第9話 お姫様は暗闇の中

 しばらく二人は呆然と暗闇の中に立ち尽くしていた。まったく知らない建物の中、真っ暗闇では動けない。


「お姫様」


 どこからかノワールの声が聞こえる。


「ノワール! 無事だったのね」


「なんとかね。お姫様も無事みたいで良かった」


「ノワール、外の様子はどう?」


「外はやっと黒い靄が晴れたところさ。騎士たちは黒き魔女に連れられて、どこかへ行っちまった。今、塔の周りには動物の一匹もいない。寂しいもんさ」


「では、外に出ても安心ね。問題はどうやって出るかだわ」


「こっちの壁にネズミ穴があるんだ。ここからなら外が見えるかもしれないぜ」


 ノワールの声がする方に視線を向けてみると、闇の中にも少しだけものの輪郭が見えているようにも感じられた。姫君は足先で床を探りながら壁に近づいていく。

 なにか真っ黒なものが近くにあるように思い目をすがめて集中すると、闇の中にぼんやりとイザの輪郭が見えてきた。


「イザ、そこにいたのね」


 姫君がそっと近づく。イザは姫君の声を頼りに体の向きを変えた。


「無理に動かない方がいい。この部屋の造りも把握できていないのだ」


「大丈夫、完全な闇ではないわ。光が漏れ入っているのよ」


 姫君は、そろそろと手を伸ばしてイザの腕をつかんだ。イザはほっと息を吐いた。


「良かった、無事だったか」


「心配してくれるの? さっきまで、あんなに嫌っていたのに」


「疑って申し訳なかった。君が魔女に呪われているというのは本当だったんだな」


 イザの言葉を聞いた姫君の目にじわりと涙が浮かんだ。


「信じてくれるの?」


「すべてを信じることは出来ない。だが君が魔法の被害者だということは確かだ。なんとかここから出て、王城に帰ろう。私が証言して君を保護する」


「いいえ」


 姫君は指で涙を払うときっぱりと言った。


「急いで隣国へ向かいましょう。黒き魔女は今度はヘンリー王子様に呪いをかけるつもりなんだわ」


 また「にゃあ」という声がして、イザがびくりと震えた。


「どっちにしても、ここから出ないとな」


「そうね。とにかくネズミの穴を見つけて、そこからどうにかできないか試してみましょう」


「ネズミの穴? なんだ、それは」


「壁にネズミが開けた穴があるって、ノワールが教えてくれたのよ。ノワールはネズミ捕りの名人だから」


 塔の外でノワールが「その通り」とニャーと鳴いた。姫君はノワールの声を頼りに歩きだそうとしたが、イザは引っぱっても動かない。


「どうしたの、イザ」


「君は本当に猫としゃべっているのか?」


「そうよ。意味は分からなくても、イザにもノワールの声が聞こえているでしょう」


「猫は……、私のことを嫌っているだろう?」


「え? 嫌っているって、なんで?」


 イザは黙り込んでしまい、姫君はノワールに尋ねた。


「イザとなにかあったの?」


「チビだったころのイザに、俺の母親が思いっきり噛みついたことならあったらしいけど、そのことかな」


「まあ。どうしてそんなことに?」


「撫でられ過ぎて鬱陶しかったんだそうだ。猫は人間との間に距離感が必要だからな」


「じゃあ、嫌っていたわけじゃないのね」


「そうじゃないか」


 姫君はイザの腕をそっと引っぱった。


「嫌われてはいないそうよ。ただ、猫をかわいがるときは節度を保って欲しいのだそうよ」


「心がける」


 硬い声だったが、今までよりは幾分か明るさを増しているようだ。姫君とノワールとの会話のおかげでリラックスできたのか、イザもノワールの鳴き声がする方へと歩き出した。

 行く手がほんの少しずつ明るくなっていく。普段なら気付けないような小さな小さな光だが、真っ暗闇の中ではとても頼もしく感じる。

 壁の石積みのわずかなへこみと地面の隙間を利用して、そこから穴を広げたらしく見える。


「この穴、外から中に向かって開けてあるようだな」


「外からネズミが入ってきたの?」


「そうだろう。封印はもしかしたら、この穴から崩れたのではないだろうか」


「たったこれだけの小さな穴なのに、大変なことになるなんて」


 イザは床に膝を付いて穴から外を覗いた。


「蟻の穴から城壁が崩れたという故事もある。だが、さすがに人間が素手で穴を広げるのは無理だな」


「塔の内側からでは封印されたドアは開けないかしら」


「内側からどうにかできるようなら、封印にならないだろう」


「それもそうよね……」


 穴のすぐ近くからノワールの声がする。


「そもそも、封印を解くっていうのは、どうやるんだ?」


「私の涙を封印の扉に落とせばいいの。たったそれだけのことなのにできないなんて」


「そんなに難しく考えなくたって、俺が涙を運んで扉に擦りつければいいだけの話じゃないか」


 姫君は瞳をきらめかせて拍手する。


「すごいわ、ノワール。鋭い指摘だわ」


「なにか水を運べるようなものは持ってないのか?」


姫君はイザに尋ねる。


「イザ、水滴を運べるようなものはない? 私の涙をノワールが封印の扉まで運んでくれると言うのよ」


 イザは少し考えてコインを一枚、姫君に渡した。


「これなら水を運べなくもないとは思うのだが、はたして猫にコインを運ぶことはできるだろうか」


「ニャー」


 ノワールはどこか馬鹿にしたように聞こえる鳴き声を発して黙り込んだ。


「とにかく、やってみましょう」


 姫君は目の側にコインを近づけると、大あくびを三度した。なんとか一滴の涙をコインに乗せると、手のひらに乗せてネズミ穴から外に差し出した。


「ニャー」


 いやに低いノワールの鳴き声がして、姫君の手からコインが離れていった。待つほどもなく、塔の内部が白く爆ぜたかと思うほどに強い光であふれた。

 目をつぶるのが遅れて姫君は閉じた瞼の後ろでチカチカと星がまたたくような痛みを感じた。

 重い金属が石床をこする音がして、外から風が吹き込んできた。


「大丈夫か、二人とも」


「何者だ!」


 イザが鋭い声で叫んだ。姫君は未だ痛む目をうっすらと開けようとしながら尋ねる。


「どうしたの、イザ。誰かいるの?」


「今の声が聞こえなかったのか?」


「ノワールの声? 聞こえたわ」


「猫の鳴き声のことではない」


 イザも光に目をやられ、まともに辺りを見通せていない。ただ姫君を背にかばいながら声がした方に向かって身構えることしかできない。

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