第8話 お姫様は探索中
黒き魔女の塔は山の奥、深い谷にあった。途中から道はなくなり、馬を置いて徒歩で鬱蒼とした樹々と下草を分けて歩く。
騎士たちが通った後に続くので、なんとか歩くことは出来たが、姫君の丈の短いスカートから伸びた足は、薄くて鋭い草のせいで切り傷が増えていく。痛みをこらえながら、なんとか歩き続けた。
突如、樹々が開けて沢に出た。清冽なせせらぎの向こうに、真っ黒な塔がそびえたっている。
窓は一つもなく、入り口の扉は大人が腰をかがめてやっと通れるほどの低さだ。大柄なイザならば膝をつかねば入れないかもしれない。
「なんと!」
隊長が小さく叫んで駆けだす。塔の側壁に、ぽっかりと穴が空いている。
「封印が解かれている!」
騎士たちは剣を抜き、腰だめに構えながら周囲に目を配る。イザは姫君を背中にかばいながら塔の入り口に近づいた。
姫君はイザの陰から顔を出して穴から塔の中を覗きこむ。
「真っ暗でなにも見えないわ」
姫君の腕の中からノワールがするりと抜け出して、崩れた穴をくぐって塔の中に入っていく。
「ノワール、どこへ行くの?」
「ネズミがゆうゆうと歩いてるんだ。ここにはもう危険はないんだろう。なにか話が聞けるかもしれないからな、ちょっと獲ってくる」
そう言い置いてノワールは塔の中に入ってしまった。姫君はあわてて後を追う。イザのわきをすり抜けて塔に駆け込んだ。
「どこへ行く!」
姫君が穴をくぐったすぐ後に、イザが追い付いた。姫君の腕を捕まえて引き寄せる。
「勝手に動くな、危険だろう!」
「もうここには誰もいないみたいよ。ノワールがそう言ったわ」
「今は猫が喋るなどという世迷言に付きあっている暇はない。すぐにここから出るんだ。黒き魔女がまだいるかも……、いや、なにか罠がないとも限らない」
「お姫様、ネズミを生け捕ったぜ」
すぐ近くまでやってきたノワールの鳴き声にイザは青ざめ、姫君の背中に回った。ノワールはネズミを口にくわえたまま器用に鳴く。
「ほら、知ってることを話せ。そしたら助けてやるよ」
ネズミはノワールの牙から逃れようと身をよじりながら、「助けて」と繰り返している。
「ネズミさん、黒き魔女はどこへ行ったの?」
「すぐそこにいるよ、帰って来たよ」
「まあ、大変! イザ、魔女が帰って来たって……」
その時、塔の外から叫び声が響いた。
「なんだ、これは!」
ざわめきと数人の足音。
「全員、むやみに動くな!」
隊長が叫ぶと物音はやんだ。
「君はここにいろ」
そう言い置いてイザが塔を出ようとすると、ネズミが甲高い声で鳴いた。
「魔女様! 魔女様! 塔の中にも人間がいます!」
思い切り身をよじりノワールの牙から逃れると、ネズミは塔の外に逃げ出していく。ノワールがそれを追い、出口に向かう。と、外から黒い靄が流れ込んできた。ノワールはネズミに夢中なのかそのまま駆けつづけ、靄の中に突っ込んでしまった。
「ノワール!」
姫君が叫んでもノワールは帰ってこない。イザが足早に出口に近づいていく。
「なんだ、これは」
「イザ、靄に近づいてはだめ!」
姫君はイザの腕を引っぱり、塔の奥に後ずさる。
「きっとこれが黒き魔女の呪いなんだわ。私はこの靄に包まれてしまったの」
「あら、名も知れぬ女がいるのね」
凛とした女性の声が聞こえた。
「何者でもなくなって寂しい思いをしているでしょう。いっそ、名前を呼んでくれる人が誰もいないところに行けば楽になれるわよ。そうだ、ちょうどいい。永遠に、塔に閉じこもったらいいわ」
塔の内部に侵入していた黒い靄が引いていき、壁に開いた四角の穴をふさぐ。そのままぴたりと動きを止め、硬い壁になり、塔の内部は真っ暗になった。
「さあ、アスレイト王国の騎士たち。私に仕えてくれるわね」
女性の声に隊長が答える。
「黒き魔女様にこの命と剣を捧げます」
隊長に続き、他の騎士たちも同じ言葉を唱和した。騎士が王に向けるべき誓いの言葉を聞いて、イザは愕然とした。
「いったい、なにが起きているんだ。皆、どうしたというんだ」
外から聞こえる声が塔の中に反響して、まるで数百人の騎士団が女性のもとについたのではないかと思わせる迫力だった。
「黒き魔女様のお心のままに、我らをお使いください」
隊長の言葉に黒き魔女は高らかに声を上げて笑った。
「いい子たちね。では、行きましょう。花嫁をなくした哀れな王子様を慰めに」
「待って! ヘンリー王子様にひどいことをしないで!」
姫君は叫んで出口に向かおうとしたが、暗闇と反響する音のせいで、すっかり方角がわからなくなってしまっていた。
姫の懇願に答えるものはない。足音が遠くに去っていく。イザも声を張り上げる。
「隊長! 騎士の誓いをなぜ黒き魔女などに捧げるのですか!」
だが、足音が止まることはなかった。
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