "オズの魔法使い"に姿を変えられ、"オズの魔法使い"を求めて争った……成れの果てだ。


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