魔法使いの彼女の傍に

平石永久

ある日の朝

「あっ、武志くんだ!」


 新月香蓮にいづきかれんは僕を見つけるなり嬉しそうに手を振った。

 背中ほどまで伸ばされた髪は十分に手入れがされていないようだ。クラスメイトの女の子に比べると艶がない。

 目の下には隈ができている。あまり寝ていないのだろう。だけど、それが彼女の日常だった。


「昨日も未来を覗こうとしてたの?」


 近づいてきた香蓮に呆れながら尋ねる。

 彼女はムッとしたように頬を膨らませる。それから、人差し指を立てて身を乗り出してくる。


「違うよ。昨日は星にお願いごとをしてたの。今日の朝、武志くんと一緒に登校できますようにって」


 ふくれっ面から変わって、香蓮はニコリと微笑む。

 彼女とは小学校からの付き合いだ。いわゆる幼馴染。だから、香蓮の態度が素であることを知っている。


「魔法使いも大変だね」


「そうでもないよ。私が好きでなったんだからね」


 はにかみながら香蓮は僕の隣に寄って来る。

 香蓮が魔法使いを名乗っていたのは、僕と出会うもっと前からだったらしい。

 周りから変人扱いされている香蓮だけど、だからこそ僕は彼女と仲良くなることができた。


『一緒に遊ぼうよ』


 小学生の頃、疫病神と呼ばれていた僕に積極的に関わってきたのが香蓮だった。

 なんてことはない。僕と一緒に遊んだ子が怪我をしたとか、一緒のチームになったら勝てないとか。良くない噂のおかげで僕はいつも一人だった。


『君の呪いが解けるまで一緒にいてあげる』


 曰く、彼女は運がよかった。

 香蓮に運が絡む勝負事で勝てたためしがない。それは彼女が魔法使いだからだという。

 僕はそんな彼女の言葉を鵜呑みにするわけじゃないけど、確かに彼女にしかないものがある。


「どうしたの?」


 横顔を見られていたことに気付いたのか、香蓮は不思議そうに僕を見てくる。

 互いに見つめあう形になって僕は少しだけ照れくさかった。

 いつものことなのだけど、彼女の行動は一つ一つが無防備すぎて心配になってしまう。


「一緒にいてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 ニコニコと笑う香蓮。だけど、傍から見れば彼女にもつらい時期があったと思う。

 魔法を信じられるのは幼い頃まで。幼さが彼女の魔法使いとしての側面を作り出してきた。

 でも、成長するにつれ、香蓮は孤立していった。

 変な奴だと笑われることもあった。今まで仲良くしていた友達が離れていくこともあった。


「だから」


「ん?」


 首を傾げる香蓮に、何でもないと僕は笑いかける。

 今度は僕が彼女の傍にいるそう思ったんだ。


「誰か泣いてる」


 呟いて香蓮が駆け出した。


「香蓮?」


 香蓮を追いかけると公園で小学生くらいの女の子が泣いていた。


「どうしたの?」


 僕だったら少し躊躇してしまう状況。でも、香蓮はすぐに駆け寄って女の子と目線を合わせる。


「めぐみちゃんがね、ゆかのこと嘘つきって。嫌いだってね。言われたの」


 きっかけは些細なことだったらしい。

 この子が旅行に行って買ってきたお土産が、この近辺でも売っていた。そして、旅行に行っていないんじゃないかと疑われ口論になった。

 お互いの感情をぶつける子供ならではの喧嘩と言えるかもしれない。


「そっか。ゆかちゃんは、めぐみちゃんのこと嫌いになったの?」


「……わかんない」


 話をしている間はぐずっていただけだったが、もう一度大泣きしそうな勢いだ。


「香蓮、もう」


 僕は女の子に寄り添う香蓮に、学校が始まる時間だと告げようとした。


「うん。めぐみちゃんと話しに行こう」


「いや、そうじゃなくて、学校――」


「行こう、ゆかちゃん」


 状況の掴めない女の子の手を引いて香蓮は走り出した。

 いつもながら香蓮の人助け精神には困ったものだ。

 僕は彼女たちを小走りで追いかける。


「あっ、めぐみちゃん」


 道の途中で女の子と同じようにランドセルを背負った女子児童を見つけた。彼女が話に出てきた子らしい。


「君がめぐみちゃんだね」


「お姉さん、誰?」


 警戒したように女の子は香蓮を睨みつける。

 香蓮はコホンと咳払いをして、芝居がかった仕草で人差し指を振る。


「私は魔法使い」


「魔法使い?」


「お姉ちゃん、魔法使いなの?」


 途端にキラキラと目を輝かせる二人の女の子。


「そう。だから、あなたの思っていることは全部お見通し」


「えっ」


 香蓮がいたずらっぽく笑う。すると警戒していた女の子が驚いたように声を上げる。


「めぐみちゃん。本当はゆかちゃんと仲直りしたいんでしょ?」


「そ、その……」


 口ごもってしまった女の子を香蓮は優しく抱きしめた。


「大丈夫。ちゃんと謝れば、ゆかちゃんと仲直りできるよ」


「……本当?」


「めぐみちゃんとゆかちゃんはお友達なんでしょ?」


 女の子二人はお互いに何を話していいか分からない様子だ。

 再び口を閉ざした女の子たちの手を引いて、香蓮は二人を引き寄せ抱きしめた。


「大丈夫。友達っていうのは、少し喧嘩したくらいじゃいなくならないんだよ。二人がごめんなさいって思ってるならね」


 優しい口調で諭すように、香蓮は二人の女の子の頭を撫でる。


「ゆかちゃん、ごめんね」


「めぐみちゃん、ごめんなさい」


 香蓮越しに二人はお互いの想いを吐露した。

 また泣き出してしまった女の子たちの涙が切れるまで僕たちは傍にいた。


「もう大丈夫?」


「うん」


「魔法使いのお姉ちゃん。ありがとう」


 香蓮に別れを告げ、二人の女の子は元気よく手を振っていた。彼女たちの様子を満足気に香蓮は見送る。

 女の子たちを仲直りさせて笑顔にした。それは確かに魔法みたいだった。


「香蓮」


「なに?」


「もう一人の女の子が仲直りしたいってどうして分かったんだ?」


 それはね、と香蓮はくるりと振り返る。


「私が魔法使いだから」


「それは知ってる」


「それと、似てたから」


 人差し指をくるくる動かしながら、香蓮は僕の手を掴んだ。


「似てた?」


「私が魔法使いだよって言って、それを嘘だって言った。あの時の武志くんに」


 僕たちの交流が始まったきっかけ。しつこいくらい僕についてきて、でもそれを振り払うことはできなかった。

 香蓮に出会えた幸運に感謝を。


 ――いや、違うな。


「あっ、もう学校が始まっちゃうよ!」


 腕時計を見ると確かに予鈴の一分前だった。


「急ごう、武志くん!」


 駆け出した香蓮の姿は見ていて危なっかしい。彼女に言わせれば、僕たちが一緒にいることも魔法なのだ。

 だから今日も、魔法使いの彼女の傍に僕はいる。

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